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パープル・ヘイズ

 「そんな真面目にやるもんじゃねーんだよ! 派遣なんて……」

 そう言ったのは、背の小さい小太りのオバサンだった。

 話を聞くと、派遣歴十五年のベテランだった。

 「旦那がね、逮捕されちゃってさ。……うちはまだチビが小学生なもんで、私が働きにでないとさ」

 そう言っていた。

 今、オバサンとソウマは、川岸にある、朽ち果てそうなカノア(カヌー)の陰に隠れ潜んでいる。

 今回の現場は南米だった。日系企業とインドネシアの企業とのニュー・パナマの港湾建設の利権を巡る争いだ。

 ヒューンと空気を切り裂く音が聞こえ、チッ! という音と共に銃弾がソウマの足元に刺さった。

 反射的に足を引っ込める。

 「もっとひっこんで! 身体に穴が開いちまうよ!」オバサンが叫ぶ。

 そう。ここはタクティカル・ランクCの現場だった。

 冬休みを前に、少しでも稼いでおこうと、ソウマはこの現場を選んだ。

 給料はタクティカル・ランクに応じて決まる。Cランクでは、今日一日の日当で、海外旅行一回分にもなる。聞いた話では、AAダブル・エーランクともなれば家が建つらしい。

 「どうしたら、いいんでしょうか?」ソウマは血走った目でオバサンに助けを求めた。

 「何も……。定時まで、ここから動かない。今日で戦況は動かない。だから、私達は何もせず生き延びることに集中すればいい」

 「……でも。それでいいんですか?」

 「いいもなにも、派遣ごときにできることなんてないんだから……。とにかく今日一日を上手い事生き残る……。とにかく頭を下げな。スナイパーがいるよ……、五百メートル先、おそらく向こう岸の廃船に」

 オバサンはヘッケラー・アンド・コッホの銃身に空き缶をかぶせ、それをそっと持ち上げた。空気の裂ける音がすると、空き缶が後方に弾き飛ばされた。一秒ほど遅れて、遠くから銃声が響く。

 ソウマはそれを腹ばいになりながら振り返った。

 「銃声の方が遅かったねー。こりゃ凄腕だ。五百なんてもんじゃないね。約一キロ先から撃ってるわ」オバサンは暢気に言った。

 「昼食抜きになりそうですねぇ」ソウマが呟く。

 この状況下で、どれくらい時間が経ったのだろうか。午後の時報を聞きながら、ソウマの腹の虫が鳴いた。

 「相手だって飲まず食わずじゃいられないよ。それにね、戦場のスナイパーってのは、あんがい浮気性なんだよ。スコープを通して見る世界に、獲物はたくさんいるだろうからね」

 そう。スナイパーは百メートル先を見ることができるスコープを装備しているなら、百メートル四方のすべての敵が標的となるはずだ。

 しかし、

 「川岸というのが、条件が悪いですね」ソウマは呟く。

 「まったく。私もヤキが回ったのかねー。いくらトイレを我慢していたとは言え、このルートを選んじゃったんだから」

 そう。川岸には障害物となる木の枝や葉が少ない。確か、肉食獣も餌である草食動物を狩るのは水辺だと聞いた。今まさに、二人は水辺の草食動物だ。スナイパーライフルという鋭い牙に狙われた。

 「食べるかい?」

 オバサンはソウマにカロリーメイトを差し出した。

 「え? いいんですか」

 それを受け取るのに、ソウマは少しだけ戸惑った。何故ならオバサンは、カノアの陰の隅で用を足して、手も洗っていないからだ。まさか、人生の中で真近にいる女性が放尿をしだすという事態に遭遇するとは思わなかった。しかも、このオバサンだ。旦那が逮捕され、何人かの子供を女手一つで育てている、そんな歴戦の勇士のような、年季の入ったオバサンの。

 「……ありがとうございます」ソウマは一応遠慮なく受け取る。

 「腹にたまりゃしないが、幾分か空腹は紛れるからね」

 オバサンの言うとおり、確かに、それをモサモサと齧った後は腹の虫がおさまった。

 それからもしばらく、オバサンと色々な話をした。

 つまらない身の上話もしたし、国営放送の今期の大河ドラマがいかにつまらないかも語った。俺は、アパートの一階がファミレスなのでマルチクッカーを買ってから一度も起動させたことがない、と話すと、オバサンは、うちのマルチクッカーは四人用で、予定していなかったチビが生まれたせいで一時期は四人前の料理を五人で分けていた。だが、旦那が逮捕されたので、またちょうどよくなったとカラカラと笑った。

 俺は大学のコンパの席での武勇伝なのか失敗談なのかを披露すると、オバサンは若い頃に専属軍人と付き合っていたと自慢してくれた。

 しばらく話すと、まるでお喋りに飽きたかのように、オバサンは時代遅れの葉巻煙草とライターをタクティカル・ベストのポケットから取り出し火をつけた。

 「あんたも吸う?」

 そう言ったオバサンの流し目を受けて、”ああ、この人、若い頃はモテただろうな”と、ソウマは思った。

 遠慮なくそれも頂戴すると、イオン・シガーしか吸ったことのないソウマは、最初の一口でむせかえってしまった。

 刺激の強い燃焼ガスを喉頭と肺が拒否したようだ。しかし、火をつけてもらった瞬間に感じられた鼻に抜ける甘い香りは何故か心地よく感じた。

 二口目を吸ってみてもあの香りは感じられない。そして、ソウマは気づいた。あの香りは煙草ではなくライターから発せられていたということに。

 試しにオバサンに聞いてみると、

 「ああ。そりゃ、このジッポのオイルの匂いだろ」

 「ジッポ?」 

 「メーカーの名前さ。このライターの。これは揮発油を使っているんだ。驚くことに、まだ製造してるんだから」

 「化石燃料の利権を巡る戦争が未だに起こっているわけが、やっとわかりました」

 「ふん……」オバサンは鼻で笑うと。「記念だから、あげるよ」

 「え? いや、そんな。こんな高級品」

 「全然高級品なんかじゃないよ」オバサンはケラケラと笑った。そして、

 「こっから帰れたらさ、私にとっちゃ高級品でもなんでもないよ。でもまあ、……とりあえずは五人前を作れるマルチクッカーを買わなきゃね! 旦那が出所してくるからさ」

 そう言って。オバサンはセラミックの差し歯を見せてニッと笑った。


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