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セブンスターズの印刻使い  作者: 白河黒船/涼暮皐
第三章 魔競祭事件
88/308

3-36『二回戦第二試合』

『――さーって! 会場の皆さん、お待たせしましたっ! これより二回戦第二試合を開始いたしまーす!!』


 拡声器に声を乗せて、シュエットが客席の注目を集める。

 すでに第一試合の終了から、四半刻さんじゅっぷん近い時間が経過していた。

 なにせ、前の試合でステージがほぼ全壊してしまったのだ。担当の地属性元素魔術師が、ふたりがかりでステージを元の状態にならすまで、片づけも含め相応の時間が必要だった。

 その間、ほとんどの客が文句も言わずに待っていたのは、ひとえに第一試合の盛り上がりが凄まじいレベルに達していたからだ。

 片や八重属性元素魔術師。ここまでの適性となれば、それだけで王国の未来に名を残すだろうレベルの才能だ。国内各地から《天才》と呼ばれる魔術師の集まる学院においてさえ、ウェリウスの実力は明らかに隔絶していた。

 シュエット自身、学生会の一員として魔術の腕に対してはそれなりの自信を持っていたが、本気のウェリウス相手はおそらく十秒も持つまい。

 比べるのも馬鹿馬鹿しいほどに、ウェリウス=ギルヴァージルは《本物》だった。


 しかし。ならば、それを倒したアスタ=セイエルはいったい。

 本名はアスタ=プレイアス――かつて七星旅団セブンスターズに所属していた、伝説と呼ばれる魔術師のひとり。

 正直、初めにその話を聞いたときは半信半疑だった。確かに実力ある魔術師なのだろう。それがわからないほど目が曇っているシュエットではない。だが、七星は文字通りの《伝説》――それこそ後世にまで語り継がれる領域にいる者たちなのだ。いくらなんでも、そこまでの強さがあるようには見えなかった。

 そんな認識は、しかし試合を見た直後に一変する。

 全体を通してみれば、アスタはむしろ終始押されていたといっていいくらいだろう。はっきり言って、シュエットのほうがまだ強いのではないかと思える程度の実力だった。

 それが蓋を開けてみれば、一切の文句もつけられないほどの完勝。

 というか、もう何をしていたのか意味がわからない。シュエットでさえそうなのだから、一般客にしてみれば完全に理解の埒外だったろう。

 そのことが、逆に功を奏したのかもしれない。

 あまりにもレベルが高すぎて、観客たちはその異常さを理解できていなかった。もちろん学生や一部の冒険者は理解しただろう――実際、シュエットもドン引きだった――が、それでも完全に試合の全てを把握できた魔術師が、果たして何人いたことか。

 この異常な試合を、《盛り上がった》で済ませられたことがシュエットにとっては奇跡のようなものだった。


(……本当、勘弁してほしいよぅ……)


 先に聞いていなければ、シュエットも思考が止まっていたような気がする。

 ともあれ、アスタが割と重傷だったことを除けば、おおむね誤魔化せる範疇にあったと言っていい。

 元よりシュエットが唯一、学生会で試合に出場エントリーしていないのは、こういった事態(丶丶丶丶丶丶丶)に対応するためだったのだから。

 ……いや誤魔化せてないけれど。

 気づく人間は、逆に騒がないのでいいとする。ていうか知るか。シュエットはそんな風に結論した。


 ともあれ、次はミュリエルの試合である。

 先の試合に意識が奪われていたが、どちらかと言えば重要なのはこちらの試合だった。

 ――本当なら、試合には出てほしくなかった。

 会長に、危険な真似はしてほしくない。それはきっと、学生会メンバー全員に共通の思いだろう。シュエットだけではない。ミルも、スクルも、クロノスも――みんな会長に助けられて学生会に入っているのだから。

 その彼女が、最後の大仕事として魔競祭を成功に導きたいと考えているのだ。

 ミュリエルの思いに応えるべく、ただそれだけのために手伝った。でも、本当は魔競祭の成功よりも、ミュリエルには自分を大事にしてほしい。


 ――どうか何事もなく終わりますように――。


 そんな願いを言葉に込めて、シュエットは声を上げるのだ。

 かつての自分を救ってくれた、大恩人の勝利を願って。


『――学生会会長! ミュリエル=タウンゼントの入場だ――っ!』



     ※



 ステージに現れたオブロ=ドゥランの姿を、ミュリエルは油断なく眺める。

 彼女の願いは、この魔競祭が無事に終わりを迎えることだ。

 そのための努力を惜しんだことはない。彼女は学生会長であり、この長い歴史を持つオーステリア魔術学院における全学生の頂点トップに立つ魔術師なのだから。

 その伝統を、自分の代で終わらせることなどあってはならない。

 たとえ、相手が誰であってもだ。


 その対戦相手であるオブロは、いつかのように生気のまるでない表情をしていた。

 意識ははっきりしているらしい。誰かに操られている、という風ではなかった。そのような魔力を感じられない。

 少なくともその一点だけを見て、彼が《水星》の関係者だとは断言できないだろう。

 もちろん、違うとも言い切れないわけなのだが。


「さて……何ごともなく終わればいいのだが」


 なにせあれだけの一戦のあとだ、観客の期待は否応なく高まっている。

 単に試合に勝てばいいというだけの問題ではない。ミュリエルには魔競祭を最高の形で終わらせるという使命があるのだから。

 結局、今になってなお七曜教団が何を目的としてオーステリアに集まっているのかはわからないままだ。

 だとしても、彼女がすべきことはひとつだった。


 実況席のシュエットと視線がぶつかる。

 頷きをひとつ交わしてから、ミュリエルは視線を正面に向けた。


『試合――開始っ!』


 直後、ミュリエルは真っ先に動いた。

 一回戦とは打って変わって、ただ相手を打倒するためだけに魔術を作る。

 ――魔弾。

 それは《魔力の射出》であり、定義の幅は広い。ウェリウスが操る元素のようにその場へ留まり続け、自在に動かせるモノも魔弾と呼べるし、ミュリエルのそれのように設置型の術式だって魔弾の形のひとつではあった。

 今回、ミュリエルは一回戦で用いた設置型の魔弾ではなく、純粋に撃ち出す弾丸としてのものを選択する。

 逃げ道を塞ぐような絨毯爆撃。

 もちろんミュリエルとて、それで試合が決まるとは考えていない。この攻撃は、相手がどう出るのか、その対応を見るためのものだった。

 防ぐのか、躱すのか。あるいは何かしらの特異な能力を見せるのか。だとすればいったい、どのような方法を選ぶのか。それを確認するための攻撃だ。

 だから。


 その一撃を、オブロがなんの反応も見せずに受けるだなんて考えてもいなかった。


「な――!?」

 驚きは二連した。ミュリエルは息を呑む。

 最初の驚きは、もちろんオブロが彼女の魔弾を無防備に受けたことである。いくら様子見が目的とはいえ、生身で受けて無事に済むような威力じゃない。

 続く驚愕は、だからオブロがその攻撃を、完全に無傷で受けきったことにあった。

「く、き――け」

 もはや言語とはとうてい呼べない声を、オブロは喉から鳴らしている。真っ当な意識があるようには見えなかった。

 ――無傷だったわけじゃない。

 ミュリエルは悟る。手応えは確かにあったのだ。彼女の攻撃は、オブロを傷つけるに足るだけの威力を持っていた。

 ただ、その負傷からオブロが一瞬で回復しただけで。

「……いや」

 正確にはそれも違う。今のは回復魔術ではない。再生というか復元というか、言うなれば傷を受ける前の状態まで時間が巻き戻ったかのように見えた。

 そして、そんな能力を持つ魔術師に、ミュリエルは心当たりがある。

「――水星、だったのか。いや、しかし――」

「うふ。うふふ……うふふふふふ……、ひひひひはははははははははははっ!!」

 ミュリエルの呟きに、呼応したかのようにオブロが笑った。

 それまでとはまったく異なる、高い――まるで女性のような声音で。声帯だけが別の人間のものへと切り替わったかのように。

「どうしてどうしてどうして、どうしてこう馬鹿なの馬鹿なのどいつもこいつも。ちょっと顔がいいからって調子に調子に調子に乗るようなクソ女は、いつだって反応が一緒だって思思思うようねえ……っ」

「オブロ=ドゥランの身体を、乗っ取ったのか……?」

「何を何を何を何を見当違いなことを言って言って言っているの。ぜんぜんまったく欠片も微塵もこれっぽっちも当たってませんよバーカでーすねーえ」

 だって――。

 と、水星オブロは顔を歪めて嗤う。


「この世のものは何もかも、全て初めから私の身体ものなのに――っ!」


 瞬間。ミュリエルの足元から腕が生えた(丶丶丶丶丶)


「馬鹿な!?」

 魔競祭のステージから、その土台から、突如として人間の腕が生えてきたのだ。

 ミュリエルはその両足首を、謎の腕に掴まれる。動きを封じられたということだ。

 咄嗟に振り払おうとするが――できない。足首を掴んだ腕が、まるで鉱物のような硬度を得て固まってしまったからだ。

 ミュリエルの全身が硬直する。

 足を掴む腕から、魔力と術式を直接流し込まれたのだ。その腕は、それだけでひとつの拘束魔術として成立していた。

 動きを、抵抗を完全に封じられたミュリエルの目の前で、オブロの顔をした水星が醜く嗤う。


「――殺したいけど殺したいけど殺したいけど。それをしちゃうと失格になっちゃうから……仕方ないから殺せない殺せない殺せない」

「……っ!」

「だからせめて――焼け爛れて醜くなれ」


 水星が言葉を発した直後。

 会場を、強大な火炎の渦が包み込んだ。



     ※



 ――死んだ。

 間違いなくそう思った。腕に掴まれ、全身の動きを封じられ、その上で水星の攻撃を受けたのだ。抵抗する暇も、後悔を抱く暇さえなく――ミュリエル=タウンゼントは殺される。

 水星の「殺せない」という言葉なんて、まるで信用などできなかった。

 走馬灯を見る猶予さえない、なんとも呆気ない命の最期おわり


 だが、それがいつまで経ってもミュリエルの元に訪れない。


 疑問を覚え、ミュリエルは閉じていた瞼を薄く開ける。

 果たして。

 目の前には何もなかった。ただ前と同じ、魔競祭の舞台が広がっているだけだ。

「……?」

 疑問に、ミュリエルは知らず眉間に皺を寄せる。だが不可解を感じているのは彼女だけではなかった。

 前に立つ水星もまた、同じ疑問を共有しているらしい。

「――なんで」水星が呟く。「なんで、なんでなんでなんでなんでなんで防がれたの。何をした何をした何をした何をしたあっ!!」

 水星が激昂する。だが、それに答える言葉をミュリエルは持たなかった。

 彼女自身、何が起きたかなどまったくわかっていなかったのだから。

「私はあんな炎を(丶丶丶丶丶)出してないのに! なんでなんでなんでなんで――なんでだあっ!!」

 叫ぶと同時、水星がこちらへと駆けてくる。

 だが足を動かした瞬間、その肉体が何かに撃ち抜かれて動きを止めた。水星の足を、目に見えない弾丸が貫いていったのだ。

「誰だ! 誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ――」

 当然のように負傷から回復し、水星は髪を振り乱して叫ぶ。

 やはりミュリエルは答えられない。

 答えたのは――だから、別の人間だった。


「――初めまして、と言うべきなのかな。いや、あの試合のあとで君相手に名乗りを上げるなんて、僕としてはあんまりやりたくないんだけれど」


 ミュリエルの背後から、そんな、場違いに軽やかな声が届く。

 鈴を鳴らすように、軽やかで落ち着いた男の声だ。いつの間にか、自らの肉体が自由を取り戻していることに気がついたミュリエルは、咄嗟に背後を振り向いた。


「君、は……」

「どうも、会長。いつもお世話になっています」

「……そうか。どうやら、君に助けてもらったようだな」

 ミュリエルは知らずかぶりを振る。

 情けない、とは思わない。こうして後輩に助けてもらえることを、学院の会長ならばむしろ誇りに思うべきなのだろう。

 いかなる方法でか、ミュリエルを救ったその男は、人当たりのいい爽やかな笑みを浮かべて、なんの遠慮もなく歩いてステージの上へと登ってくる。

「お礼なら、僕ではなくアスタに。貴女を助けるように言ったのは彼ですから」

「……そうか。さすがは七星旅団セブンスターズの一員と言ったところなのかな。先ほどの試合、実に見事だった」

「嫌だなあ、会長。負けた試合のことを、わざわざ掘り返さないでくださいよ。これでも僕は、まだ傷心の身なんですからね? まあ、アレ(丶丶)が相手にしては、結構がんばったほうだと思うんですけど」

 言葉とは裏腹に、その青年は笑みでもってそれを言う。

 その余裕が心強い。先ほどまで大怪我を負う寸前だったミュリエルもでさえ、思わず苦笑してしまうほどに。

「……敗退が決まった矢先に試合へ乱入しておいて、言えたことではないだろう」

「あ、それはご心配ならさず。結界をちょろっと書き換えて、外には今、嘘の映像が(丶丶丶丶丶)見えていますから。祭はきちんと続きますよ」

 見れば、会場を覆う防御結界が、わずかに揺らめきを持っている。まるで陽炎のように、ゆらゆらと偽の映像を投影する結界スクリーン

 つまり先ほどの炎は、水星ではなく目の前の男が放ったものであるのだろう。


「《幻灯スクリーン》。ま、というわけですので――」


 男はミュリエルから視線を切ると、その矛先を水星へと向ける。

 やはり普段と変わらない、見方によっては男装の麗人にさえ見える笑顔で。


「――これ以上、僕の学院の会長に手を出さないでもらえるかな?」


 ウェリウス=ギルヴァージルが、魔競祭のステージに乱入した。

 その事実を、会場の観客にさえ秘めたままで。



     ※



 ――二回戦の第一試合が終わったあと。

 俺を背中に担いだウェリウスが、ふと前を向いたままで言った。


「君は、あれかい? 最後にオチをつけないと我慢できないというか、終わりまで格好よくはいられないタイプの人間なのかな」

「なんの、話だ……」


 こいつの言うことなど、どうせ八割が意味のない戯言たわごとだという偏見を持つ俺は、ほとんど意識も向けずに流れだけで訊き返す。

 単純に、身体のほうが限界に近いという理由もあるのだが。

 正直、割と冗談抜きに死ぬ寸前である。こんなことを繰り返していては、いつか本当に命を落とすだろう。左腕は今もまったく言うことを聞かないし、筋肉も、骨も、内臓や神経まで、傷めていない箇所が存在しないというくらいには満身創痍だった。


 やはり自分で自分を呪う、という行為は綱渡りにしてもやり過ぎだったかもしれない。

 こんなこと、おそらく二度はできないだろう。肉体は治療すれば済む程度かもしれないが、魔力の根源となる魂魄たましいのほうが呪術の侵食に耐えられない。

 下手をすれば――。


「……いや。僕が言うことじゃないか」

「なんだよいきなり」

「別に。僕が言うことじゃないと思っただけだよ。……僕が、ね」

 肩を竦めて誤魔化すウェリウス。意味深というか、奥歯にモノが挟まったように妙な言い回しだった。含みが感じられる。

 だが、その意味を俺が問い質すより早くウェリウスは続けて、

「でもいいのかい? さっきの術式は、そう何度も使えるようなモノじゃないだろう?」

「まあ、そうだな……というか次はないだろう」

 試術場で予行に一回、そして今回の試合で一回――すでに二回行っている。

 ウェリウスの言う通りだ。もう、次はない。

 第一に、単純に術式を込めておけるだけの魔晶が底を尽きていた。それなりに高価だし、まず数そのものが出回っていない。どこかで再び手に入れるまで、逆式呪詛は実質的に封印だ。

 そして第二に、仮に魔晶があったとしても、これ以上は俺自身が持ちそうにない。

 ただでさえ肉体に多大な負荷をかける呪術――それを二重に受けるのだ。その反動は、冗談で済む範囲を越えている。おそらくだが、寿命が五年は縮まったことだろう。


 最初の一回で制御のコツは掴んだ。

 だから二回目はもう少しいけると思ったのだが、制御が上手くいった代わりに、今度はそもそも肉体のほうが疲弊していた、という点がネックになっていた。万全ではなく、怪我や疲労を重ねた状態で、しかもウェリウスを相手に実戦で使ったのだ。試しの一回とは比較にならない。

 まあ、魔力を使っていたお陰で反動も減った部分があったため、差し引きとしてはとんとんだと思うのだが……そもそも無理がある術式だ。

 精神論ではどうにもならない。


「いいのかい? そんな切り札を、僕との試合で使ってしまって」

 ウェリウスはやはり前を向いたままでいう。

 背負われている俺では、奴の表情を窺うことはできない。覗き込めば見えるだろうが、そこまでする気にはなれなかった。

 だから、俺も顔を見せないままで答える。

「いいんだよ、別に。切り札はほかにもないわけじゃないし……そのための賭けだ」

「ああ、試合前に言っていたヤツだね」

「そうだ。俺が勝ったんだ、約束通り言うことを聞いてもらうぞ」

 ステージから下り、設営された本部の裏辺りに来ていた。

 ここでなら、ある程度は周りの目も避けられる。ウェリウスも、それとなく察しているのだろう。

 いい加減、ウェリウスに背負われ続けているのも屈辱だったので、下ろせと伝えて向き直る。

「約束だからね、僕にできることなら構わないけれど。なんだい?」

 首を傾げてみせるウェリウスに、俺は告げる。

「――次の試合、見てろ」

「というと……会長の試合だね。別に言われなくても見学はしていたと思うけれど、それが?」

 疑問するウェリウス。

 情報が統制されているため、彼は対戦相手のオブロにかけられた疑惑を知らないのだろう。

「……会長の対戦相手であるオブロだが、奴には、ある嫌疑がかけられている」

「一回戦で、少し話題になっていたね。それ関係かい?」

「ああ。まあ端的に言えば、奴がなんらかの犯罪組織の関係者である可能性がある、という感じだ」

「なるほど……それで?」

「お前の判断でいい。もしオブロが何か妙な動きをする素振りがあったら……どうにかして止めろ」

 オブロが、もし水星ならば。そうでなくとも、七曜教団の関係者であるならば。

 ミュリエルの身に危険が迫る可能性はある。

 奴らは現状、一般客に被害が及ぶような行為には出ていない。むしろ隠れている素振りさえあるほどだ。

 だがそんなものはなんの保証にもならない。いや、あるいはだからこそ、魔競祭のステージにおいてこそ、なんらかの犯罪行為に及ぶ可能性があるかもしれない。


「止めろって……どうやって」

「どうやってもだ。ただしバレないようにしろ、少なくとも一般客には」

「滅茶苦茶言うなあ」

 さすがに呆れた声音のウェリウスだった。俺自身、無茶を言っているという自覚がある。

 しかしほかに頼める相手もいない。水星に拮抗し得るだけの実力を持ち、かつ明確に味方だと――少なくとも教団関係者ではないと言い切れる存在なんて限られているのだから。


 それから、俺は詳しい事情をウェリウスに語り聞かせた。

 七曜教団のこと、それが俺やアイリスを狙っているかもしれないという事実、そして判明している限りの水星の能力などをだ。

 話を聞いたウェリウスは、やはりどこか呆れた風な表情で呟いた。


「……なるほど、事情はわかったよ。そういうことなら協力するけど……」

「何か疑問があったか?」

「疑問っていうかね」

 ウェリウスは視線を空に向ける。

 四日目を迎え、雲はどんどんとその体積を増していく。そろそろひと雨降りそうなくらいだ。

「……いや、やっぱりいいや。君のことだ、考えがあってなんだろう」

「さっきから含みがありそうなことばっか言うな」

「何もかもを隠し通そうとする君よりは、それでもマシだと思うけどね。ところで――」

「なんだよ?」

 そこでウェリウスは一度言葉を切り、話題を変えるように言った。

「どうして、僕がその教団の関係者じゃないと? 話を聞く限りじゃ、この街に彼らが根を張っている可能性は低くないだろう?」

「……お前は、俺と一緒に迷宮で襲われたからな。関係者ってことはないだろう」

 演技に騙されているだけならば、それこそ俺にはどうしようもないし。

「関係者じゃなくても、操られているだけの可能性だってある」

「お前が素直に操られるようなタマか。だからお前しかいなかったんだよ」

「……そうか。うん、君の考えはだいたいわかった。だからわざわざ僕との試合でね――なるほど」

 こちらの考えを掴んだかのようにウェリウスは呟いた。

 実際、この男ならある程度は読んでくるだろう。だから信用できないのだが――だから信頼してもいる。

 ウェリウスがいれば、きっと、最悪は免れることだろう。



     ※



「というわけで、申しわけありませんが介入させてもらいました」

 ウェリウスが微笑む。

 対する水星は動けなかった。下手に動けば、いつまた先ほどの狙撃を受けるかがわからない。

「どこから……どこからどこからどこから――」

「まあ、かの有名な《魔弾の海》ほどとは言いませんが。僕も、狙撃はそれなりに得意なほうでして」

 もしアスタがこの場にいれば、「むしろお前は何が苦手なんだ」と突っ込んだことだろう。

「別に負かすつもりはありませんよ。たとえこの場の貴女を殺したところで、別の貴方が出てくるだけだということは聞いていますから」

「――――」

 水星は答えず、ただ行動に移った。

 今度は腕だけではない。石畳のステージから、人間の全身が生えてきたのだ。

 それも二体。オブロの肉体が、まるで茂る植物のようにステージから生えてくる。もはや何をもって《変身》と呼ぶのかさえ意味不明な行為だった。

「いや……」

 その人体が。

 いずこからか飛来した不可避の風の弾丸に、一瞬で心臓を穿たれる。

「僕じゃこの場の貴女を殺すことも難しいかなあ……」

 どの口が、とミュリエルは思う。

 だが、見る者によってはウェリウスの表情が真剣味を帯びていることに気づくだろう。

 彼の発言は、何も冗談の類いではない。


「貴様貴様貴様貴様貴様――」

「……なるほど。アスタの推測は当たってたわけだ。こんな魔術、ただの変身じゃ説明がつかない。僕も正直、余裕はないかな……」

 ウェリウスが正面を見据える。

 その顔に流れる冷や汗は、ミュリエルの場所からは見えなかった。


「……《変身》。その本質は、自らの肉体を自在に変えられることだけに留まらない」

 そう。ただの変身で肉体を会場から生やしたりすることができるはずもない。

 彼女が負傷から再生するとき、肉体だけではなく破れた服や血液までもが復活する。またその腕を鉱物に変えたりと、もうやりたい放題だ。

 つまり――水星の真の能力は。


「自分の身体を変えるのではなく、あらゆるものを自分の身体に変える(丶丶丶丶丶丶丶丶丶)――」


 地面だろうと他人だろうと。世に存在する《あらゆる全て》を《自分の(丶丶丶)肉体》に概念ごと変質させる。

 それが《水星》――ドラルウァ=マークリウスが持つ能力の本質だった。


「さすがに、無条件で他人を自分にできるわけじゃないみたいだけど。だとしたら本当にお手上げだった」

「で……?」

 水星が小さく零す。ようやく気づいたのか、とでも言わんばかりの平坦な表情で。

「ステージの上にいる時点で、いや、私の前に立った時点で、その場所はもう私の体内にも等しいんだから……! 貴様に貴様に貴様如きに、いったい何ができるというの?」

「……どうだろうね」

「もう、気づいて気づいて気づいているんでしょう? 私は私は私は他人の肉体を自分の肉体にできる。この男もこの男もこの男も――今は私の肉体になっている」

 しかし。肉体が変質したとは言っても。

「――この男の精神は、まだ生きているっていうのに――」


 ただの平凡な学生だったオブロ=ドゥランは。

 肉体の支配権を全て奪われてなお、精神だけで生きている。彼女の魔術は、単に《変心》を用いて他者を操るだけではない。

《変身》を施された時点で、オブロはオブロでありながら、同時にドラルウァ=マークリウス本人なのだ。

 オブロ自身の精神が残存していようとも。

 つまり。


「――それでも、この男を殺すっていうの……?」


 オブロ=ドゥランを、人質に取られているにも等しいということだ。

 ウェリウスが「殺せない」と言ったのは、それが理由だ。当たってほしくない最悪の推測が、しかし完全に的中していたことをウェリウスは知る。


「……なるほど、それはできないね。というより、周囲の空間全てが水星あなたという時点で、そもそも戦って勝てるのかどうか」

「ならならならならどうするの? 気取って格好つけていい顔して入ってきた癖に、何もできずに惨めに無様に醜悪にここで死んでいく……?」

「いいや。そもそも僕は貴女を倒しに来たわけじゃない。ただ会長を助けに来ただけだからね。それは――別の人間の仕事だよ」


 だから。

 ウェリウスは笑った。


「――逃げることにする」


 次の瞬間、ウェリウスはミュリエルの身体を抱えると、そのままステージから飛び出した。



     ※



 ステージの外に下ろされたミュリエルは、少し驚いた顔で辺りを見回す。

 どういう手管を使ったのか、いつの間にかウェリウスの姿は影も形もない。会場の結界に投影された彼の幻惑魔術もすでに解除されており、観客は本来のステージをその視界に納める。

 ミュリエルは、ウェリウスが何をしたのかを悟った。ステージの上には、酷く憎々しげな表情に顔を歪めるオブロ――水星の姿が見えた。

 シュエットが叫ぶ。


『ああ――っと! ここでミュリエル会長、場外に追い出されてしまった! 決着だあ――!』


 周囲の観客が、今しがた起こった展開に気づいている様子はない。

 ウェリウスの魔術によって、それらしい嘘の試合を見せられていたからだろう。

 もちろん、ほんの一部の行為の術者――たとえばメロやレヴィなど――が見ていれば結界に施された術式に気づいたはずだ。だが、中で何が起こっていたかまでは、少なくとも客席からじゃわからない。

 まして一般の観客では、ウェリウスの幻想を超えること自体が不可能だ。


 ――二回戦第二試合は、ミュリエル=タウンゼントの場外負けで決着がついた。

 勝者は、オブロ=ドゥラン。

 もとい――《水星》ドラルウァ=マークリウス。

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