3-42『天災と火星と日向と金星』
周囲を見回すメロ。辺りが結界で覆われていくことがわかる。街の路地から、草木のない赤土の荒野へと風景が一瞬で切り替わる。
作ったのは、目の前に立つ男――《火星》。
結界の効果は、主に人払いだろう。空間の位相を乖離させ現実から切り離す――少し意外ではあった。そういったことに、気を回す人間には見えなかったからだ。
それは《火星》にも自覚があったのか。彼は言う。
「こうすれば気兼ねなく戦えるだろう。空間を封じる結界で、逆に自由が約束されるってのも皮肉な話ではあるがな」
「……あたしに、全力を出してほしいんだ?」
「そうじゃなきゃ意味ないからな。ま、本当の役目は足止めなんだが」
そう言って火星は苦笑する。あっさりと目的を暴露して。
なんのつもりだろうか。
そんなことは見ればわかった。わからないはずもない。同じ穴の狢なのだから。
メロは魔術に興味がない。彼女にとって魔術は技術ではなく、生まれ持っていた機能である。当たり前にあるものだから、関心なんて持つことがない。
だから――メロは戦いに興味を持った。
初めから大抵の相手に勝てた。全力でもってなお届かなかった相手なんて、それこそ七星旅団の仲間くらいだろう。メロから見てさえ、あの連中はいろいろとおかしい。
人生とは即ち闘争だ。
比喩ではない。メロにとって、生きるということは文字通り戦いの連続だったのだ。
それを望んで生きてきた。陳腐な表現にはなるが、戦うことでしか生を実感できないという生粋の戦闘狂。
目の前の男もまた、その同類であるのだろう。
「さあ、見せてくれ天災。お前の力を。お前の意志を。お前の強さを――ここでこの俺に見せてみろ!」
「なんか暑苦しいなあ、もう……」
うへえ、と嫌そうに表情を歪めるメロ。
別に――言われずとも手を抜くつもりなどない。試合とは違うのだから。
逆を言えば。先ほどの試合、メロがどれだけ手を抜いていたか。
「全天二十一式――第弐番術式」
青の魔術。シグウェル=エレクをイメージした魔弾の極み。
レヴィ戦で見せた、天災の最大火力。
――竜星艦隊。
魔弾というよりは光線、熱線と呼んだほうが近い。ここまでくるともはや砲撃だ。最大射程はせいぜい数百メートルほどだが、ひとたび通過した軌道には、草木ひとつも残らない。
高い位置から一方的に連発していれば、都市ひとつを陥落させることさえ可能だろう。
そんな魔術砲撃を、メロは一切の容赦なく放つ。本来なら街中で使えるような魔術ではないのだが、相手がわざわざ結界で空間を切り離してくれたのだ。遠慮などする必要はない。
その一撃を。けれど、火星は真正面から迎撃した。
メロの砲撃と、まったく同じ魔術を使って。
「――どうしたよ。もう少しくらい、驚いてくれないと張り合いがない」
火星が笑う。メロは表情を変えていなかった。
驚かなかったわけじゃない。本当に、心底から驚愕を覚えている。
青白い色の熱線。破壊的な威力。まったく同じ威力の、まったく同じ魔術が、まったく正反対の軌道でぶつかって相殺し合う。驚かなかったとは言えないだろう。
なぜなら《竜星艦隊》は、メロがオリジナルで編み出した魔術なのだから。
もちろん理論的に言えば、誰かひとりにでも扱える魔術は、ほかの誰にだって扱える。少なくともその可能性はある。
適性や才能、技術や魔力量といった要素を取り払えば、の話ではあるが。
要は机上の空論だ。単なる魔弾や、元素魔術のように簡単な術式ならばともかく、メロの固有魔術を再現するなど不可能と断言して構わない。
が。現実に起こっている以上、そういうことはもう考えるべきことではない。
メロはさらに魔術を撃つ。今度は三発――竜星の輝きが結界を走る。
そして、そのことごとくが同じく相殺された。まったく同時に、まったく正反対の魔術がメロの攻撃を防いだのだ。詠唱どころか、火星は身動きさえしていない。
「術式の……模倣? だとするなら、ずいぶんつまんない魔術だけど」
メロは言った。確かに凄まじい技術ではある。それは認める。
だが、こと戦闘においては意味がない。よくて引き分け――いや、少しでも劣化すれば負けるのだ。戦いに勝つための魔術じゃない。
そんな指摘に、けれど火星は苦笑を返す。
「おいおい、そんなものと一緒にしないでくれ。これは模倣なんかじゃない」
「……」
「ほら――試しに攻撃してみればいい。真似られない自信がある魔術で来たらどうだ。お前は創作魔術師だろう?」
誘いだった。確かに、相手が見たこともない新しい魔術で攻撃すれば、速度で必ず上回る。はずだ。
――もちろん挑発に乗る必要はない。理屈は不明だ、とはいえ必ず返せるという自信があるから誘いに出ているのだろう。ブラフで言う意味もない。
何かほかの方策を考えるべき状況だった。
だからこそ。
メロ=メテオヴェルヌは誘いに乗る。
「――竜星、再射」
竜の息吹の撃ち合いが始まった。
メロが魔術を放つ。まったく同時に、その攻撃が相殺される。ふたりは荒野を駆けながら、お互いに攻撃を交わし合った。
一撃一撃が、間違いなく必殺の威力を持つ術式だ。少しでも気を抜けば、その途端に肉体が蒸発してもおかしくない。体力や魔力以上に、精神が先に疲弊してしまうだろう。
――埒が明かなかった。
メロは数分でやり取りに飽きる。いくら撃っても、的確に同じ魔術で潰されるのだ。初めは相手の魔力切れを待っていたが、その無意味さは悟っている。
「なるほど。確かにこれは模倣じゃないね」
メロは言う。火星の魔術のからくりが、一部ではあるが読めてきた。
小石をひとつ拾い、それを火星に向かって投げる。それだけでも相応の威力を持つ投擲――だが、その小石は空中で、どこからともなく現れたまったく同じ小石とぶつかり、地面に落ちた。
その間、火星はまったく動いていない。完全に、自動で迎撃されたのだ。
火星の魔術は、メロが魔術を放つのとまったく同時に放たれる。それはつまり、見てから真似るのでは遅いということだ。単に模倣しているだけならば、能動的に攻撃することだってできるだろう。だが完全に正反対の魔術を続けて、攻撃を相殺し続けるなんて無理だ。
火星が言う。
「そう。鏡写しの反撃専用術式。あらゆる魔術を、まったく同じだけ自動で返し、相殺する。絶対に勝てない代わりに絶対に負けない――これは《引き分けの強制》だ」
「……また、簡単にネタ晴らしするんだね」
「言っただろう? 俺の役目は足止めだ。別にこの場でお前を殺す気はない。まあ、そもそも殺せないがな。それに――知ったところで対処はできんさ」
確かにそうだろう。火星の発言が真実ならば、という前提においてだが。
引き分けの強制。その術式だけならば、メロが負けることもない。かといって全ての攻撃に対応されるのであれば、勝って押し通ることもできない。
問題は、この術式を使っている間に、火星がほかの魔術を使えるのかという点だった。
だとすれば最悪だ。こちらの魔術は一切通用しないにもかかわらず、相手からの攻撃は普通に通るというのだから。それはもはや引き分けではなく、勝利の確定と言っても過言ではない。
「――……」
さすがに不可能だろう、と思いたい。だが、もし可能だったのなら――。
足止めに徹する、などという言葉を信用する気はなかった。これが相手の余裕ならば、今のうちに対処するべきだろう。
直後。メロは火星に向かって突進した。
遠距離では意味がない。火星は一度も能動的な攻撃をしてこなかった。舐めているのか、それとも単にできないだけか。いずれにせよそれはつけ入る隙だ。
相殺できないほどの近距離から、直接撃ち込んでやろうとメロは動き出す。
その選択に――火星が笑った。
「――ああ。そうするだろうと思っていたよ、天災――」
瞬間、それまで能動的な攻撃をしてこなかった火星の手から、何かの影が伸びてくる。咄嗟に回避を取ったメロだが、影はまるで吸い込まれるかのようにメロの身体へと至り、ぶつかる。
メロの全身が、何か帯状の物体に絡め取られる。それは両腕を胴体ごと縛りつけるように巻きついてきて、メロの動きの自由を奪う。
その場で立ち止まることを強制された。
生半な拘束魔術では、メロの動きを止められない。それでも停止したのは、つまりメロを抑えるに足るだけのモノだったということだ。
一見して、それはただの革帯だった。火星の右手から伸びたそれが、メロの身体をぐるぐる巻きに縛りつけている。
魔具だ。それも、恐るべき拘束性能を持った逸品である。
「……ただの魔具じゃないね、それ。迷宮産の、それもかなり高位のものだ」
「ああ。その通りだ」
隠すこともなく火星は頷いた。実際、それ以外にメロを止める魔具などないだろう。
だからメロも言葉を続けた。これでも冒険者だ。迷宮の魔具には知識がある。
「でも――このレベルなら、それなりの代償はあるんじゃない? たとえば――使っている間は自分も動けないとか」
「さすがにわかるか……その通りだ。そうでもなきゃ、お前みたいな奴を止めておけるわけがない」
実際、よく見れば革帯は火星の身体にも巻きついている。帯の両端に繋がれた人間を、同時に拘束する魔具ということなのだろう。
だが、
「……これでも足りないか」
火星が、冷や汗さえ流して苦笑する。その顔のすぐ脇を、今しがた、小さな石が物凄い速度で飛んでいったのだ。
メロが蹴り飛ばした石だった。
「本当なら、確実にひとりは殺せる魔具なんだがな」
メロは答えなかった。火星のように、べらべらと喋るつもりはない。
そう。この魔具でさえ、メロを完全に止めておくことはできない。
本来ならば、肉体どころか魔力さえ停止させるレベルの魔具だった。つまり、もし二対一ならば拘束に成功した時点で勝利を約束されたと言えよう。
にもかかわらず。束縛されたのは、肉体の動きだけだった。この状態でも、メロには魔術が使えるのだ。その身体だって少しは動く。石を蹴飛ばせるくらいには。
「――まあ、せいぜい三十分程度だろうが。それでも、時間稼ぎには充分だ」
「いやいやいや」メロは笑った。「ちょっと馬鹿にしすぎじゃない?」
そう。それは天災を舐めすぎだ。
この程度の魔具でメロを止めようだなんて、ふざけている。
「全天二十一式――第壱番術式。赤の魔術」
術式の名を口にする。それは一種の詠唱だ。意味が意志を反映し、魔力を使って形となる。
七星旅団が団長、マイア=プレイアスをイメージしたオリジナル魔術。
それは錬金魔術師が扱う、使い魔召喚魔術の自己流版。自ら戦うのではなく、創り出したモノを戦わせるという思想。
「――《灼天牙》」
その瞬間。
酷くあっさりと、迷宮産の魔具が破壊された。
「……化物め。なぜ気づいた」
憎々しげに呟く火星。その表情に、初めて余裕以外が見える。
メロと火星の中間には、いつの間にか、一体の狗がいた。
火焔の肉体を持つ巨大な狗だ。全身が燃え盛る焔で構成された――意思を持つ使い魔。
その尾が、焔の剣となって魔具を切断したのだ。当然、同じく《自動で引き分けを強制する》魔術は発動している――焔の狗は二体現れていた。
けれどそれは、メロが創ったほうの狗に一瞬で撃退されたのだ。引き分けにはならなかった。
元より、魔具に頼った時点で底が知れている。
それは言い換えれば、自力ではメロを足止めできないと暴露しているようなものだ。《引き分けの強制》――なるほど強力な術式ではある。メロでも再現はできないだろう。
だが、足止めならそれで充分のはずだ。魔具なんて使う必要がない。
それでも魔具を使ったのはなぜか。単純だ。
あの術式だけでは、メロを足止めできないから。
同時に魔術を撃ち出すには、メロが創り出してからでは遅い。魔術を創り出すタイミングも同時でなければならないだろう。
だとするのなら、果たしてメロがどんな魔術を使うのか、その判断をどこでつけているのか。
それは、メロが考えた瞬間以外にない。思考が盗まれているということだ。逆を言えば、メロの思考以外のものに対処できない可能性は、充分考えられるだろう。
根拠はもうひとつある。先ほど蹴り飛ばした小石だ。あれだけは、なぜか引き分けを強制されず、火星の顔の脇を通っていた。
石を蹴り飛ばすとき、メロが意図的に外したからだ。
つまり、当てる気がなければ相殺されない。火星の魔術には、メロの意識が反映されている。
だからこそ、この魔術だった。攻撃魔術でありながら、同時に使い魔でもあるという意思持つ炎の狗。
そいつは、メロの意思から独立して動く。
擬似人格搭載型戦術級固有攻撃魔術――《灼天牙》。
自律思考するこの魔術には、どうやら火星の術式では対抗できないらしい。
メロの思考を反映して迎撃する魔術では、メロ以外の思考を読み取れないということだ。できる可能性もあったが、そこまでのものではないらしい。
あっさりと拘束を破ったメロは、酷くつまらなそうに呟いた。
「――《竜星艦隊》、最大展開」
メロの背後に、七体の竜が浮かび上がる。
青の魔術の最大展開。ひとつでさえ凄まじい破壊力を持つ魔術が、七倍に膨れ上がって火星を襲う。
レヴィ戦で見せた砲撃は、所詮は一撃に限定しての威力だ。全力ならば、最大で七つを同時に放つことがメロにはできる。ただでさえ対軍クラスの攻撃魔術を、七つも同時に放つというのだから馬鹿げている。人間ひとりに使うには、いっそ非効率なレベルだった。
「……なるほどな。こいつは確かに、《月輪》の言う通りだったらしい」
火星が呟く。伝説の肩書きが、伊達でないことを知ったから。
――まだ及ばない。
七星旅団が《生まれついて異常な人間》の集まりならば、七曜教団は《後天的に異常になろうとしている人間》の集団なのだから。
「さて、あんたの術式の弱点はひとつ見つけたわけだけど――それが駄目なら、もうひとつ試そうと思ってことがあるんだよね」
メロが呟く。実際、ここまで全力を出したのは本当に久し振りのことだ。
それを必要とさせただけ、火星は充分に強かったと言っていい。
「――単純に力押しには、いったいどこまで対応できる?」
そして。結界の荒野が蹂躙される。
人智を超越した破壊。位相を歪まされた結界空間そのものが、揺らいで壊れかねないほどの魔術攻撃だ。
その光景を作り出した張本人が、そのときこんな言葉を口にする。
「……あ。これ、逃げられてら」
※
ほぼ同時刻。オーステリア迷宮区最下層。
薄暗い迷宮の地下深くで、セルエは実に二日間――四十八時間以上を戦い続けていた。
相手は七曜教団の一員である《金星》。と、そう表していいものか。
厳密にはそうなのだろう。だが、セルエがこれまで戦い続けてきたのは、金星本人ではなく魔物の群れであった。
およそあり得ない規模の大群を前に、セルエは単騎、休む間もなく戦闘を継続している。
当然、自然発生の魔物ではない。
目の前、魔物の大群の奥で、石の台座に腰かけたままの女性。金星。なんらかの方法で彼女が召喚したか、あるいは生み出した魔物であることは疑いようがない。
元より七曜教団に、強力な魔物使いが所属していることは初めからわかっていた。
以前、アスタたちが遭遇という合成獣や土人形がその証拠である。
溢れんばかりの魔物。その一体一体は大した脅威じゃない。それこそ丸二日以上戦い続けてなお、セルエは傷ひとつ負っていないのだから。
だが質は低くとも、その量があまりにも多すぎる。
かつてアスタたちが不死鳥を模した合成獣と戦った際に訪れた広間は、ほとんど足の踏み場もないほどに魔物で埋め尽くされている。一体を一撃で確実に落とす攻撃力があってさえ、それでも金星の近くまで辿り着くことさえできない。
もちろん魔物たちは、金星を襲うことがない。全てが揃ってセルエを狙う。統率された、戦術的な動きこそ見せないものの、足止めには充分すぎる量だった。
広範囲を一度に攻撃できるような、対複数用の攻撃魔術を今のセルエは使えない。そのことを知っているからこその人選らしい。なるほど、理には適っていた。
「……キリがないなあ、もう」
思わずぼやくセルエだった。事実、完全に膠着状態だ。
対処法がないわけではないのだ。全力を――それこそ眠っているほうの人格を起こすなりすれば――この大群を纏めて薙ぎ払うことだって不可能じゃない。
だが、それには相応のリスクを背負う必要がある。金星は明らかに全力を出していない、というか魔物を操る以外に何もしていない。とはいえ、それしかできないなどと楽観視することはできなかった。仮に失敗した場合、その分の代償は支払わなければならなくなる。
膠着が続くこと自体は、そこまで悪くないとセルエは思う。
確かに、自分はこの場に釘づけだ。だが逆を言えば、セルエは金星をこの場に留めている。もし地上の戦力が期待できないのなら話も変わるが、オーステリアにはセルエを除いても充分な戦力がある。学生や教師たちを筆頭に、街の冒険者や管理局員。何よりかつての仲間が三人。
普通に考えれば、七曜教団のそれより戦力的には上だろう。その中で、数の差を覆す能力を持つ魔物使い――金星を止めておけることには意味があった。
飲まず食わずで二日間。金星との戦闘を続けたのには、そういう理由もあったわけだ。
「……地上では、そろそろお祭りも終わりに近いでしょうか」
そのときだった。ふと、金星が口を開く。
最初に少し喋ってからというもの、黙り続けてきた金星が、ここにきて言葉を放ったのだ。
その事実に意味を感じて、セルエも答えを言葉で返す。
「もうそんなに経ったんだ……そろそろ帰ろうって感じなのかな?」
「そうですね。足止め自体は、もう充分な頃合いでしょう」
「何かするつもり?」
「いいえ。――もう何かしたから、終わりなのです」
嫣然とした微笑みを浮かべて金星は言う。まるで魅了の魔術でも使っているかのように、それは美しい笑みだった。特に同性愛の趣味はないセルエでさえ、思わず見惚れてしまうほどの美貌だ。
嫌に妖艶で蠱惑的な、見る者の劣情を強制的に掻き立てるかの如き肢体。薄く露出の多い衣服が、なんだか酷く魅力的だった。
「そっか。でも悪いけど、そう簡単に逃がすつもりはないよ」
セルエは言う。逃げようとするのなら、それは否応なく隙に繋がる。
その場合は自分から攻撃に出る。時間稼ぎに付き合うのをやめ、金星を捕らえるために動くだろう。
それがわかっているからか。金星は首を振って言う。
「いいえ、逃げますとも。私が今、死ぬわけにはいきませんから」
「ずいぶん自信があるんだね。言っとくけど、私だって別に全力は出してないよ」
「もちろん。ほかの皆さんは知りませんが、私は七星旅団を過小評価しておりません。今の教団で貴女がたに匹敵するのは、上のふたりを除けば、せいぜい私くらいのものですから。その私も、こうして魔物の力をお借りしなければ及びませんからね」
「…………」
要は教団より旅団のほうが戦力的に上だ、ということが言いたいのだろうが。
逆に言えば、その戦力差がこれから逆転する、という宣言にも聞こえる。
しばし考えたのち、思い切ってセルエは踏み込んでみた。首を傾げて金星に問う。
「『何かした』って言ってたけど……その話かな、今のは?」
「それはまた別の話ですよ。というか、貴方は知っているのでしょう? このオーステリアという土地が、いったいどのようなところなのか」
「……」
「それはそれとして。貴女、魔物はお好きですか?」
いきなり話が変わっていた。まさか、そんな質問をされるとは。
襲い来る魔物を、その間も拳ひとつで薙ぎ払いながら、一応のようにセルエは答える。
「いや別に……というか、魔物が好きな人間なんて、そうそういないと思うけど」
「そうですか。まあそうでしょうね。悲しいお話です」
「……魔物、好きなんだ?」
「ええ」金星は薄く微笑んで頷く。「人間なんかより、よほど純粋で綺麗だと思います。まあ、理解されたことは一度もないのですが」
「そうだね。理解できないかな」
「一度、よく観察してみることをお勧めします。中でも神獣は素晴らしいですよ? 強く、気高く、そして何より美しい。神獣は、一種の芸術です」
理性的な物言いではある。だが同時に倒錯した嗜好であることも否めない。
さすがに魔物使いらしい発言だとは思ったが。しかし、果たして何が言いたいのか。
その答えは、すぐに金星自身が答えた。
「だから最後は、その神獣を模した魔物をお目にかけましょう」
その瞬間、迷宮を埋めていた魔物たちの身体が、一斉に空気へと溶け出した。
死んだというよりは、魔力に還ったという感じだ。魔力そのもので構成されている魔物が、その実体を失い魔力に戻り――そのままひとところに集まっていく。
おそらくは、そのまま一体の魔物として再生することだろう。多数の魔物が集まって生み出される以上、その力は先ほどまでと比較にもならない域に達する。
やはり召喚タイプではなく、創造タイプだったらしい。あの合成獣たちを見ていれば察しはつくが、確証までは持っていなかった。
やがて集まった魔力が、再び実体として現実に戻ってくる。
一体の、巨大な魔物の姿を取って。
形としては巨大な鳥か。だがその胴体はヒトガタに近い。色は金色で、翼だけが赤かった。
「――神鳥。稚拙な再現ですが、お祭りの最後に華を添えるくらいはできるでしょう」
「合成獣……」
「ええ。その一種であることは否定しません」
とはいえ、もはやその領域は超えている。出現が災害にたとえられるべき魔物だ。
本来ならば、魔術師が数十人単位で徒党を組んで、倒せないまでも撃退できるかどうかという存在である。もちろん本物ではない。所詮は劣化再現だが、脅威の度合いは充分だった。
だが、このときセルエは安堵していた。
なまじ量で攻められるより、相手が一体に絞られたほうが対処しやすい。
神の鳥が、セルエを狙ってその嘴を振り下ろす。
直撃すれば、貫かれるというより、もはや潰されるといったほうがいいくらいの体格差だ。
けれど――セルエ=マテノには通じない。
「――邪魔だ、どけ」
片手を挙げて、その巨体を受け止める。巨鳥の巨大な嘴を、セルエは片手で押さえていた。
口調が変わっている。今、セルエはその人格を、自ら別人格へと明け渡したのだ。
軽い挨拶をする程度の動きだけで、巨体の動きを完全に止める。そしてその腕を、彼女はそのまま下に向かって振り落とした。
ガルダの巨体が、迷宮の床に叩きつけられる。硬質な嘴が床に抉り込んで、巨鳥の動きが封じられた。瘴気で固められた迷宮の床を、セルエが腕力で突破したからだ。
続いてセルエは、片足を軽く後ろに振り上げた。まるで地面に置かれたボールを蹴り上げるみたいにして、ガルダの顔面を、そのまま一切の容赦なく蹴り上げる。床にめり込んだ嘴が、その勢いで外れてしまう。どころかそのまま巨体が浮く。質量の差を、重力を、運動量を、完全に無視したような結果だった。
宙に浮かんだ巨体を前に、セルエが腕を軽く引く。そして――、
「――極星、」
その腕を思い切り振り抜いた。
「破拳――!」
爆音が、たゆたう魔力ごと空間を轟かせる。
それは見た目には、言ってしまえばただの殴打だ。なんの特徴もないケンカパンチ。けれど、威力が常軌を逸していた。
硬い床に叩きつけられ、そのままの体勢で蹴り上げられた巨鳥は今、体勢が床と平行だ。
その脳天からセルエの打撃を受ける。
頭蓋骨が陥没した。衝撃波が脳天から足元まで突き抜け、巨鳥を縦に両断する。文字通り、力尽くで叩き割られたのだ。
ひとたまりもなかった。仮にも神獣の再現であるはずの神鳥が、ただの一撃で爆散させられたのだ。誰が見たっておかしい。
けれどセルエは、その結果を誇らない。本物の神獣ならばともかく、所詮は紛い物の防御力ならば、貫通できて当たり前としか考えていなかった。
完全に破壊された巨鳥が、魔力に還って霧散する。その光景を見たセルエは、そして同時にあることに気づいてこう呟いた。
「……あ。やっべ、逃げられた」




