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28.花火

 会議があってから何日も経たないうちに、次の事件が起きました。空気の乾いた晴れの日の、五時間目の始めのこと。

「あー、そんじゃ授業始めるぞ。寝んなよー」

 山田先生の担当する現代文の授業です。先生の合図で、生徒一同が礼をしてから着席しました。授業の始まりにお馴染みの光景として、生徒たちが次々とパソコンを立ち上げ始めます。エメトもそれに合わせて起動スイッチを押しましたが、それと同時に何かに気づいて眉根を寄せました。

「なんだか、変な臭いがしますね」

「変な臭い?」

 隣の席の清一くんも鼻をひくつかせてみましたが、いまいち分かりません。でもエメトの鼻の奥には高精度の化学センサーが入っていますから、エメトがそう言うなら確かに変な臭いの元となる粒子が空気中にあるのでしょう。

「なんだか、嗅いだことの無い臭いです。机の中でしょうか……?」

 エメトはそう言って自分の机を覗き込みました。

 ――と、同時に!

 机の中からバチバチと火花の散る音とともに、沢山のネズミ花火が飛び出してきたのです!

 人間なら脊髄反射がありますからこういう時とっさに身をかわすものなのですが、あいにくエメトの場合そういう機能が無かったので、覗き込んだ姿勢のまま顔に花火を受けました。

 もちろん花火はそれでは止まりません。エメトの頭の上を跳ねて後ろの席に飛んだり、スカートに焦げ跡をつけてから床へ滑り落ちたり、全く見当はずれの方向へ走ったりと、火花を散らして教室中に広がりました。

「いやあ!」「うわ!」「何!」「あつっ!」「おいおい!」

 あっと言う間に教室中が大混乱に陥ります。ネズミ花火は十秒ほど生徒たちの足元を走り回り、ある瞬間に全て同時に「スパパパパン!」と小気味よく弾けました。

 全てが終わった時、教室は静まり返り、生徒たちは椅子に登ったり机に登ったり、一切反応せず座ったままだったり、逃げようとして隣の席の子に抱きついてしまったりしていましたが、誰しもその状態のままで硬直していました。

 しばらくしてようやく、全体が騒がしくなり始めます。

「え……何今の?」「花火?」「ちょっと何?」「え? どういうこと?」「いつまで抱きついてんのよ……変態」「あっ、すすすまん!」「いや……いいけど……」

 山田先生は大きく二回手を叩いて場を静めました。

「落ち着け! 全員席に座れ!」

 静かになりました。

「高月! エメトは大丈夫か!」

 清一くんは慌ててエメトの方に向き直ります。エメトは最初に直撃を受けた後は、冷静に危険を回避するため椅子の上で膝を抱えて待機していました。

「大丈夫です。問題ありません」

 そう答えたエメトのおでことほっぺたには、小さな焦げ跡があります。それを見た瞬間清一くんは、全身の皮膚が粟立つのを感じました。

「……誰だあっ!」

 清一くんは叫びました。生まれてこの方出したことの無いような大声で。

「やった奴、出て来いっ!」

 声の振動で窓枠がカタカタと鳴りました。驚いて隣のクラスから覗きに来た生徒がいましたが、すぐ向こうの先生に呼び戻されていました。クラスメイトたちも、どうかすると花火以上に、清一くんの怒りように怯えているように見えます。

 山田先生がエメトの席まで来て、机の中をのぞきました。他の生徒たちも次々とその周りに集まって来ます。やがて先生は、机の奥から小さな箱のようなものを取り出しました。

「これだな」

 半透明のプラスチック製のペンケース。蓋が開いていて、中には灰のようなものが細長く残っているのが見えます。先生はその臭いを嗅いで、

「……線香か。簡単な時限装置だな」

 と言いました。

 つまり、この箱の本来の姿はこう。火のついたお線香と、束ねられたネズミ花火が入っていて、お線香の根元とネズミ花火は導火線でつなげられている。やがてお線香が燃え尽きると、火は導火線に移り、続いてネズミ花火に引火する。

 蓋の止め具は予め外され、代わりににごく小さな穴をあけてあり、そこに導火線の末端を結びつけて止め具としている。ネズミ花火に火がついた後、この部分も燃えるので蓋が開く。

 ケースに入れることによって線香独特の匂いが外に漏れるのをある程度防ぐし、火のついた線香を入れたまま持ち運び、こっそりエメトの机に忍ばせるのも楽になる。作りは簡単ですが、よく考えられた仕掛けでした。

「ああなるほど、私が感じた変な臭いはお線香の匂いだったんですね。初めて嗅ぎましたよ」

 エメトは呑気に笑いましたが、それで場の空気が和むことは全くありません。

「先生、一体誰が、この箱をエメトの机に仕掛けたんですか!」

 清一くんが山田先生に、ほとんど掴みかかるような勢いで尋ねました。

「落ち着け高月、俺が知るわけ無いだろう」

「先生は、何か心当たりがあるんじゃ……」

「冗談言うな。俺の生徒にこんなことするアホはおらん」

 さすがと言うべきか、山田先生はこの事態にあっても冷静で、毅然としていました。

 清一くんは、血走った目で教室全体を見渡します。そして、エメトの机の周りに群がったギャラリーの中から、一人に目をつけて詰め寄りました。

「八夜越……」

「は、ひゃい?」

 八夜越さんはここまで野次馬根性で傍観していましたが、急に清一くんに迫られて慌てました。事態が飲み込めず、右を見たり左を見たりしています。

「お前、昼休みはどこにいた?」

「わわ、私? 私は教室で、普通にお昼食べてたよ! 山田さんたちと! ねえ!」

 八夜越さんは助けを求めるような目で、近くにいた山田さんという名前の太った女子生徒を見ました。名指しにされて山田さんとその周囲にいた数人のお友達も焦ります。

「えっ……あんた、いたっけ?」

「い、いたよ、確かに、ホラ」

「そうそう! なんかその……お弁当食べてた!」

「パンかなんかじゃないっけ?」

「とにかくその……いたのは確かよ!」

 しどろもどろに答える彼女たちを、清一くんが疑いの眼差しで睨みます。須藤くんも進み出て加勢しました。

「とにかく教室で飯食ってたんだろ? じゃあ八夜越がこっそり離れてエメトちゃんの机に花火を仕掛けてても、気付かないかもしれないんじゃないのか?」

 言われて、山田さん達が目を見合わせます。

「わ、私そんなのしてないよ! みんな見てたよねぇ!?」

 八夜越さんは必死に訴えますが、どうも、山田さん達は自信が持てない様子。あれやこれやと口ごもるように何か言ってはいるのですが、誰しも要領を得ません。

「な……なんで私がそんなに疑われるのよっ! 関係ないじゃん! 私エメトさんに何の恨みもないし!」

「エメトに嫌がらせをしている犯人は、エメトのメアドを知らない奴なんだ」

 清一くんの言葉で八夜越さんはハッとしました。そして、いつの間にか自分を遠巻きに取り囲んでいるクラスメイト達の顔を見比べます。

「私は知ってるよ」「私も、転校してきた直後に聞いた」「別に普段メールしないけど一応アドレスは知ってる」「クラスのアドレスはコンプしたし」「聞いたらすぐ教えてくれた」

 生徒たちは次々に、身の潔白を証明するようにPDAを取り出して見せ合います。八夜越さんの目尻にじわりと熱い涙の粒が溜まってきました。

「なにそれ……みんな知ってるの? なんて私だけ知らないの? 私そんな、エメトさんが嫌がらせされてること自体知らなかったし、今日だって、何も……」

 足が震え、声をかすれさせながらも八夜越さんは必死に弁解しましたが、クラスメイト達は何も言わず、刺すような視線を向けてくるだけでした。味方をしてくれる人は誰もいません。息が詰まりそうです。今すぐに逃げ出したくなりましたが、ここで逃げたら本当に犯人にされてしまうと思って、震える足の腿をぎゅっとつねって八夜越さんは耐えていました。

「その辺にしとけよ」

 そう言って清一くんと八夜越さんの間に入ったのは蔵持さんです。

「メアドなんて大した証拠じゃないだろ。本人がやってないって言うんだから、決め付けるなよ」

「むっ……」

 仲間だと思っていた蔵持さんから物言いがあって、清一くんは戸惑いました。

「けどな……」

「落ち着けよ。ほら、可愛そうじゃないのか、泣いてるぞ、八夜越は」

 蔵持さんが指差す八夜越さんは、すでにその場にしゃがみ込んで顔を覆っています。それを見て清一くんもはっと我に返ったようでした。他の生徒たちも気まずそうに沈黙します。

「こんなにして、間違いだったらなんて謝るんだ、高月」

「いや……それは……」

「エメトのアドレス知らない奴ぐらい、他にもいるんじゃないのか?」

 そして蔵持さんは、ここぞとばかりにギャラリーの中から仁名村さんを指差しました。

「アイツはどうだ? 知ってそうにないぞ!」

 その指の指す方向に、クラスメイト達の視線が集まります。急に注目された仁名村さんは少しうろたえたようでしたが、黙って自分を指す指先を睨み返しました。あの、生まれつき吊り上った目で本人の思う以上にキツく見える目つきです。

 すぐに西口さんが出てきて、仁名村さんを背中に庇いました。

「な、ナナセは私が教えたから知ってるわ!」

 嘘です。その言葉を聞いて仁名村さんの吊り上っていた目が丸くなりました。

「おい、嘘つくなよ、庇ってるだろ」

「いや、本当! 本当なのよ」

 西口さんは仁名村さんの代わりに矢面に立って、蔵持さんと言い争いを始めました。庇ってる、庇ってないと水掛け論がエスカレートするうちに、他の生徒からも不穏な声が上がり始めます。

「そういえば、モブ子より仁名村の方が犯人っぽくない? アドレスとか抜きで」

「そうね、よく考えるとアイツには動機があるしね……」

「ああ、アレのこと……」

「え? 何? なんだよ」

「知らないの? だってアイツ……」

「バカ、やめときなって」

 にわかに教室が騒がしくなりました。今や、クラスに満ちた不安と疑心暗鬼の矛先は仁名村さんに向かおうとしています。清一くんも分からなくなりました。八夜越は犯人ではないのか? 仁名村なのか? それとも何か別の奴で……。

「……あの」

 遠慮がちに、エメトが手を挙げて発言しました。

「もう、その辺でいいじゃないですか。私はこの通りなんともないですし、他に怪我した人もいないでしょう? こんな騒ぎになって犯人の人も、もう次の悪さはしにくいでしょうし、そうしてこれから大人しくしてくれるなら、私はそれでいいですよ」

 顔に焦げ跡をつけたエメトが、他人事のようにあっさり笑います。

「お前……」「あのな……!」

 清一くんと蔵持さんが、同時にエメトを叱りつけようとしましたが、

「よーし、もう止めとけ、エメトの言うとおりだぞ」

 今まで黙って見ていた山田先生が出てきてそれを止めました。

「全く、情けないなぁお前たち。花火ぐれーでぎゃーぎゃー騒ぎやがって。そこいくとエメトは偉いぞ。お前がこの中で一番偉い。先生ちゃんと見てた」

「えへへ」

 誉められて無邪気に笑うエメトの姿に、清一くんは怒っていいのか悲しんでいいのかわからず頭を掻き毟りました。混乱している友人の様子を、須藤くんと関くんが心配そうに見つめています。大島くんは黙って腕を組み、「ふん……」と唸りました。

 山田先生が、誰か一人ではなくクラス全体に向かって厳しい声で語り掛けます。

「誰かわからんがな、こんな悪戯をしても何の意味も無いぞ。ただ自分が辛くなるだけだ。まあ犯人もそんなことは自分で分かってるだろうから、次は改心してくれると俺は信じてるが。いいかあ? この中で自分が犯人だと思う奴は、無理して名乗り出なくていいから、自分で自分のやったことを思い出して、深く反省するんだぞ。そしてもうすんな。そんだけだ」

 仁名村さんは顔を伏せ、下唇を噛み締めながらその話を聞いていました。

「よし終了! 清一はエメトを連れて保健室へ行け! あとの者は授業再開だ!」

 先生はパンパンと手を叩いて生徒たちを各自の席へ追い立てます。清一くんも、蔵持さんも、西口さんも、仁名村さんも、八夜越さんも、それぞれ言いたいことはまだまだありましたが、全て飲み込まなければなりませんでした。苦い幕引きです。

 清一くんはエメトを連れて教室を出る間際に、教室に残る生徒たちをキツイ目つきで睨みました。この中のどこかに犯人がいると思うと、自然と眉間に力が入ります。。

仁名村さんはその視線を避けるように、机に伏せってじっとしていました。清一くんが去ってもずっとその姿勢のまま、授業が終わるまでずっと、泣きもせず眠りもせず、机に張り付いて震えていました。


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