8.山田先生68歳
しばらくして、西口さんと二人で帰ってきたエメトは、まだ笑顔のままでした。
「うおっ、一体どうした」
ペッタリ貼り付けたように崩さないその笑顔に驚いた清一くんに対し、エメトは、
「清一さん、私は三角関係ですか?」
と意味不明の受け答えをしたので、西口さんに大いに笑われました。
「お前、エメトをどこも壊……怪我させたりしてないだろうな」
笑いつづける西口さんに清一くんが真面目くさった顔で言うと、西口さんは涙を拭いながら、
「ああ、やだやだ、あんたそればっかりね。過保護もいいとこよ、ねえエッちゃん?」
と、からかい、それを「はい」とエメトが笑顔で肯定したので、また大笑いしました。
清一くんはもちろんエメトがロボットであることを分かっていますが、こうして笑顔で「はい」なんて言われては、西口さんと一緒になってエメトにもからかわれている気持ちになります。
清一くんはお父さんの言葉を思い出しました。
『機械はプログラムに従って人間の行動を真似するだけだ。見る人間が感情のようなものを感じればいい』
たしかにお父さんの言うとおり、清一くんはエメトの表情に、勝手に感情を感じていました。何も知らない西口さんに至っては、すっかりエメトと双方向のやり取りをしている気持ちになっています。
でも、それは全て作り物。もしいつかエメトの正体がクラスのみんなにバレてしまったら……、楽しそうに笑っている西口さんが、作り物の人形を相手に踊らされていたことを知ったら、どんなショックを受けることでしょう。自分は皆を騙している、と、清一くんは急に罪悪感に襲われました。
「ちっ、もういいよ」
清一くんはエメトと西口さんに背を向けます。
「あっ、スネた。全くもう。エッちゃん、慰めてやりな」
「はい」
西口さんに言われて、エメトが清一くんの正面に回りこみました。そして相変わらずの笑顔で、
「元気を出してください、清一さん」
こう言われると、頭では「うるさい!」とはねつけたい清一くんですが、何故かそうすることができず、ただ黙ってエメトの笑顔を眺めていることしか出来ませんでした。
「おーい、高月……ええと、高月清一と高月エメトは、放課後職員室に来いよ」
クラス担任の山田先生がそう言ったので、清一くんとエメトは放課後に仲良く職員室に行くことになりました。やましいことが何も無くても、多くの生徒にとって職員室に呼び出されるのはなんとなく気持ちの悪いものです。大人ばかりの空間で、誰も冗談なんか言わずに机に向かって仕事をしているので、自分がすごく場違いな存在に思えるから。
「いや~、ご苦労だったな」
山田先生は大らかな態度で清一くんを迎えました。先生の机には電源の入った状態のノートパソコンと冷めた紅茶が載っているばかりで、とても綺麗に片付いています。
実は山田先生は、この学校でエメトの正体を知らされている数少ない人物の一人でした。ロボットであるエメトを生徒としてこの学校に登校させる計画は、学校責任者はじめ重役達の間では納得済みであるものの、ゼロワンシステム側からの強い希望で計画の全ては極秘。一般の教職員は誰もそのことを知りません。エメトのクラスの担任である山田先生だけは、学校側からの監視役として、全てを知らされた上で計画進行の補助と記録を行う役目を与えられているのです。
先生は高月くんとエメトに同じように椅子を用意して座らせると、エメトのボディを上から下まで眺めて言いました。
「俺も実物は今日始めて見るけど、こりゃビックリだなあ。とてもロボットには見えんわ」
「あんまり大声で言わないで下さいよ」
「ハッハッハ、気にするな、誰も聞いちゃいない」
七十近い老人のくせに豪快に笑います。
「で、このロボットは十万馬力なのか?」
「は?」
「だって科学の子だろ? 七つの不思議な力があるだろ?」
……と、言われても二〇四三年生まれの清一君に二十世紀産のアニメの話は通じなかったようで、意味がわからずキョトンとしていました。山田先生は気にせず話を続けます。
「俺の時代はロボットなんて、二本の脚で歩けば大喝采だったけどなあ。それが今じゃ、その辺の道路でロボットがゴミを拾ってる。お前、電話ボックスなんて見たこと無いだろ」
「はあ……?」
耳慣れない言葉に清一くんは首をかしげました。電話ボックスはもう何十年も前に完全に姿を消しています。それどころか今では自宅に据え置き電話を置くことさえ滅多になくなりました。そういったものは全てPDAで賄えるのです。
「知ってるか? 昔はガソリンの自動車が、そこらじゅうでケツからプップカ排気ガスを出して走ってたんだぞ。今はガソリンが高くなっちまって電気自動車しか無くなったけどな。それからなあ、タバコ! 今はもう流行らないが、俺が若い頃はみんな吸ってた」
「はあ」
「あとなあ、俺が若い頃は、ネット関連の法律がまだ整備されてなくてなあ。海外のサイトに行けば市販されてるゲームとかがタダでホイホイゲットできたもんよ。サーバーが国の外にあればもう自分の国で裁けないんだから、みんなやりたい放題だったな。ファイル共有ソフトなんてのも流行ったなあ。今じゃあ法律もセキュリティーも強化されて、つまんねー世の中になった」
「いつの時代っスか? それ」
「ほんの四十年ぐらい前だ」
山田先生はそう言ってまた豪快に笑いました。清一くんはとっくについて行けなくなっているので苦笑いです。隣でエメトがずーっと同じ顔で笑ったまま座っています。
「時代の流れってのは早いもんよ。コイツも……」先生はエメトの方を見て、「そのうちに当たり前の存在になるんだろうな。そういうもんだ」と、一人で納得しました。
そして膝の上でぽんと手を叩いて、ダレてきていた高月くんの注意を促すと、少し真面目な顔になって言いました。
「俺の言いたいことはよ、高月。そんなに考えすぎるなってこった。クラスメイトに嘘をつくのは辛いかもしれんが、十年後には笑い話になってる。お前が卒業して、いつか同窓会で皆が集まる頃には、今の苦労を面白おかしく話してやれ。それで丸く収まる」
さすが教師一筋四十数年だけあって、山田先生は清一くんの不安な心理を見抜いていたようです。人生七十年の経験に裏づけされた自信溢れる言葉は、それをいくらか楽にしました。
「あ、えと……ありがとうございます」
不思議と自然にお礼の言葉が出てきました。山田先生は清一くんの表情がいくぶん晴れやかになったのを見て大きく頷きます。
「同窓会まで生きてて下さいよ、先生」
「ハッハッハ、お前こそ事故にでも遭ってポックリ逝っちまうなよ!」
そんな二人の様子を、笑顔のままのエメトは、二つのマイクロカメラでじっと観察していました。小さなレンズが人知れず「きゅる」と小さな音を立てました。
エメトの体内のニューロコンピューターは、いつでもものすごい速度で計算を続けています。彼女が何を〈考え〉ているのかは、誰にもわかりません。