1-08『魔法使いの弟子ふたり』
「――《防御》ッ!」
その瞬間、俺は反射的に所持していた護符のひとつを起動した。呪言に反応して右手の腕輪が――そこに刻まれた《Y》の文字が――現実世界に干渉する。
眼前に現れた不可視の防壁。それが飛来する火球を防ぎ、散らす。
ぐっ、と魔力が身体から溢れていく感覚があった。
魂魄を炉心に、精神を回路に、肉体を変換機にして。精製された魔力が奔る。
目の前で弾ける火の勢いが、俺の髪やローブを揺らした。熱量と焦りに汗が噴き出る。
「おい……なんのつもりだ!」
俺は叫んだ。当たり前だ。
もし今の攻撃が直撃していたら、怪我では済まなかっただろう。
もちろん、そんな攻撃はさっきの模擬戦で何度も受けた。だがそれとこれとは話が違う。
今の魔術は、完全なる不意打ちだったのだから。俺が防ぐ保障なんてなかった。
返答を待つ俺に、彼女はぽつり、呟くようにこう答える。
「……やっぱり、防げるんだ」
凛と、鈴を鳴らしたような声だ。どこか意図的に感情を押し殺したような。
その言葉で俺は冷静になる。「ちっ」と思わず舌打ちを零すほどには。
そう――冷静じゃなかったのは俺であり、決して目の前の彼女ではなかったのだ。
「今の魔術、さっきに模擬戦で御曹司が最初に使ったのと同じ威力にしたつもりだけど」
「……」
「防げるんだね。しかもただの防御じゃない、術式に干渉して魔術そのものを相殺してる」
見抜かれていた。というより、よく見ている。いろいろな意味で。
簡単に言うものだが、見た魔術と完全に同じ規模の魔術を再現する、というのは存外に難しい技術だ。どころか普通はできない。
ただ同じ魔術を使うだけなら簡単だろう。火に適性を持つ元素魔術師なら、むしろ火の魔術が使えて当然だとさえ言える。
だが、一度放たれた魔術と完全に同一の形、規模、威力、速度を再現するのはほとんど不可能命題だ。元素魔術というもの自体が、実に大雑把な魔術だということも関係する。
だいたいこのくらいの大きさ、威力、速さの魔術――という程度でしか、普通は元素を扱えない。いちいち指定するより、感覚で放ったほうが手っ取り早いというのもある。
そう、魔術とは感覚だ。そして同時に理論でもあるから難しい。計算され尽くした術式を、本人の感覚によって再現するという矛盾を、魔術は本質的に孕んでいる。
「……なんだよ。お前まで、俺と模擬戦しないとダメだって言う気か?」
これはさすがにレヴィも予想外だろう。知っていたらふたりだけにはしないはずだ。
だが問いに彼女は首を横へ振った。どうもそういうつもりではないらしい。
「別に。そんな意味のないコトする気はないから。安心していいよ」
「……なら、どういうつもりだよ」
「ただの確認だよ。――なんの意味もない、確認」
「…………」
「それがどうかしたかな?」
どうかしたか、と問われれば確実にどうかしているだろう。だが何も答えられない。
俺は言葉を失っていた。彼女の纏う雰囲気に、安易な言葉を返せなかった。
――そう、これは敵意だ。
彼女は今、明らかに俺へ敵意を向けている。これに比べれば、ウェリウスの演出していたそれなど児戯にも等しい。勘違いなどできるはずがない。
俺は本能で理解した。その敵意が本物だと、理解せざるを得なかった。
「確認ついでに、ひとつ訊いておきたいんだけど」
彼女が言う。否と言える空気ではない。
だが肯定するよりも先に、彼女のほうが言葉を作っていた。
「――その魔術、いったいどこで学んだの?」
「どこで、って……」
「ああ、訊き方が悪いか。なら訂正する。――いったい、誰から魔術を教わったの?」
「――――」
「答えて。ああ、いや、答えられないならそれでもいいけど」
「……お前、いったい誰だ?」
俺は訊ねた。質問に質問で返さざるを得ないほど、今の問いは俺の急所を突いている。
――場合によっては。
本当に今、ここで対処しなければならないほどに。
だが、彼女は問いに、薄い笑みを漏らしていた。
どこか嗜虐的な。まるで、それを訊かれることを待っていたという風に。
「自分は偽名のくせに、わたしには名前訊くんだ?」
「……お前」
「ま、わたしもヒトのコトは言えないけど。いいよ、名乗ってあげる」
彼女は、自らの名を口にする。
「わたしはシャルロット。シャルロット=セイエル」
「……セイエル……?」
「そ。あなたと同じセイエルだよ。まあよくある苗字だから気にしないでいいけどさ」
「…………」
問題は、そんなところではなかった。確かに姓が被ることは、まあ珍しいがなくはないだろう。
そもそもセイエルの姓は、俺にとって本当の姓ではない。それは俺がある男から借り受けた偽名なのだから。
――だがなぜ、俺が偽名であることをこの女が知っている?
学生では、それこそレヴィくらいにしか俺はその事実を伝えていない。そして、レヴィがそれを明かしたとも思えなかった。
「お前……」
「あなたに魔術を教えたのは、アーサー=クリスファウストなんでしょう?」
息が――止まった。
その名前を言い当てられるなど、考えもしていなかったから。
誰もが知っていて、しかし誰も知らない矛盾の魔術師。偉大なる魔法使いにして、史上最悪の反逆者と呼ばれる男。
そして、俺にとっては魔術の師に当たる、世界最強の三人の一角。
それがアーサー=クリスファウストだ。
そしてセイエルとは、目立ちすぎるあの男が好んで名乗っていた偽名のひとつである。俺は単に、それを借りていたに過ぎない。
――なぜ、こいつがその事実を知っている?
俺がルーンしか扱えない、なんて情報とは比較にもならない。このことはレヴィにさえ教えていない、俺にとって真の急所となる秘密だ。
そして、それを知っているということは。
「……お前、まさか――」
「そう」彼女は嫣然と笑う。「私も偽名なんだ、実は」
酷く愉快げに――どこまでも嗜虐的に。
まるで悲劇の蜜を味わう復讐者の如く微笑んで言う。
「本名は――シャルロット=クリスファウスト」
「クリスファウスト、だと……?」
「ええ。貴方の師である魔法使いは、わたしの実の父親。私は魔法使いの娘であり、弟子であり――だから、あなたにとっては妹弟子、ってことになるのかな」
「…………っ」
「その様子だと、本当に知らなかったみたいだね」
知るわけがない。この世界における、《魔法使い》という称号の意味を知ればこそ。
世界にたった三人だけの、魔法使いの位にある大魔術師に、娘が存在していたなんて。
その事実が、どれほど大きな価値を孕んだ秘密であることか。
……いや。そんなことはこの際どうでもいい。重要なのはその部分じゃない。
問題は、目の前の少女が、ある意味では俺にとって致命的とさえ言える秘密を握っており。
そしてなぜか、俺に対して敵意を抱いているということだ。
「――シャルって呼んでよ。よろしくね、お義兄ちゃん」
凄惨で、凄烈で、凄然とした微笑みで。彼女が――シャルが俺に声をかける。
――それが、妹弟子との出会いだった。