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36.ドイツより母帰る

 清一くんのお母さんの名前は高月蛍子。今年で四十二歳、職業は会議通訳者。日・英・仏・独・中・スペインと六ヶ国語を流暢に扱える無敵の語学力を持ち、国際会議があると聞けば東西南北、あっちの国こっちの国と日夜飛び回って大活躍しています。そのため、家にいないどころか日本国内にいないことが多く、普段は電話やメール、そしてちょくちょく国際便で送られてくる世界の土産物によってしか存在を確認できません。お父さんよりもさらに輪をかけて会う機会の少ない人物で、お父さんと同じぐらい、家事が超苦手。包丁など触ったことも無く、家を掃除するどころか気に入ったものを手当たり次第に買ってはゴミに変えていく。そんな人です。

 高月家の二階には「母さん倉庫」と呼ばれる部屋があり、そこにはお母さんが買っては自宅に送った色んな物が封印されています。どこの国で買ったかもわからぬ置物や、用途不明の道具、自分でも読めない言語で書かれた本、やたら沢山ある記念タペストリ、怪しい小人の干物(詐欺商品)、日本で買ったほうが明らかに安い精密機器等、そういった物がお父さんの研究室とはまた別種のカオス空間を形作っているわけです。

 お母さんはその場その場の衝動で面白いものを買って送ってきますが、帰国する頃にはすっかり忘れていて二度と興味を示さないので、どうやら商品を手に入れることよりは買い物という行為自体が目的のご様子。折角世界を股にかけて稼いだお金をそんなことにばかり使っているものだから、部屋に入りきらないゴミをいつも捨てに行かせられる清一くんにとってはいい迷惑です。

 両親ともにこのような性格では、清一くんが家事全般を得意になってしまうのも無理からぬことでした。今や一般的な家庭でお母さんに求められる仕事のほとんどは清一くんが一手に担っているのです。さて今日も、エプロン姿で台所に立つ清一くんの姿が見られました。

 今日は二ヵ月ぶりにお母さんが帰ってくる日。清一くんはメールで催促されたとおりお母さんの好きなカレーライスを作ります。お母さんは甘口でないと食べないし、お父さんは辛口でないと食べないので、別々の鍋に二種類のカレーを作らないといけないのは少し大変です。

 ドイツじゃどこの店にもカレーライスが無いってお母さんがメールで嘆いていましたから、何か思い切り和風なカレーにしてあげようと思い、すき焼きカレーを作る事にしました。すき焼き用の上等な牛肉に、椎茸、しらたき、ネギ、トーフ。隠し味に醤油を使っているのがまさに和風です。

「うまそうだな、味見させてくれ」

 と、仕込みを終えたカレーの匂いにつられてお父さんが顔を出しましたが、「母さんが帰るまでぐらい我慢しろよ」と清一くんに怒られました。

 時刻は十一時四十分です。予定通りならお母さんがもうすぐ駅に到着するでしょう。

「んじゃ、とりあえず迎えに行くか」

 一刻も早くカレーを食べたいお父さんの言葉で、駅まで車でお母さんを迎えに行くことが決定しました。清一くんもすぐにエプロンを脱いで出かける準備をします。

 出かける前に、お父さんはエメトの部屋をノックしました。

「おーい、お母さんを迎えに行くんだ、お前も来るだろ?」

 すると、しばらくの沈黙の後、扉の向こうから「すみません、やることがあるので留守番しています」という声が返ってきました。お父さんは首を傾げつつ、「そうか」と答えて放って置くことにしました。玄関ではもう着替えを済ませた清一くんが待っています。

 駅へ向かう車の中で、お父さんは清一くんと話しました。

「あいつ、今日は何か変だなあ。朝から全然部屋から出てこないし」

 いつもなら朝ご飯の時には並んで食卓に座るし、清一くんを手伝って家の掃除をしたり、リビングでテレビを見たりしているエメト。あまり片付いていない自分の部屋にはむしろ居ないことの方が多いのですが、今日は明らかに元気の無い様子で部屋に引きこもっています。何かがおかしいということは、さすがのお父さんにもわかりました。

「ロボットにゃ病気も月モノも無いしなあ。清一、何か知らんか?」

「知らん」

 清一くんの反応があまりにも素っ気無いのを見て、お父さんは「ははあ」と納得した様子で頷きます。

「なんだ清一、エメトとケンカでもしたのか」

「ロボットとケンカなんかする意味ないだろ」

 清一くんは憮然とした様子でそっぽを向き、車の窓から流れて行く景色を見ました。今日は朝からチラホラと雪が降っています。積もりそうではありませんが、見ているだけで車の中まで寒くなるような気がしました。

「冷たい奴だなー。お前にゃあのエメトがただのロボットに見えるのか?」

「…………」

「しょうがねーな、何でケンカなんかしたんだ、言ってみろ」

「放っといてくれ」

 清一くんが拗ねるのを見て、お父さんは「わっはっは」と愉快そうに笑います。

「いいねえ、若いもんは。俺も今日は久々に母さんとケンカすっかな」

「何言ってんだよ」

「ケンカはいいぞ。終わった後はかえって前より仲良くなれるもんだ。好きなだけケンカしろ」

 勝手なことばっか言いやがって、と清一くんは閉口しました。車で行けば、最寄の駅は近いものです。黙って景色を見ていればすぐに前方にくすんだ緑の屋根が見え、目的地に到着しました。


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