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29.友達想い

 その授業のあと、仁名村さんは西口さんに呼び出されて、校舎裏の物置スペースに来ていました。休み時間ですが、物置以外何も無い場所なので他の生徒は誰もいません。

「正直に言ってちょうだい、ナナセ」

 西口さんは深刻な顔をして仁名村さんの両肩に手を置きました。

「あんたがやったのね? さっきの花火騒ぎは」

 ズバリ核心です。仁名村さんは憔悴した様子で、西口さんのアイスピックのように鋭い視線から逃げるように目を逸らし、肩に置かれた手を払いのけました。

「……しょ、証拠はあるの……?」

「ないわよ! そんなもん!」

 叫んで、西口さんは仁名村さんの頬を思い切りひっぱたきました。仁名村さんの顔は赤く腫れ上がりましたが、目に涙を浮かべていたのはむしろ西口さんの方です。

「バカじゃないの? あんたのそのエネルギーはそんなことのために使うもんじゃないでしょうがっ!」

 必死の形相で叫ぶ西口さんを、仁名村さんはブスっとした顔で睨み返していました。表面上は反抗的な態度を装っていても、初めて見る友人の涙は心に刺さります。

この人はなぜ私のことでこんなに怒るんだろう。さっきは私のことを庇っておいて、アドレスを教えたなんて嘘までついておいて、今は泣きながら私を殴っている。……痛い。

「そんなことして、一体何になるのよ。高月くんをあんなに怒らせて、犯人がアンタだってバレだらもう告白どころじゃないわよ! 第一、エメトの机に花火なんか仕掛けて、隣の席の高月くんだって危なかったじゃないの! あんた本当何がしたいの? 高月くんのこと好きなんじゃなかったの!?」

 西口さんは大声で怒鳴りながら、ますます興奮の度合いを強めて行きますが、一方で仁名村さんは冷めた表情で口をつぐむばかりでした。西口さんの言っているようなことは、仁名村さん自身、百も承知のことでしたから。

 今まで何度、そんなこと、自分で自分に言い聞かせたことか。仁名村さんはこれまでの自分を振り返りました。

入学当初、同じクラスになっただけの、言葉を交わしたわけでもなく、隣の席に座ったわけでもなく、まだ名前も知らなかった清一くんを、何故か一目見て好きになったこと。

話し掛けようとして何度も挫折したこと。

せめて正面から顔を見られるようになろうと思ってそれも挫折したこと。

あまりにも露骨に清一くんを避けるので、西口さんにあっさり気持ちを見透かされ、無理矢理恋愛相談させられたこと。

それを機に西口さんと友達になり、彼女に励まされながらも、ずっと遠くから見るだけの恋を続けていたこと。

突然転校してきたエメトに、あっさり清一くんの隣をとられたこと。

嫌がらせを始めたこと。

パソコンに悪戯したり、物を隠したりするたび、エメトを庇い励ます清一くんの姿を見せられ、打ちひしがれたこと。

その度に激しく嫉妬し、後悔し、苦悶し、感情の捌け口を求めるために次の嫌がらせに及んだこと。

カッターナイフを黒く塗ったり、線香が燃え尽きるまでの時間を計ったり、実験を繰り返してより良い仕掛けのために試行錯誤を繰り返す過程が、楽しくて仕方なかったこと。

それと同時に自分のやっていることに恐怖すら感じたこと。

ああ、

こうして思い返しても、なんと愚かな自分と言う存在! 行動は支離滅裂、思考は邪悪で自己中心的、おおよそ真っ当な道には戻れません! 仁名村さんだって、もしこれが自分でなかったなら、怒鳴って殴って罵り倒したでしょう。愚劣で卑小で自虐的、細胞の一つに至るまで全てが醜い人間、それが仁名村さんにとっての自分です。

そんなことは、仁名村さん自身が一番よく分かっている。今あらためて西口さんに問いただされるまでもなく知っている。けど、分かっていても止められないのです。誰がどう見ても駄目だと分かっていることを駄目だと分かっていながらやってしまうのです。

本当にやりたいことはできない。やりたくないことはやってしまう。人間とはなんて不便な生き物なのでしょうか。こんな風に生まれるぐらいだったら、いっそロボットか何かになってしまいたいと思うほど……。

「ナナセ、あんたって、どうしてそうなの?」

 西口さんの声が頭に重くのしかかります。仁名村さんは何も言わずにうつむいて、さっき叩かれた頬に手を当てました。ヒリヒリと痛むのを確認するように撫でます。

「このままじゃよくない。あんたは一度、生まれかわらなきゃ」

 西口さんは下ばかり見ている仁名村さんの顔を両手で鷲づかみにし、無理矢理自分と向き合わせました。その途端、悪魔みたいに吊り上った目が西口さんを睨みます。

「告白するのよ! 高月くんに!」

 ところが、清一くんの名前を聞くと、吊り上っていた目がみるみる情けなく垂れ下がり、泣きそうになりました。「む、無理よ……」とほとんど聞こえないようなか細い声で呟く様は痩せこけた野良犬のようでもあり、見ていて哀れです。

「無理無理無理って、そればっかり! 聞き飽きたわ。そんなこと言ってる限りあんたは今のまんまよ。ナナセ、ちょっとPDA貸して」

「…………」

「貸しなさいッ!」

 怒鳴りつけられてしぶしぶポケットから取り出された、飾り気の無い白のPDAを、西口さんは乱暴に取り上げました。カバーを開き、小さなキーボードを高速で操作します。

「あ……」と仁名村さんが弱々しい声を挙げるうちに、西口さんは操作を終えてPDAを仁名村さんに突き返しました。返されたPDAの画面に表示されていたものを見て、仁名村さんは愕然として、声もでませんでした。


『大事なお話があるので放課後に校舎裏に来てください。 仁名村七瀬』

――メッセージ送信済み――


 送信先は、昔西口さんを通じて教えてもらったけれど、結局一度もメールを送ることができていない清一くんのアドレスです。

「これで、高月くんを放課後ココに呼び出したわ」

「そっ、そんな……!」

「あんたが会わなきゃ、高月くんは待ちぼうけを食らうことになるのよ」

 仁名村さんは顔面蒼白になり、手が震えてPDAを取り落とした上、立っていられなくなってその場に膝をつきました。そして頭を抱え、大地震でも来たかのように小さくうずくまりました。

 ダンゴ虫みたいに丸くなってしまった仁名村さんの上から、西口さんのトドメの罵声が降り注ぎます。

「高月くんと会って、好きだってちゃんと言いなさい。もし逃げたらもう絶交するから。あんたがやったことも、私から高月くんに全部バラしてやるからね。覚悟しとくのよ!」

 仁名村さんは……もはや何も反応を示しませんでした。しばらく待ちましたが、開いたまま地面に転がるPDAさえ拾う様子が無かったので、西口さんは諦めて踵を返しました。背中を向けたまま去り際に、一言だけ正直な気持ちを言い残します。

「なんでもいいから幸せになってよ、ナナセ……」


『先ずは自分の頭の蝿を追え』

 蔵持さんにそんな辛辣なことを言われた西口さんでしたが、彼女だってそれなりに恋愛したことはありました。むしろ回数だけで言うなら人より多いぐらいです。例えば、今のクラスメイトだけでも三人ほど、一度は好きになった人がいます。そのうちの一人は関くんでした。理由は、なんかカッコよかったからです。中学以前のことや、電車で見かけた名前も知らない人に恋をしたことを合わせれば、その回数は結構多くなります。

 でも、今に至っても西口さんは誰とも実質的にお付き合いをしたことはないし、告白したりされたりしたことも一度もありませんでした。その理由は仁名村さんのように告白する勇気がないからではなく、単にすぐに飽きてしまうからです。

 ちょっと見た目がよかった子や、ちょっと話す機会の多かった子がいると、時々西口さんのセンサーが反応して恋をします。ドキドキして舞い上がります。しばらくの間その子のことばかり考えます。他の男の子がポストや電柱に見えます。

 ところがその恋の魔法は長持ちせず、いつもすぐに解けてしまうのです。例えばたまたま犬が嫌いだったからとか(西口さんは犬大好き)、たまたまイライラしている時に話し掛けてきたからとか(無神経だと思った)、たまたま鼻に指を突っ込んでいるのを見てしまったからとか(論外)、そういう下らない理由で一方的に幻滅して、芽吹く前の恋の種が次々と土に返りました。

 いつでも一人で盛り上がり、一人で盛り下がって恋が終わります。要するに気持ちが軽いのです。本気じゃないのです。

 下らないことで見切りをつけないで、もう一度前向きに考え直してみれば、いつかはその人のことを本気で好きになるかもしれないと彼女自身思うこともありました。でも、一度去ってしまった情熱は二度とは戻りません。はっと目覚めた瞬間から、今まで恋していた相手はもう他の男の子と同じポストや電柱にしか見えなくなるのです。

 やっぱり駄目だ。アレは私の相手ではない。気の迷いだった。次の恋を探そう。

 そうしてまた何処かから恋の種を仕入れ、次こそ大切に育てようと思うけれど、芽が出る前にもうそれをどこに植えたのか忘れてしまう。西口さんの人生はその繰り返しでした。

 西口さんは、仁名村さんのことを駄目な奴だと思っているけれど、救いようの無い馬鹿だと思っているけれど、たった一点彼女の尊敬するべき点を知っています。

 一人の人間をずっと同じに好きでいること。他の全てが目に入らぬほどその人を愛すること。

 それはとてつもなく難しいことです。仁名村さんだって、あんなに毎日清一くんを眺めているのだから、一度ぐらい彼の嫌な面を見たはず。たまたま鼻に指をつっこんだり、クシャミした瞬間顔が崩れたのを見たはず。自分以外の女と並んで歩く姿を見たはず。でも、それでも変わらずずっと彼を好きでいる。初めて見たときから現在まで変わらず、仁名村七瀬は常に高月清一を愛している。その一点に関してのみ、西口さんは仁名村さんを尊敬しているのです。

 だから、幸せになってほしい。彼女の唯一にして、誰よりも美しいその一点が、いつか報われて欲しい。それが西口さんの願いでした。


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