49-6
事件と言える事件はそれくらいのもので、それからの航海は順調だった。
海も嵐に見舞われることなく、海竜と遭遇することもなかった。
ただやはり……退屈さからだけは逃れられなかった。
「アッシュ、ヒマですわ」
マリアが青空を見上げながら言う。
何度聞いたセリフだろう。
俺とマリアは甲板で海を眺めていた。
とっくに船旅に飽きていた俺たち。
海を眺めるのだって、少しの退屈しのぎにもならない。
しかし、それしかすることがなかったのだ。
「アッシュさま。マリアさま。お飲み物をお持ちしました」
プリシラが銀のトレーの上にジュースを乗せて運んできた。
彼女はメイドとしての信念なのか、決して『退屈』とは口にしないが、気持ちは俺やマリアと一緒だろう。ときおり彼女は「ふあぁ」と大きなあくびをするのがその証拠だった。
プリシラが持ってきてくれたジュースを口に含む。
オレンジの酸っぱい味が口の中に広がる。
マリアもグラスを傾けてジュースを飲んでいた。
「陸はまだ見えないみたいですね」
俺の隣に並ぶプリシラ。
見渡す限りの大海原。
青色が延々と広がるだけで、それ以外はなにもない。
「早く王都についてほしいな」
「そうですね」
「また魔物でも襲ってこないかしら」
マリアが縁起でもないことを言った。
……とはいえ、そう思う気持ちもわからなくはない。
予定では、王都に到着するまであと一日。
もう少しの辛抱だ。
一日……。
一日か……。
今の俺には途方もない時間に感じられた。
「そういえば、スセリさまはどうしていらっしゃるのかしら」
「スセリさまならお部屋で寝てらっしゃいますよ」
マリアの質問にプリシラが答えた。
「スセリさま、寝てばかりですわね」
「あまり外には出ませんね」
たぶん、スセリは知っていたんだろうな。船旅が退屈だということに。
長い年月を生きていた彼女からすれば、海の眺めも心をときめかせるものでもないのだろう。
船内に戻り、スセリの部屋の前。
部屋の扉をノックする。
「スセリ、起きてるか?」
「寝ておるのじゃ」
このやりとり、前にもしたような……。
「入っていいか?」
「なにか用か? 今、忙しいのじゃ」
忙しい?
不審に思った俺は彼女の許可を得ないまま部屋に入った。
……なにやってるんだ?
スセリは薄い長方形の物体を両手で持ち、真剣な顔でそれをにらみつけていた。
しきりに親指を動かしている。
……鏡、か?
鼻息を荒くしているスセリは入ってきた俺を完全に無視して、鏡に似た謎の長方形の物体を凝視している。
「スセ――」
「のじゃーっ!」
スセリが突然叫ぶ。
そして謎の長方形の物体を床に投げ捨て、ベッドに倒れた。




