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第三話 六年前 2

「ラルス、貴方は自分の立場がわかっていないようね。私と結婚して貴族となり、いずれは分団長になりたかったのではないの?」

「貴女は俺のことより見ず知らずの女の言葉を信じるのか?」

 ラルスは不快そうに私を見て、女性に視線を戻した。

 何かがおかしい。彼はフランカと婚約しているのではないの? 私は何か間違っていたのだろうか?


「この女の狂言とでも言いたいの?」

 女性の眼差しにははっきりと侮蔑の色が浮かんでいた。

「俺は貴女と温かい家庭を築きたかった。それだけだ」

 ラルスはもう私の方を見もしない。全身で私を無視しようとしているようだった。

「今更そんな嘘はいいわ。騎士たちが私をどう思っているかなんて、自分でわかっているから。男爵位と分団長の役職を手に入れるための道具でしょう? それに甘んじてあげるのだから、他の女に目を向けるなんて絶対に許さない。私が軽んじられるなんて、まっぴらごめんだわ」

 音がするほどの勢いで、女性がラルスの腕を振り払った。


「貴女の気持ちはわかった。婚約破棄に応じよう」

 振り払われた手を固く握りしめながら、ラルスは辛そうに目を伏せる。

「貴方の意思なんて必要ない。私から一方的に破棄するの。父にもそう伝えるわ。もっと私を大事にしてくれる男性を選んでってね。送らなくても結構よ。馬車で帰るから。それではごきげんよう。もう会うこともないと思うけどね」

 婚約破棄という話題になるということは、ラルスの婚約者はこの女性だ。フランカは関係ない。私は勘違いをしていたのだ。確かにフランカは『婚約者になる』ではなく『家族になる』と言っていた。


「待ってください!」

 慌てて女性を引き留めようとしたけれど、彼女は私を無視して建物の外へと出て行った。

「フランカの知り合いか?」

 私より頭一つ分以上も背が高いラルスの声は、まるで天から降ってくる怒りの雷鳴のようだった。

「は、はい」

 それしか答えることができなかった。冷たい眼差しを受けて、冬でもないのに震えてしまいそうになる。

「二度と俺とフランカが関係あるようなことを言うな。わかったな!」

 有無をも言わせない程の威圧的な声に、ただ頷くことしかできない。もし拒否でもしたら(くび)り殺されそうなほどに彼の雰囲気は剣呑だった。

 ラルスは私の返事を確かめることもなく、大股で出口の方へ歩いて行く。そんな彼の大きな背中を呆然と見送った。

 その後、どうやって家に帰り着いたのか記憶がない。気がつくとベッドで眠っていた。



 それから三日、私は熱を出して寝込んでしまった。劇場でのことは母も弟も何も言わない。私も伝えることができなかった。

 このまま忘れてしまいたい。でも、そんなことは許されなかった。


 小さな店の奥にある狭い部屋で寝ているので、客の声が聞こえてくる。

『ねえ、騎士のラルスさんとマノンちゃんって、付き合っていたの? ラルスさんは分団長のお嬢様と婚約していたのに、マノンちゃんとも関係を持って、それがばれて婚約破棄になったって聞いたけど』

 そんな馬鹿な! 私たちは話をしたこともないのに。そんな噂になっているなんて、何がどうしてそうなったの?

『そんなはずはありませんよ。マノンは確かに命の恩人のラルスさんには感謝してましたけどね。実際にお会いしたこともないと思うの』

 母がやんわりと否定してくれた。でも、もっと強く否定しておかなければ、ラルスに迷惑をかけてしまう。


 私はベッドから立ち上がった。少し眩暈(めまい)がするけれど、そんなことは言っていられない。あの声は三軒隣に住む噂好きのルイザおばさんに違いない。放っておくと変な噂が広まってしまう。


 熱が出たからと寝込んでいる場合ではなかった。ラルスの射るような鋭い目線に晒されるのが怖くて、熱を理由に逃げていれば、いつかはなかったことになるのではと期待してしまった。

 ちゃんと誤解を解いて謝らなければ、とんでもないことになってしまうのに。


 何とか着替えを終えて店に顔を出すと、ルイザおばさんはもう帰ってしまっていた。

「マノン、大丈夫なの? 酷い顔色よ。もっと横になっていた方がいいわ」

 母が心配してくれるのは有難いけれど、本当にそれどころではない。

「ルイザおばさんに違うって伝えなければ。それに、分団長様とお嬢様にも会って、私が誤解していて変なことを言ったって謝らないと、ラルスさんが婚約破棄されてしまう。私のせいなのよ!」

「マノン、とにかく落ち着て」

 店を飛び出そうとした私を母が抱きしめた。その温かさが心地いい。ずっとこうしていたいと思ってしまうけれど、そんなことは許されないのだ。


「お母さん! お願い行かせて!」

「分団長閣下になんて、そうそう会うことなんてできないわ。とにかく、組合長さんに相談してみましょうね」

 分団長は男爵位を持つ貴族で、この町の町長も兼ねているとても偉い人だ。私がいきなり訪ねていっても会えるような人ではない。でも、町で一番大きな店を経営している商業組合の組合長ならば、面会をお願いできるかもしれない。

 それにフランカがラルスと家族になると言った意味も知りたかった。

「組合長さんに会いたい」

 私は母の言葉に従うことにした。


「それはちょうど良かった」

 突然、そんな男性の声が聞こえてきた。店に入って来た客らしい。

 私たちの店の客は殆どが女性だ。男性は珍しいと思い、入り口の方を見ると、何とその声の主は組合長だった。

「こんなむさ苦しいところへわざわざ来ていただいて申し訳ありません」

 母が慌てて頭を下げるので、私も一緒に頭を下げる。組合長の意図がつかめず、内心でドキドキしていた。


「人に聞かれたくない話なので、店を閉めてくれないか?」

「わかりました」

 慌てて臨時休業の札を入り口にかけた母は、扉に施錠して開かないことを確認した。

 それから狭い台所に組合長を案内した。弟は配達に行っているので今はいない。母と二人だけで組合長に対応しなければならないのが、少し心細かった。


 家族三人がいつも使っているダイニングテーブルの前に置かれた椅子は、小太りの組合長には少し小さいようだけれど、我が家には他に椅子などないので、そこに座ってもらうしかない。

「飲み物など必要ないので、早く座ってくれないか?」

 組合長は茶を淹れようとした母を制して、向かいの席を手で示した。そんな組合長からは表情を読み取ることができず、益々胸の鼓動が大きくなるような気がした。

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