1.序章
某小説新人賞に送ったけど駄目だった奴をちょっとずつ投稿します。
400字詰め原稿用紙換算318枚になるので気長に見てください。
西暦二〇五八年、九月のある朝。
ゴミ箱に蜘蛛の足が付いたような物体が、足の下のキャスターを使ってコロコロと道を進んでいました。頭の上に付いた潜望鏡のようなカメラがクルクル回って地面を見張っています。
そいつは、道にゴミが落ちているのを見つけると、近づいていって、足とは別に四本ある腕の一本を伸ばし、ヒョイと掴んで円筒型の体の中に投げ込みました。一つのゴミを拾うと、また別のゴミを探して進みます。
これはいわゆる清掃ロボットと呼ばれるもの。町のいたるところにいて、ゴミや落ち葉を集めて回ります。今ではすっかり当たり前の光景です。
……ここ五十年間で世の中も随分様変わりしました。ガソリン式自動車は電気自動車にとって代わられたし、電子マネーが普及して紙幣や硬貨が姿を消しました。携帯電話はさらに多機能になってPDA(携帯端末)と呼ばれるようになったし、航空技術が発達して、町に外国人の姿を見かける事が増えました。特にPDAは今の人々の生活を支えるもので、電話やメールは勿論、電子マネーの取引にもこれを使うし、身分証明書にもなります。音楽プレイヤー・テレビ・ゲーム機・ナビゲーションシステムその他の機能もこれ一つで十分。コンピューターとしての機能も忘れてはいけません。もしPDAを失くしてしまったら、五十年前で言えば、クレジットカードや財布が入ったバッグを丸ごと失くすようなもの。言ってみれば大ピンチです。
町を歩く子供達の会話は、AIで戦うオモチャのロボットに覚えさせる技(別売りの追加パーツが必要)の事とか、月面の地下に二十年計画で建設中のテーマパークと、そこへ至るためにオーストラリアの海上に同時建設されている軌道エレベーターの事。あとたまに、クラスの可愛い女の子の話。
二〇五〇年代は大らかな時代、と、人々は言いました。インターネットを使えない世代がほぼいなくなり、国同士の文化の壁が薄くなったこともその原因の一つかもしれません。エコノミックアニマルとか呼ばれてあくせく働く事が美徳だった時代と比べると、日本の人々は確かに大らかに、悪く言えばルーズになりました。
時代の流れは早いもの、古い常識が次々と塗りかえられていく世の中、今また一つ、何かが変わる瞬間が訪れようとしています……。