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セブンスターズの印刻使い  作者: 白河黒船/涼暮皐
第三章 魔競祭事件
85/308

3-33『魔競祭四日目/二回戦前』

 不快な目覚めだった。

 寝台ベッドから上体を起こすと同時、軋むような鈍痛が神経を侵す。昨日、水星と戦った際の反動もあるのだろう。あのあとは例によって盛大に血を吐きながら、地べたをのたうち回ったのだから。

 直後に訪れたメロとアイリスに助けられたはいいものの、あるいは俺は無様に転げ回っているところを見られたことのほうが問題だったかもしれない。

 メロには醒めた目で見られ、アイリスに至っては――マジで泣かれた。そのことを思い出すと心が痛む。



     ※



「――ぐっ、あ……っ」

 醜い声を漏らしながら、そのとき、俺は凄惨な光景の中でくずおれていた。

 焼け焦げた死体の山。

 その中心に立つ俺を見て、ふたりはいったいどう思ったのだろう。それを訊く余裕も、勇気も、俺にはなかった。


「……アスタがやったの?」

 アイリスとともに現れたメロが、俺を抱き起こしながらそう呟く。

 体格の差で、ほとんど凭れかかるような姿勢の俺だったが、メロは何も言わなかった。言葉ではなく、視線で何かを語るかのように。

 いくぶん間があってから、俺は答える。

「ああ。ほかに方法がなかったから……俺が殺した」

「……そっか。何があったかって、訊いたほうがいい?」

 少しだけ躊躇うような口調のメロ。

 それが俺に対する気遣いだとわかるからこそ、その不器用な優しさが嬉しかった。

「そう……だな。お前も無関係じゃないし、知っておいたほうがいいと思う。あとで話すよ」

「わかった。ここはどうする?」

「結界で隠して、あとは学院側に任せる。どうせ報告も必要だしな……まあ、セルエがいないらしいから、ちょっと面倒になるだろうけど」

「じゃあ、それはあたしがやっとく」

「……意外なこと言うな」

 ちょっと目を見開いて、思わず俺は呟いていた。

 言ってはなんだが、そんな面倒なことをメロが自ら買って出るのは珍しい。というかほとんど青天の霹靂だ。逆に怖い。

 なんて、そんな思考は筒抜けだったのだろう。

 わずかに唇を尖らせながら、視線を背けてメロは言う。

「……だって。あたしが言ったから、アスタ――」

「アホ言え」俺は笑った。「らしくもない。教団がやったことの責任を、なんでお前が被るんだよ。関係ないだろ」

「――でも」

「お前に何か言われたくらいで、いちいち考え変えたりしねえよ。向こうから手ぇ出してきたんだ、対処くらい自己責任でするだろうが」

「それは……そうかもしれないけど」

 ちら、とメロが視線を背後に向ける。その先には、俯いたまま身体を震わせるアイリスの姿がある。

 さすがに俺も、これに関しては為すすべない。

「あの子、泣きそうな顔であたしんとこ来たから。そんで、どうしたらいいかとかわかんないし……」

「さすがの天災も、小さい子に泣かれちゃ勝てないか」

「……泣かせたのアスタじゃん」

「…………」

 メロ如きにやり込められてしまった。

 返す言葉もない。


 その場をメロに任せ、俺はアイリスに近づいた。

 俺の接近に気づいたのか、少女は怯えたようにびくりと身体を震わせる。

 一瞬、この光景を作り出した俺を怖れたのかと思った。伸ばしかけた手が宙で止まる。

 自分のような存在がアイリスに触れるなんて、酷く罪深いことのように思えてしまう。

 だが違った。

 少女は、俺を怖れているのではなかった。


「……ごめん、なさい……」

 震えた声音で、絞り出すようにアイリスが呟く。

 意味がわからなかった。なぜ俺が謝られているのかと。

「アイリス、何言って……」

「わたし……が、かって、に……歩いた、から。アスタ……ケガし、……ぅ」

 少女が顔を上げる。俺は呼吸が止まるかと思った。

 無表情で、あまり感情を表には出さないアイリスが今、くしゃくしゃに顔を歪めている。

 瞳に涙を浮かべ、少女は身体を震わせている。

 それを見て勘違いできるほど、俺だって馬鹿でも鈍感でもない。

 アイリスは確かに怯えていた。

 だがそれは、俺が苦しんでいたことであり、俺を失うことであり、俺に嫌われることだったのだ。

 ……傲慢にも。

 俺が、アイリスの優しさに甘えていたせいで。


「……ごめん、悪かった。だから泣くなって」

「な、く……?」

 アイリスが自らの頬に手を触れる。

 そうして初めて、少女は自分が涙を流していることに気がついたらしい。

「なに……これ?」

「涙、だね。ごめん、泣かせて」

「……アイリス、はじめて泣いた」

「そっか」

 なら、勝手だけどそれでよかったのかもしれない。

 ――泣けないよりは泣けたほうがいい。

 そう、誰かがかつて、俺に教えてくれたように。


「だいじょぶ、アスタ……?」

 アイリスはとてとてと駆け寄ってくると、おそるおそる俺の身体に手を触れる。

 逆に俺は少女の髪に触れ、優しくそれを梳くように頭を撫でた。

「大丈夫大丈夫。なんつーか、まあ、いつものことだから」

「……だから駄目なんじゃん……」

 背後から何か聞こえた気がするが無視である。メロは俺に対する要求ハードルが高すぎると思うのだ。

 が、このときに限っては、俺の言ったことも失敗だった。

「アスタ、いつも、ケガしてる……」

「あ」

 アイリスが、ふと何かに気づいたように声を上げた。これまでの生活を思い返しているのかもしれない。

 そして俺は、よく考えれば、彼女の前で負傷した姿を見せることがかなり多かった気がする。

 アイリスが言った。

「アスタ、ケガしちゃ、や」

「……えーと」

「や」

 ひしっ、と少女は俺の足に顔を埋めて言った。

 アイリスが、ほとんど初めてした自らの主張だった。できれば叶えてやりたいと思う一方で、なんというか、たぶん無理な気がする。たぶんっていうか、絶対できない。

 結局、嘘をつくのも憚られて、俺はこんな風にお茶を濁すほかなかった。


「……うん。努力するよ」


 背後から突き刺さる視線には、やはり気づかなかったことにして。



     ※



 その後、帰宅した俺は倒れ込むようにして布団に入った。

 アイリスは俺にしがみついたままだ。引き剥がすことなどできるわけもなく、そのままされるがままにふたりで眠った。


 ……正直に言えば、考えていなかったのだ。

 これまで俺が怪我を負うことで、アイリスがどれほど心配していたかなんて、まったく想像がついていなかった。

 今回は特に、アイリスを庇うことで戦いに入ったのだ。

 実際にはむしろ俺が巻き込んだようなものなのだが、アイリスにはきっと自分のせいだと感じられたことだろう。だから一気に閾値を越えて、彼女を泣かせる羽目になった。

 それだけでも最低なのに、さらに悪いのは、わかったところで避けられない事態は存在し得るという点だ。

 俺は今後も、肉体を犠牲にして魔術を使い続けるだろう。少なくとも呪いが解けるまでは。

 努力はする。それは嘘じゃない。俺だって何も好き好んで身体を酷使しているわけでもないのだから。

 とはいえ――。


「……悪いな、アイリス」


 泣き疲れて眠る少女。普段は俺が起きればすぐに反応するアイリスが、今日は瞼を閉じたままだ。

 彼女を置いて、俺は階下へ向かうことにした。

 今日はこれから試合がある。それもウェリウスとの一戦が。


 レヴィには悪いが、辞退を考えないわけじゃなかった。試合に力を使うよりは、対教団を想定して魔力を残しておくべきだと。

 だが今となってはそれも選べない。

 教団が――というか水星がオーステリアに深く根を張っていることはわかったのだ。奴と信者たちが決定的な行動を起こしていないのは、俺たちに対する牽制の意図があるからだ。

 おそらく、俺が魔競祭に出ているという状況は、奴らにとって都合のいい事実なのだろう。

 オブロのことも併せて考えれば、ここで試合を投げ出すわけにはいかなかった。

 というかむしろ、是が非でも勝たなければいけないくらいだ。

 あのウェリウスを相手にして。


「……無茶言うよ、まったく」


 外に出て、煙草に火をつけてから俺はぼやいた。

 どうしてこう俺の周りにばかり、厄介ごとが巡ってくるのやら。


 それでも、対処できないよりはずっと幸運だけれど。



     ※



 朝も早くから、俺は学生会のほうに顔を出した。その前に一度オセルに寄って、最低限の報告だけは済ませてきたが。

 眼帯の珈琲屋は、「店に迷惑をかけなければどうでもいい」と言うだけだ。

 その無関心さがむしろ、俺にとっては心地いい。


 学生会では、すでに会長と副会長、そして会計(というか司会というか)の三名が待っていた。ついでにメロもいる。

 書記と庶務の両名は席を外しているらしい。

 まあ、普通にほかの仕事だろう。会長さえいればいいくらいだったので、むしろ三人も揃っていることに驚いた。


「……来たか」

 顔を上げた会長に会釈だけ返し、さっそく切り出す。

 前に、まず問うた。

「セルエは?」

「昨日、迷宮に入ってから連絡がつかない」

「……そうか」

 ならばセルエは、今も自分の役目を果たしているはずだ。

 そう信じる。それくらいの信頼はあった。

 だから、俺は改めて、今日の本題を三人へと切り出した。

「まあ、ある程度の報告はメロから受けてると思うけど――もう一回。昨日、《水星》と交戦した。能力は概ね把握したけど、聞いてるよな?」

 敬語は抜きに話す。

 そうしてから、俺も意外と昨日の怒りを引きずっているのかもしれない、と少しだけ思った。

「変身と変心、だったね。……厄介極まりないな」

「悪いな、逃げられて」

「誰も責めまい」会長は首を振る。「というか、むしろよく水星と交戦して無事でいられたものだ。七曜教団という名はあまり聞かないが――《無貌の不心》の名は耳にしたことがある。奴の正体はドラルウァ=マークリウスだったのか」

 その二つ名は、決して一般に広く知られているわけではないが、それでも冒険者たちの間ではそれなりに有名だ。

 正体不明の大量殺戮犯として。


「奴がどこまで根を張っているのかはわからない。それこそ誰にも知られず、信者を自分の駒にできるわけだからな」

「オブロ=ドゥランはどうなんだ?」

 と、これは副会長が言った。もっともな疑問だろう。

「一度はシロだと見たが、こうなっちゃそうとも言い切れないんじゃないか?」

「……どう思う?」

 会長に水を向けられ、俺は少し考え込んでから言った。

「わからない、としか言えないな」

 理屈で考えれば違うとは思う。

 水星に乗っ取られた連中は、総じて意識せいしんが殺されていた。オブロがオブロのままでいるのなら、操られている可能性は低い。何よりアイリスが気づくはずだが、彼女はこれまで一度だってオブロに反応していない。

 だが、それだけを根拠にしていいのだろうか。

 水星の能力が、ただそれだけのものだと考えるのは安易に過ぎる気がする。まだ何か見落としているのではないのだろうか。

 相対したとはいえ、奴だって全力だったわけじゃない。


「仮に奴が水星の、本体でなくとも手先だとしよう。その場合はどう対処する?」

 俺は訊ねた。当たるのは会長だ。

 彼女は考え込むこともなく、当たり前のように言う。

「関係ない。魔競祭を途中で終わらせるわけにもいかないんだ、私が戦う以外にないだろうさ」

「そもそも」ミルが眉根を寄せる。「なぜ奴らが魔競祭に関わってくるんだ? なんの目的があって」

 当然の疑問ではあるだろう。

 ここに及んで、正体を隠し通すことはできそうにない。

「奴らの目的は俺です。全てではなくとも、少なくともその一部は」

「……どういう意味だよ」

「俺は――七星旅団セブンスターズの元メンバーです」

 反応はそれぞれだった。

 ミルは怪訝そうに瞳を細め、シュエットはぽかんと口を開いている。まあ総じて、「何言ってんだコイツ」という風情か。

 唯一、会長のミュリエルだけが反応を示さなかった。信じているのか、あまりにも馬鹿げた話だと思われたか。

 とはいえ、この場にメロがいれば証明にはなる。


「嘘じゃないよ。七星旅団の六番目セブンスターズ・ザ・シックスス、《紫煙の記述師(レトリックスター)》――それがこのアスタ=プレイアスだっていうのは、あたしが保証する」

「……まあ、今さら驚くことではないか。正直、君が単なる一般人だと言われるほうが納得しづらい」

「それはそれでどうだろう……」

 ミュリエルが瞳を閉じて言う。残りのふたりも、それで納得したようだった。

 シュエットが、微妙になった空気を崩すように言う。

「そ、それにしても、《プレイアス》ってことは、もしかして……」

「マイ姉はアスタのお姉ちゃんだね。義理だけど」

「……うわー。なんか雲の上の話題ー……」

 大袈裟なことを言うシュエットだった。

 別にそこまで大層なことでもないと思うのだが、まあ今はいいだろう。

「奴はどうにも、俺を殺したいらしいですから。俺が引き下がれば済む話なら、いつでも辞退するんですけどね……」

「意味はないだろうな。わざわざ魔競祭を舞台に選ぶ辺り、劇場型というか、意に沿わぬことを許す相手じゃないだろう」

 むしろ、それだけなら問題は少ない。

 最悪なのは、魔競祭オーステリアを選んだ理由がほかにあった場合だ。

 可能性で言うのなら、それこそ俺は魔競祭になど出場しない可能性のほうが高かった。


「ともあれ、得心がいったよ。そういうことか」

 首肯するミュリエル。それを受けてシュエットが、

「でも、それなら会長が辞退する分には問題ない……ですよね。やっぱり出場はやめたほうが――」

「いや」止めるシュエットに、だがミュリエルは首を振って答える。「悪いがそうはいかん。というより、得心したといったのは別の話だ」

「え……?」

「まだ言ってなかったがな。実は、この魔競祭の最終日に、お忍びで観戦に訪れる予定のお方がいらっしゃるのだ」

「……賓客、ですか」

「ああ。それもこの上ない、な」


 ――嫌な予感がした。

 この時期、この状況で訪れるものが、いい知らせだなんて思えない。

 ミュリエルは言った。


「王都から通達だ。非公式ではあるが、たってのご希望あってな。――エウララリア=ダエグ=アルクレガリス王女殿下が魔競祭をご見学にいらっしゃるらしい」


 丁重にお帰り願え。

 と、俺は心底から思った。



     ※



 正午を回り、俺は魔競祭のステージ上にいた。

 実況席にはシュエットがいる。これから始まる二回戦のため、すでに拡声器から煽りの文句を発している。

 そして目の前には、対戦相手であるウェリウスの姿。

 熱気と喧騒に彩られた舞台の真ん中で、俺はウェリウスに声をかけた。


「よう。調子はどうだ」

「……そうだね。ずいぶんいいよ」

「そうか。そいつは残念だ」

「酷いなあ」


 そう言って笑うウェリウスを横目に、俺はふと会場の方向を眺めた。

 このどこかには、アイリスとメロがいるだろう。いろいろと考えた末ではあるが、セルエがいない以上、連れて歩くのがいちばん安全だという判断だ。

 あるいはレヴィやピトス、シャルやフェオもどこかから試合を見てくれているかもしれない。

 果たして、どちらを応援しているのやら。


「……なあウェリウス、賭けをしよう」

 唐突に吐き出した俺の言葉に、さすがのウェリウスも驚いたようだった。

 それだけで言った甲斐がある――では、今回ばかりは済まされないが。

「またいきなりだね。内容は?」

「そうだな。勝ったほうが、負けたほうの言うことをなんでもひとつ聞く、でどうだ」

「なんでもって」ウェリウスは苦笑した。「大きく出るね。後悔しない?」

「てことは乗るんだな?」

「それで君が本気になってくれるなら」

「当たり前だろ」俺も笑う。「寝惚けたこと言ってると、お前だって一瞬で負けるぞ」

「強気だね。何かあったのかい?」

「別に。――しいて言うなら、目的がひとつできたってだけだ」

「……訊いても?」

「そうだな。俺に負けたら教えてやるよ」

「勝ったらじゃないんだ」

「そしたら勝者の権利で口を割らせりゃいいだろう」

「割に合わないなあ」


 確かに、と俺も思った。そう大した理由もないのだ。

 結局のところ、今の俺にとっていったい何が重要なのかという話である。

 それに気がついた以上、あとはもう戦うだけだ。

 戦って、勝ち取るだけなのだから。迷う理由はない。

 ――というわけで。


「お前には、俺とアイリスの平和な生活のための礎になってもらう」

「その発言は予想外だったなあ」


 うるせえ。

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