第二話 六年前 1
シャウテンの町に定住して四年目、私は十七歳になっていた。
大黒柱を失った一家を哀れんだのか、町の人たちは余所者である私たちにも親切だった。特に商業組合の組合長には、余った布や木の板を安く分けてもらったり、手作りのアクセサリーを置いてくれる店を紹介してもらったりと、何かとお世話になっていた。
組合長の末娘のフランカは十六歳と年が近くて、いつも仲良くしてもらっている。命の恩人であるラルスのことも、いつかはちゃんとお礼を言いたいとフランカには相談していた。
だから、組合長の家からラルスが出てくるのを見かけた時はとても驚いた。店の出入り口ではなく、その横のある私宅用の玄関から出てきたのだ。しかも、彼は制服ではなく私服を着ていて、いつもよりおしゃれをしているフランカが笑顔で見送っていた。
フランカからラルスと知り合いだとは聞いていない。なぜ教えてくれなかったの?
ラルスの大きな背中が見えなくなった頃、呆然と立っている私に気がついたフランカが笑顔でこちらにやって来た。
「ラルスさんと知り合いだったの?」
少し責める口調になったのは許してほしい。フランカは私が彼と会いたがっていることを知っているはずだから。
「ごめん。急に彼と家族になることが決まったの。だから、彼のことは諦めて。でも、マノンがとても感謝していたと伝えておくね。そうだ。お菓子を持って帰って。今日の祝いのために用意したものなの。従業員にも配るのよ。お母さんやエルヴィン君の分も忘れずにね」
フランカは本当に嬉しそうにしていた。
「家族って?」
「ラルスって、本当に男らしくて頼りになるわよね。まだ二十歳だけど、シャウテン騎士分団でも一、二を争う強さなのですって。分団長にも目をかけてもらっているらしいの」
私の問いに答えず、フランカは臆面もなくラルスを褒めだした。でも、その気持ちはとてもわかる。二十歳になったラルスは、背も伸びて益々大柄になっていた。確かに男らしくてとても魅力的だと思う。
家族になるというのはフランカの気遣いで、本当は夫になるのだと思った。夫だって家族に違いない。そして、今日が婚約の祝いだったのだろうと。
いくら急だとはいえ、昨日今日決まったはずもなく、なぜ事前に教えてくれなかったのかと疑問に思うけれど、私の気持ちを知っているフランカが言い出し難かったのだろうと自分を納得させた。
ラルスへの気持ちはただの憧れなので、そんな気遣いは必要ないと思う。仲の良い友人と命の恩人が幸せになるのは、私だって嬉しいのだから。
フランカに手を引かれるようにして店に入り、焼き菓子を詰め合わせた袋を三つもらい、いつものように布切れや木切れを分けてもらう余裕もなく、早々に家へ帰ることにした。
別に泣くほどのことではない。話をしたこともない憧れの男性が結婚するだけ。
この頬を伝う涙は、友人と思っていたフランカから事前に教えてもらえなかった悔し涙だと、自分に言い聞かせていた。
それから一カ月程フランカに会っていない。いらなくなった端材を組合長の店にもらいにいくのは弟に任せた。
その頃には、フランカとラルスの結婚を心からお祝いできるようになっていた。町で一番大きな店を経営している組合長の娘と結婚するのだから、ラルスの将来は安泰だろう。その上、フランカはとても可愛くて優しい。ラルスにとって喜ばしいことばかりだ。
結婚のお祝いにお揃いの手作りアクセサリーを贈りたいと、弟が貰ってきた端切れの中に入っていた高級そうな布を取り置くことにした。
そんなある日、私は劇場にハンカチを卸に行った。柔らかい布の切れ端を四角く切り、色とりどりの糸で縁取りをして、上演中の芝居の演目に合わせた柄を刺繍したものだ。これが思った以上によく売れる。恋人とやって来た男性が記念にと女性に贈るのが流行っているらしい。劇場の支配人には出来次第持ってきてほしいと言われているので、もうすぐ上演が終了する時間に行ってロビーに商品台に並べていた。
何とか上演終了までにハンカチを並び終え、私もいつか恋人と一緒にこんな立派な劇場でお芝居を観たいと思いながら、ぼんやりと劇場の入り口を眺めていた。
しばらくすると上演が終わったらしく、劇場の扉が開き客が一気にロビーまで出てきた。その中に大柄なラルスの姿が見える。彼の姿を見間違うはずもなく、当然隣にいるのはフランカだと思った。
しかし、いくら目を凝らしても、ラルスと手を組んでいるのは私の知らない女性だった。二人は恋人同士のように腕を絡めて微笑み合っている。
「ラルス、凄く楽しかったわね。今日の記念にあのハンカチが欲しいわ」
その女性は私が並べたばかりのハンカチを指差した。
「仰せの通りに」
そう答えたラルスが私の方へ歩いてくる。隣を歩く女性はフランカより大人っぽくて、とても綺麗な人だった。
許せないと思った。婚約者がいるのに、他の女性とそんな風に楽しく笑わないでほしい。私が作ったハンカチをフランカ以外の人に贈らないで。
ラルスに理想を押し付けているのだとわかっている。でも、憧れの人には浮気なんてしてほしくない。
とても黙っていることなんてできなかった。
「ラルスさん! フランカと結婚の約束をしているに、なぜ他の女性とこんなところへ来ているのですか!」
命の恩人をそう言って責めてしまった。
ラルスの隣の女性は目を見開いて私を凝視した。そして、不快そうにラルスを見上げる。
「私という婚約者がありながら、こんなみすぼらしい女にも言い寄っていたのね! お父様が気に入ったと言うから結婚してあげようと思ったのに、結婚もしていないうちから愛人がいるですって! 馬鹿にしないでよ! 婚約は破棄するわ!」
この女性が婚約者? どういうことなの? 婚約者はフランカじゃないの?
「違うの。私は関係なくて、フランカが……」
女性の剣幕に驚いて、結婚の約束をしたのが私だとの誤解は解かなければと思ったけれど、
「うるさいわね。黙っていなさい!」
そう怒鳴られてしまった。
ラルスは辛そうな顔をしただけで、黙っていた。