閻魔大王との出会い
気が付くと俺は長い階段を昇っていた。
後ろにも前にも途切れる事なく人の流れは続いている。
俺はなぜここに居るのか。この列は何なのか。
誰かに聞こうにも、全ての人の目は虚ろで、どこを見ているとも分からない。
右隣には十歳くらいの女の子が歩いていて、時折俺の顔を見上げる。その女の子の目には力強い光が宿っていた。
俺の目は、この少女にはどう映っているのだろう。
虚ろに見えているのだろうか、それとも、この少女のように力強い光を宿しているのだろうか。
とにかく先に進むしかないのだ。一歩ずつ足を進める。
やがて最後の一段を上り終え、広い空間へと足を踏み入れた。
広い空間に出たにも関わらず、その列はある一つの場所へと向かっている。
この先には何があるのか。
俺もそれにならう事にした。
少しづつその列は短くなり、先にあるものが見えてきた。
その人はまだ遠い所に居るのに俺の目に飛び込んできた。座っているのにもかかわらずその姿はかなり大きく、高さ二メートルはあるだろうか。横幅も大人の男四人分はある。
どんな大男だ。
あれで立ち上がったら、いったい何メートルになるんだろう。
そうこうする内に顔もはっきり見えてきた。
身体と同様に顔もでかいが、一個一個のパーツもかなりの物だ。そしていかつい。子どもが見たなら一発で泣きわめき、逃げ出す事だろう。
俺は隣に並ぶ女の子をちらりと見た。まだ大男の顔は見えていないらしい。
並んでいた列は自然と一列になって行く。
俺は女の子に、俺の後ろに並ぶように声をかけた。あんなに恐い物と対面するのは少しでも遅い方がいいだろう。
気休め程度にしかならないが。
そのうちに俺の番がやって来た。
「川崎 敬一郎、二十五歳。警察官。八月十三日。溺死です」
横に控える小柄で頭に角を生やした男が、手元の資料を見ながら報告する。
それまで大男は声を発する事もなく、差し出される資料にでかいハンコを押しつけるだけの作業を繰り返すだけだった。
それなのに、その手を止め顔を上げ、俺の顔を見据えた。
「お前が、川崎敬一郎か」
一言発したその声は、夏の雷鳴のように腹の底に響く重低音だった。
煩い。
何と言う音量だ。
思わず俺は耳の穴に指を突っ込んで、振り向くと女の子はすでに涙目だった。
その行動を見ていた大男は俺に興味を憶えたらしく、話しかけて来た。
「お前、今まで散々人助けをして来たようだな」
と大男は、怒っているような言い方をする。
耳に指を突っ込んだままなのに、よく聞こえた。
「どう言う意味ですか」
こっちも負けじと大声を張り上げる。
「言葉の通りだ。資料によるとゼロ歳の頃旅先で乗るはずの新幹線で、ぐずって泣きわめき、電車の出発時刻を遅らせた。そのおかげで土砂崩れに巻き込まれず多くの命を救った。幼稚園の遠足で遠出した際トイレに行きたいと騒ぎ出し、その行き先を変更した。そのおかげで事故に巻き込まれずに済んだ」
と、そんな事例をあと五つばかり読み上げて「これは一例に過ぎない」と付け加えた。
俺は、言葉を失った。
俺のおかげ? 俺が多くの人の命を救ってきたのか? 無意識に?
「そしてお前は警官になった。人々を助けるために」
「……あなたは、誰ですか」
「わしは、閻魔大王だ」
大男はそう言った。
えっ、閻魔さま……
「お前が死なずにいたら、もっと多くの命を救えたのだろうがな。残念だ」
そう言って閻魔大王は俺の資料に『天国』の伴を押そうとした。
「待ってください」俺の声に閻魔大王は動きを止める。
「何だ」
閻魔大王はいかつい顔で問おてくる。
「お願いがあります。俺を妻の守護霊にしてください」
閻魔大王は片方の眉毛を上げ、妙な顔をした。
「閻魔大王様なら、それぐらいの力はおありなのでしょう? お願いです。妻の守護霊にしてください」
俺はこれでもかって云うぐらい、深々と頭を下げる。
閻魔大王は、それを黙って見つめていた。
妻の守護霊は彼女の父方の祖母で、とにかくか細く弱々しい。とても妻を守れる気がしない。
俺は必死に懇願する。それでもまだ閻魔大王は無言のままだ。
「お願いします」何度めのお願いだっただろう。ううむと閻魔大王はうなった。
閻魔大王のその言葉に、隣に居た鬼が素早く反応した。
「閻魔大王様、ダメですよ。特例は認められません! 勝手な事しないでください!!」
閻魔大王は横目で鬼を見る。
「…………」
閻魔大王は一つ咳をして俺に向き直った。
「……そうだなぁ」
「閻魔大王様!!」
鬼は相変わらず閻魔大王を睨みつけている。閻魔大王は又、横目でじとっと鬼の様子をうかがった。
「特例で」ボソリと呟くと「閻魔大王様!!」と、鬼は閻魔大王の前にある机に飛び乗り仁王立ちして説教を始めた。
「全くあなたと言う人は、いつもいつも問題を起こす! 気に入った人に肩入れしすぎなんですよ! 今回はダメですよ!!」
「良いじゃないか。お前は固いんだよ。もっと頭を柔らかくせんと、この先やっていけんぞ?」
「あ・な・た・が・柔らか過ぎるから、私はこれで良いんです。とにかくダメですよ」
「分かった。守護霊にしてやる」
「こら―――――――――っ!!」
閻魔大王は鬼の言う事に耳を貸さない。
鬼ははぁとため息をついて机から降りて、傍に控えていた鬼を呼び寄せた。
「この者を別室へ。後で行く」
そう指示をした。
俺はその鬼の後に着いて行った。
俺の後ろに並んでいた女の子が「私もお願いがあります」と言っているのが聞こえる。俺の行動は、あの子に勇気と希望を与えたらしい。
瞳に光を宿した女の子にも叶えたい願いがあるのだ。閻魔大王は願いを聞き入れるのだろうか。あの鬼は又、頭を抱えるのだろうな。
俺は口元を緩めながらでっかい扉をくぐった。