7.三角形の魅力
エメトは清一くんが思ったほど簡単にはボロを出さず、無難に時を過ごしました。授業中は黙って机についているし(授業内容をどれ程理解しているかはよくわかりませんが)、聞かれたことで答えられることには短い言葉で答えます。それ以外にはわかりませんと答えます。
始めは興味津々でエメトの周りに集まってきた生徒たちも、エメトがごくわずかな反応しか返してくれないことがわかると、だんだん熱が冷めてきて大人しくなりました。
そうしてむかえた昼休みに、仁名村さんと西口さんは行動を起こしました。
「エメトちゃん、この学校には慣れたぁ?」
仁名村さんがわざとらしいぐらいのニヤニヤ笑いを浮かべてエメトに近づきます。エメトは「はい」と答えました。
「そう、それはよかったわぁ。でもまだ分からないことが多いでしょう? だから、ちょっと私たちで学校の中を案内してあげようと思うんだけどぉ、いかが?」
有無を言わさぬ雰囲気で、仁名村さんはエメトに迫ります。とはいえエメトには、そういう奇怪な雰囲気を理解して警戒するような複雑な判断は当然できないので、普通に物事を提案された時と同じように「はい」と無表情に答えるだけでした。
「じゃ、早速行きましょ」
仁名村さんがエメトの腕を強引に引っ張っていこうとすると、それを見た清一くんがあわてて飛んできました。
「あ、待ってくれ! そういうことなら俺も行く!」
仁名村さんはさっと青くなりました。
どうしよう、今の、この女をイジメてたと思われたかしら。きっとそうだわ、だからあんなに慌てて間に入りに来たのよ。イヤな奴だと思われたかしら。嫌われたかしら。清一くんに嫌われたら今後どうやって生きていけばいいのかわからないわ。もうダメよ、何もかもおしまいよー!
……と、天才的なネガティブ思考で一瞬のうちに自分を追い込む仁名村さん。彼女が頭を抱えているうちに、西口さんがスッと前に出ます。
「高月くーん、保護者気取りもいいけどね、女の子は女の子の輪に入るのが自然ってもんよ。余計な口出しはしないでちょーだい」
「いやでも、」
「はいはいはい、あんたがそんなんじゃエメトちゃんがクラスで浮いちゃうでしょーが。あんまりしつこいと嫌われるわよ、イヤラシイわね!」
「……」
清一くんは何も言い返せなくなったので、引き下がるしかありませんでした。『そいつ爪一枚三万円だから、傷つけるなよ!』とは言えません。
女の子二人はまんまとエメトを教室から連れ出すことに成功しました。
仁名村さんはエメトを連れ出したら、『気安く清一くんに近づくんじゃないわよ! このメスブタ!』みたいに脅しをかけてやろうと思っていたみたいですが、さっき連れ出す現場を清一くんに見られたことで意気消沈してしまいました。
西口さんの方は少し違い、エメトからやんわりと清一くんとの関係について聞き出してやろうと思っているようです。仁名村さんのために。
「にしてもエメトちゃんて可愛いわね、よく言われるでしょ?」
とりあえず相手を持ち上げるところから。西口さんは話術の心得がありました。
「はい」
しかしエメトは謙遜などという高度な社会的技能は持っていません。『可愛いってよく言われるでしょ?』と言われたら、さっきまでクラスの皆に囲まれていた時に何度もそう言われたという事実と照らし合わせて、YESと答えるのが理論的に正解です。「はっ、大した自信よねェ」と仁名村さんが吐き捨てるように言いました。
西口さんは話題を変えることにしました。
「あ、そ、そういえば自己紹介がまだだったわね。私、西口ジェルメーヌ楓って言うの。ママはフランス人なのよ。気軽にカエデって呼んで」
「わかりました。カエデ」
「エメトちゃんって変わった名前ね。ひょっとしてハーフだったりする?」
「いいえ」
確かにエメトはハーフではありません。人間でもありませんが。
「たまにいるんだよね、日本人のくせに自分の子供に変な横文字の名前付けちゃうバカ親がさ」
仁名村さんがまた余計なことを言ったので、西口さんはさりげなくそのスネのあたりに鋭い蹴りを入れました。「痛!」と叫んだぐらいなので相当痛かったのでしょう。
「気にしないでね。あ、そうだ、エメトちゃんのことはエッちゃんって呼んでもいい?」
「はい」
「よかった。ははは」
三人、もとい、二人と一台は案内を続けながら歩きます。音楽室、実験室、図書室、トイレなど、一年生が良く使う部屋をいくつか周りました。
西口さんはちょっと焦っていました。エメトが予想以上に無口で話題が広がらないので、スムーズに恋愛話に持っていけないのです。お昼休みの時間には限りがあるし、単なる口実とは言え案内の方もそれなりにちゃんとしなくてはいけません。
でも西口さんは、意地でもエメトから清一くんとの恋愛関係について聞き出してやろうと思っていました。仁名村さんは自己中心的で、根性が捩れてて、礼儀と言うものをわきまえていない女ですが、恋愛に関してだけはどこまでも奥手で、ここらで一つ恋敵でも登場してくれなければ一生告白なんて出来ないであろうことは明白なのです。だからここで、エメトの口から清一くんとの甘い関係についての話を訊かせることで、仁名村さんに危機感を芽生えさせ、積極的に行動を起こす気にさせてやりたい。と、いうのが西口さんの思惑でした。
その上、まんまと仁名村さんがやる気になった暁には、清一くんを巡って泥沼の三角関係が生まれるかもしれません。こんな面白そうなこと、見逃せるわけがないじゃないですか。
「ねぇ、エッちゃんは、この学校にくる前から高月くんとは仲が良かったの?」
「……」
少し強引だと思いましたが、西口さんは思い切って核心に迫る質問をしました。これにエメトはすぐには答えませんでした。急な質問でびっくりした、とかいうわけではもちろんありません。コンピューターが、仲が良いか悪いかを判断する基準を決めあぐねていただけです。結局、〈仲が良い〉=〈仲が悪くない〉=〈過去に敵対行動を取られた回数が少ない〉という基準で判断されることになり、記憶を検索した結果、清一くんは昨日一度エメトを突き飛ばしたことがありましたが、その時を除いて敵対行動と呼べるようなものはありませんでした。一回なら多いとは判断されない、つまり、エメトと清一くんは仲が悪くないということです。
「はい」
計算結果が出て、エメトは肯定の返事をしました。
他の質問にはほとんど即答だったのに、今回だけやけに時間をかけて「はい」と答えたのが、その場にいた二人にはやけに意味深に聞こえたらしく、西口さんはとても興奮しました。
「おお! やっぱりそうなんだ! ぐ、具体的にはどんな風に?」
「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと待ってよ」
鼻息荒くまくし立てようとした西口さんを、仁名村さんが抑えます。そして、張り付いたような笑顔を浮かべながら、不自然にフレンドリーな態度でエメトの両肩に手を置きました。
「かえでッたら、す、すぐにそう言う風に話を持っていこうとするんだもん。今のはそんな意味で言ったんじゃないんだよ。そんなに過剰反応したら、ま、まるで、清一くんとエメトさんが、深い仲みたいじゃないの。そんな風に誤解したら、エメトさんだって迷惑でしょ? ねえ?」
誰がどう見ても過剰反応しているのは仁名村さんの方なのですが、そんな態度の違いは理解できないエメトのニューロコンピューターは、馬鹿正直に質問に対する答えを考えます。
〈誤解されたら迷惑でしょ?〉=〈誤解されることによって何らかの作業に支障が出るか?〉→予測演算→予測可能な不具合無し。
「いいえ」
エメトは首を横に振りました。コンピューターがこういう結果を出したのは、単にちょっとした誤解からくる社会的不利益を予測するにはAIが経験不足だっただけかもしれません。でも、他の二人にはこう聞こえました。『そんなの全然迷惑じゃないわ。だってその通りなんですもの』……と。
「へえ、そうかい」
仁名村さんが急にドスの効いた声を出すので、西口さんはぎょっとしました。
「よく分かったよ。あんたが敵だと言うことが」
「ちょ、ちょっとナナセ」
口では咎めながらも、西口さんは内心ちょっとワクワクしていました。仁名村さんは獣のような目でエメトを睨んでいます。エメトのマイクロカメラ内臓の瞳は、その視線を全く表情を変えぬまま飲み込んでしまうだけでしたが。
「今のうちにいい気になってろよ。この学校に来る前はどうだったかしらないけど、ここじゃ何一つアンタの好きにはならないから。アタシの目の前でイチャつこーもんならたっぷり地獄ってもん見してやっからマジで覚えとけよ……」
仁名村さんは唸るような低い声で次々とエメトに脅し文句を投げかけましたが、いずれもAIが理解するには高度すぎる比喩表現や不明瞭な言い回しばかりだったのでエメトには理解できません。
「何が言いたいのですか?」
「高月くんはてめーのもんじゃねーって事だ」
「はい」
「ちくしょー! 余裕かましてんのか! ロボットみてーな顔しやがって!」
エメトに飛び掛りそうになった仁名村さんを、西口さんが後ろからヘッドロックで捕らえます。
「その辺にしときなさい」
西口さんは女子にしては身長が高くて、頭を捕らえる長い腕は仁名村さんが抵抗したぐらいでは全く振りほどけませんでした。抱えられたまま苦しそうにもがく仁名村さんに、エメトが話し掛けます。それは初めて自分から人間に質問をした瞬間でした。
「私の顔はロボットに見えますか?」
エメトは一応自分がロボットであることを悟られてはならないことを理解しています。前もって清一くんのお父さんに正体を隠すように命令されているからです。なので、先程仁名村さんが偶然にも真実に迫った暴言を吐いたのが、自分の改善すべき問題点に関わることとして認識されたのでした。
「え、そ、そんな事ないわよ」
喋られる状況に無い仁名村さんの代わりに西口さんが答えます。フォローしたつもりでしたが、エメトがじっと黙って無表情に見つめてくるので、思わず余計に言葉を続けてしまいました。
「あの、まあ、表情に出ないタイプなのよね、エッちゃんは。それでこの子もそんな風に言っちゃったっていうか」
表情に出ない。エメトのAIは西口さんの話から最も重要な部分を抽出し、メモリ内で反芻しながらその意味を複数通りの候補を挙げて理解し、消化しようとしています。
エメトがうんともすんとも言わないので、西口さんはもしかして傷つけたのではないかと焦り、さらに饒舌になりました。仁名村さんが脇の下でぐったりしてしまっています。
「あっ、ほら、でも! 朝、自己紹介した時は笑ってたじゃない!」
「はい」
「ああいう風にいつでも笑っててくれたらいいのよ」
「こうですか」
言われた途端にエメトは笑顔を作りました。エメトは何度でも全く同じ表情を作ることができます。無表情からのあまりに急な変化に西口さんは戸惑いましたが、ここで戸惑いを顔に出すとまた相手を傷つけることになるかもしれないと思い、ぐっとこらえました。
「そ、そうそう。イイじゃない。その顔の方が皆に好かれると思うわ」
「はい」
西口さんとエメトはステキな笑顔で見つめあいました。
それと同時に拘束が緩んだので、仁名村さんがヘッドロックから抜け出しました。仁名村さんはふらついた足取りでなんとか立つと、西口さん達とは対照的に憮然とした顔で乱れた髪の毛を整えます。
「バカらしい。私帰る」
と、捨て台詞だけを残して、仁名村さんは来た道を戻って行ってしまいました。
「……あの子のこと、誤解しないでやってね」
去っていく背中を見ながら、西口さんが言います。エメトは笑顔のまま「はい」と答えました。
「ナナセは、高月くんのことが好きなのよ。それでエッちゃんに嫉妬してるの」
「はい」
「あ、今の内緒にしといてね。あいつそういうのすごい嫌がるから」
「はい」
「そっかあ、エッちゃん、三角関係かあ……」
「……?」
エメトの固定されたままの笑顔と違い、西口さんの表情は変化に富んでいました。ここまで真面目な顔をして話していたのに、自分で言った三角関係という言葉に反応して、口の端っこがこらえきれずにつり上がって来るのです。
「ごめん! 私、こういう話大好き! 何かあったら教えてね、私はエッちゃんの味方よ!」
とうとう大笑いして、エメトの十億円もするボディの背中をバンバン乱暴に叩きました。
西口さんは普段は仁名村さんとつるんでいるくせに、恋愛話のためなら恋敵のエメトに対してもこんなことを言えてしまう、ちょっとずるい子です。
教室に一人で帰ってきた仁名村さんを、清一くんが「おーい」と呼び止めました。本当は名前を呼ぼうとしたのですが、同じクラスになって五ヶ月も経つのに仁名村さんの名前が思い出せません。そして、開口一番に、
「エメトは?」
と聞いたので、仁名村さんはその顔をじろりと睨み、何も言わずに通り過ぎてしまいました。
声をかけただけであんな顔されるなんて、一体なんなんだ、と清一くんは思いましたが、実は、仁名村さんの方は睨んだつもりではありませんでした。清一くんがあんまりにもエメトの心配ばかりするので、涙がこぼれそうになって、それをこらえるために睨むようなキツい表情になってしまったのです。もともと目つきがキツいのも一因ではあるでしょうが。
そんなわけで、会話なんて出来るはずもありません。無言で通り過ぎて、机に伏せって寝たふりをしながら、こっそり泣きました。