もろい魂
ここは、どこだ……
美和子は、どこに行った?
敬太は?
なにも、みえない……
そんな顔をして、どうした
誰だ……閻魔さんか。そんな顔ってどんなだよ
疲れた顔をしている。絶望とも言えるか
疲れた顔? 絶望…… どんな顔か、分からない
お前の鋭気を嫁が全部吸い取ったようだな。疲弊していた嫁は今じゃキラキラ輝いている
美和子が? そうか俺の影響で美和子が元気になったのなら、それで良いんじゃないのか
そうだな、だが
だが、なんだよ
そのままではお前の心は壊れそうだ。守ってくれる肉体は無い。剥き出しの魂は脆い物だ。輝いている内は、絶えず中から放出される物に守られているが、今のお前の光は弱々しい。限界が近いな
限界って、なんだ……
頭がぼんやりして働かない。
「えっ、なんでここに?」
気が付いたら、白い部屋に居た。
ここは、中央に円が書かれただけの部屋。守護霊になる時に入った場所だ。
『気が付いたか。あれから一週間が過ぎたのだぞ』
「あれからって?」
口の中がからからで、上手く話せない。
『親友と会ってからだ』
花魁にいろいろ言われた日……
『そうだ』と頷く閻魔大王は、険しい表情をしていた。
『あれから今日まで、いくら交信しても何の反応も無かった。誰の事も見えていなかった。だから呼んだのだ。これから数日、守護霊の村で静養するように』
そう言われた直後、返事をする間もなく俺は落とし穴に堕ちて行った。
高い空に鳥の鳴き声が響き渡る。
雄大な山脈、裾尾には森が広がり、田畑が広がり、所々に茅葺の小屋が点在する。
降り立ったのは、のどかな場所だった。
すうっと爽やかな空気に包まれ、暖かい物が浸透して来る。心が洗われるようで、いつの間にか俺の頬は濡れそぼっていた。
時が経つのも忘れて、俺はその場に立ち尽くした。
どれくらいそうしていただろうか。いつまでも呆けている俺の後ろから「そろそろ参りましょうか」と声が掛かった。
突然の声に、俺はびくっと身体を震わせ、反射的に振り返った。
そこには見た事のある鬼が立っていた。
「一度お目に掛かりましたね。閻魔大王様に仕える者でございます。清流とお呼びください」
守護霊になった時、俺を白い部屋に案内してくれた鬼だった。
細身の長身で、優しげな目元、唇はこうを描き柔らかな笑みを浮かべている。かなりのイケメンで人間界ならモテモテだろう。でも頭上の一本の角と薄い青緑色の肌が、間違いなく鬼だと知らしめる。
「これからの数日間、川崎様のお伴をさせていただきます」
そう言う鬼に俺は「はあ」と気の抜けた返事しか出来なかった。
「田舎ですね」
昔話に出てきそうな風景に、警官姿の俺と黒いスーツ姿の鬼はどう見てもなじまない。
「大昔からここは変わりませんが、しばらく行くと賑やかになりますよ」
鬼は柔らかい声でそう言って「行きましょうか」と俺をうながして歩きだした。
タンポポ、アザミ、菜の花、名も無い花が俺達の進むあぜ道を彩る。木の葉がざわざわと風に揺れ、桜の花びらを運んできた。
「今は、春なのか?」
「ここは、春の野です。初めに守護霊の村に降り立つのは春の野と決まっているのです。この場で傷ついた魂を癒すのです」
他にも、夏の野、秋の野、冬の野とあります。と続けた。
「傷ついた魂……」
俺の呟きに鬼は頷く。
「守護霊になるまでの期間、魂をここで癒すのです」
「俺も、傷ついているのか?」
「はい」と鬼は頷く。
「守る肉体の無い剥き出しの魂は脆いのです。剥き出しの魂は傷つき易いし、黒く染まりやすい。白ければ白いほど、簡単に染まってしまうのです」
しかし、と鬼は続ける。
「傷ついた魂は、癒えるのも早いのです。剥き出しの魂とは不安定なものです。守護霊は内から溢れる光を持っている者にしかなれません。その中でも川崎様は特別なのです」
だから閻魔大王様がほっとかないのだと鬼は言った。
「川崎様が守護霊にしてほしいと言われた時は驚きました。魂が意思を持つ事は稀なのです。その中でも自我を通そうなどという者は、閻魔大王様に三百年仕えた私も初めてでした。あの時の閻魔大王様はとても楽しそうでしたね」
と、鬼が笑う。
そう言われて俺は驚いた。でも。
「俺の後ろに居た女の子も自我を通してたじゃないか」
「ああ、あの方は川崎様と行動を共にしておりましたから、魂が浄化されていたのです。あなたに影響されたのですよ」
と言われて、さらに驚いた。
俺って凄いのか?
……全く分からない。
でも、俺は俺だ。
しばらく行くと賑やかな場所に出ると言っていたが、一向にそんな場所が見えてくる気配が無い。
「えっと、賑やかな場所にはまだ着かないのか?」
「ええ、川崎様の魂が完全に修復されるまでは春の野は終わりません。春の野の距離は傷ついた魂の度合いにより違うのです。完治してからでないと他の魂と触れ合えないのです」
もう暫く掛かりそうですね。と鬼は言った。
自分の感覚としては、どこにも異常はないのだが。怪我をしている訳ではないので、傷ついていると言われても全然ぴんと来ないので、俺は「ふーん」と言う以外になかった。
のどかな景色はそのままで、もういい加減飽きてきたという頃、不意に畔道が消え、緑から石畳の灰色へと足元の色が変わった。