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セブンスターズの印刻使い  作者: 白河黒船/涼暮皐
第三章 魔競祭事件
92/308

3-40『天才vs天災』

 メロは戦術を変えなかった。魔弾と転移盤を重ねた飽和攻撃を再開する。

 魔力開放が終了した時点でレヴィは戦う力を失う。そうなってはもう、メロの攻撃には抗えないだろう。

 だからレヴィは剣で狙う対象を、魔弾から転移盤へと変えた。その間は魔弾に対する防御が薄くなるが、纏う魔力は抵抗力さえ向上させる。数発掠める程度ならば、動きが止まることさえない。

 魔弾が前方メロからしか来なくなれば、近づくことも可能だろう。


 レヴィが駆ける。否、消える(丶丶丶)

 今の彼女の速度は、もはや転移魔術にすら等しい領域にあった。

 身体能力の強化。斬撃を具現化する魔弾の射出。魔力の余波による速度と防御力の向上。そして閉式鍵刃――複数の術式を、今の彼女は同時に行使できる。それが魔力開放の大きな効果だ。

 魔弾を躱し、その先に見えた転移盤を複数纏めて薙ぎ払った。その場で剣を振るうだけで、軌道の直線状にあった円盤が一刀のもとに両断される。斬撃の拡張。その攻撃範囲は、もはや剣士のそれではない。

 瓦解は一瞬だった。

 レヴィは魔弾より速く地を駆ける。転移する魔弾は出入り口の数を減らされ、彼女に追いつくことさえできない。

 それを見て取ると、メロはもう《北落師門(ファム・アル・フート)》に固執しなかった。術式の維持を諦め、軽く首筋に手をやったまま、色のない表情でレヴィを見やる。

 レヴィは立ち止まる。動かない。動けなかった。

 限界は刻一刻と迫っている。それはわかっている。攻めるチャンスを逃すわけにはいかないのだ。

 だが今の彼女でさえ――それでもまだ天災メロには及ばない。近づけてはいる。近いレベルにまで上がっている。

 それでも、まだ、届かない。


 小さな身体の《天災》を前にして。

 レヴィ=ガードナーは、未だ勝利への糸口さえ掴めていなかった。


「まあ、さすがと言うべきなのかな」

 メロが小さく呟く。レヴィは答えなかった。

「…………」

「そうでもなきゃアスタも……いや、それはいいや」

 妙に気になる名前が出てきた。出てきたが、突っ込んで訊こうとも思えない。

 ただどうにも不可解だ。この状況で、わざわざアレの名を出す理由がわからない。

 怪訝に思うレヴィを気にせず、メロは言葉を続けた。

「だいたいわかった。とりあえず最低限の実力はあるみたいだね。それは認める」

 上から物を言う、などといった反発をレヴィは抱かない。事実その通りだ。

 だから不思議だったのは、メロがまるで、こちらの実力を測っているかのような物言いをすることだった。能力ではなく性格として、彼女は自分より弱い人間に興味を持つようなタイプではないだろう。それくらいは見ていればわかる。

 単純に、彼女から最低限の関心を引き出せる程度には自らの実力を認められたのか。

 あるいは――それ以外の理由なにかがあるのか。

 知らずのうちに、レヴィはこう訊ねていた。


「貴女、いったい何を考えて……」

「別にー? まあ最近はいろいろと思うこともあるけどさ。あたしももう少し、強くなりたいなって思うわけ」

 魔術に名をつけたことも、その一環なのだろう。苦笑するほかない。

「それだけ戦えて、まだ上を見てるんだ」

「当たり前だよ。そのための切り札だって、だからあたしは持ってきた」

 メロに得意技――切り札と呼べるような術式はない。アスタが印刻を使うように、あるいはセルエならば格闘と混沌魔術、シグウェルなら魔弾というような、代名詞としての魔術がだ。

 魔術に名前をつけないとは、つまりそういうことである。

 あの魔法使いは、それがメロの弱点だと喝破した。

 それだけを真に受けたわけじゃない。それに、使う魔術を固定するということは、つまり事前に対策を取られる可能性も出てくるということだ。

 必ずしも、名をつければ強くなるというわけではない。その程度なら誰も苦労しない。


 ――けれど、魔術は意志の反映だ。

 己が望むところを為す。あらゆる魔術はその前提を持って存在する。

 自分にとって「これ」という、いわば必殺技を持っておくことには魔術的な意味があるのだ。

 まあ、何も。

 その必殺技が、ひとつでなければならないという決まりはなかったけれど。

 これまでに使ってきた魔術を思い出し、その中でも特に有用ないくつかの術式にメロは自ら名をつけた。その名前さえ口にすれば、いつでも最高のパフォーマンスで、それらを引き出せるようにするため。

 それが《全天二十一式ルール・オブ・オリジン》。

 そしてその中でも、特に強力な六つの魔術がある。かつて、メロが七星旅団セブンスターズの仲間にあやかって、皆の特性を反映するように創り出したものだった。


「次で、最後にしよう」

 メロが言う。その手に集まる膨大な魔力と、複雑すぎて意味さえわからない術式の流れを、レヴィはそのとき見て取った。

「単純な話。これを破ればそっちの勝ち、できなかったらあたしの勝ち」

「……それだけ、自信がある術式ってことなわけね」

「そうだね。なにせ――」

 メロが悪戯っぽく微笑む。歳相応の子どものように、無垢で澄んだ表情をして。

 

「これは、《最強》の二文字を背負う魔術師から貰った術式なんだから」

「――それは」

「エレ兄は言うよ。《勝ちたければ、最大火力の攻撃を最高速度で叩き込めばいい》。単純だよね、そう上手くいかないのに、普通なら」


 けれど。貫き通した信念には、力が、意味が、価値が宿る。魔術師ならば誰もが知る事実だ。

 あらゆる魔術を独自に再現するメロが、かつての仲間の特性を真似た魔術。


全天二十一式ルール・オブ・オリジン――第弐番術式きりふだそのに。青の魔術」


 瞬間、ステージを覆い尽くしていた転移盤が全て消える。

 それと入れ替わるように、直後、別の魔術がステージの上空に現れた。


 それは、竜のあぎとを模した、青白い一条の魔術砲台だった。

 死と破壊の具現たる最強の神獣――竜種ドラゴン

 魔術師メロ=メテオヴェルヌの最高火力。竜の息吹(ドラゴンブレス)の再現魔術。


 そのとき、レヴィは死を確信した。

 これは、無理だ。

 防ぐことなどできはしない。躱すことさえ不可能だろう。まして立ち向かうなど論外だ。

 この一撃は、ひとりの魔術師に使うようなものでは絶対にない。一軍を、あるいは都市ひとつを壊滅させるレベルの砲撃だ。いくらなんでもあり得ない。ここまでのレベルになると、もはや個人の戦闘技能などという範囲は完全に逸脱している。戦略兵器と比較するべきだ。

 だが、それでもメロはこの魔術を選んだ。

 レヴィが向けた視線の先で、宙に手を振り上げたメロの姿が見える。その表情はこちらをまっすぐに見据えている。果たしてレヴィがどう捌くのか。見せてみろ、と言わんばかりに。

 お前にはそれができるだろうと。

 天災の視線が語っている。

 そうまでされて、黙っていられほどレヴィは冷静になれなかった。折れかけていた意志が、力強さを取り戻す。諦めるなんて、それこそあり得ない選択肢だ。

 普通に考えれば無理に決まっている。こんな魔術は反則だ。今の自分では対処できない。


 ――だからどうした。

 今は無理なら、これから可能になればいい。


「――魔術師。レヴィ=ガードナー」

 知らず、レヴィはそう名乗っていた。そうするべきだと思ったから。

 メロはそれに答えるよう、小さく頷いて言葉を返した。

七星旅団セブンスターズ。《天災》メロ=メテオヴェルヌ」

「行くわよ、天災」

「来なよ、学生」


 レヴィが地を蹴り、そしてメロが腕を振り下ろす。


「――《竜星艦隊カノーポス》」


 そして、破滅の一撃が放たれた――。



     ※



 魔弾が発射される。否、それはもう《魔弾》などという言葉に留まるものではない。

 熱線だ。軌道上の全てを消滅させる、超高火力の破壊光線。魔術師が持つ魔力抵抗など、この術式を前には布の服にも劣るだろう。

 シグウェル=エレク。《魔弾の海》の真骨頂たる砲撃の模倣魔術。最強を約束する、ひとつの極み。

 その一撃を――レヴィは真正面から受け止めた。


「っ……ああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


 持てる魔力の全てを振り絞って、レヴィは剣を縦に振るった。

 切っ先から放たれるは白銀の魔力光。拡大された斬撃が、閉式鍵刃の術式と相まってメロの光線と激突する。

 剣ではなく、拡張した斬撃に閉式の効果を持たせることなど、レヴィにはこれまでできなかった。少なくとも、一秒前までの彼女には。

 だがレヴィ=ガードナーは、メロの期待に正面から応えてみせたのだ。

 斬撃と光線が拮抗する。剣を握る両の手に、渾身の力を込め続けた。

 一瞬でも気を抜けば、斬撃はあっという間に光へと飲まれることだろう。それでもレヴィの一撃は、メロの最大火力を受け止めるだけの力を持っていた。

 異常なのは、それでもメロのほうだろう。触れれば一瞬で魔力を閉じる剣。その術式に、メロは膨大な魔力量でもって対抗する。ガードナーの歴史を背負う術が、ただの力押しに拮抗されては笑えない。

 密度が高すぎるのだ。触れた先から魔力が閉じていくことに変わりはない。だが、あとからあとから放出される魔力が、閉じていくそれに拮抗する。閉じた分だけ出せばいい。単純だが、そんなものは本来、対抗策とは呼べないだろう。


 魔力の反動が、レヴィの両腕に裂傷を走らせる。

 それでも彼女は一瞬だって気を緩めない。少しずつ押されていく斬撃を、ただ必死に前に送り続ける。

 だが――振り抜けない。

 剣が重い。魔力は凄まじい速さで減って行き、限界はもう目の前にあった。

 けれど、諦めるなんて絶対にできない。

 前に。ただ前に。

 魔力は限界だ。斬撃の拡張に、閉式鍵刃の維持に、身体強化に。全ての魔力を回している。

 それでも足りないと言うのなら――反動なんて構うものか。

 さらにもうひとつ足せばいい。


 刹那、レヴィの背から翼が生える。


 錯覚だ。それは単に、背中から放たれる膨大な魔力流が、形を成してそう見えただけに過ぎない。

 それでも意味はあった。この土壇場で、レヴィは新たな魔術を編み出したのだから。

 術式と呼ぶには、その魔術には粗が多かった。身に纏う魔力を、そのまま物理的なエネルギーとして全身をブーストしているだけなのだから。両の肩甲骨付近から魔力が吹き出し、前へ、前へとレヴィの背中を押している。

 そして――。


「――やるじゃん、レヴィ(丶丶丶)


 剣を、振り切った。莫大な力を持った光線が、レヴィの斬撃で両断される。

 やりきった――そんな安堵を覚えた彼女を、責めることなどできないだろう。かの《天災》の本気に正面から競り勝った事実を、褒められこそすれ貶される謂われはない。

 だが結果から言えば、その油断が問題だった。

 気を抜いた刹那、意識がふっと遠のいていくことをレヴィは自覚する。

 意志はまだ倒れるなと叫んでいる。勝負は終わっていない。足を前に出せと精神が声を張り上げていた。

 けれど、もう、肉体のほうが限界だ。

 全ての魔力を使いきり、レヴィはそのまま前のめりに倒れていく。力を失っていく全身に、抗うことなんてできなかった。

 それでも、レヴィはまだ相手を見据え続けていた。剣を乱暴に地面へ突いて、倒れる身体の支えにする。けれど、そんな反抗で稼げるのは、せいぜいが数秒ほどだろう。

 けれど。最後の言葉を確認できたのは、きっとそれが理由だった。

 狭まっていく視界の先で、レヴィはメロが口を開くところを見る。放たれたその言葉を聞く。


「魔力が切れましたー。降参しまーす」


 ――ふざけるな。そんなことが、認められるものか――。

 思いは言葉にならなかった。もう口さえ動かせない。目を開いていることさえ限界だ。

 ゆっくりと閉じていく瞼。レヴィは、そこで意識を手放した。


 二回戦第三試合――勝者、レヴィ=ガードナー。



     ※



 目覚めたとき、レヴィは医務局の寝台ベッドに寝かされていた。

 看護役の教員がちょうど訪れ、経緯を聞かされる。どうやら、実に小一時間近く意識を失っていたらしい。

 幸い、負傷自体は大したものではないようだ。尽きた魔力も明日には回復するという。

 感情を押し殺し、教師に礼を告げてから外に出る。

 曇り模様だった空はついに泣き出し、大粒の雨がオーステリアを濡らしていた。

 暗い灰色を見上げながら、レヴィは目を閉じて脱力する。全身は一瞬でびしょびしょになったが、まるで気にもならなかった。


 ――負けた。

 負けた負けた負けた負けた負けた――。


 試合の結果としては勝利だ。メロの降参は規則ルール通りに処理され、レヴィの準決勝進出はすでに決まっている。騒いだところで、それが覆ることはない。

 だが、喜ぶような気持ちはまったくなかった。

 気分はおよそ最悪だ。今にも叫んで、どこかへ飛び出していきたい気持ちを、理性が抑え込んでいるに過ぎない。

 思い返せば、あの天災は終始、レヴィを試すかのように振舞い続けた。限界まで追い込むことで、まるでこちらを鍛えているかの如く。

 最初から最後まで、完全に掌の上だったのだ。

 認めてはもらえたのだろう。だから天災は勝利をくれた。

 それは本来、誇るべきことなのかもしれない。敵わないことなんて初めからわかっていた。それでもルール上の勝利を得るために、割り切って戦うと決めたのだから。

 嘆くべき理由は一切ない。

 レヴィは、当初の目的を達成している。


「……だって、いうのに……っ!」


 握り込む手に力が増す。自分の肌を爪で裂いてしまいたい。

 流れて滴る雨粒が、亜麻色の長い髪を、火照った肌を、上を向く顔を濡らし続ける。誰の姿もない暗い場所で、レヴィの全身を雨が打っている。

 魔競祭の客たちは、降り始めた雨を避けるためすでに会場から消えている。そうでなくとも、天を振り仰ぐレヴィの表情は、髪と雨に隠されて窺い知ることができなかった。

 いつまでも。いつまでも。


 土砂降りの雨が、勝者の身体を冷まし続けていた。



     ※



 試合後、俺はアイリスとともに煙草屋へと戻った。降るだろうと思っていた雨が、ついに空から落ちてきたのだ。

 結局、試合はレヴィの勝利で終わった。経緯はいろいろあったものの、おおむね俺が想定していた通りの過程を通って。

 元よりメロにはもう、魔競祭で勝ち進む積極的な理由がない。俺がそれを消したからだ。

 ああまでして試合に勝った俺を見ては、メロももう参加し続ける気にはなれない。実力で勝てない相手から、それでも勝利を奪うためには――意欲を削ぐ以外になかった。

 もっとも、メロが最後まで試合を続けたのは予想外だ。

 彼女にも思うところがあったのか。あるいは俺が肩入れするレヴィを、あいつなりに見極めようとしたのかもしれない。詳しいところなど、想像するよりほかにないのだが。


 ――レヴィは怒るまい。

 感情では、きっと納得できないはずだ。けれど、それを措いても勝利を優先すると決めたのはレヴィ本人なのだから。その上で他人に当たるような真似を、彼女は自分に許せない。

 こんな方法は、彼女には似合っていないと思うのだけれど。

 レヴィがそう決めた以上、共犯者である俺が投げ出すわけにはいかなかった。


「……まあ、何が正しいのかなんて、わからないしな」

「アスタ……?」

 思わず呟くと、アイリスがきょとんとした表情でこちらを見上げてくる。

 なんでもないよ、と笑って告げ、彼女の頭を軽く撫でた。本当に、いつも助けられている。


 煙草屋に親父さんの姿はなかった。またぞろ魔競祭の余韻から離れられず、飲み仲間のおっさん連中と夜を徹するつもりなのだろう。

 聞いた話、この街には《オーステリア青年団》なる秘密結社(という名の酒飲みの集い)があるらしく、親父さんはその一員なのだとか。若くても四、五十代の男どもで結成されているとの話で、正直どの辺が青年団なんだ、とは思うのだが。こういうのは、突っ込んだほうが馬鹿を見る。

 適当に夕食をふたりで頂き、自室に戻って落ち着いていた。

 明日は準決勝――そして夜には決勝だ。結局、なんだかんだで勝ち上がってきてしまった。

 レヴィとクロノス戦に関しては、正直なところ何も言えない部分だろう。俺は一切関知できない。まあ《閉式鍵刃》がある限り、レヴィ有利は間違いないだろうが。

 おそろしいのは、クロノスが魔術らしい魔術をほとんど使っていない部分である。結局、どう転ぶかはわからない。

 ――それ以上に心配なのは、最終日、七曜教団の連中がどう出てくるのかという部分だった。

 俺は漫然と時間を潰す。外で煙草でも吸ってこようか、と思ったところで、ふと階下から届く控えめなノックの音に気がついた。


「ごめんくださーい!」


 同時に聞こえた、若い女性の声。親父さんの客だとは考えにくいが、さて。聞き覚えがあるような気はするのだが、では誰かと考えても思い出せない。

 アイリスはきょとんと首を傾げているだけで、別段の警戒を見せていなかった。彼女の危機察知能力に対し、俺はすでに一定の信頼を置いている。アイリスが何も言わないのなら、悪意ある訪問者ではないと思うくらいには。

 というわけで大きな警戒はせず、俺は部屋を出て玄関に向かった。


 ――そう。

 この時点で気づけなかったことが、俺にとっては痛恨と言っていいミスだった。


「はーい。今、開けまーす」

 軽く言って俺は戸を開く。そして煙草屋の玄関の外に、想像通り、ひとりの少女の姿を見つけた。

 もっとも、想像通りだったのは性別だけだ。あとは完全に想定外である。

 なにせ、そこにいたのは――、


「来ちゃっ……た♪」

「…………」


 銀髪金眼。そして震えるほどの美貌。その人物が誰なのか、俺は初めから知っていた。

 だから。

 俺は反射的に扉を閉める。

 うん。問題ない。だって今のは幻覚だから。


「ちょ、ちょっとー!? その反応はあんまりなのではー!」


 どんどんと扉が叩かれる音。……ああ、駄目だ……これ幻覚でも妄想でもないな……。

 現実逃避し続けるのも馬鹿らしくなり、俺は嫌々、かなりゆっくり扉を再び開く。

 少女は、何ごともなかったかのようにもう一度言った。

「来ちゃ――」

「やり直すんじゃねえよ」

 瞬間、目の前の少女の肩をがっと掴み、

「わひゃっ!?」

 狼狽える彼女に一切構わず、そのまま室内へと引き入れて戸を閉めた。

 こんなところ、他人に見られたら首が飛ぶわ。文字通り。

「きゃー! アスタ様ったら不敬、ふーけーいーっ!」

「嬉しそうに言うのやめてもらっていい?」

「アスタ様ったら大胆なんだからー」

「やめて」

 不愉快極まりない妄言を吐く女に、俺は醒めた視線でもって答える。というか問う。

「なぜいる……?」

「会いたかったからですよ?」

 何を当たり前のことを、とばかりに宣う少女だった。俺はもう頭痛しか感じない。

 頭が重くなってきたので、ちょうどいいとばかりに下げた。膝を突き、頭を垂れて俺は言う。


「――このようなところにいらっしゃるなど。お戯れが過ぎます、エウララリア様」


 それが、目の前の少女の名前だ。

 この国の第三王女たる、エウララリア姫殿下その人。最も尊い血を引く者が、何を迷ったか場末の煙草屋に現れたのだ。

 今さらのように敬い始めた俺に対し、エウララリアは酷く狼狽した。


「ちょ、やめてくださいそれ! すみません、ちょっと調子に乗っただけなんです! だから頭下げるのやめてくださいっ!」

「なぜ敬われると嫌がるんだ……」

「もっと不敬に! もっとぞんざいに! なんなら罵倒してくださっても――」

「わかった。わかったから不用意なこと言うのやめてもらっていい?」

 はあ、と溜息をついて立ち上がる。止めなければ、何かとんでもないことを言い出しかねなかった。

 一応は既知の間柄だ、だから俺もわかっている。仮にも王族に対して取っていい態度ではないのだが、「敬うな」と言われてはどうしようもない。


「……とりあえず、俺の部屋に来い」

「いいんですか!?」

 食いつかないでくれないかなあ……。

 誰かに見られたらコトだ、という意味でしかない。まあ見張りはいるだろうが。

「本当、何しに来たんだよ」

 一般市民の俺と、王族の姫がこんな間柄であることなど、知れ渡っては大問題というレベルでさえないのだが。

 一応の変装はしているようだが、本当にもう、どうしてこうなったのやら。

 多少なりとも落ち着いたのか、エウララリアはこほん、と咳払いをしてから言う。

「魔競祭の観戦に来ました。まあ、名目上は、ですけど」

「……本当は?」

「嫌だな、わたしの口から言わせるんですかー? わかってるくせにー」

 このこのー、と肘を向けてくる王女。

 ……いや、うっぜえー……。

 俗に染まりすぎている。じゃじゃ馬と評されるのも無理はない。


「も、ち、ろ、ん! アスタ様に会いにきたに決まってるじゃ――」

 言いかけたエウララリアの言葉を、物理的に止める。

「本題を言え」

「――いたたたたたたたたっ!?」

 思わずアイアンクローを決めてしまう俺だった。普通なら不敬罪で首が飛ぶ。

 だがエウララリアは普通じゃない。俺の周りに普通の奴などいない。なんなのもう。

「きゃーっ! 不敬っ、不敬ですーっ!! きゃーっ!!」

「だから嬉しそうに言うな!」

 俺にこめかみを掴まれ、ぐわんぐわんと揺らされた少女が本気で嬉しそうだった。こわい。

 もう呆れ果てて手を離した。話が進まないにもほどがある。

 エウララリアはしばし「あいたたー……」と頭を押さえていたが、さすがにまずいと思ったのか、表情を正して本題に移る。


「……こほん。というわけでアスタ様、お久し振りです」

 その様子はさすがに一国の王女だけあって、堂々とした威厳に満ちている。

 なぜこれを最初からやってくれないのだろうか。

「ああ、久し振り。最後に会ったのは……解散の前だったか」

「その節はありがとうございました。アスタ様へのご恩は忘れておりません」

「……恩返しは充分貰ったさ」

「まさか。命の恩を、そう簡単に返せるものでしょうか」

「……で? その話を持ち出すってことは、何か厄介ごとか?」

「そう、なりますね……」

 エウララリアが、言いづらそうに視線を伏せる。初めに妙なテンションだったのは、あるいは言いづらいことを言いたくなかったせいなのかもしれない。

 と、考えるのは穿ちすぎだろうか。

「…………」

 そのとき俺は結界の端に、誰かが引っかかるのを感じていた。おそらくはエウララリアの護衛だろう。結界にわざと引っかかって、俺に存在を知らせたらしい。

 それには気づいていないのか、エウララリアは続ける。

「アスタ=プレイアス様。貴方を、わたしの友人と見込んで依頼があります」

 王族としてではなく。ひとりの友人としてお願いがあるのだとエウララリアは言う。

 立場を笠に着たくないという、彼女なりの心遣いだった。そうでもなければ、身分を超えて友人になることなどできなかっただろう。

 エウララリアは続けた。


「わたしとともに、王都まで来てはいただけないでしょうか」


「……どういう意味だ?」

「お礼ならいくらでも。なんなら、わたしの身体だって構いません」

「お前……」

 先ほどのように、冗談で言っている風ではない。彼女は身体を震わせ、両腕で肩を抱いている。

 そう。エウララリアは、明らかに怯えている様子だった。

 その予想が正しいことを裏づけるように、彼女はこう言葉を続ける。


「先日のことです。一番目の《魔法使い(イプシシマス)》が――遺体で発見されました」


 雨音が、安普請の壁から響いていた。

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