狙撃主は夜の饒舌
立川に着陸すると、真っ先にオバサンの姿を探した。
基地内はこれから現場に向かおうとする派遣や、ソウマと同じように今現場から生還した派遣、さらには専属軍人達でごったがえしていた。
その中を肉眼と、”サーチ・モード”にしたアイウエアで当該人物を探す。しかし、同じゲートをくぐる人の群れの中に、小さくて小太りなその姿を見つけることができなかった。
記念に貰ったジッポのお礼に、あのペーパーナイフを一本渡したかったのだ。
最終便が到着し、最後の一人がゲートをくぐり、乗降案内終了のアナウンスが聞こえた頃、ソウマは自分がいつの間にかオバサンを見落としてしまったのだと結論づけた。
なんとなく、思い足取りを引きずりながらバス乗り場まで行くと、ソウマは背後から声をかけられた。
「センナミ君! ……だよね?」
振り返ると、そこには白い肌の青年がいた。
ゴトウダ・テルリ。それはソウマのゼミの一員だった。
「ゴトウダ……君?」
そこにその人物がいることが意外だったということもあるが、その名前を思い出すのに少し時間がかかってしまったため、たどたどしい言い方になってしまった。
「もしかして、センナミ君も派遣の帰り?」
「ああ、そう」
「僕もなんだ。もしかして、同じ現場だったのかな?」
「俺は南米だった」
「ああ、じゃあそうだ。一緒の現場だったんだ。ねえ? せっかくならさ、メシでも行かない? 僕今日昼飯抜きだったんだよねぇ。もうお腹すいちゃってさー」
こいつ、こんなに気さくな奴だったのか。とソウマは少し驚いていた。
ゴトウダ・テルリ。人口心理開発学科の三年。弓道インターハイ、総合優勝。それが、ソウマの知っている彼のデータだ。
一緒のゼミなので、なんとなく彼のことは知っていたし、もしかしたらディスカッションやコンパの席で少し話したこともあるのかもしれないが、ちゃんとした会話をするのはこれがはじめてだった。ゴトウダ・テルリは猫のような人懐っこさで、まるでソウマとは旧知のよしみのように話してきた。
「センナミ君は、いつもどこで食事してるの? 晩酌はする方?」
「俺は住んでるアパートの一階がファミレスなんだ。そこで済ませてる。晩酌もそこでしてる。安ワインだけど、悪くないんだよ」
「ふーん。……じゃあ、そこ行こうよ!」
聞けば、ゴトウダ・テルリは三鷹に住んでるとのことだ。ソウマのアパートは国分寺。なので、テルリはわざわざ途中下車してソウマ行きつけのファミレス・チェーン店に行くことになった。
「なんでわざわざここまで?」ソウマは聞いた。
「笑われるかもしれないけどさ。直接誰かと面と向かって食事をするのが好きなんだよ。まるで昔の人みたいにね」
そりゃそうだ。ダイレクト・アクセスすればアイウェアの拡張現実モードでいつ誰とでも顔を合わせることができるというこの時代に。
その夜、ゴトウダはよく喋った。二人で安ワインを飲みながら、お互いの生活のことや趣味を語った。
ソウマも、いつもよりワインを飲むペースが速くなっていた。
二本目のデキャンタを空けた頃だ。
「ごめん……、ちょっとはしゃぎ過ぎてるかな? 僕」
「いや別に、構わないよ」
ソウマはそう言ってイオン・シガーを咥えた。
ナノマシンが精製したニコチンが肺を満たす。しかし、なぜかそれはいつもより物足りなく感じてしまった。昼間に吸った葉巻煙草を思い出す。あのヒリヒリとした喉の痛みを。
「僕さ、いつもそうなんだ。派遣の現場から帰ってくると、妙に誰かと話したくなる。きっと、興奮がなかなか冷めないんだろうね」
「いつも、あんなタクティカル・ランクが高い現場に?」
「うん。……僕、両親がいないからさ。学費も稼がなきゃだし、貯蓄もしたいし」
ああ、そうなのか。と、ソウマはわかった。ゴトウダ・テルリがAIチルドレンだということを。
AIチルドレン。それは、保育用、育児用AIによって育てられた孤児達の総称だ。
「大変だな……」そう言っておいて、AIチルドレンだから大変だと言ったのではない、とすぐに訂正したくなった。
「でも、割と現場は好きなんだ。僕はライフル専門だから、タクティカル・ランクD以上しか行かないし」
どうやら、テルリはソウマの言葉を誤解なく受け取ってくれたようだ。しかし、ソウマは安心するより別のことが気になった。
「ライフル?」
「そう。ライフル。スナイパーだよ」
弓道インターハイ優勝者。……スナイパー……、凄腕のスナイパー。
ソウマの中に、嫌な予感が巻き起こる。
「なあ。ゴトウダ。君は、どこの派遣会社に登録してるんだ?」
「え? ハッピー・アーミーだよ」当然の顔でそう答えた。
そう。考えればその可能性があることはわかっていたはずだ。
ソウマが今日戦っていた相手。それは、ハッピー・アーミーの派遣部隊。ゴトウダが参加していた部隊だったのだ。
「今日は、何人くらい殺したの?」ソウマはなぜかそう聞いた。
「うーん。多分七人……、致命傷に至っていると判断できなかった標的もいたけど。確実には三人」
テルリはさらりと言った。
ソウマは昼間のことを思い出していた。
「……撃ってこなくなったね」
カノア(カヌー)の陰から突き出した、手に持ったカロリーメイトの空き箱を引っ込めると、オバサンは唸った。
「引き上げたんでしょうか?」ソウマはそう聞いた。
「わからんね。だから、まだ動かない方がいい」
このまま今日が終わる。そう心した時だった。
それまで、ヘッケラー・アンド・コッホを抱えるように胡坐をかいていたオバサンが突然。
「あたし、突撃かけてみるわ」
まるで、ちょっと買い物に行ってくるわ。とでもいうような気軽さで、オバサンは言った。
「え? 大丈夫なんですか?」
「わかんないよ」オバサンはケラケラと笑った。「でも、功績あげたら直雇用の話だってあるかもしれないからさ。旦那が出所しても、どうせまたロクに働きもしないだろうから、やっぱりあたしが稼がにゃならないんだ」溜め息まじりに言った。
「気をつけてください」ソウマは、そう言うことしかできなかった。
「スナイピングじゃあ、負けるかもしれないけどさ。近接戦にはちょいと自信があるからね」
「援護しましょうか?」
「いや、いい。もし、スナイパーをやれたらここに戻ってくるよ。もし、私が戻ってこなかったら……、それは二つの可能性しかない……」
言われるまでもなかった。
それは、こちらへの退路を確保できなくなり、単身で戦線を離脱するか、殺されたか。そのどちらか。
そうして、オバサンは身を低くして浅い川を渡り、ジャングルの中に入っていった。
オバサンは戻らなかった。
定時の時報とともに、作戦終了。ソウマはその時間まで身を潜め続け、一人で帰投した。
それでも、ソウマはなんとなく、そして、心のどこかで、二分の一の可能性のうち一つを棚上げした。つまり、オバサンは死んだ。
しかし、それはわからない。こちらへの退路を絶たれ、しかたなく一人どこかの基地に帰投した、かもしれない。
無事に立川の基地に帰国したが、その姿をソウマが見落としてしまっただけ、かもしれない。
もしくはゴトウダがスナイピングした七人のうちの、致命傷を確認できなかった四人のうちの一人で。負傷兵として別便で帰国した、かもしれない。
どれもこれも希望的な可能性だ。つまり、ポジティブというやつだ。
そう。ソウマは心の奥深くで、その最悪の可能性を見て見ぬふりをしている。
ゴトウダ・テルリは七人をスナイピングして、確実に仕留めた標的は三人だと言った。
ソウマの、心の底から認めたくない可能性。それは、
ゴトウダが、”標的”とあらわした人間。その七分の三に、オバサンが入っている、かもしれない……。ということだ。
「センナミ君?」
ゴトウダ・テルリは突然黙り込んでしまったソウマを不思議そうに見ていた。
「ああ! ごめん。なんでもない……」そう、なんでもないことなのだから。
「疲れちゃった? 今日の現場は暑かったしね。なんならそろそろ……」
「いや! なんならまだ飲もうぜ。もし、ゴトウダがよければ……」
ソウマは何故かまだゴトウダと話していたかった。オバサンがどうなったか? その疑問は、やはり棚上げすることにした。
「ああ。僕もまだ飲みたいと思ってたよ」
二人はその後、もう一本のデキャンタを空けると、コンビニで適当にチューハイとつまみを買い、ソウマの部屋に移動した。
一晩中語り合い、やはりゴトウダ・テルリは、”いい奴”なんだと、ソウマにはわかった。つまり、友達になり得る奴。なので、友情の証としてペーパーナイフを一本、テルリにプレゼントした。
テルリは大いに喜んでくれた。もしかしたら喜んでくれそうな気がしてはいたが、やはり喜んでくれた。
その夜は、ゼミの女子の誰が可愛いと思うかだとか、好きなゲームや、好きな物語の話をした。
まるで、自分が少し若返って、人並みの大学生活を送っているような錯覚さえ覚えた。その話の途中で、ソウマは自分が社会人を経てから入学したことを伝えると、テルリはえらく驚いていた。どうやら、ソウマのことを同い年だと思っていたらしい。急に敬語を使い出したテルリに対して、それはやめてくれ! と、ソウマは強く言っておいた。
目が覚めると、テルリはマルチ・クッカーで、コーヒーを用意してくれていた。
昨晩、テルリはソウマの部屋に泊まることにした。飲み過ぎたために三鷹まで帰るのがとてつもなく億劫になってしまったからだ。
基地内で買った葉巻煙草を燻らせながら、ソウマはバス通りを眺めた。せわしく納品コミューターとバスが行き交っている。今朝は晴れだ。
「今日はディスカッションだよ」テルリがそう教えてくれた。
「ふう、めんどくせーなー。参加しなくていいかなぁ」
「それは自由なんだろうけど、ハナサキ教官になんて言われるかな」
「はーあ。……めんどくせ」