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13-1

 その夜。

 眠りにつこうとサイドテーブルのランプを消そうしたとき、部屋の扉がノックされた。

 プリシラだろうか。


「アッシュさん。まだ起きていますか?」


 ディアだった。

 俺が「起きてるぞ」と返事をして扉を開ける。

 ディアは手を後ろに回し、緊張した顔をして扉の前に立っていた。


「あの……」

「どうした?」

「えっと、その……。よろしければ外を歩きませんか?」

「ああ、いいぞ」


 念のため魔書『オーレオール』を持っていこうとしたら、彼女に「で、できれば二人だけで……」と止められた。

 二人だけで……。

 大事な話でもあるのだろうか。

 ただの散歩ではなさそうだ。


 ――のじゃじゃじゃじゃっ。二人で行くがよかろう。


 スセリがまた変な笑いかたをしていた。



 月明りが四角く差し込む薄暗い廊下を歩き、ロビーを通り、俺とディアは宿屋の外に出た。

 路地裏はしん、と静まり返っている。

 表通りもまるで別世界のように静寂に包まれていた。


 青白い月の光に照らされた、眠った街。

 歩いているのは俺とディアの二人だけ。


「し、静かですね……」

「そう、だな……」


 俺とディアはほとんど無言で歩いていた。

 ディアは意識的に俺から顔を背け、夜の街の景色を眺めながら歩いている。

 ときどきこちらを向くも、すぐにまた顔を背けてしまう。

 会話をしても一言二言で途切れてしまう。


 なんでディアはこんなに緊張しているんだ……。

 俺まで緊張してしまう……。

 俺は気まずくて仕方なかった。


 浜辺までたどり着く。

 月を映す黒い海が視界いっぱいに広がっている。

 さざなみのやさしい音。

 やわらかい砂の上を、足跡を残しながら俺たちは歩いていく。


「あ、あの……。アッシュさん。ありがとうございます」


 立ち止まったディアがそう言った。


「ガルディア家を取り戻すために、力を貸していただいて」

「ディアの帰る場所を取り戻すためだからな」


 俺たちはその場に並んで座る。

 ひそやかに波を立てる海を眺めながら話す。


「クロノスは自分本位な人間です。ガルディア家を継いで領主となれば、領民が苦しむのは間違いありません。そして自分に逆らう者ならば、父の代から家を支えてきた者ですら容赦なく切り捨て、自分に都合の良い者だけをそばに置くでしょう」


 ディアの横顔を目の端で盗み見る。

 彼女の表情には罪悪感が現れていた。


「そうなるであろうとわかっていながら、わたくしは逃げてしまいました」


 折り曲げた膝をぎゅっと抱きしめる。

 ガルディア家の次期当主としての責務が彼女の背にのしかかっている。


「わたくしは弱い人間です。なんの力も持っていません」

「前まではな。今は俺やプリシラ、スセリにセヴリーヌがいる」

「……はい」


 微笑むディア。


「やはり、これは運命なのでしょう」


 蒼の宝珠セオソフィー。

 紅の宝珠フィロソフィー。

 二つの宝珠をそれぞれの手で握りしめる。


「わたくしは立ち向かいます。クロノスの野望をくじき、ガルディア家を取り戻してみせます」

「ああ。俺たちならきっとできるさ」

「そうですねっ」


 ディアは心底うれしそうに目を細めていた。

 ――と、それから一転し、彼女は急に顔を赤らめる。

 足元を見つめながらごにょごにょと言う。


「そ、それで、ここからが本題なのですが……」


 えっ?

 てっきりさっきの決意の表明が本題だと思っていた。

 ディアはまた恥ずかしげな表情をしている。


「わ、わたくしがガルディア家の当主になったあかつきには……」


 そこから先が続かない。


「なったあかつきには……」

「あかつきには?」

「え、ええっと……」


 言いたいが、言えない。

 ディアは頬を赤く染めて言葉をためらっている。


「ア、アッシュさん!」


 そんな長い逡巡(しゅんじゅん)の末、ついに彼女は勢いに任せて言い放った。


「わ、わたくしと結婚してくださいっ!」

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