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週末は戦場へ

第二十六条  戦地労働者派遣契約(当事者の一方が相手方に対し兵士派遣をすることを約する契約をいう。以下同じ。)の当事者は、通信省令で定めるところにより、当該戦地労働者派遣契約の締結に際し、次に掲げる事項を定めるとともに、その内容の差異に応じて派遣兵士の人数を定めなければならない。――

 「ソウマくん、派遣はじめたんだって?」

 教官のハナサキ・ジュンコは目を合わせず訪ねた。

 「え? ああ、はい。……まあ」

 隠す必要はないのに、何故か曖昧にこたえてしまっていた。

 「ふーん……」そう言って、彼女はキーボードを再び叩き出した。

 「なんですか? 何か問題でも?」

 「いえ」キーボードを打つ手が止まる。「それぞれ事情があるのはわかるし、校則でバイトを禁止してるわけでもないから……。でも本分である学業がおろそかになるようなことは、あって欲しくないかな」

 「わかってます」

 そう。よくわかっている。他の学生のように子供扱いして欲しくはない。

 センナミ・ソウマは高校卒業と同時に地元の水産加工工場で八年間社員として働いた職務経歴がある。今時珍しい、物質的労働者リアル・ワーカーというやつだった。

 その後、二十六歳で新首都大学に入学した。なので、周りにいる学生達はどうしても子供同然に見えてしまう。今、目の前にいる教官のハナサキ・ジュンコにしたって自分の一つ下の歳なのだ。

 「ならいいけど」そう言うと、ハナサキはティーカップを持ち上げ、少し口をつけた。

 再びキーボードを叩く音が鳴り出す。

 ソウマは窓の外を見た。

 ミーティング・ルームの外は中庭になっている。青々とした芝が敷かれ、真ん中には一本の大きなカエデの木が堂々と立ち尽くしている。

 ソウマは、なんともなしに、その偽物・・の景色を見ていた。

 「はい。できた」ハナサキがそう言うと、キラキラと輝く一枚の板を差し出した。

 それは、ハナサキの手を離れ、フワフワとソウマの手元まで空中を滑ってきた。

 「はいよ」ソウマはそれをめんどくさそうに受け取ると。「ダウンロード……」

 その言葉を合図に、ダウンロードがはじまる。光の板はバラバラに砕け、星星のようなデータがソウマの代理人格端末ドッグ・タグに吸い込まれてゆく。

 「うん。添削箇所は特にないかな。構成を変えたほうがインパクトがあると思うから、そこは工夫してみて。ついでに、参考になるかもと思って、よく似たテーマの論文もいくつか入れておいたから」

 「どうも」

 「それと、週末のコンパは来れるの?」

 「いや、週末は、派遣が入ってるんで」

 「ほらぁ、だから言ったじゃない……」ハナサキがじっとりとした目を向けた。

 「コンパは学業じゃないでしょ?」

 「それも学生の本分なの! たまには部屋から出てきなさいよ」

 「まあ、またの機会にでも……」

 「いつもそれじゃなーい。来週はディスカッションがあるから、それはちゃんと出てきなさいよ!」

 「わかってますよ。それじゃ、また」

 「本当にわかってるんだか……。まあ、とにかく、命は大切にね!」

 ミーティング・ルームからログアウトし、ソウマはかけていたVRアイウェアを外した。

 景色が一変する。

 極普通の六畳一間の部屋。家賃四万円、ユニットバス付き、エアコン、マルチクッカー完備。なにより便利なのが、一階がファミレスということだ。

 例えばこんな雨の日には……。

 窓の外は細かな雨粒が降りしきる灰色のバス通りだった。


 いつもの窓際の席につくと、ソウマの代理人格ミラー・アイディが注文をしてくれたようで、すぐに白ワインのデキャンタが運ばれてきた。

 VRアイウェアをかけ、ライブラリにアクセスする。目の前に巨大な本棚があらわれた。

 「いくつか、って……。これ全部かよ」

 それは、ハナサキが”参考になるかも”と言っていた論文だった。

 ふと、本棚に一枚の付箋が貼られているのに気がついた。

 ”わたしのオススメも貸してあげるよ!”、と書かれている。

 どうやら、論文は数冊で、あとは物語ストーリーのようだ。物語ストーリーは古典が多いようだった。

 適当な一冊を手に取る。

 『銀河鉄道の夜』

 タイトルは聞いたことがある気がする。

 アイウェアを拡張現実アイ・アールモードに切り替えると、景色がファミレスの窓際の席に戻った。そして、手には『銀河鉄道の夜』がある。

 それは、暇つぶしにはちょうどよい本だった。世界観は何一つ理解できず。主語もよくわからない。物の名前なのか、人の名前なのか、現象の名前なのかよくわからない言葉がとにかく多い。ワインの酔いが少しづつ回ってくると、一段とその曖昧で心地よい世界が頭の中で広がってゆく。それは、まるで自分の脳みそが真っ裸にされて、行く先を知らぬ旅人となって宇宙を漂っているような。そんな幻想だった。

 しばらくすると、その甘美な時間に邪魔者が入った。

 「失礼します」

 顔を上げると、スーツを着た細い男が立っていた。狐のような顔には薄い笑みが常に張り付いている。

 「キサラギさん、でしたっけ?」

 「はい。ピース・キャストの、営業のキサラギです」男はお辞儀をした。

 ソウマはアイウェアを下にずらしてみた。

 すると、キサラギの上半身が消えた。アイウェア越しには下半身が写っている。どうやらダイレクト・アクセスのようだ。

 キサラギは、ソウマの登録している派遣会社、ピース・キャストの人間だ。

 「どこにいるかは知りませんが。どうぞ座ってください」

 「では、失礼して」そう言うと、キサラギはソウマの対面の椅子に座った。そして、「すみません。お楽しみのところを」

 「いえ。暇なだけですよ……。気にしないで下さい。……で、ご用件は?」

 「はい。実は、明後日の現場なんですが、タクティクル・ランクがEに引き上げられました」

 「ということは?」

 「はい。指定最低限武装です」

 「ハンドガン一丁、でしたっけ? またレンタルじゃダメですか?」

 「可能は可能ですが。もし今後も定期的にご就業されるようでしたら、いっそのこと購入してしまった方が、長い目で見ればその方がコストがかからないかと……」

 「ああ、そうか、なるほど……」

 「なので、今日はそのご提案にあがりました」

 「わかりました。買います」ソウマは即断した。

 キサラギの提案は最ものことだし、それに毎度毎度のレンタルの手続きも面倒だと感じていたからだ。

 「では、さっそく」

 キサラギが指をパチンと弾く。

 視界が超高速で渦巻いてゆく。それがまた逆回転をはじめると、そこはもう別の部屋になっていた。

 真っ白い、白一面の部屋。

 ソウマとキサラギは変わらずテーブルを挟み向かい合っていた。

 そして、そのテーブルの上には所狭しと、色々な種類のハンドガンが並べられている。

 「支払いは分割も可です」キサラギが手を広げて言った。

 ソウマは適当な一つに手を伸ばした。

 「あ! 気をつけて」キサラギが慌てて言った。「そこにはワイングラスがあります」

 「……ああ、そうだった」

 「デキャンタとグラスを”ON”に」

 キサラギの言葉で、物質的世界オフラインからワインがテーブルにやってきた。

 「ありがとうございます」ついでにソウマは一口ワインを飲んだ。

 「オススメとしましては、ベレッタなんかいいと思いますね。信頼性、耐久性。それらは現場での実績が物語っていますし。あとは、シグなんかも人気です。……どうです? お気に召すものがありそうですか?」

 「ガバメントは……。ありませんか?」

 「ガバメント?! M1911(ナインティーン・イレブン)ですか? あるにはありますけど……、あれはコピーモデルが氾濫してまして、性能の平均値はイマイチかと……」

 「何種類か見せてもらえませんか?」

 「……わかりました」

 突然、テーブルの上の拳銃が天井の方に吸い上げられて行った。

 かわりに、水面から浮かび上がるようにして、テーブルの上に十数丁のガバメント・タイプがあらわれた。

 「現在、在庫があるのはこれだけですね」

 「一番安いのは?」

 「この、センドゥ・オート社製です。ただ、言ってしまえば粗悪品です。小国の革命家が使うようなモノですよ」

 「じゃあ、二番目に安いのは?」

 「それは……、この伊吹工業製ですね。なんといっても日本製ですから、コストパフォーマンスは申し分ない」

 ソウマはそれを手にとった。重さは感じない。それもそのはず、これは物質ではないのだから。

 「これで……、これに決めました」

 銃身には、”MAID IN JAPAN”、”IBUKI,1911”と刻印されている。

 「現場は、福生から出発なので、現場に発つ前に試射することをオススメします……。それにしても、M1911(ナインティーン・イレブン)とは、シブいですね」

 「なんとなく、好きなんですよ」

 「……では、パスコードを決めてください」

 パスコードとは重火器保管の解除に必要なものだ。銃刀法が存在する国内では、それを個人が所持保管することはできない。なので、派遣の人間が銃器を現場で使う際には、パスコードが必要となる。

 「そうですね。……じゃあ、”カムパネルラ”、で……」

 「ほう。カムパネルラですか? しかし、ちょっと不吉じゃありませんか? なんならジョバンニにしたらいい」

 「……なぜです?」ソウマはわけがわからなかった。

 「ジョバンニは帰ってきましたが、カムパネルラは帰ってきませんでした……」キサラギは薄い笑みをソウマの手元に向けた。

 そこには『銀河鉄道の夜』があった。

 「……まだ、最後まで読んでないんですが」ソウマは非難を込めて言った。

 「あっ! と、これは大変失礼しました……」

 「では、これで……」

 ソウマはそう言うと、一方的に、ログアウトもせずにアイウェアをはずした。

 いつものファミレスの景色だった。

 頭痛がする。長時間ログインしているといつもこうだ。

 窓の外はまだ雨が降っていた。滞りなく、極めてシステマティックに、バスやトラックが流れてゆく。当たり前だが、歩いている人の姿はない。物質的世界オフラインが価値の高い時代は、人々が通りを溢れんばかりに歩いていたという話を聞いたことがある。単純にとても不便な話だと思った。たしか、その話をしてくれたのはハナサキ・ジュンコだったはずだ。

 ”命は大切にね!”

 何故か彼女の言葉を思い出した。

 古い言葉だ……。

 人間の命も価値があった時代の考えだ。極少数ではあるが、この現代にもそういった思想を持った者もいる。”物質主義者”。彼女にもそのがあることは否めない。

 人間の命に価値がある? 馬鹿馬鹿しい。価値とはシステムだ。”物事”という概念から”物”を取り除き、”事象”、”事実”、”事情”、”事態”、というデータ化できる”thing”のみで社会を構成することこそが望ましい。それこそが、滞りない、潤滑なシステムを構築するためのファクターだ。この二百年、人間はそれを目指してきた。

 二百年ほど前、この国は少子高齢化という問題を抱えていたらしい。しかし、それは恋愛や結婚という”極めて原始的”なシステムを捨てることで解決した。それは、公共事業によってだ。全国民の代理人格ミラーアイディを統括し、通信省によるマッチング制度が施行された。特定の年齢に達した者は、通信省が提案した相手との交際をはじめる。それは代理人格ミラー・アイディ同士でのシュミレーションが前提にあるため、この制度は目覚しい成果を見せた。少子高齢化に歯止めをかけることに成功しはしたものの、今度は医療技術の発展により、平均寿命が伸びた。それは、定年制度の廃止や、年金制度の廃止で税収を増やすことで国はとりあえず手を打った。しかし、次の五十年で事情が大きく変わる。人口が増えすぎたのだ。そして、この国にはすべての国民にあてがうだけの”仕事”がなかった。AIこそが産業、生産、管理という、商業の中核をになっているのだから仕方がない。人間の出る幕は、この国にはないのだ。一部の物質的労働者リアル・ワーカーは海を渡った。しかし、それでも人口増加の歯止めは利かない。なので、徐々に徐々に、命の価値は下がっていった。あまりに自然に。それが当然のように……。それを、”政府が秘密裏に進めた、悪魔の所業だ!”と、声高に叫ぶ一部の団体もある。それが”物質主義者”と呼ばれる者達だ。彼らは、『愛』という、神様なのか『thing』なのかよくわからない概念を最も尊ぶと聞く。

 ふと気づくと、ソウマは自分の右手が、まだガバメントのグリップを握った形でテーブルにあるのがわかった。

 まさか、自分まで”物質”に愛着を持っているとでも?

 まさか……。

 そう思い、膝の上にあるはずのモノに目を落とした。

 しかし、そこには『銀河鉄道の夜』はなかった。

 そうだった……。続きを読みたかったが、またすぐにアイウェアをかける気が起きなかった。

 グラスがカラになっていたので、デキャンタに手を伸ばす、しかし、寸前でピタリとその手を止めた。

 このワインは、”どちらのモノ”だったっけ?、一瞬わからなくなってしまった。


 現場は中東だった。

 福生から輸送機で一時間。集められた派遣の数は三十人。

 バミューダ海域にメタンハイドレードの掘削精製プラントを建造するための利権を巡る、EUの某企業vs.アジアの某企業、それがこの戦争の目的だ。

 どうして、バミューダ・トライアングルを奪い合うEUとアジアのケンカを、この中東の小国でしなければならないかはよくわからないが、おそらくそこにも、なんらかの利権が絡んだ事情があるのだろう。

 その国には、日本とはあきらかに違う空気があった。カラっとした熱い風が砂を巻き上げながら吹き、そこにはバナナを焼いたような甘ったるい匂いが常に漂っている。

 昼を過ぎると、どこからともなく単調な太鼓の音と共に、何語か聞き取ることのできない、妙に侘しさを感じる、牧歌なのかお経なのかわからない老人の歌声が聞こえてきた。

 「暇だなあ。ちっとは撃ってくればいいのによぅ」

 隣にいる四十過ぎのオッサンが言った。

 今回の現場は最終防衛ラインの見張りだった。腰の高さほどのバリケードに身を隠し、ただ”ここにいる”ことが、今回の仕事だった。

 「やっぱタクティカル・ランクEなんざ、やらんきゃよかった。やっぱC以上じゃないと、やる気出んわなー」またオッサンが独り言を言った。

 どうやら、それは独り言ではなく。自分に話しかけているらしいと、ソウマは気がついた。

 「へー。すごいっすねー。Cなんて、俺は怖くていったことないすよー」最低限の社交辞令としての返答をしておいた。

 オッサンは気をよくしたのか、前歯のない歯をニヤリと見せた。

 「いやー。昨日行った南米なんてよかったぜー。もう、バンバン撃ちまくり! 適当に撃ったらさ、これが不思議なことに当る当る! もう、相手が面白いように死んでゆくのよ!」

 「へー。凄いすねー。やっぱり、そういうのって、才能なんですよー」

 「いやー、そんな! まあ、なんちゅうかさ、俺は昔からさ、そうなのよ! なんちゅうかその……」

 オッサンのよくわからない自慢話に適当に相槌を打ち続けるのはこの上ない苦痛だった。できることなら、不測事態イレギュラーによってこの現場のタクティカル・ランクがCくらいまで上がってくれないだろうか? もし、そうしたらすぐにでもこのオッサンの眉間に、新品のガバメントで38口径を打ち込んでやれるのに。ソウマは真剣にそう思った。流れ弾を装うのは簡単だろうから。

 「……実はさ、ここだけの話、俺、直雇用の話も貰ったんだけどさ。まあ、条件つーの? あんまり美味しい話じゃなくてさ。やっぱある程度資本力あるとこじゃねーとね……」

 オッサンの自慢話は続いている。

 「なんなら、今回はチャンスかもしれませんね」ソウマは言った。

 「ん?」オッサンは不思議そうな顔をする。

 「今回はチャンスですよ! なんたってEUじゃないですか? 資本力は申し分ないですから」

 「へっ、お前バカだなー。資本があったってな、しょせん化石燃料あつかってる会社よ! 枯渇しちまったらそれでおしまい。行く末見えてるだろ」

 バカ呼ばわりされたことで、ソウマは更なる意地悪をしかけることにした。

 「ああ。そうですねー。確かに……。いくら、日本が技術協力しようとも所詮は化石燃料ですしねー。……でも、その資源はアフリカのエネルギー事情に変革をもたらしますよ。なんたって、そこのインフラに真っ先に金と技術を提供するのは日本ですから。”あの国”だってそうだったじゃないですか? ”あの大国”が焼け野原にした後は、真っ先に戦災復興利権に乗り出したのは日本の企業です。今回も、日本企業のバックアップがあるからこその現場です。まあ、普通に考えれば気づきますよねえ? 敵のクライアントをけしかけたのは実は日本で、どっちが勝っても特をするのは日本。そこをわかってるからEU側は不利な戦力で臨んでいる。そう。……負けるつもりなんですよ。アフリカのインフラに直接手が出せるのはEUです。でも日本に技術協力はしてもらいたい。考えた結果のこの折衷案です。……明日あたりどうですか? タクティカル・ランクがDになるらしいですよ? そんな圧倒的不利な中で戦績をあげたら、また直雇用の声がかかるかもしれませんよ? あーあ。いいなぁ。俺もまた来たいなー。でも、明日は講義があるんですよねー」

 白々しく、ソウマはそう言った。

 「……俺も……明日は、……法事があってよ……、まあ……」

 男はゴニョゴニョと言い訳を呟いていた。

 「時間だ! 一斑休憩に入れ!」現場指揮官が叫んだ。


 食事はニシンの缶詰と、豆の混ざった固いお粥のような米、そしてやけに色の濃いグレープフルーツだった。

 不味くはないが、恐ろしく複雑な味がした。おそらく、二百年ほど前の日本人もこのような味の食事をとっていたのだろう、現代の洗練された味とは全く違うものだ。余分な油といい、塩気の足りない米といい。よほど性能の悪いマルチ・クッカーを使っているのだろう。いや、もしかしたら、この国ではまだ料理を人の手で作っているのかもしれない。

 紛争指定地域には小さな村があった。今回はそこが休憩所として使われている。

 小さな子供たちが外で走りまわり、女達は衣類や食器類を井戸水で洗いながら談笑を楽しんでいる。彼女達が洗っているもの中に、鍋という古い調理器具を見たので、やはり今日の昼食は人の手で調理したもののようだ。何人かいる老人は煙草を燻らせたり、酒を飲んだりして、家々の外に出した椅子の上で静かに過ごしている。ふいに目が合うと、誰もが、何も見えていないような、すべてを達観したような不思議な視線をこちらに向けた。

 ソウマはテントに戻ろうとした所で、妙な姿を見つけた。

 それは、崩れ落ちたレンガ塀の前で、行商をする少女だった。砂地の上に敷物をし、そこにはズラリと何か木片を加工したであろう者が並べられている。

 ソウマはなんとなく、吸い寄せられるようにそこに向かった。

 浅黒い肌の少女は、一心不乱に木片をナイフで削っていた。胡坐をかいて座る彼女の股の上に大鋸屑が散らばっている。十代だろう、しかしよくはわからない。妙に幼くも見えるし、妙に大人びているようにも見える。

 「こんにちは」

 ソウマが話しかけると、代理人格端末ドッグ・タグがこの国の言語に翻訳された合成音声を発してくれた。

 「こんにちは……」驚いたように少女は顔を上げると、戸惑いながら呟いた。

 その言葉は、アイウェアに文字として表示される。

 「何を売っているの?」

 「……ペーパー・ナイフです……」

 少女が着ているティーシャツに、”the Rolling Stones”と書かれていた。

 「ペーパー・ナイフ? 何それ?」ソウマが聞くと、アイウェアに概略が表示された。

 ”主に便箋の封を開けるために使われる。刃物としての汎用性は低く、二十世紀後半には高級文房具として、実用性よりもステータスの誇示として利用された。”

 なるほど。極めて物質的なものだ。

 「これは、いくらで売ってるの?」ソウマはその中の一つを手に取った。

 それは意外なほどに重みがあった。つるりとした流線型の刀身は人の手で加工がされたとはとても思えない。

 「二ドルです……」

 「そんななんだ。じゃあ、一つ買おうかな」

 「あ! でも……」少女は手の平を見せながら言った。「物質貨幣リアル・キャッシュしかダメです。私達、代理人格端末ドッグ・タグ、ないから……」

 そうか。そういう国なのか。ソウマは諦めようと思った。が、

 「物々交換でも、大丈夫だけど……」少女は言った。

 「え? ああ、モノと交換?」

 「そう」少女はうなずく。

 「そうだなあ。俺が持ってるものだと……。これしかないかな」ソウマはそう言って腰にあるガバメントを叩いた。

 「それでもいい……。それが、お金の次に、価値、ある……ここでは」少女がそう言った。

 「そうなの? でも、これは高かったんだよ。ドルだと……、そう二十ドルもしたんだから」

 「じゃあ、ペーパー・ナイフ十本と交換でもいい」

 「十本? いや、そんなには……」

 しかし、なぜかソウマはそれを手に入れておきたかった。

 なぜなら、明日には、この少女も、ここにあるペーパー・ナイフも、すべて消えるかもしれないからだ。

 「……まあ、いいや。誰にも内緒だよ」ソウマはホルスターからそれを引き抜き、少女に渡した。

 少女は嬉しそうにガバメントを受け取った。

 「じゃあ、好きなの、選んでください! お兄さん、優しいから、サービス! 十一本選んでいいよ」

 そんなにはいらないのだが……。しかたなく、商品たちを吟味しはじめた。

 「私の、名前、ツァギール。……忘れないで下さい……」

 何故か少女はそんなことを言った。

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