37.団欒
清一くんとお父さんが改札口に到着すると、すぐにお母さんと会えました。大きなトランクをゴロゴロ引き連れて、飛び切りの笑顔でこちらに手を振っています。
「たっだいまー!」
「ようお帰り。ドイツはどうだった?」
「カレー食いたい」
「ソーセージ買ってきたか?」
「醤油飲みたい」
この夫にしてこの妻あり。夫婦間のみで成立する不思議な会話に清一くんは辟易ぎみ。傍から見てかみ合っているようには思えないものの、彼らなりのやり方でひとしきり再開を喜び合ってから、お母さんは急に思い出したように清一君の方に向き直りました。
「セイちゃーん! 久しぶり! お母さんですよー!」
「あ、ああ……お帰り」
清一くんはついさっきまで沈んでいたので、お母さんのハイテンションについていけません。
「あれ? セイちゃんなんか元気なくない?」
「こいつ、今日エメトとケンカしたから落ち込んでんだよ」
すかさずお父さんがニヤニヤしながら告げ口しました。「余計な事言うなよ」と清一くんが口を尖らせると、お母さんがさっと手を伸ばしてきて、右の頬をモニっと掴んで一言。
「生意気」
全く清一くんはお母さんに頭が上がりません。
「エメトってアレよね。お父さんの会社の新型ロボット」
「そう」
「へー。ロボットとケンカしてどうすんの?」
お母さんは平然とお父さんと会話しながら、一方で清一くんの右頬に続いて左も掴んで両手でグニグニやりました。顔の肉を無理やり吊り上げて笑顔を作らせたりして遊んでいます。
「エメトはもう人間並みのやり取りができるロボットなんだよ。まあお前も一度見ればわかるさ、面白い奴だからきっと気に入ると思うぞ」
「えーキモい。そんなの作ってどうすんの?」
「お前な、そんなこと言って後悔すんなよ。はっきり言ってこれから時代が変わるからな。いいか? これまでの人工知能とエメトが明らかに違う点は……」
「あーわかったわかった。寒いからさっさと車に入りましょ。ホラ荷物持って!」
長々と解説に入ろうとしたお父さんを、お母さんはトランクを押し付けてあっさり黙らせました。もう一年は会っていないのに、完璧に扱い方を心得ています。さすがです。
帰りの車での話題は、主に清一くんの作ったカレーのことでした。
「今日はどんなカレー作ったの?」
「すき焼きカレーだよ」
「何それ! なんなのその名前からしてうまそうなカレーは! あんた天才!?」
「別に俺が考えたわけじゃないけど、単なるすき焼きの具材を入れたカレー」
「ちょっと! 何で今までそれ作んなかったのよ! 人生損してた!」
ここで運転席のお父さんが一言。
「いや、お前ほど人生満喫してる奴いねーよ」
全くもってその通りだったので清一くんも大いに頷きましたが、すぐにお母さんにまた頬をグニグニされる結果になりました。
しばらくして家に着くと、まずお母さんはハイヒールを投げ捨てるようにして脱ぎ、バラバラに転がったそれを清一くんが拾って下駄箱に入れました。
「ああー! 二ヶ月ぶりの我が家の匂い!」
お母さんは叫ぶや否や走っていって、リビングルームにあるソファーに頭から飛び込みました。
「あっ! 止めろ! バネがバカになる!」
という清一くんのごく良識的な叱責はどこ吹く風です。
お父さんが運んできたトランクを開けると、着替えや生活用品等と一緒にお菓子の箱や蜂蜜の瓶がたくさん出てきました。色とりどりの包み紙で綺麗に包装されたチョコレートの詰め合わせや、ネコの形をしたマルツィパン(アーモンド粉が原料のお菓子)、蜂蜜は三種類あって、その内ひとつは蜂の巣入り。それから、氷砂糖と紅茶のパック。等々。
「なんだ、ソーセージが無いじゃないか」
「だってあんなのナマモノだから帰る前に痛んじゃう」
「冷凍の奴ぐらいあるだろ?」
「それじゃ美味しくないのよ。向こうで食べたソーセージは本当美味しかったなー」
「くそ、自分ばっかいい思いしやがって。清一! カレー食うぞ!」
「今温めなおしてるよ」
両親が土産だなんだとはしゃぎ回っている間にも清一くんは食事の用意で大忙しでした。
こうして、家族がそろってリビングルームで賑やかに話す声は、二階にあるエメトの部屋にも聞こえたことでしょう。しかしエメトが降りてくる気配は一向にありません。清一くんは少しエメトの様子が気になりましたが、作業に徹することで無理にそれを忘れようとしました。
しばらくして、ダイニングのテーブルの上に三人分のすき焼きカレーが並びました。清一くんの家は全員揃っても三人(+1)しか住人がいないにしてはかなり広いので、テーブルもその広さに合わせて三人で使うにしては大きいぐらいのものが置かれています。その一辺にお父さんとお母さんが並んで座り、対面に清一くんが座りました。この光景が見られるのも実に一年ぶり。お父さんもお母さんもいない間、この馬鹿デカイテーブルに一人で食事をしていたことを思うと、三人が揃っているのはなんと心強いことでしょう。
しかし、今の清一くんにとっては、三人並んだこのテーブルでさえも、少し物寂しいものに見えるのでした。これだけ広いテーブルがあれば、三人の他に一人ぐらい人間の形をした物が増えたって十分使えるのに、などと考えてしまうのです。つい昨日は、清一くんとお父さんの他に、もう一人の家族の姿がこのテーブルにありました。自分は食べ物なんか口にしないくせに、何故か同じ食卓を囲んでいたロボット。初めは人形に見られながら食事しているみたいで落ちつかないだけだったけれど、今は……。