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3.清一くん

 高月清一くんは、どこにでもいる感じの高校生で、学校と同じ市内にある一軒家に住んでいました。お父さんもお母さんもそれぞれ別の仕事で家にいないことが多いので、広いお家でほぼ毎日一人で暮らしています。家に一人でいてもつまらないので、外で友達と遊んでいることが多いようです。

 その日の夕方、清一くんが家に帰ってくると、玄関のカギがすでに開いているのに気がつきました。泥棒が入ったわけでなければ、しばらくぶりにお父さんかお母さんが帰ってきたのでしょう。お母さんは今ドイツにいるはずなので、やはり帰ってきたとしたらお父さんです。

お父さんが帰ってきたということは清一くんが二人分の晩ご飯を作らなければならないということですので、少し面倒でした。

「ただいまー」

 一人だと言う機会の少ない台詞を言いながら、清一くんは家に入ります。案の定、廊下の奥でお父さんの研究室の扉が半開きになっていました。清一くんのお父さんは大変アバウトな性格なので、扉をきっちり閉めるのが苦手なのです。

 清一くんは真っ直ぐ研究室に向かいました。

「親父、帰ってきたのか?」

 扉を開けた先の研究室は相変わらず散らかりまくっています。まず目に付くのは複数のモニターと本体と周辺機器が複雑に繋ぎ合わされたデスクトップ型のパソコン。現在ではコンピューターの機能で個人が使うレベルのものはほとんどPDAで賄えるので、自宅にこんなものを置いているのはその手の職業に就いている人ぐらいになりました。そしてそれが据えられている机を中心に、書類は散乱しているし、なんだか分からないケーブルはのたくりまわっているし、その中に隠れてダーツの矢が針も剥き出しで転がっているし、壁にかかっているダーツの的の周りは穴だらけだしで大変な状態です。

 まさに部屋の主以外は足を踏み入れることもままならない魔境、お父さんの研究室。その中に埋もれるように設置されている回転椅子に、明らかにお父さんではないと思われる人影が座っていました。

 それの存在に気付くと同時に、清一くんは「うわ!」と叫んでいました。部屋の真ん中に座っている人の存在にすぐに気付かなかったのは、それが全く微動だにせず、人の気配を感じさせないで座っていたせいでしょう。

 その人は口を軽く閉じ、パッチリと見開いた目は正面の一点を見るとも無く見つめ、混沌とした魔境の中でも行儀良く足を揃えて手は膝に置いていました。不自然なほどに均整の取れた顔立ちは、整形美人を思わせる美しさです。

 これが、清一くんとエメトの出会いの瞬間でした。

 清一くんが入ってきてもエメトは全く反応を示さなかったので、彼はそれがただの人形なはないかと思いました。父親の部屋で見つけた等身大の女子高生の人形。そういえばお父さんはもう一年以上お母さんと顔も合わせていないはずだし、と、清一くんの脳裏にどす黒い妄想が湧き始めましたが、そうではないとわかったのは、エメトがばちりと瞬きをした時です。さらによく見ると、それはちゃんと呼吸をしているようで、肩が小さく上下しているのが辛うじて分かりました。

 それで清一くんは、やっぱりこれは生きてる人間なんだと思うことにして、そうだとすると、何故お父さんの部屋に見知らぬ女子高生がいるのかと問いたださなければならないな、と考えました。

「あの」

 声をかけるとエメトは無表情なまま首をこちらに向け、「はい」と綺麗な声で返事をしました。

「あなたは誰ですか」

「私の名前はエメトと言います。あなたの名前はなんですか?」

「あ……高月清一です」

 言われるままに名前を答えると、それまで無表情だったエメトは突然どこかの受付嬢のようなビジネススマイルをつくり、「よろしくお願いします」と明るい口調で言いました。そして、その直後にまたスイッチを切り替えるように無表情に戻りました。

 どうやらエメトは「自己紹介をする時は笑顔」とだけ単純に記憶しているようです。エメトの顔は様々な表情を作りやすいように目をパッチリ大きめに作られているので、笑顔と無表情のギャップは特別奇妙に見えました。

「ここで何をしているんです?」

「椅子に座っています」

「いやだから……」

 清一くんは、目の前の少女の持つこの奇妙な雰囲気に飲まれ、これが礼儀正しく応対すべき客人なのか、それともただ迷い込んできた危ない人なのか判断に困りました。

「ウチに何の御用です?」

「用事は特にありません」

 ……危ない人の方かな、と思いました。

 清一くんが警察を呼ぼうかとポケットの中のPDAに手を伸ばした時、玄関のほうで扉の開く音がして、誰かが家に入ってくる気配がありました。

「清一、帰ってるのかー?」

 お父さんの声です。あと一歩で警察沙汰になってしまうところでしたが、清一くんはなんとおか思いとどまりました。

 エメトをひとまずその場に残して出迎えに行くと、お父さんは大量の荷物を玄関で下ろしているところでした。紙袋の中から女物の衣服や、バスタオル等の生活用品がこぼれ出ているのが見えました。新品のPDAの箱もあります。

「……何? それ」

「おう、運ぶの手伝ってくれ」

 数週間ぶりに見るお父さんは、相変わらずのボサボサの頭に無精ヒゲという、いかにもな研究者スタイルでした。お帰りなさいを言う余裕もなく、清一くんの頭はフル回転です。今この家に起こっている理解不能な状況を整理しなければなりません。家に帰ると見知らぬ少女がいて、お父さんが女物の衣服と生活用品をたくさん買い込んで来たということは……?

「親父、それ、ひょっとして、アレか……?」

「お、もう見たのか。どうだ、すごいだろう」

 混乱の極致にいる息子をよそに、お父さんは子供のように悪戯っぽく笑います。すごいだろうって何がすごいのか清一くんには全くわかりませんが、お父さんは全て前もって説明しているつもりであるかのようにサッパリした様子。

「おーい、エメト! ココへ来い!」

 お父さんが呼ぶと、開けっ放しだった研究室の扉からエメトが出てきて、てくてく歩いて玄関までやってきました。

「紹介しよう。エメトだ。今日からここで暮らす」

「……はあ?」

 無理もないことですが、その言葉を聞いた時の清一くんの顔は漫画のようになっていました。無表情のままのエメトが二つの大きな目でその顔を見ています。

「年頃の娘と一つ屋根の下なんて、夢のようだろう」

「おい、おい、おいおいおい」

 本気で狼狽している清一くんの様子を、お父さんはニヤニヤ笑って見ていました。というよりは、大笑いしそうなのをなんとか我慢している様子です。……いや、とうとうたまらず声に出して笑い始めました。

「わっはっはっはっは! いや、スマンスマン、そういうわけじゃないんだ」

 大笑いされて清一くんは我に帰り、ムスっとした顔でお父さんを睨みます。

「……説明しろよ」

「いやいやいや。それがな、説明するのは難しいんで、そこにいるエメトをよく見てくれ」

 清一くんは言われた通りよく見ました。エメトは爆笑しっぱなしのお父さんの様子を黙りこくって観察しています。面白そうでもなく、蔑んでいるようでもなく、ただ本当にじっと見ているだけなので不気味でした。

「なんなんだ、わからん」

「もっとよく見ろ、例えば……目の中とか」

 清一くんはエメトの正面に回り、その目を見ました。綺麗です。

「距離が遠い」

 お父さんはいきなりエメトの頭を押さえて、清一くんの本当に目の前まで近づけました。エメトのことを人間だと思っている清一くんにとっては、それは信じられない行為でした。大の大人が女の子の頭を押さえつけることも、こんなに、鼻がぶつかるほどの距離に人の顔を近づけられるのも普通ならありえません。だから清一くんは驚いて身を引きましたが、ふと違和感を感じて、もう一度、今度は自分から顔を近づけてみた時、そのわけが分かりました。

 エメトの目の中の今まで瞳孔だと思っていた部分が、実はマイクロカメラのレンズになっていて、きゅるりとごく小さな音とともに絞りを回し、清一くんの顔を映像に収めているのです。

「うおっ!」

 清一くんは思わずエメトを突き飛ばしました。お父さんが血相を変えてそれを受け止めます。

「バッカお前! これ、壊したら修理費ウン千万だぞ!」

「に、人間じゃないのか……?」

 今で人間だったと思っていたものが、急に何か得体の知れない存在に見えました。この少女は心も体も何か別の物で出来ているのです。最初に見た時から感じていた妙な雰囲気の正体はこれだったのか、と清一くんは背筋が寒くなりました。

「その通り!」

心の底から気味悪がっている清一くんをよそに、お父さんは誇らしげな様子で改めてエメトを紹介します。

「うちの社で開発中の、自立学習型人工知能搭載、コミュニケーションロボット〈エメト〉だ」

 お父さん言う「うちの社」とは、株式会社ゼロワンシステムのこと。町の清掃ロボットや交通整理ロボット、工場で組立作業をするマニピュレータその他の機械類を開発するのがその事業内容で、業界では頭ひとつ抜けて最大手の大企業です。お父さんはそこでプログラマーをやっています。毎日ほとんど家に帰らないのもそのお仕事のせい。

「いやあ、ひょっとしたら気付くんじゃないかって思ったけど、大丈夫そうだな。あんなに近づかないとわからないんだもんなあ」

お父さんはエメトの頭にボスッと無遠慮に手を置きました。まだエメトがロボットだと言うことを信じきれていない清一くんにとってそれもまた奇妙な光景でした。親しげに頭を撫でるのとは全く違う、まるで高級車のボンネットを触るような手つきです。もちろんエメトは全く無反応でした。急に頭に手を置かれても、ぐらつくことなく立っていられるだけでも立派な技術の成果と言えますが。

「まあ、この人間そっくりのエメトのボディーを作ったのは俺じゃないけどな。俺は、エメトを動かすためのソフトを作るチームのリーダーをやってるんだ。ソフトと言うことは、要するに心だな。俺がこいつに心を吹き込んだんだ」

「へえ」

 見る限りエメトには心などあるように見えませんでしたが、いつになく自慢げで満足げなお父さんの顔を見て、清一くんは何も言わないことにしました。

「興味なさそうな顔してるな。だが聞けよ、俺の作った自立学習型AIはちょっと凄いぜ」

「……どんな風に?」

「まあ、簡単に言えば人間がいちいち教えたり、プログラムを打ち込んだりしなくても、自分で見て自分で学習することが出来るってことだな。人間並みの知的判断のできるAIをプログラマーが手打ちで作ろうとしたら百万年かかってしまうが、こいつなら体験学習を通じてはるかに短い時間でそれを体得できるというわけだ」

「ふうん」と、気の無い相槌を打ちながら清一くんはエメトの方に目をやります。学習するロボットは清一くんとお父さんの会話など聞いていないようで、ひたすら同じ姿勢で立っていました。

「そんな顔するなよ。これでも今まで会社で色んなことを覚えてきたんだぜ。最初は人間と植木の区別もつかなかったからなぁ。ここまで来るだけでも血の汗を流したもんだ」

「それじゃ、人間並みになるのにやっぱり百年ぐらいかかっちゃうんじゃないのか?」

「そんな事はない。こいつは今ようやく基本的なことを覚えて、これから成長する時なんだ。人間で言えば文字の読み書きとか四則計算を覚えて、だんだん世の中が分かってくるようになる時期だな。これからきっと一気に人間らしくなるぞ、エメトは」

 お父さんの話を話半分に聞きながら、清一くんが全く胡散臭いものを見る目でエメトを睨んでいると、不意にエメトがこちらを見たので目が合ってしまいました。カメラの内蔵された目で、じっと無表情に見つめてきます。恐ろしいほど精巧に出来た自動で動く人形。不気味です。

「これが人間らしくなる日が来るなんて信じられない」

 清一くんは思わず正直な意見を口にしてしまいました。

「まあそう難しく考える事はない。機械はプログラムに従って人間の行動を真似するだけだ。だが単なる真似事でもロボットが笑顔を作れば、人間にはそれが喜んでいるように見えるだろう? それで十分なんだよ。見る人間が感情のようなものを感じればいいんだ」

「ふうん……」

「まだまだ先の話だが、コイツと同じロボットが量産されるようになったら第二の産業革命が起きるぞ! なんせこいつは人間の出来ることならなんでも出来る機械なわけだからな。今のロボットには出来ない複雑かつ柔軟な判断が必要な作業も含めて、地球上の労働の全てを肩代わりしてくれる。新しいロボットを作る作業とかメンテナンスとかも全てロボット同士でやれるようになれば、人間は何もしなくてもよくなるってわけだ」

 清一くんは、この無表情のロボットが世界中に溢れ返る様を想像しました。みんな同じ顔で働いています。どこかのオフィスで電話の応対をしているのもロボットなら、お茶を汲んでくるのもロボットです。工事現場で鉄骨を運ぶのもデパートのレジに立っているのもロボット。学校の先生もロボットだし、お医者さんも看護師さんもロボット。

 清一くんは気分が悪くなりました。

「で、なんでその凄いロボットがここにあるんだ? 会社のものだろ?」

 早く持って帰ってくれ、という気持ちを込めて問いかけます。

「ああ、つまり、それが今日一番言いたかったことなんだが……」

 お父さんは少し言いにくそうに、咳払いを一つしてから話を続けました。

「さっきも言ったけど、エメトのAIはこれからが成長期なんだ。ここから先は、会社にいて一つ一つ物を教えていたんじゃ能率が悪い。そもそも会社にいる人間なんてのは毎日仕事しかしとらんし、開発室には頭の堅いプログラマーしかいない。エメトにはもっと多くの、それも感受性豊かな世代の人間と触れ合う経験が必要なんだ」

「感受性豊かな世代?」

 と聞いて、清一くんは何だか嫌な予感がしました。あまり会う時間が多くは無いとはいえ親子ですから、お父さんが何か恐ろしい事を宣告するためにタメを作っているのがよくわかります。

「いや……待って、言うな」

「さすがだな、言わなくても分かっているようだ」

「分からん分からん!」

 激しく横に首を振って拒否の姿勢を示す清一くんの様子を、エメトがやはり黙って観察していました。陶器を思わせる瞳の奥でカメラがきゅる、と音を立てます。

「つまりお前には、このエメトを連れて毎日学校へ行ってもらいたい」

清一くんは、頑張ってその言葉の意味を理解しないように思考を停止しようとしましたが、所詮は無駄な努力でした。

「……拒否権は?」

「頼むよ」


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