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セブンスターズの印刻使い  作者: 白河黒船/涼暮皐
第三章 魔競祭事件
89/308

3-37『少女四人の思惑』

 ウェリウスにあとを任せた俺は、奴と別れると、そのままひと気のない方向へと歩いた。

 本来なら医務室に寄るべきなのだが、今の状況でそれをするつもりはない。

 有り体に言って、はっきりと俺は死ぬ寸前まで行った。もちろん魔術の反動は、単なる肉体の負傷とは違う。だからこそより厄介だとも言えるのだが、少なくとも歩くくらいのことはできるまでに回復している。

 肉体以上に、精神のほうへ負担を受けていた。

 とはいえ、それで俺の感知能力まで下がるわけじゃない。こちらを目指して歩いてくる、三人の足音には気がついていた。

 曇り空の下、学院校舎の陰で身を休める俺の下に、やがて彼女たちが現れる。

 メロと、アイリスと、そしてピトス。

 顔を合わせなければならない、それでいて今、最も会いたくない三人が揃って現れた。


 彼女たちは、誰ひとりとして笑っていなかった。

 俺の前に現れても、表情を押し殺してひと言も言葉を発さない。物凄いプレッシャーだった。

 正直、ウェリウスとの試合よりも遥かに恐怖を感じる。来るだろうとは思っていたが、まさか三人揃って現れるとは予想外だったのだ。心の準備ができていない。

 口にできる言葉もなく、無言のままで押し黙る。ものの、すぐ空気に耐え切れなくなった。

 こんなものはほとんど拷問に等しい。

 仕方なく、この状況ではいちばん与しやすいであろうメロに声をかける。


「……いいのか、こんなところで油売ってて? もうすぐ試合だろ」

 その言葉に、メロは一度だけ盛大に表情を歪めたが、やがて諦めたように溜息をつく。

「はあ……もう最悪だよ。アスタ、最悪。あたしに言われたからってさ、普通ここまでする? そんなこと求めてないんだけど」

「別に、お前に言われたからやったってわけじゃねえんだけど……」

「だとしたらより最悪」

「…………」

 答える言葉がなかった。結果的には、ほとんどメロに対する当てつけのようになってしまったのだから。

 何を言われたところで反論する言葉などない。本気を出せと喝破してくれた彼女に対し、俺がやった行為は裏切りにも等しかっただろう。彼女だって、何も自分の身体を痛めつけてまで呪いを誤魔化せと言ったわけじゃない。

 俺ならば、それさえ避ける方法を思いつくはずだと。重い信頼だ。


「まあいいけど……わかったよ、あたしの負けでいいよ、もう」

 メロはがしがしと頭を掻いて言う。

「……悪いな」

「何に対して言ってんの、それ。アスタが呪われたのはアスタのせいじゃない。そんなことみんなわかってる。――あたしが言いたいのはそういうことじゃなくて、ああもうっ!」

 うがー! とばかりに叫ぶメロ。

 我慢の限界が、早々に訪れてしまったらしい。

「そんなことやってたら、いつか絶対に死ぬからねバーカ、このバーカ!」

「別に死ぬ気はねえけど……」

「あああああもう、うるさい黙れバカ! あたし――みんなが……このっ、どれだけ……っ!!」

 気を荒げ、言いかけた言葉をメロは飲み込む。

 俺にはもう頭を下げるしかできない。

「……すまん。でも、頼む」

 だが、その行為はむしろメロの不興を買った。

「うるさい。謝ってほしいなんて言ってない」

「…………」

「あたしが悪いことくらいわかってる。いいよ、その通りにする(丶丶丶丶丶丶丶)から。もともと、あたしのわがままだしね」

「……すまん」

「だから、あたしに謝るのやめてよ」

 そこまで言うと、メロは踵を返して離れていく。止めることなんてできるはずもない。

 去りしなに、メロは俺に背を向けたまま、ひと言だけこう言い残していった。


「――キュオ姉(丶丶丶丶)なら、こういうときどうしたんだろうね」


 寂しげに呟く《天災》に対し、俺はやはり、何も言うことができなかった。

 もちろん、それで話が終わったというわけでもない。メロは単に、お互いの間に共通の理解があったから話が進んだというだけだ。

 一方、アイリスとピトスに関してはそうはいかないだろう。

 特にアイリスだ。

 彼女と交わした「なるべく怪我をしない」という約束。もちろん俺は覚えている。


 それを、よりにもよって当日のうちに破ったというのだから救えない。


 もちろん必要なことではあったし、初めからわかっていたことでもあった。だから俺は「努力する」としか言わなかったのだが、そんな言い訳がアイリスに通じるわけもない。

 褐色の肌を持つ少女は、まっすぐに俺を見据えていた。

 おそらく会場で見ている分には、そこまでの大怪我には見えなかったはずだ。ウェリウスから直接ダメージを受けたというよりも、ほとんど反動による負傷なのだから。外からはわかりづらいと思う。

 だが、それでこのふたりを騙せるはずもないわけで。


「……だいじょぶ、アスタ……?」

 少女が、そっと俺の服の裾に手を触れる。

 それを弱い力できゅっと握って、悲しげな表情でアイリスは俺を見上げてきた。

「また、ケガ、してる……へいき?」

 またしても言葉を失った。俺の舌は、そろそろ退化してもおかしくない。

 アイリスは、約束をあっさり破った俺を詰るどころか、ただ身体を心配してくれるだけだったのだから。いっそ罵倒されるほうが、まだしも気楽ではあっただろう。

 罪悪感に押し潰されて、それこそ死んでしまうかとさえ思った。

「……大丈夫だよ。この程度はいつものことだから」

 なんとか口を開いて、搾り出すように俺は言う。

 だがアイリスはふるふると力なく首を振る。

「うそ」

「……、」

「アスタ、強いの知ってる。でも今、アスタ、つらそうにしてる」

「……アイリス」

「だから、わたし、決めたよ」

 アイリスの視線が、こちらをまっすぐに見据えていた。

 その視線から、俺は目を離すことができない。

「アスタ、いつもうれしいこと、アイリスにくれたから。だから今度は、わたしがアスタのことまもる」

「……………………」

「おんがえし、するね?」


 ……なんだこの健気な生き物は。可愛すぎる……。

 そして同時に心臓が痛い。罪悪感で致命傷だ。お願いだから土下座させてほしい。


「……はあ。アイリスちゃんは甘いですねえ……」


 だが。そのとき、ようやく最後の難関が口を開き始めた。

 反射的に肩がびくりと跳ねる。

 いろいろと厄介アレな女性は周囲に多いが、俺を本気で怯えさせる相手となるとそうはいない。

 たとえば、ピトスのような。


「そうやって甘い顔見せるから付け上がるんですよ、この男は。いっそ一発くらい殴ってやったほうがいいんじゃないですかねえ……? だってほら、なんか自爆するのがお好きみたいですし? たぶん被虐趣味マゾヒストなんですよ。痛みで喜ぶタイプなんです」

 ……うわあ、こわぁい。

 そして何も言い返すことができない。いや別にマゾじゃないんだけどなあ……。

「もう病気ですよ、間違いなく。一度本気で治療を受けたほうがいいんじゃないですか、頭の」

「し……辛辣だなあ、ピトスさん……」

「――別に冗談で言ってるわけじゃないんですけど」

「すみませんでした」

 底冷えのする声だった。気づけば俺は一瞬で謝罪していた。

 そうして一度溜息をついて、俺はアイリスに向き直る。

「……そうだな。確かに、アイリスとの約束を破ったことは事実だ。その罰は受けないといけないな」

「ばつ……」

「ああ。俺の故郷では、嘘をつくと針を千本飲まされるという風習があるんだが」

「ハリのんだら死んじゃうよ……?」

「そうだな」

 言う通りだ。その素直な反応に、思わず笑みが零れる。

「だから、代わりに俺を一発殴ってくれ。罰としてな。ほら、思いっ切り来い!」

 両手を広げて俺は叫ぶ。もうやっていることが完全にMのそれだったが、今は気にしない。

 アイリスはかなり迷っている様子だったが、俺が本気らしいとわかると意を決し、その拳を握り込んだ。

 そして――渾身の右ブローを俺の鳩尾に叩き込、


「――――――――……………………っ」


 息、でき、ねえ。おおう……これは力強い一撃だ……っていうか。

 ――いや死ぬっての。

 アイリスちゃんったらまったく素直なんだから。もうちょっと加減してくれてもよかった。


「じゃ、じゃあアイリスちゃん。その、わたしは少しアスタくんとお話があるので、そこで待っていてくれますか……?」

 ピトスが普通に引いていた。煽ったくせに……まあいいけど。

 アイリスは頷くと、とたとたと少し離れたところへ立ち去っていく。

 それを確認したところで、ピトスが声音を普段のそれに戻して口を開いた。

「……それで。どうでしたか?」

 何も本気で俺をマゾ認定して、アイリスの打撃の味を訊いているわけではあるまい。

 俺は答えた。

「殴られた瞬間、魔力が持っていかれた(丶丶丶丶丶丶丶)。たぶんだけど、アイリスの攻撃が水星に通じたのはそれが理由だろうね」

「……それがアイリスちゃんの」

「魔術……というよりは、異能力とでも言うべきかな。水星は確か《略奪》と呼んでいた。おそらくアイリスには――手に触れた相手の魔力を奪い取る能力がある」


 量自体は大したものじゃない。だが出力に限界がある以上、アイリスが手に触れた瞬間、あらゆる魔力は強制的に徴収され、魔術がキャンセルされる。

 だから水星は、アイリスの攻撃で痛みを感じるのだろう。

 本来、奴は攻撃を受けたとほぼ同時に、それこそ痛みが伝わるより早く無傷の状態に復元へんしんできる。だがそれも魔術である以上、魔力を奪われれば発動できない。

 だから水星は、アイリスの打撃だけはまともに喰らってしまうわけだ。

 もちろん一瞬だ。手が離れた瞬間に、水星は新たな魔力で自らを変身させることができる。仮に即死させたとしても、命そのものを複数所持している水星が相手では意味がない。

 これもまた、アイリスが教団の《実験台》にされていたために手に入れた能力なのだろうか。

 ――だとするのなら。


「まあ、そのことはともかくとして、です」

 と、ピトスが言った。意外な言葉だったことは否定できない。

「どうしますか。治療が必要なら行いますけれど」

「……それも意外だな」

 思わず呟いていた。てっきり問答無用かと思っていたからだ。

 あるいは愛想を尽かされて、もう治療を拒否される可能性ならば考えていたのだが。するかしないかを訊かれるとは予想外だ。

 要するに、気づかれているということなのだろう。

「わざわざ自分を追い込んだのは、水星を誘き出すためですか」

「ま、意味なかったみたいだけどな」

 要はそういうことだった。

 水星が本当に俺を殺したがっているというのなら、ここまで露骨に弱っているときを狙わない理由がない。奴らが《魔競祭》という場に固執しないのなら、という但しつきだが。

 ――俺は、俺自身を餌にして水星を釣り上げようとしたわけである。

 まあ結局は釣れなかったわけなのだが。

 やはり《魔競祭》という場にこそ意味があるのか、単にオブロ=ドゥランが水星本人だったからなのか、そもそも露骨すぎて誘いだということがばれていたのか。あるいは、ほかの理由があるのか。

 なんとも言えない。

 そもそも水星の能力自体、完全には把握できていないのだ。数多くある精神のうち、いったいどれが主人格なのか。それとも本体などという概念ものがそもそも存在していないのか。

 こんなのが、木星と水星以外に最低でもあと五人いるというのだから頭が痛い。


「……アスタさんが、そこまでしなければいけないんですか?」

 ピトスは顔を伏せたままで言う。薄暗い空の下、彼女の顔を窺い知ることはできない。

「単純な消去法っていうか、いろいろ都合もよかったからね」

 俺がウェリウスを下すことで一石二鳥以上の効果が出るのだ。賭けるには充分だったろう。

 もっとも、この分だとウェリウスのほうが、むしろ当たりを引いたかもしれない。

「俺が餌じゃあ、釣果が坊主でも仕方なかったかもね」

 そう考えて肩を竦める俺だったが、ピトスは僅かにさえ笑わなかった。

 ……我ながら、冗談にしても不味かったか。

 空気が読めていない、というよりは、もう単に最低だ。勝利したにもかかわらず、俺の株価は大幅下落している。

 ピトスは顔を上げずに呟いた。

「――どうして」

 怯えたような、それでいて縋るような声音。

 きっと彼女は今、俺に対して強い忌避感を抱いている。

「どうして、平気なんですか……」

「別に、平気ってこともないけどね。現に身体はぼろぼろだし、泣き言を零したいのを必死で堪えてるだけだよ」

「だったらそもそも、そんな方法を選ばなければいいだけじゃないですか!」

 遠巻きにいるアイリスの肩が、ぴくりと震えるのが目に見えた。

 それでも、我慢しているみたいにこちらへ視線を向けない少女には、いつだって助けられている。

「もっとほかに、いくらだって選べる方法があったんじゃないんですか? 伝説の……七星旅団セブンスターズの一員だったんでしょう!? そんな危ないことしなくたって、自分を犠牲にしなくたって――もっと、何か!」

「そう……だな。かもしれない」

 少なくともセルエなら。メロなら。姉貴なら。シグなら。教授なら。――キュオなら。

 俺なんかより、ずっと上手くやれるのかもしれない。


「……俺は《強欲》だからさ」

 自嘲するように笑う。

 タラス迷宮で、木星に言われたことを思い出していた。

「こんな風に呪われた状態で、それでも我を通そうと思うなら、多少のリスクは負っていかないといけないってだけ。別に好きでやってるわけじゃないよ。俺だって死にたいわけじゃない」

「だからって……」

「意外に思われるかもしれないけどさ。これでも結構、気に入ってるんだよ。俺は」

 唐突なその発言に、ピトスは虚を突かれて押し黙った。

 正直、ピトスだって他人のことは言えないんじゃないのか、と思わなくもない。この優しい少女はいつだって、自分以外の誰かが傷つくことをいちばん嫌う。

 そうでなければ、誰が迷宮であんな行為に及ぶだろう。

「この街での……この学院での生活ってヤツがさ。意外と悪くないんじゃないかって」

 ある日、突然に異世界へと落とされて。

 周りは化物ばかりで、生きていくには力をつけるしかなくて。必死で鍛えて、ずっと走り続けてきて。

 思い返せば、こんな風に《平穏な日常》ってヤツを謳歌できたことがあっただろうか。

 たぶん、なかったんだと思う。

 だからこそ俺は、やっと手に入れた日常を大切にしたい。それを壊そうとする奴らがいるのなら容赦はしないし、自分の力で守ることができるなら――そんなに嬉しいことはない。


「……そんなの、ずるいじゃないですか」

 ピトスはまるで子どものように首を振る。

 言っていることは理解できても、それを認めたくないとばかりに。

「そんなこと言われたら、何も言い返せないじゃないですか……!」

「……そうだね。卑怯だろうな、とは思うよ」

「計算して言ってる辺りが最悪です」

 否定の言葉もない。視線を逸らして、頭を掻くしかできなかった。

 それをいいことに罵倒は続く。

「最低です。察しはいい癖に妙なところで鈍感だし、気遣いができる風で他人の気持ちなんて何もわかってないし、口では調子のいいこと言いながらぜんぜん話聞いてませんし」

「……いや、言いすぎじゃないかな……」

「言い足りないくらいです! メロさんが呆れるのも無理ありませんよ」

 ――でも。

 と、彼女は顔を上げる。

「ありがとうございました。そう、言うべきなんでしょうね」

「……」

「そもそもわたしに、アスタくんを責める権利はなんてありませんし」

「充分、堪えたけどなあ」

「もういいです。……ひとまず移動しましょう。身体、診ますから」

 お礼を言うべきは、きっと俺のほうなのだろう。

 だから「ありがとう」と俺は告げて、それからゆっくり立ち上がるとアイリスのほうに行く。

 その後ろから、ピトスの声が届いてきた。


「――わたしは、命を粗末にする人間が嫌いです」


「…………」

「死んでしまっては全てが終わりなんです。――その先にはもう、何もありません」

 だから、わたしは。


 ――あなたのことが嫌いです。


 と。そう続くのだろうと思った言葉は、けれど。

 いつまで待っても、聞こえてくることがなかった。



     ※



 ほぼ同刻。

 オーステリア中央部、迷宮管理局の建物前に、一台の車が辿り着いていた。


 造りとしては馬車のそれだ。だが牽いている生き物は馬ではない。姿は酷似しているが、その肉体には魔術師にも比肩するほどの魔力を秘めている。

 車の前に立つ二頭の生物は、使い魔の一種である。ルーンにそのもの《駿馬》という文字があるように、移動用の使い魔としては上位に属する擬似生物。決して珍しいとまでは言わないものの、これを従える《魔導車》は多くない。使い魔の速度と持久力は、通常の馬のそれを遥かに凌いで余りある。

 車体自体も、おそらくは魔術師の手による設計なのだろう。決して豪奢な装いではなく、むしろ外装的にはごくありふれたものでありながら、そこに込められた術式の精密さは目を瞠る部分があった。

 全体に施された、防御魔術の域に達する材質強化。悪路でも悪天候でも、内部に影響を伝えない結界。馬車とは思えない速度を約束する車輪の加護――。

 どれひとつ取っても、一介の商人が商売程度に用いるものではない。


 実際、乗っているのは商人ではない。

 かなりの大物であることは、管理局員が整列して到着を待っていたことからも知れるだろう。

 まず初めに馬車を降りたのは、黒い衣服を纏う執事然とした老年の男だ。くすんだブロンドに近い髪と髭、そして顔に刻まれた皺が年月を感じさせる一方で、鍛えられ引き締まった体躯と身に纏う厳格な雰囲気には、年齢を感じさせない強さがある。

 誰が見ても執事であり、そして実際に執事だった。

 御者台から降りた彼は管理局員に一礼すると、表に回って後部の扉を開く。措くから現れた女性を導くと、無言のままその背後に控えた。


 現れた女性は、息を呑むほどに美しい白銀の長髪を持っていた。

 先ほどの執事のそれとは違う。髪自体が、最高級の絹糸よりも美しいというのだから。

 まだ歳若い。おそらくは十代後半か、高くても二十歳ほどだろう。見目麗しくありながら決して雑多な派手さはなく、むしろ威厳さえ感じさせる佇まいを持っている。ひと目で、高貴な血を受け継ぐ者であることを理解させられる。それだけの存在感があった。

 待ち構えていた管理局員は、知らず呼吸を停止する。

 わずか伏せられていた少女の瞳が、ゆっくりと開かれて前を見据えた。その奥に見えたのは、髪と対照的に黄金色の双眸。どんな宝石よりも高貴な色。


「――っ。ようこそお越しくださいました」


 凍りついていた時間が動き出し、オーステリア管理局のトップである男が叩頭する。周囲の局員たちも慌てながら続いた。

 少女はそれを当然のように眺めながら、赤い唇を小さく動かして言葉を作る。


「突然の来訪にもかかわらず、丁寧なご歓迎、痛み入ります。どうかお顔を上げてください」

「――は。失礼いたします」

 男は頷き、顔を上げた。

 そしてまたしても、少女のかんばせに吸い込まれそうになる意識をかろうじて繋ぐ。

 周囲を封鎖する護衛さえいなければ、道を行く人々が騒ぎを起こしただろう。それは何も少女の美しさだけが理由ではない。

 ――銀髪金眼。

 それはこの王国において、最も高貴なる血筋に継がれる外見情報だ。かの血脈は、全員が同じ容貌の特徴を持っている。

 もちろん、偶然に似た外見を持って生まれる者はあるだろう。だがここまでの力強さ、ここまでの美しさを持つとなれば、彼女の素性は誰にだって理解できる。


「局内にお部屋を用意して御座います。――どうぞ、こちらへ」

「ありがとう」


 局員に促され、少女が中へと入っていく。

 当然、周囲は完全に封鎖状態だ。かの存在に、万が一のことさえあってはならないのだから。

 彼女が存在する場所は常に、絶対の安全が約束された場所でなければならない。


 ――その名を、エウララリア=ダエグ=ウルクレガリス。

 このオーステリアが所属する王国の、第三王女当人であった。



     ※



 案内された部屋に入り、王女は束の間の自由を手に入れる。

 局員も執事も、王女が滞在する部屋にまでは無断で入ってくることなどできない。同行した下女が唯一、立ち入りを許されてはいるものの、今はまだ来ていない。

 だからこそこの瞬間だけ、エウララリアは王女から少女に戻る。


「――あーっ! つ、か、れ、た――っ!」


 盛大に声を発し、少女は思いっきり部屋の寝台ベッドに身体を預ける。

 そのままごろごろと転がった状態で、もぞもぞ行儀悪く上着を脱ぐと、そのままぽいっと床へ投げ捨てた。お忍びがゆえにそう高価な衣服ではなかったが、それでも肩が凝ってしまう。

 もし父親や執事に見られては、それだけで大目玉を食らうだろう。

 でも知らない。

 だって今は誰も見てない。

 しばし芋虫のように寝台ベッドの上で丸くなり、一分が経ってから再起動する。


「……よし。休憩終了! さて、どうかしらー……?」


 先ほどまでの威厳はどこへやら。高貴さのベールを脱ぎ捨てた少女は、とてとてと壁際に寄っていく。歳相応の、好奇心の強い猫のような双眸で。

 はしたなくも、少女は壁に耳を当ててみたり、床に寝転がったりと謎の行動を取る。

 ――見る者が見れば、それが魔術師の行動であると知れるだろう。

 最上級の賓客のために用意されている、管理局内でも最高級の寝室。それも王女の滞在とあっては、普段に数倍する結界で守護されている。

 だが。

 彼女にとって、その程度は障害にさえならない。

 元より彼女を外敵から守るためのものだ。内側に対する警戒などあってないようなものだと言える。無論、かといって簡単に破れるものではないのだが。

 その術式を。少女は。


「あ。基点見っけー」


 その両眼に見据えるだけで破戒(丶丶)した。

 ただ壊したのではない。それは術式に対する強制介入だ。自身に対する影響だけを無効化し、その事実を術者にさえ悟られずに魔術そのものを乗っ取る。

 技術だけなら不可能ではない。

 問題は、少女がただ《視る》だけでそれを為したことだろう。


「ま、すぐばれるだろうけど」


 特にあの執事ならば一瞬で気づくだろうが、少しの間だけでも誤魔化すことができればいい。

 少女は窓際に近づくと、無造作に開け放って下を見た。

 高さは三階分。だが魔術師にとって、その程度は高さに入らない。

 あっさり窓から身を乗り出すと、彼女はそのまま部屋から抜け出して、オーステリアの地面へと降り立った。

 この街を訪れた、最大の目的を果たすために。


「ふふ。さーて、どこにいらっしゃるのかしら。今、リアが行きますよーっと」


 威厳の全てをかなぐり捨て、鼻歌交じりに少女は駆け出す。

 その姿を、管理局の屋上から(丶丶丶丶)老年の執事がばっちり見ていることには気づかずに。


「――アスタ様、元気だといいなあ」


 第三王女――エウララリアは出奔した。

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