狼に要注意。
「……なゆこか?」
「そ、そうですけど?」
玄関を開けると、最初に口を開いたのは、背の高い黒髪の美青年だった。黒髪に黒い瞳、だけど彫りが深くて、肌が白い。
……ルカって金髪じゃなかったっけ?
この人は?めっちゃ背が高いし。
「ルカ!碌な挨拶もなしにその態度は何かしら?まずはおばあちゃんに一言言ったらどうなの?」
「あ、ばあちゃん!ごめん。久しぶり~」
「ルカ!」
百合子さんが文句を言うと、その人は笑みを浮かべて彼女をぎゅっと抱きしめた。熱い抱擁と思いきや、百合子さんの肩越しにめっちゃ睨まれている。
なんていうか、怖い……。
子どもの頃は小生意気で猫みたいだと思っていたけど、今はなんか狼っぽいんだけど。噛まれそう。
逃げたい。
半ばあとずさりしていると、祖母と孫の感動の再会は終わったようで、百合子さんは私に向き直った。
「ルカ。あなた、会いたがっていたでしょう。なゆこちゃん。ぎゅっと挨拶してあげたら?」
「い、いらないですよ!」
なんて恐ろしい事を言うんだ。
びくついていたが、抱きしめられることはなく、逆に視線を逸らされた。
えっと、嫌われてる?
まあ、小さい時からなんか嫌われる気はしたけど。悪戯ばっかりだったし。
なんか、なんだろう。このイライラ感は……。
「もう、ルカったら。さあ、入って。あ、靴は脱いで頂戴。そこにスリッパ置いてあるから。夕食にしましょう。なゆこちゃんも、ほら、行きましょう」
突っ立っていた私の腕を掴んで、百合子さんはリビングルームへ戻っていく。引きずられるようにして歩いていた私だけど、ちょっと振り返ってみると、ルカが睨みつけていた。
怖い。なに、いったい。っていうか、私、なんでここにいないといけないんだろう?
結局、夕食はパンプキンパイにマッシュポテト、ポークソテーに、特製のスープだったけど、終始彼に睨まれていた私はまったく味がわからなかった。
そのまま、帰ってしまおうとしたが、今日はハロウウィン。
仮装した子供たちがチャイムを鳴らして、その度に逃げる機会をうかがうため私が百合子さんの代わりに応対した。
子供たちと一緒に外に逃げたかったが、次々と子供たちがやってきて気がついたら1時間過ぎていた。
時間は9時でもう子供たちも来ないだろうと、リビングルームに戻るとルカの姿が消えていて、胸を撫でおろす。
「百合子さん、多分もう子供たちは来ないですよ。片付けしたら、私帰りますね」
「片付け?いらないわよ。ルカにしてもらっているから」
「ルカが?」
「ええ、ルカ~。なゆこちゃん、帰っちゃうわよ。挨拶しないの?」
台所とリビングルームは近いので、声は聞こえたはずだ。だけど、食器がぶつかる音しか聞こえなくて、百合子さんは溜息をついた。
「本当、昔と変わってないわ。まったく」
「じゃあ、百合子さん。私は帰りますね。ご馳走様でした」
「ああ、ありがとうね。なゆこちゃん」
私の住んでいるところは、田舎で街灯が少ない。でも犯罪なんて起きたことないから、結構遅くでも一人で歩いていても大丈夫。でもさすがにハロウィンに子供たちだけ夜に出すのは問題で、この日は親が道の至る所に立つことになっていた。
腕時計をみると、もう10時になろうとしていて、ハロウィンはたしか9時までと子供たちに言われているので、親たちもすでに家に帰っているようだ。
静かな田舎町を、ぼんやりと歩く。
空を見上げると、まん丸より少し歪な月が輝いていた。
帰ったら、お風呂入った後、漫画読もう。それともゲームしようかな。
今日は疲れたので勉強しない。
明日は勉強しないとなあ。
来年はセンター試験がある。
最寄りの大学を受けるつもりなんだけど、それでも自宅から通うのは難しい。だから寮に住むつもりだ。
頑張らないと。
「な」
「ひい~~」
急に肩を掴まれて、のげぞってしまった。
背中の毛が絶対に猫みたいに立ってると思う。
変質者だと逃げ出そうとしたけど、肩に置かれた手に力がこもって、逃げられない。
「は、放して!」
「なゆこ!」
「え、ルカ?!」
名を呼ばれ、その声はさっき聞いたもの。
狼みたいなルカだ。
「ど、どうして、なんで?!」
振り返ると間違いなく、ルカだった。
「家まで送る」
「いや、必要ないから。っていうか。もう家だし」
なんで、今?
っていうか、送るっていうなら普通家を出る瞬間からじゃないの?!
家はすでに視界に収まる範囲にある。
「ごめん。遅くなった」
「いや、大丈夫。待ってなかったから」
ぺこりと頭を律儀に下げられ、どうしていいかわからなくなる。
さっきまで私を睨んでいた人とは思えないんだけど。
「ちょっと驚いて、何も言えなくてごめん。会えてうれしい。全然変わってなくて嬉しい」
狼だと思っていた態度はどこにいったのか、その声は優しかった。
表情は街灯が暗くてよくわからなかったけど。
「えっと、ありがとう。私もあえて嬉しい」
そんなこと正直思っていなかったけど、とりあえず社交辞令だと思って返す。
「本当か?なゆこもそうだったんだな」
「は?」
「やっぱり相思相愛だったんだ。ずっと、ずっとなゆこのことを考えていた。この6年で大学まで卒業した。だから、私は自由だ。なゆこ」
「えっと、えっと」
いや、何かとんでもないことを言われている。
暗くてよくわかんないけど、視線をがんがん感じる。
「これ、返す。眼鏡。私の宝物だった」
ルカはそう言って、長方形の箱を出して、蓋を開ける。そこに入ったのは6年前、彼に奪われた眼鏡だった。
綺麗に保管されていたみたいで、新品みたいに見えた。まあ、暗くてちゃんとは見えないけど。
「なゆこも、私のことが好きなんだよな。だったら結婚できるよな」
「はあ?」
「日本は確か18歳にならないと結婚できない。私はまだ14歳だから、あと4年待たせることになるけど。婚約しよう」
「えっと、ルカ。何の話?っていうか、まだ14歳なんだ。その見た目で?そうか、私より4つ年下だもんね」
「もう大人の男と一緒だ。なゆこ。日本に一人でいると浮気するかもしれないから、アメリカに一緒に来て。両親には話してあるから」
「はあ?ちょっとまって、いや、なんていうか、だめ。だって会ったばっかりだし。あんたまだ14歳だし」
「年齢は関係ない。気持ちの問題だ。会ったばっかりでもない」
「年齢は関係あるよ。まだ14歳。子供だよ。私もまだ18歳だもん。結婚なんてまだ先。っていうか、あんたのこと全然知らないし。悪戯された記憶しかないよ」
本当、こんな美青年に結婚申し込まれて、ころりといくのは小説だけだよ。
ありえない。
だいだい、子どもの時、あんなに意地悪していたくせにあり得ないし。
一番の問題は年齢。まだ14歳、ありえない。
「なゆこは私のことが嫌いなのか?」
「嫌いとか、そういう前の問題。突然だし、わけわかんない。ルカもちょっと混乱してるんじゃない?ほら今日はハロウィンだし」
そう。そう。今日はお祭りの夜だ。
おかしくなっても仕方ない。
「混乱はしてない。でも私は諦めたくない。なゆこ。今日は家まで送って、おばさんたちに挨拶をする。そういうのが大事なんだろう?」
「いや、いらないから」
っていうか、なんかおかしなこと口走りそうで怖い。
あ、母さん。このこと知っていたんだ。
だから、朝からおかしかったのか?
くう、やられた。
「なゆこ」
「とりあえず、百合子さんも待ってると思うから、大人しく帰った方がいいよ。私も帰るから。ね」
「……わかった。今日のところはそうしておく。明日家に行くから」
「来なくていいから!まじで」
「だったら、なゆこが来てくれるか?」
「……わかったわよ。行くから。だから、今日はバイバイね」
「絶対だからな。来ないと私が行くからな」
「うんうん。わかった。じゃあね。また明日」
そうして私はルカに手を振って別れを告げたのだが、家に帰るとすっかりその約束を忘れていた。いや、約束だったのか?
翌日、遅くまでゲームをしていた私は、ルカによって起こされる。
それからは、まあ、なんていうか、定番の恋愛小説展開。外堀から埋められていた私にすでに逃げ道はなく、まあ、ルカも意地悪していたのは、私が好きだったからとかで……。
大学のセンター試験はうけたけど、なんだかアメリカの大学に行くことになった。勿論、英語力不足だから、1年間語学学校に行く事になったんだけど。その費用も全部ルカが持つとか。彼はすでに14歳で働いていて、何もしなくてもいいぞって言われたんだけど、そういうわけにもいかず。
今は好きとかそういう感情で動いているけど、人って飽きるのは早い。
アメリカには興味がなかったけど、これもいい機会だと捉えて、婚約も全部5年間待ってもらった。大学在学中も色々勉強して、在学中に会社を作った。卒業と同時に、19歳になったルカと結婚。私は23歳で。
もし飽きられても自分で生きて行けるようにと、結婚しても私は働いている。
結婚生活、5年になって、ルカは24歳、私は28歳。
まだ彼は私に飽きないらしい。
毎年いつも、眼鏡をプレゼントしてくれる。
物欲がないし、欲しいものは自分で手に入れたいので、プレゼントと言われても答えなかったら、眼鏡をくれるようになった。
センスのいい彼がくれる眼鏡は、私にぴったりで気分によって違う眼鏡をつけている。
「トリック オア トリート」
「どっちもいや」
「なゆこはいつも冷たい」
今日はハロウィンだ。色とりどりのキャンディやお菓子を取り揃えて子供たちが訪ねてくるのを待っている。
甘い言葉を投げかけてくるルカに私はいつも冷たい。
わかっているけど、どうしても甘えられない。
4歳も年下ってこともあるだろうけど、甘えてしまったら、そのままなし崩しになりそうだから。
「なゆこ。愛してる」
「……ありがとう」
今日も結局そうしか返さない。
本当は、もう彼のことを好き、愛しているのだけど。
6年ぶりに再会した時は、びっくりしただけだったけど、今は、私は彼に恋している。
(おしまい)