表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
33/40

33.リバース

 次の日学校に来るなり、西口さんは早速エメトに話し掛けました。

「おはよう、エッちゃん」

「おはようございます」

 エメトはいつもと変わらぬ笑顔で西口さんを迎えました。やはりどこからどう見ても、人間にしか見えません。西口さんはどうやってエメトの正体を見定めたものかと頭を捻ります。

 昨日のうちに考えはある程度まとめていました。エメトがロボットなら、必ず人間とどこか違うところがあるはずです。西口さんは今までにエメトと一緒にお昼ご飯を食べたこともあったし、トイレに行ったこともありました。でも、口に入れたものをそのまま人間と同じように消化していたかどうかはわからないし、女子トイレは個室しかないから、その中で何をしていたかまでははっきりわかりません。

 もし、エメトの体を傷つければ、人間なら血が出るはず……。でも、さすがにそんなことはできません。西口さんはまだエメトを人間だと信じているのですから。同じ理由で、しばらく監禁して爪や髪が伸びるかどうか試す案も却下です。

 エメトを傷つけずに確かめる方法は、もはや一つしかありませんでした。西口さんはさりげなく世間話をしながら隙を窺います。

「――そこだっ!」

 西口さんは突然獲物を狩るネコのように手を伸ばし、右手でエメトの左胸を、左手でエメトの右わき腹のあたりを鷲づかみにした挙句、力を込めてぐいぐい揉みしだきました。

「あのう……」

 エメトは若干困った顔になりましたが、されるがままです。窓際の席のあたりで喋っていた須藤くんと関くんが敏感に反応して目を輝かせ、関くんだけ蔵持さんに無言でブッ叩かれました。

「ふっ……ちょっとした挨拶」

 西口さんはよくわからない言い訳をしつつ、内心で舌打ちしました。やっぱり、ちょっと触ったぐらいでは何も違いがわかりません。さらに考えてみれば、今までにもふざけあいながらこれぐらいのスキンシップはあったような気がします。

 こうなったらやはり……もっと踏み込んだ調査をするしかないわね。

 西口さんは母親譲りの青みがかった瞳を怪しく光らせました。

「エッちゃん、ちょっとトイレ行きましょうよ」

「はい……いいですけど」

 エメトは特に疑う様子も見せず、西口さんについて教室を出ました。その後姿を見送り、ヘラヘラ笑いながら「トイレで何をする気だろうなあ?」と言った須藤くんを、今度は清一くんが無言でブッ叩きました。

 トイレには、タイミングのよいことに誰もいませんでした。西口さんはさっさと個室に入ろうとするエメトの肩を掴んで引き止め、自分と向き合わせます。

 きょとんとしているエメトを前に、西口さんは無意味に息を荒くし、目をぎらぎらとさせていました。なんだか目的を見失っているようにも見えます。

「エッちゃん、別に、ホント別に、深い意味はないんだけどね? ちょっとだけ、服脱いで見せてくれる?」

「……カエデさん、それは……」

 エメトは微妙にひきつった笑顔を見せました。

「違うのよ? あのねエッちゃん、体のどこか、変なとこない? 例えばヘソがないとか、コンセントの差込口がついてるとか、下乳にバーコードが印刷されてるとか」

「…………どういう意味ですか」

 西口さんの言うことはまだどこかふざけたような感がありましたが、エメトは急に真面目な顔になって西口さんを見つめ返しました。

「あ、いや……」

 怒らせてしまったかと思って、西口さんの歯切れが悪くなります。

「その、ごめんね? 高月くんがなんだか、エッちゃんのことをロボットだなんて言うもんだから、つい……気になって……」

「清一さんが、カエデさんに、そんな事を言いましたか?」

「う、その……」厳密には清一くんはまずそれを仁名村さんに話し、西口さんはそれを伝え聞いただけですが、西口さんはエメトの放つ威圧感に飲まれました。「そ、そうです」

 するとエメトはコロッと元の笑顔に戻りました。

「なんだ、そうだったのですか」

「はい?」

「それでは、カエデさんにはもう話してもいいということですね」

「えっ? それって……」

 エメトは戸惑っている西口さんの手を掴み、それを自分の胸元へ導きました。エメトの左胸に西口さんの右手が触れます。その体勢のまましばらく時間が流れました。

「……どうです? 分かりますか?」

「何?」

「心音」

 言われて西口さんはようやくハッとしました。エメトの胸に触れた手に、心臓の脈打つ感触がありません。西口さんは手の位置を変えたり、強く押してみたりしました。しかし結果は同じ。服の上からでは分かりにくいのかもしれないと思い、手首をとって脈をみようともしましたが、やはり駄目。しまいにはエメトの体に抱きつくようにして胸に耳を当てました。

 エメトの体からは、どこに触れても、ヴ―――ンと低く長く響く音しか感じられませんでした。人工筋肉とコンピューターの加熱を防ぎ、表皮の温度を常に三十六度前後に保つための保温水がモーターによって人工皮膚の下を循環する音です。

 西口さんの耳の奥から、ざ、ざ、ざざざあ――――っ、と、血の気がどこかへ抜けていく音がしました。エメトは人間ではない。西口さんはその事実を強力な実感を持って知らされました。

一瞬、気絶したように全ての機能を停止したあと、復活した西口さんの脳は選択を迫られました。エメトがロボットであるという新しい認識は、西口さんがこれまで信じていた世界を劇的に塗り替えてしまわずに置かないものです。もちろんその時、今までの人間としてのエメトを想定して築かれていた友情や信頼は、間違っていたものとして即座に風化してしまう運命でしょう。

 新しい認識を受け入れるためには、今まで持っていたものを切り捨てなければならない。

 この時、例えばオセロゲームで、ある一点にコマを置いた瞬間それまで白一色だった盤面がみるみる黒く染まっていくように、西口さんの頭の中で、脳細胞がパタパタと音を立てて裏返りつつありました。

「ああ……」

 そして西口さんはこう言います。

「なんだ、もうそういう時代だったのね」

 西口さんはここ三ヵ月で築かれた友情よりも、十六年の人生とともに身に付けてきた常識の方を切り捨てることにしました。即ち、ロボットは人間とは違うという認識は、今完全に、西口さんの中で死にました。考えたり、感じたり、心を持つということは命あるものの特権であるという考え方を西口さんは放棄したのです。

 そして彼女は明るく笑いました。

「クラスメイトが実はロボットでしたなんて昔の漫画みたい。なんで今まで内緒にしてたのよ」

「すみません。企業秘密だったもので」

「企業秘密かー。そう言われちゃうと手も足もでないわね」

 西口さんは興奮した様子でエメトの肩や頭をところかまわず叩きます。

「それで、ロボット女子高生のエッちゃんには何か秘密の使命が? 学園にひそむ悪を倒すために転校してきたの?」

「いや、そういうカッコイイ目的は無いですが、ロケットパンチぐらいは撃てます」

「ウソッ」

「嘘です。でも握力最高百二十キロ出ますよ。指が壊れるかも知れませんが」

「あはははは、何それ!」

 そこでエメトは握力最高百二十キロの両手で、精密に作られた十本の指をウネウネと動かし、「さっきのお返しです」と西口さんのお腹のあたりをモミモミしました。

「うわあああっ! なんてお返しはハラなのよやめてえええ!」

「スーパーコンピューターが体脂肪率を計測中」

「ちょっ……ごめんなさい! 許して下さい!」

 西口さんとエメトはしばらくそうやって、今までとまるで変わらぬようにじゃれあっていましたが、やがてエメトが急に真面目な顔になり、

「随分と簡単に受け入れるんですね。嫌われるかと思っていましたが」

 と言いました。その言葉に西口さんは小さくため息をつくと、「何言ってんのよ」と軽くエメトの頭を小突きます。

「こちとら半分はフランス人なのよ。ケセラセラってなもんよ」

 分かるような分からないような理屈ですが、それを語る西口さんは自信満面でした。

 エメトは笑いました。というよりそれは、自然と顔がニヤつくのを我慢しているような顔でした。普段の笑顔よりも顔の動きは少ないのに、その裏にさらに複雑な感情を思わせます。

西口さんから見ても、その顔は今まで人間だと思っていた時には見られなかったほど奥深く、ああ私は正体を知ったことで今、一歩この子の本心に近づいたんだわ、と思ったほどでした。

「清一さんにも、カエデさんほどの柔軟さがあればよかったんですけどねえ」

 ニガワライの表情でエメトが言います。面白そうな話題に西口さんは目を輝かせて食いつきました。

「ほう、するともしや、高月くんは……」

「そうです。あの人は私を憎からず思っているはずなのに、私がロボットだからという理由で壁を作り、素直になってくれないのですよ」

 もしこんな話を清一くんが聞いていたら一週間は口をきいてもらえなくなりそうですが……まあ、とにかく間違ってはいないようなことを、エメトは言いました。

「おおおっ、そうか! あの野郎、背も小さいけどケツの穴も小さいわね」

 清一くんは続いて西口さんにもボロクソに言われています。さらに彼女は「私に協力できる事があったら何でも……」と、続けそうになりましたが、そこで一旦口を閉じ、少しの間真面目な顔で考えて、言い直しました。

「……と、言いたいところだけどゴメン、私、他に応援しないといけない奴がいたんだわ」

 申し訳なさそうに手を合わせる西口さんに対し、エメトはわざとらしく半開きの目をして「ほお?」と後ろにアクセントを置いて言います。「それはひょっとすると、私のライバルに当たる人ですね」

「や、ゴメン、でも今日知ったことについてはナナセにも秘密にしとくわ。それとこれとは別だからね。でもアレよ、私の立場もとっても辛いのよ? どっちにも幸せになって貰いたいんだけど高月くんは一人しかいないし。斧かなんかでパカッと二つにできるもんなら私がやってあげたいけど」

「私は半分じゃ満足しませんよ」

「うーん、それじゃあ癌でも治せると噂の最新クローン技術で高月くんの全身クローンを作って貰って……」

「法律違反です。カエデさん、恋は戦争ですよ、平和的解決などと、これだから曾祖父母の代でも戦争を知らない現代っ子は……」

 エメトは大げさにため息をつき、ヤレヤレとばかりに首を振りました。西口さんは困った顔をして、自分の手元を見たり、エメトの顔を見たり。

「いいじゃないですか。友達思いなのがカエデさんのいいところ。そんなことで怒るような心の狭い人間ではないですよ、私は」

「……人間じゃないじゃん」

「揚げ足を取らないでください」

 ニッコリ微笑む二人。

「でも、それならそれで、仁名村さんには慌てるように言っておいて下さいよ。私、近いうちに清一さんに自分からアプローチを仕掛けようかと思っていますから」

「うへぇ」と思わずカエルが踏み潰されるみたいな声を出して驚いた西口さんに、エメトは怪しい笑みを浮かべ、他に誰も聞いていないのに西口さんの耳元に顔を近づけて小声で囁きます。

「今、青少年の健全なる育成にとって望ましくない種類の本を色々買って勉強しているんです。実は私、ついこの間まで男と女について全く知りませんでしてね。まあ別に誰もあえて私にそれを教えようとしなかったことを恨むわけではないですが、本を読んで知った時はしまったと思いましたよ。人間の体ってそういうことのために作られていたんですね。それを教えもせずに私に人間らしくなれなどと命令したもんですから開発者たちも間抜けです。しかし、こうして知ってしまった以上はそれをしないわけにはいきません。何せ人間らしくあらねば私の存在意義がありませんから。一通り勉強が済んだら、清一さんの本能に働きかけて、小賢しい理性が文句を言う前に向こうから〈壁〉を越えて貰おうかと思ってます」

 エメトが喋っている間ずっと、西口さんは耳元にこそばゆい風を感じていました。エメトの声は結局合成音声ですが、喋ると同時にポンプを使った擬似呼吸をしているため、口の動きに合わせて体温でぬくもった風が人間が話すときと同じように送り出されて来ます。

 耳元から口を離し、元の距離に戻ったエメトはニッコリ微笑んで、

「私の体、すごく精巧に作られているんですよ」

 などと、恐ろしいことを口にしました。

 その時丁度朝のホームルームの開始を告げるチャイムが鳴って、「あら、早く戻らないと」なんて呑気な事を言いながら二人は女子トイレを出ます。肩を並べて教室へ向かいながら、西口さんは、ナナセがこの子より長生きするなんて多分無理なんだろうなあ、と思いました。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ