やっと守護霊になれたのに
守護霊には色々と手続きが必要なようで、閻魔大王の権限を使ってもかなりの時間が掛かったようだ。
「準備は良いですか? と言っても川崎様には特に準備していただく事は無いのですが。私共が奥様の元へちゃんと転送できるように計算できれば」
頭に角を生やし、ぴっちりとしたスーツを着こなした鬼に「まぁ、大丈夫でしょう」と言われ、本当に大丈夫かと疑いたくなった。
得体の知れないこの鬼を信じるしかないのだが。
俺はまた違う部屋に案内された。そこは、部屋の中央に円形が描かれている以外何も無い、がらんとした所だった。
「おお来たか。ずい分時間が掛かってしまったな」
腹に響くでかい声でそう言い、済まんなと閻魔大王は続ける。
「いいえ。無理を言ったのは私の方ですし、私には待つ以外の方法は無い訳ですし」
と俺が言うと閻魔大王はがははと豪快に笑った。
「では川崎様、中央の円にお進みください」
そう言う鬼の手には、最新のタブレットが握られている。
俺が円の中央に入ると「では行きますよ」と手元のタブレットに触れようとする。「ちょっと待って」と言うと鬼は手の動きを止めた。
「あっ、あの。俺の後ろに並んでた女の子の願いは叶ったんですか?」
俺はずっと気になっていた事を慌てて訊いた。
閻魔大王は何の事を問われているのか分からない様子で、しばらく考え込んでいた。そして、そのでかい口をにっと横に伸ばした。
「ああ。お前より先に、叶ったよ」
閻魔大王は笑顔で答えた。
そうか、願いが叶ったのか、良かったな。と俺が柔らかく微笑むと、では今度こそと、鬼はタブレットをタップした。
俺が消える間際、困った事があったらわしを呼べ。と閻魔大王の声がした。
守護霊になって、何も困る事には遭遇しないだろう。俺はそう思いながら、真っ暗な落とし穴に堕ちて行った。
「はっ……、ここは?」
余りの眩しさに目を開ける事が出来なかった。
それに何やら煩い。
車のクラクション? 引っ切り無しに走行するらしいエンジン音。遠くから聞こえるサイレン音。
信号待ちでもしてるのか?
数回の瞬きをするうちに徐々に目が慣れ、俺は辺りを見回した。
「なっ!!」
ここは交差点の真ん中じゃないか!
美和子、何をやってる、早く動け。
ひかれるぞ。
あ、信号が変わる。
「おい美和子!」
なぜ動かない。
「あのトラックの運転手、前を見ないまま発進させたぞ? お、お、おい美和子! 何やってるんだ!」
俺はどうにか妻を動かそうとしてみたが、指一本もぴくりとも動かない。焦って妻の目を覗き込んだら、虚ろに空を眺めているだけだった。
「?」
いったいどうしたって言うんだよ。
「美和子、しっかりしてくれ!!」
そうこうする内にトラックはもう目前だ。
あぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!
「えんまさぁぁぁぁぁぁぁん! 助けてぇぇぇぇ!」
俺は思いっきり叫んだ。
直後、一切の音が消えた。
『何だ、もう助けを呼んだのか』
緊迫していた俺の耳に、間の抜けた閻魔大王の声が聞こえた。
俺は力が抜けて、へなへなとその場にへたり込む。
「美和子は何でこんな所に居るんだ……」
俺のため息交じりの声に、閻魔大王は『お前、閻魔さんと呼んだな。ふざけとる。ちゃんと呼べ』とさっきの俺の言葉に文句を並べる。
「いや。そんな事を言ってる場合じゃないから」
と俺は突っ込みを入れた。
閻魔大王が時間を止めてくれてるから、こんな言い合いもできるのだが。
『何をやっているのですか、そんな言い合いをしている暇は無いのですよ』
閻魔大王が鬼に叱られている。
俺がニヤニヤしていると『何を笑っている。もう助けてやらんぞ』と子どものような事を言う。
「どうでもいいから早くしてくれ」
『どうでもいいって、お前なぁ』
そう言う閻魔大王の言葉は『早くしますよ!』と鬼の声に遮られた。
「どうするんだ?」
『このままではトラックに衝突するので、時間を戻します。そこで何とか自殺行為をやめさせてください』
え?
寝耳に水とはこう言う事を言うのだろうか。
俺は衝撃を受けて固まった。
「……なんで、美和子が自殺なんか……」
『さぁ、まあそこは御自分でご確認ください』
と、鬼は他人事のように言う。
鬼に言われ、美和子と話せたらそれを一番に確認しようと思った。話せるのかどうか謎だが。
二人だけで進む会話が閻魔大王は気に入らないようだった。先ほどから声が聞こえない。
『ほら閻魔様、そんな隅っこですねていないで、あなたのお気に入りの為に頑張って下さい』
閻魔大王はそう言われて、むむむと唸っている。
すねていたのか。
それにしても「お気に入りって」と俺は小さく呟いた。
その呟きは二人にも聞こえていたようだ。
『そのうちまとめて恩返しをしてもらうからな。待ってるぞ』
「待ってるぞと言われてもな……」
たかが一守護霊に何ができると言うのか。
待っているぞともう一度念を押され、俺がむむと唸っていると『それじゃあ、やるか』と閻魔大王が言った。
それとと同時に景色が一変する。
辺りは真っ暗な空間。
何も無い中で俺にだけスポットライトが当たっている。
「どこだ、ここは……」
『前夜に戻した。かなり骨が折れたぞ。お前の嫁は夢の中だ。ここは現世と夢の狭間。お前の力で何とかしてやれ』
「は? どうすれば良いんだよ」
夢を見たいと思えば見られる。入りたいと願えば入れる。頑張れよと閻魔大王の声は遠ざかって行った。