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セブンスターズの印刻使い  作者: 白河黒船/涼暮皐
第三章 魔競祭事件
90/308

3-38『二回戦第三試合』

 息を吸い込む。

 湿った空気が肺に流れ込んだ。魔競祭のステージの上で、フェオは雨の気配を感じている。

 ――そろそろ降りそうだ。

 そんな感覚がある。昔から、こういった空気の変化には敏感なほうだった。

 もっとも、雨が降ったところで結界に覆われたステージも客席も濡れることはない。試合に影響を及ぼすことはないだろう。


 彼女は前方に、対戦相手の姿を見つける。

 ――クロノス=テーロ。

 一回戦において、異常なまでの力を見せつけた優勝候補の一角。正直、確実に勝てるとは言い切れないだろう。

 元より、そこまで強く勝ちたいと思うのかを問われれば、フェオは答えに迷う。

 負けようとまでは考えていないし、勝てたらいい、という程度の欲望がないとは言わない。ただ今の彼女には、何を措いても勝ちたいというほどの欲求がなかった。

 ほんの少し前までは、あれだけ強くオーステリアの学生に対抗意識を持っていたというのに。

 あのときまでの気持ちはもう、どこを探しても見つからない。

 あるいは単に、敵意の矛先が七曜教団へ変わってしまっただけなのかもしれないが。


 ――しかし。

 それは逆に言えば、あれだけの力を見せつけられてなお、フェオは《確実に負ける》とまでは考えていないという意味でもある。

 元より怪物退治は人間の――冒険者の領分だ。つまりフェオの本業だと言っていい。

 もっともフェオが純然たる人類種かと問われれば判断に困るところなのだが、それはきっと、同じく相手にも言える(丶丶丶丶丶丶丶)ことではないのかと彼女は考えている。

 もし本当に、クロノスがフェオの考えている通りの相手ならば。

 自分にも、勝ち目があるのではないか――。


『それでは魔競祭二回戦第三試合――開始っ!』


 シュエットが叫ぶと同時、フェオは剣を抜き放った。

 銀色に光る刀身に、鬼の姿が映っている。



     ※



 開始直後、両者は睨み合ったまま動かなかった。

 目の前のクロノスは、いつもと同じ何を考えているのかわからない無表情だ。その身から膨大な魔力を垂れ流したまま、構えるでもなく棒立ちしている。

 余裕なのか、何も考えていないのか。

 いずれにせよ近づくことだ、とフェオは思う。相手が近接に特化した能力だろうと、それに合わせて遠距離戦を選べる器用さが彼女にはない。

 しばし考えてから、フェオはふと自分の親指を薄く噛む。ほんの少しだけ裂かれた肌から、紅い雫がひと粒だけ流れ出た。

 自らの血液を、銀の刀身にそっと塗る。

 そこに内包されていた魔力が、染み渡るように刀身へ術式を刻み込んだ。


「――――」


 そのとき、初めてクロノスが反応を見せる。

 わずかに瞳を細めただけ。おそらく客席からでは誰も気づかなかっただろう。

 それでもフェオにとっては充分な反応だと言えた。少なくとも、勘を補強するくらいの意味はある。

 いずれにせよやることは変わらない。

 魔力の通した剣をひと振りし、それからフェオは駆け出した。


「――――シッ!」

 ひと息のうちに肉薄し、剣を横に一閃する。その速度は、単純な肉体運用の程度で見れば、魔競祭参加者の中でも上位に相当するだろう。

 しかし――きっとその程度ではクロノスに及ばない。

 溢れるほどの魔力を持つこの男は、その程度の一撃など躱す必要さえないはずだった。


 本来ならば。


 だがクロノスは、フェオの一撃を回避した(丶丶丶丶)

 今までの緩慢な動作とは違い、いつ動いたのかさえわからないほどの速度で上体を引く。

 それはフェオの剣閃が、クロノスを傷つけるに足るという何よりの証左だ。そして攻撃が通じるのであれば、あとはどちらが先に一撃を加えるのかの勝負になる。

 二閃、三閃――フェオは続けざまに剣を振るう。

 それをクロノスは、持ち前の身体能力でもってさらに躱す。だが能力値としてはともかく、単純な武術の腕ならばフェオのほうに分があった。

 首に向かう横薙ぎがクロノスを襲う。身を引いて回避するクロノスだったが、続いて足元を右腕の剣からの刺突が狙った。標的となった左足を庇うように、さらに半身を捻るクロノス。

 その脇腹を、突きから繋げられた殴打が襲った。

 フェオが持っていた剣の柄で、彼の脇腹を打ったのだ。

 勢いに押されるクロノス。もちろんこの程度ではダメージにならない。だがほんの一瞬、わずかに生じた隙を突いて、そのまま柄を両手に握ったフェオが勢いを殺さずに刃を振るう。


 ――風を切る音が空間に響いた。


 クロノスの頬から、わずかに赤いモノが流れる。

 躱しきれなかった切っ先が、彼の肌を薄く裂いたのだ。

 まるで連撃の演舞が如く、フェオが回転してさらにもう一閃、剣を振るう。それに、今度はクロノスも応戦した。

 言葉で言えば、単純の右手の殴打。

 だが圧倒的な膂力から放たれるそれは、もはやひとつの攻撃魔術にも等しい。武器を持つフェオのほうが跳ね返され、ふたりの距離がわずかに開いた。

 ちょうど、剣の間合いから外れる程度に。


「……気づいたのかい?」

 離れたところで、クロノスがふとフェオに訊ねた。

 言葉の省かれた問いではあるが、彼女には意味が理解できていた。

 答える必要はない。

 だが答えない理由もなかった。しばし迷った末、フェオは小さく口を開く。

「アンタ……血に何か混ざってる(丶丶丶丶丶)んじゃない?」

「正確に言えば違いますが」クロノスは動かない。「似たようなものではあります。……そうですか、貴女も」

「先祖に吸血鬼がいたらしくてね。だからって、特に意味はないけど」

「なるほど。生憎と僕は、そこまで真っ当な(丶丶丶丶)ものではありませんが――確かにその術式ならば、僕を傷つけるには足りますね」

「真っ当なものじゃ、ない……?」

 言葉の意味がわからず、フェオは自然と首を傾げていた。

 とはいえ、クロノスは言葉の意味を補足するつもりがないらしい。別の話題を口に出す。

「……《魔物殺し(デモンズスレイヤー)》。魔物特効の術式ですか。そういえば、貴女の本業は冒険者でしたね」

「降参するって言うなら、聞くけど」

「いえ」

 フェオの言葉に、クロノスはくすりとも笑わずに答える。

 本当に自然体のまま、提案をただ断ったという風に。


「――特に問題はないでしょうから」


 そう、ひと言呟いた。

 その瞬間だった。

 クロノスの身体から溢れ出ていた強大な魔力が、さらにその脅威を増したのは。

 膨大な魔力は、それだけで生物にとっては害悪となる。考えての行動というよりは、ほとんど反射で、フェオは背後へと飛び退った。いっそおぞましいほどの魔力流に、本能のほうが先んじて恐怖を感じ取ったのだ。

 それが功を奏したのだろう。

 直後、フェオがそれまで立っていた地面に、穿たれたような大穴が開く。そして、それよりあとになって(丶丶丶丶丶丶)から、クロノスの拳が穴の真上から叩き込まれた。


 強風が、身を躱したはずのフェオを襲った。ステージに巨大な大穴が穿たれ、床石の下の地面が見えた。

 魔力によるものではない。クロノスの動きの余波によって巻き起こったのだ、それは文字通りの衝撃波だった。

 目にも留まらない高速の動き。それが魔術によらず、ただ身体能力によってのみもたらされたということは、結果を見ればはっきり知れた。

 その事実が、これまで冷静だったフェオに怖気を走らせる。


 仮に魔術を使っているのなら、この程度の破壊は驚くに値しない。過程はともかく、結果としてならばフェオにだって同じことができるだろう。

 だがクロノスは魔術を使っていない。

 より厳密に言えば魔力ならば使っている。だが、それは術式として構築された魔術ではなく、ただ肉体の内に巡らせて身体性能を向上させているに過ぎない。

 地面に届くより速く、ただ拳圧だけで会場を砕き割るクロノスの膂力。

 魔術師として強いウェリウスや、理解できない能力を誇るアスタとは違う。理解できるからこそ異常な、それがクロノスの能力だった。


 地面を砕き割ったところで静止したクロノス。その全身が、またしても掻き消えたように目の前から消える。

 フェオは、これもまた反射と勘だけで、咄嗟に剣を前に振るう。

 ――鋼鉄を斬りつけたかのような反動を感じた。

 中段から振るわれたフェオの剣を、クロノスの拳が真正面から迎撃していたのだ。

 剣が、拳に弾かれる。

 刃を殴り飛ばされたフェオは、そのまま体勢を崩して後ろへと弾かれる。崩れた上体を追撃するクロノスの拳――それを躱すことができたのは、フェオの経験があってのものだろう。

 剣士として格上のシルヴィアと、ずっと戦い続けていたからにほかならない。

 崩したバランスに逆らわず、フェオはそのまま後ろへ回転するように倒れ込み、左手を軸にして後転するように距離を取った。足を地面につけた瞬間、姿勢を起こすのに合わせて剣を振り上げれる。

 クロノスは、自らの肉体でそれを受けた。腕を盾に斬撃のダメージを殺しきる。

 本当に金属でできているかのような感触だ。刃が生身の肌に通らない。その時点で、たいていの剣士は絶望する以外にないだろう。

 もちろんフェオは凡百の戦闘者ではなかったし、そもそも純粋な意味での剣士でさえない。

 彼女はあくまで冒険者であり――ひいては魔術師なのだから。

 剣が通じないならば、次は魔術を使えばいい。


 クロノスが右腕を突き出した。

 言葉にすれば、それは単なる《パンチ》でしかないだろう。だがクロノスの一撃に込められた威力は、それこそ魔術の域にある。控えめに言っても、フェオが撃つ魔弾よりは威力が高いだろう。

 そもそも魔力でできた攻撃は、ある程度まで魔術師には威力を減衰される。

 だからこそ魔競祭のようなイベントが成り立つのだが、それはあくまで純粋な魔力を用いた攻撃の話であり、物理的な実体を持つ攻撃には通用しない。

 だから武器や格闘を使うのだし、だから元素魔術の威力が高いのだ。現象である魔術より、エネルギーである元素は物理的な影響力が大きい。


 首を逸らして、顔面を狙う打撃を回避する。

 遅れた髪の先が巻き込まれ、数房を失ってしまった。ここまでくると、打撃を通り越して砲弾に近いだろう。迷宮で見た旧七星旅団セブンスターズの一角、セルエ=マテノをフェオは思い出していた。

 クロノスの膂力は、あるいはセルエのそれにすら匹敵するだろう。

 仮に光明があるとすれば――、


「――――ッ!」


 お返しとばかりに、フェオは身を屈めて右回りに回転すると、足首を狙って剣を振るった。

 クロノスは持ち前の身体能力で、軽く飛び上がって攻撃を躱す。回避したということは、換言すれば通じるということだ。金属にさえ思える彼の肉体の硬度も、場所によっては脆い部分があるということなのだろう。

 宙に浮くクロノスの身体。

 それは隙だ。その一瞬の狙い目を逃さず、フェオはクロノスの腹部に蹴りを放った。

 ――驚くほどに硬い。攻撃が通じたとは思えなかった。

 だが威力を殺されたとしても、運動力までゼロになるわけではない。まして踏ん張りの利かない空中でのことだ。クロノスの身体が後ろへと飛ばされる。

 そう、それがクロノスの弱点だ。

 身体能力が高い一方、何か武術を修めているというわけではないらしい。技術でいえばピトスやレヴィ、下手をすればウェリウスにさえ劣るレベルだ。フェオとは比ぶべくもない。

 ダメージはなかっただろう。だが、隙としてはそれで充分だった。


 距離を取ると、フェオは先ほど散らされて地面に落ちた自らの髪を、軽く剣で斬りつける。

 血液と、そして毛髪。しかも穢れのない女性のそれとなれば、魔術の媒介としては効果が非常に高くなる。この手の意味づけは、たとえ牽強付会だったとしても価値つよさを持つ。

 元より近接型の魔術師は、砲台型とは違い隙の大きな大魔術を使うタイプではない。

 身体能力と格闘技術で隙を生み出し、効果は小さくとも速度のある魔術で決定打を見出すのが本領だ。

 二重の媒介によって、フェオの剣はさらに強化される。その場にあるものをそのまま利用する。どこかの誰かの物真似だった。

 フェオが、魔術を帯びた剣を振るう。

 銀閃が虚空を斬り裂いた。


 剣が当たる間合いではない。だが剣士ではなく魔術師ならば、飛び道具くらいは持つものだ。

 振るわれた剣の軌道が、目に見えない衝撃波となって飛んでいく。

 たとえるならば鎌鼬――刃の軌道が、そのまま切断力のある魔弾となってクロノスに向けて飛んでいく。

 感覚で、その脅威を感じ取ったのだろう。クロノスは、交差させた両手で身体を被った。

 しかしいくら彼の肉体が異常とはいえ、フェオの魔術を完全に生身で受け止められるかと問われれば不可能だ。

 目に見えない刃に刻まれ、クロノスの両腕から赤い血が流れ出た。

 その程度で済んでいることが異常といえば異常だが、ともあれダメージはあったのだ。

 そして――それだけではない。

 瞬間、クロノスががくりと膝をついた。

 その両目がわずかだけ揺れる。外からではわかりにくいが、どうやら驚いているようだ。


「……麻痺。《雷》……!」


 それがフェオの魔術属性だった。元素魔術師でなかったとしても、あらゆる魔術師は属性に対する適性を持つだけは持っている。そして、それは元素魔術以外(丶丶)の適性にもかかわるものなのだ。

 あらゆる魔術師は、生まれもっての魔力の《属性》と《特性》に適性を左右される。アスタですら《火》と《水》の二重属性を持つだけは持ってはいるのだ。通常の魔術が使えないせいで、なんの意味もないというだけである。

 雷は、その中でも《木》や《金》と並んで稀少な属性だ。

 全てを兼ね備えているウェリウスのせいで、なんだか大したことがないように感じられるかもしれないが。本来なら充分、珍しい才能を持っていると言っていい。


 魔術師フェオ=リッターは、《火》と《雷》の二重属性を生まれ持っている。


 当然、ここで攻め手を休めるフェオではない。あらゆる魔術は、初見のときが最も大きな効果を持つものだ。

 ――何よりここで勝負を決めなければ、おそらく自分は……。

 バチ、バチッと。火花が弾けるのに似た音が、フェオの持つ剣から響いている。

 ――いや、剣からだけではない。

 いつの間にか、フェオの全身がバチバチと静電気のように稲光を発していた。雷を纏った肉体が、そして剣が活性化され、彼女の全力をここに発揮する。


 そして――フェオは飛び上がった。


 身長に数倍する高度まで、ただ一度地を蹴るだけで至ったフェオは、そのまま空中で身を躍らせて剣を振り下ろす。

 かつて迷宮で土人形ゴーレムを相手に見せた、速度と火力を併せ持つフェオの切り札。

 その威力は、上に打ち出すよりも、下に振り下ろすほうが強い。


「――《飛雷剣・武雷鎚タケミカヅチ》」


 神々の怒りにたとえられる落雷が、魔競祭の会場に振り落とされた。



     ※



『き、決まったあ――ッ!! フェオ選手の剣から撃ち出された、雷属性の魔術斬撃! まさに雷速! まさに神鳴り! 優勝候補のクロノス選手も、この直撃には堪えられないか――!?』


 シュエットの実況に煽られて、客席の盛り上がりも頂点ピークに達する。

 魔術の打ち合いだった前の二試合とは打って変わって、見た目に派手な近接系魔術師同士の削り合いに、観客たちもさらなる盛り上がりを見せていた。

 レベルで言うなら、それでもアスタとウェリウスの試合のほうが上だろう。クロノスの格闘能力は褒められたものではない。同じ学生会のシュエットはそれを知っている。

 だが、ここまでのレベルになると、もはや観客にはどちらも『すごい』ということしかわからないだろう。目に見えない戦術よりも、目に見える派手な光景を彼らは好む。


 観客たちは、これで試合が終わったように思っただろうか。

 実際、非のつけどころもない一撃だった。あれを真正面から受けて、無事で済む学院生が果たして何人いることか。躱すとか防ぐとか、あるいはそもそも撃たせないならばともかく、直撃を受けては敗北も免れないと思う。

 それでも――シュエットにはクロノスの無事を信じている。

 というより知っていたのだ。あの男が、この程度で(丶丶丶丶丶)負けるはずがないと。


 果たして。

 目を潰す雷光が消えた先には、クロノス=テーロが無傷で立っていた。


 傷を受けなかったわけではないのだろう。纏う服がところどころ破けている。それでも腕の学生会腕章が焦げていない辺り、あるいは彼は庇ったのかもしれない。

 いずれにせよ、それだけの余裕があった、ということだろう。

 驚異的な膂力や、膨大な魔力量に誤魔化されてはならない。クロノスの本質はそこではない。

 彼が最強を謳われたのは、何よりその防御力があってのことだ。


 シュエットは思う。《天災》やウェリウス、そしてアスタたちの試合を観て、彼女は確かに驚いた。彼らのレベルは誰が見たって異常だ。

 だが驚きこそすれ、受け入れることができないわけじゃなかった。中にはそんな人間もいるだろう、と。感想としてはその程度だったのだ。

 なぜなら。


 彼女もまた――クロノス=テーロという《例外》を知っていたのだから。



     ※



 無傷のクロノスを前にして、さすがにフェオも舌を打つ。

 何がおかしいって、《無傷》というその部分がすでにおかしいだろう。先ほどの一撃を抜きにしたとしても、だ。

 なぜなら彼は、すでに頬や腕に傷を負っていたはずなのだから。いつの間にか、その傷さえ消えているという光景を目の当たりにしては驚かないはずもない。

 ――治癒魔術師だった、わけじゃないよね……。

 学院に入学してほとんど期間が経っていないフェオだが、いくらなんでもクロノスが治癒魔術師ならば知らないということはないだろう。何より彼は、全ての試合を通しても、まだ魔術らしい魔術を一度も使っていない。


「……さすがに、今のは驚きましたね」


 クロノスが、呟くようにそう零す。嫌味には聞こえなかった。

 同時にフェオは思う。彼は、想定よりもさらに人間から遠かった(丶丶丶丶丶丶丶丶)


「回復……いや、というよりは復元……?」

 どこか水星の能力にも似ていたが、まったく別の理屈だろう。

「ええ。魔力さえある限り、私の傷は勝手に戻る(丶丶丶丶丶)

 それは《治る》というよりも《直る》に近い。

 異常な膂力。そして魔物の如き復元力。

 そのふたつを相持つ存在を、フェオはひとつしか知らない。


「……《鬼種オウガ》」

「ええ。僕は、鬼の先祖返りです」


 それが学院の鬼才の正体だ。

 彼はそのもの――肉体に鬼の血を持っている。

 フェオと同じ、神獣クラスの魔物の特性。だが彼はフェオと違い、その能力をほぼ完全に覚醒させている。

 気づけば、クロノスの纏う魔力の量が増えていた。

 戦闘開始から消費したはずの魔力が、なぜか最初よりも多い。その理由に、ようやくフェオは思い至っていた。

 周囲の空間に漂う魔力が、いつの間にか枯渇しているのだ。

 生物が持つ魔力だけではなく、どの空間にだって使われていない魔力は存在している。


 彼は――それを全て自分の魔力として吸い上げていた。

 魔力さえあれば、彼は身体を復元させる。それは鬼に固有の特性というより、そのもの魔物が持つべき能力である。

 魔物に対する特効魔術が、強く影響するわけだ。彼は人間というよりも、もはや魔物のほうに近い。仮にフェオが完全に吸血種としての特性を覚醒させても、ここまでにはならないだろう。

 クロノス=テーロは、ただの先祖返りでさえなかった。


 だが、今さらそんなことがわかっても意味はない。攻撃はほとんど通らず、通ったところで復元され、何より彼は――おそらくまだ本気さえ出してはいないのだから。

 何より世界に流れている魔力は、個人が持つそれより遥かに多い。

 垂れ流しにできるはずだ。

 なくした魔力など、空間から汲み上げればいくらだってクロノスは補充できる。

 水星とはまた違った意味で。

 クロノスを敵に回すということは、周囲の空間せかいそのものを敵に回すと同じだった。


「――では。今度はこちらから行きます」


 クロノスが、気づけば目の前に立っていた。

 その言葉が届くよりも早く、彼はフェオとの距離をゼロに変えている。

 認識する暇さえない。


 ――鬼の片腕が、無造作に振るわれた。



     ※



 ――二回戦第三試合。

 血を吸う鬼と、血を吸わない鬼の試合。


 勝者――クロノス=テーロ。

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