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21.関くんと蔵持さんと伊遠さん③

 一方、清一くんたちのテーブルでは、長い間沈黙が続いていました。三人の少年達は気まずそうに顔を見合わせるばかりです。エメトは胸の少し下、みぞおちに相当するあたりを撫でながら、ドーナツ三つとオレンジジュースが納まっている異物袋の様子を確認していました。

「ど、どうする?」

「どうするって……」

 一同がひたすら困惑していると、彼らのテーブルに、遠くの席で沈み込んでいたと思われた蔵持さんがやってきました。

「……やっぱりいたか」

「うわ!」

 完全に隠れていたつもりだったのに、あっさり見つかって清一くんたちは焦ります。

「話してる間、関くんがチラチラ後ろを気にしてたからな。何かいるなって思ってたんだ」

 蔵持さんは事もなげに言いました。素晴らしい観察眼。

「そんで、須藤、お前関くんと中学同じだよな。あの女の事何か知ってるか?」

 ジロリと糾弾するような視線を向けられると、須藤くんは露骨に焦った顔をしたため、「その顔は知ってるな」とあっと言う間に見透かされました。蔵持さんは清一くんとエメトを座席の奥に詰めさせ、自分もその隣に押し入ります。

「まあちょっと話を聞かせろ」

 その声には尋問じみた響きがありました。かなり精神的に疲弊した様子の須藤くんは、その要求を断る術を持ちません。ゆっくりと深く息をつき、それから話しはじめました。

「俺が総から聞いた話でよければ……」


 今から二年前の秋、関くんが中学二年生だった頃。関くんと須藤くんは小学校以来の腐れ縁で、この時も同じクラスに在籍していました。

 その頃十四歳だった関くんは、まだようやく恋愛に興味を持ち始めたばかりで、女心などわかるはずも無い年頃。須藤くんが拾ってきたエッチな本を前に赤面して逃げ出すほど純朴な少年でした。

 しかし見た目だけは今と変わらず二枚目で、当時サッカー部に所属していたこともあり、クラスの女子の間ではちょっとしたアイドル扱いをされていました。本人の知らぬ所で密かに彼を狙う思春期女子達の牽制合戦があり、とくにその気の無い人が用事があって話し掛けるにも気を使わねばならない状態でした。

 そんな中、一歩先んじで関くんにアプローチを仕掛けたのが伊遠椎子でした。その頃の伊遠さんはその可憐な容姿と人なつっこい性格で、男女問わず人を惹きつける存在でした。

 伊遠さんは、自分が可愛いということを自覚していました。また、可愛いと言うことが自分の存在価値であると思っていますから、自分を着飾ることに早くから執着を見せ、他人に愛される仕草や振る舞いを研究していました。

親、教師には可愛がられ、男子には愛され、保護され、気を使われる。女子には尊敬され、羨望され、時には劣等感や嫉妬心を抱かせる。伊遠さんは自分が愛されていない状態というのが想像もできない娘になり、自然と過剰な自己愛を抱くようになっていたのです。

 伊遠さんは他の女子たちが互いに牽制し会う中、堂々と関くんに接近し、隙あらば話し掛け、隙あらば手を握りました。もちろん他の女子たちは面白くありませんでしたが、相手が伊遠さんとなると、あまりにも敵が強大過ぎて気後れしてしまうのでした。だから結局、事実上、他の関くんのファンたちも二人の関係を認めざるを得なかったのです。

 そうして頃合を見て、伊遠さんは関くんに告白しました。校舎裏に呼び出しておいて、ピンク色の可愛い封筒に入れたラブレターを渡し、「読んでね!」と言い残して逃げました。

 丸っこい文字で甘ったるい文章が書かれたラブレターを読んで、関くんは大喜びしました。彼は伊遠さんと違って自分が女子に人気があることに全く気付いておらず、密かに自分を巡って女子達の争いが起きていたこともまるで知りませんでしたから、クラスで一番の可愛い女の子からの突然の告白は、まさに降って沸いた幸運のように思えました。

 関くんは須藤くんにこのことを自慢気に話しました。わざわざ須藤くんの家にお邪魔して、PDAを壁掛けテレビに接続してゲームに熱中してる須藤くんに延々と自慢話を聞かせました。

 須藤くんの方は、関くんが実は女子達の人気の的であることをうすうす感じていたのでそんなに驚きませんでしたが、友人のあまりにも無邪気な喜び様に、嫉妬心さえわかなかったことを覚えています。

 こうして付き合い始めた関くんと伊遠さんでしたが、関くんの喜びは長くは続きませんでした。

 伊遠さんは何かと関くんを束縛したがりました。デートの行き先や、そこでの行動は全て伊遠さんが決めました。彼女は関くんの細かいスケジュールまで把握せずにはいられず、他の全ての予定に自分と会う約束を優先させないと気がすまないのでした。おかげで関くんは、サッカー部の練習にほとんど顔を出せなくなり、結局退部することになりました。

 伊遠さんは異常に嫉妬深く、関くんがちょっと他の女の子と話をしただけでもしつこくその事を責めました。女だけでなく、男友達と遊んでいるのも許せず、結局一秒でも関くんの目に自分が映っていないと我慢できないのでした。お陰で関くんは須藤くんとも一時期疎遠になりました。

 始めのうちは、彼女の我がままぐらい彼氏として聞いてやらなくてはと我慢していた関くんも、やがてエスカレートしていく要求にだんだんついていけなくなりました。

「そんな可愛くないもの食べないで! 私と同じの注文して!」「服のセンスが悪いのよ、私が選んであげる!」「腕組んでよ!」「私のことは椎ちゃんって呼んで!」「次はジェットコースターに乗ろうよ!」「犬が好きなんて駄目! 私と同じ猫好きになって!」「私あの先生嫌い! 関くんも口きかないで!」「雨が降ってるから今すぐ迎えにきて!」「なんであの映画の話するの? 私あれ嫌いなのに!」「どうして遅れたの? 私のこと嫌い?」「今日はパスタ食べよう!」「気が変わったから、水族館は止めにしよう」「あれ買って!」「なんで誉めてくれないの?」

 付き合いが長くなるにつれ、関くんは、伊遠さんと会うだけで憂鬱になる自分に気付きました。彼女が口を開くたび、次はどんな我がままを言われるのかと怯えずにはいられないのです。しかし、その時にはもう二人の間の力関係は出来上がっていて、関くんは伊遠さんに逆らえなくなっていました。

 関くんは彼女と付き合い始める前、恋人と言うものは自分のために何かをしてくれるのだと思っていました。けれども実際は、自分が彼女のためにしなければならないことばかりで、彼女は自分の思うことを何一つしてくれません。

 須藤くんに電話で相談すると、彼は「そんなに嫌なら別れたほうがいいよ」と言いました。しかしそれは関くんにとってなかなか難しい要求でした。どういう関係であれ一度付き合い始めてしまうと、なかなか一人には戻れないものです。今はうまくいかなくても、我慢していればいつか理解して貰えるのではないか、いずれあの子は変わってくれるのではないかという思いは、なかなか断ち切れるものではありません。

 ある時、伊遠さんが言いました。

「総くん、最近私といても楽しくなさそうだよね」

 関くんが何も答えられないでいると、さらに彼女は続けました。

「私たち、別れようか」

 その言葉を聞いたとき、関くんは絶望すると共に、心のどこかでホッとしていました。もうこれ以上悩まないで済むと思ったのです。それを自覚すると同時に関くんは、自分が伊遠さんのことを少しも愛していなかったことに気付きました。

 関くんは恋人という存在に執着していただけで、伊遠椎子という人間自体には、少しも興味が無かったのでした。一人になるのが嫌で、隣にいてくれる人を欲しがるばかりで、伊遠椎子が何を考えていて何を求めているのかを考えたことは無かったのです。

 道理で辛かったはずだと思い、関くんは胸のつかえが取れた気持ちになりました。

「そうだね、別れよう」

 こうして関くんと伊遠さんは三ヶ月の恋人関係に終止符を打ちました。

 ところが、関くんの不幸はこれでは終わらないのでした。実は伊遠さんの方は、関くんと別れる気持ちなどこれっぽっちも無かったのです。

 伊藤さんは、別れ話を持ち出す素振りを見せれば、関くんが泣いて引き止めてくれると思っていたのでした。自分の価値を再確認し、ないがしろにしたことを後悔してくれると思っていたのでした。伊遠さんは二人の間のすれ違いなどちっとも感じていなかったのです。一人だけでずっと愛し合っているつもりでした。疑ったことなどありませんでした。

 そんなわけで、関くんがあっさり別れを受け入れたとき、伊遠さんはわけがわからなくなりました。ある朝目が覚めたらパジャマ姿のまま、荒れ狂う吹雪の平原に放置されていたような気持ちになりました。形の上では別れを切り出したのは伊遠さんでしたが、彼女自身はほとんど一方的に別れを突きつけられたように感じていました。

 伊遠さんはどうすればいいのか分からず、女友達に相談することにしました。しかし伊遠さん、女子から一目置かれてはいましたが、仁名村さんにとっての西口さんのような、気軽に相談できる特定の友人がいません。そこで普段あまり話さない人も含めて誰彼構わず相談しました。

 相談と言っても、その内容はほとんど愚痴や泣き言でした。なんとか関くんと復縁したくて、その方法を相談したかったはずが、口から出るのは思っていたのとは違うヘドロみたいなドロドロの言葉ばかりでした。元々論理性と客観性に欠ける性格の伊遠さんですから、話の中身はショックの大きさに比例してどんどん誇張されていきましたし、虚実が織り交ざり、本人にも何が本当のことなのかわからなくなるぐらい、具体性の無い、ただ悪戯に伊遠さんの辛い気持ちを周りに吐き出すだけの内容になりました。

 その上たちの悪いことに、伊遠さんは女子の間でそこそこ信頼されていましたから、その内容は真実としてクラスの女子の間でまかり通ってしまったのです。それどころか、時が経つと共に噂には尾ひれがついていきました。

 しばらくして関くんは、女の子たちが自分を見る目が以前と違ってきていることに、嫌でも気づかされました。冷たい目をして遠まきにこちらを見ては、ひそひそと内緒話をする姿が毎日目に入ります。よそのクラスの女子からも完全に無視され、ある時などは、屋上で女の子の集団に囲まれて、腕が関くんの首ぐらいの太さのある物凄い筋肉質の女に有無を言わさず殴られたこともありました。

 須藤くんを始め数人の男友達は、関くんを励ましたり慰めたりしましたが、失ったものは大きく、彼は完全に女性不信に陥りました。中学校を卒業するまでその状況は続きました。

 関くんにとって長く暗いトンネルの時代でした……。


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