3-30『故郷』
リーフ=ラザーロは、魔術における自身の才能に一定の自負を持っていた。
小さな村の生まれだった。その村では神童と呼ばれていた。
同年代にも、いや村の大人たちと比較してさえ、魔術という分野においてリーフに匹敵する者はいなかった。
天才と。
そう称されるまでに、多くの時間は要さなかった。
村の近くには、ひとつの迷宮が存在した。
そう大きな規模の迷宮ではない。せいぜい十層クラスだが、それでも魔術師ならぬ人間にとっては死地と変わりなかった。近隣の冒険者にも、最下層まで潜れる魔術師は決して多くない。
だがリーフは、十二の頃にはもう大人たちに混じって迷宮冒険者の真似事を始めていた。
十五の頃には、すでに単身で迷宮の最下層から戻ってこられるようになり、気づけば村の魔術師でリーフに敵うものはなくなった。
リーフが、オーステリア学院への進学を志したのは、ちょうどその頃だった。
魔術研究の最高学府。王国で魔術を学ぶのなら、オーステリア以上の環境など望むべくもない。
リーフは入学のための勉強を開始した。
彼の魔術は、あくまで持ち前の感覚によるものだったのだ。冒険者として、実戦だけを考えるのならば、あるいはそれでも構わなかっただろう。
だがオーステリアは本来、研究機関だ。実践能力と同様に、理論的理解も重視される。その点、狭い田舎の村で過ごしてきたリーフは、最新の魔術研究などにはとんと疎かった。
だがリーフは腐らなかった。驕らなかった。
彼は真面目な努力家で、才能に胡座をかくことは潔しとしない性格だった。
とっくに一人前として認められていたリーフは、それから頻繁に村を出て、近隣の大きな町を巡った。管理局に冒険者として登録し、本格的にプロとしての活動を開始したのだ。
生まれ持っての才能以上に、その人格が幸いしたのかもしれない。温厚で人当たりがよく、それでいて積極性と決断力に富んでいたリーフは、行く先々で温かく歓迎された。
運もよかったのだろう。
しばらくは単独で活動していたのだが、高名な冒険者と知己を得ることに成功し、やがて彼は大規模クラン《創世境界》の一員として迎え入れられる。
なおかつ、冒険で得た報酬は全て、魔術関係の研究書や最新の論文を入手するために費やした。冒険者として活動している時間以外は、日常のほとんどを勉学のために使ったのだ。
いくら有名団体の所属とはいえ、冒険者クランの名前は学院の入学にそう大きなプラスとならない。入るだけなら、冒険者に登録するだけなら難しいことじゃないからだ。
高名な術者に直接の師事を受けたならばともかく、そこまでの後ろ楯となるものをリーフは持たなかった。学院へ入るには、自らの価値を、自らの能力で示していく必要がある。
そのための努力だったというわけだ。
――彼がオーステリア学院の入学試験に合格できた理由は、必ずしも才能だけではなかったということである。
とはいえ、何もかも順風満帆に運んだわけではない。
オーステリアの敷居は、入学してなお高かった。所属する学生たちは、その全員が一度は《天才》と呼ばれたことのあるエリートばかり。しかも英才教育を受けた貴族や、長い歴史を持つ名門家系の出身者が多い。
その差は特に座学において顕著だった。
幼少の頃から高度な教育を受けてきた学生たちと、ほんの数年を独学で賄ったに過ぎないリーフとでは、持ち得る知識に幅が開くのも無理のない話だ。魔術研究とは、それだけ裾野の広い分野である。
だが、座学ならば。机に向かっての勉強ならば、才能はあまり関係ない。努力で補うことができる。
そして何より、リーフには本職の冒険者として活動してきた経験がある。実戦ならば、決して負けないという自信があった。
誰より机に向かいながら、誰より外を這い回る。
その姿勢が、必ずしも誰もに受け入れられたわけではない。けれども理解してくれる友人が、切磋琢磨できるライバルが、教えを乞うに値する教師が、この学院には存在したのだ。
入学以前からの才能は、環境という追い風を受けて完全に覚醒した。
その成果が、一年時からの魔競祭本戦出場達成だった。
魔競祭の本戦は例年、シード権を持つ二年と、最上学年である三年で占められることが多い。オーステリアでの三年間は、それだけ個々人の才能に影響するということである。
友人や教師たちにも、組み合わせ次第ではきっといいところまで進めるだろう、と太鼓判を押されたものだ。
――だからもう。
一回戦の相手がメロ=メテオヴェルヌだったことは、運が悪いとしか言いようがない。
※
拡声器越しに届いた声で、俺はメロの一回戦突破を知った。
まあ勝つに決まっていたのだが。正直、面白味ゼロだ。
それにしても、試合時間がわずか数秒程度だったことには涙を禁じ得ない。対戦相手のリーフくんはもう、しばらく分の不運を使いきったのだと、厄落としの気分で帰宅していただきたい。
……いや本当、主に精神面に怪我とか負ってなければいいのだが。
メロの奴、なぜか機嫌悪かったし。八つ当たりで酷い目に遭わされていたら哀れすぎる。
なんか申し訳ないような気分になってくる。
いや、別に俺は悪くないはずだが。済まないリーフくん、強く生きてくれ。
顔すら知らないけど。
と、それはさておき。俺はステージを離れて、校門近くのオセルへと戻った。
さすがに時間も時間だからか、ピークに比べて客足もかなり落ち着いた様子だ。そろそろ閉まる出店も多くなる頃だし、まあ都合がいいと言えばいい。
「おー、アスター。いらっしゃー」
のんびりとした口調の店員、モカに迎えられる。最近すっかり馴染んできた。
少女はきょろきょろと辺りを見回すと、小首を傾げて俺へと訊ねる。
「……アイリスはー? いないの?」
「今日はね。ちょっと、ともだちのところ」
「そっかー。レン呼んでくるー」
モカは少しだけ悲しそうな表情を見せたが、すぐに踵を返してとたとたと駆けていった。
アイリスがいないことを、悲しいと思ってくれる友人がいることが、俺には少し嬉しく思える。
珈琲屋はすぐに来た。待っていたのかと思うくらいに。
眼帯で隠れていないほうの眼を、怪訝な色に染めてこちらを見据えている。何かを悟った、というよりは、初めから勘づいていたという風だ。
やたらと勘のいいこの男のことだ。それも不思議ではないのだろう。
別に何か迷惑をかけるつもりもない。
ただちょっと、利用させてもらおうというだけで。
「よう。どうだ、儲かってるか?」
とりあえず言ってみた。珈琲屋が、こんなにつまらない冗談は初めて聞いた、というような顔を見せる。
「いいから、さっさと用件を言って帰れ。こっちには迷惑をかけるなよ」
「そこは心配すんなよ、そこまで悪どくない」
「で。何をするつもりだ?」
珈琲屋は結論を急かす。まあ、今日まで何も聞かないでいてくれた分だけありがたいとは思っている。
だから、俺も端的に、結論から言った。
「――この学院に足を踏み入れた奴を、全員まとめて洗い出す」
いわゆる、鳩が豆鉄砲を食らったというような。
珍しく面白い表情を見せた珈琲屋に、俺は失笑を禁じ得なかった。
※
「お前、自分が言っていることの意味わかってんのか?」
珈琲屋が言う。もちろん俺もわかって言った。
「この数日間で、学院にいったい何人の人間が足を運んだと思ってる。お前の魔術は、その全てをまとめて識別できるのか?」
「まさか」
いくらなんでもそれは無理だ。とはいえ、物は考え方だろう。
何も全員を把握する必要などない。俺が捜しているのは七曜教団の連中だ。水星さえ見つけ出せれば構わない。
特定するのはひとりでいい。
それなら、まあ――不可能とまでは俺は言わない。
「……ここ、立地いいよな」
「はあ?」
ふと呟いた言葉に、珈琲屋が目を細める。
俺は答えずに続けた。
「なにせ校門のすぐ前だ、来客者は絶対にここを通る。出店やるなら最高だろ?」
「お前……そういうことかよ」
舌打つように、憎々しげな様子で珈琲屋が言った。
わかりづらいが、これで別段、この男は怒っているわけじゃない。単にそういう性格なだけだ。
真意に気づいた珈琲屋が、頭を掻きながらこう言った。
「……俺の店を結界に使いやがったな?」
俺は、あえて言葉をずらして答える。
「誰がこの店に名前をつけたと思ってる」
オセル――故郷の意を持つルーン文字。あるいは歴史や文化、伝統や領土という解釈も持っているこのルーンは、刻んだその場を自らの支配領域とする、結界系の印刻として最も単純な文字だった。
その上、今回は喫茶店そのものを魔術媒介として利用するのだ。ただ文字だけを刻むより、名前という概念を利用するほうが効果としては遥かに高い。
校門前の半径十数メートル範囲。
オープンテラスまで含めたその広間を、喫茶店の領域として応用する。
まあ、それでも《故郷》だけでは不十分だが、あとは流動を意味する《水》や、関係の調和を暗喩する《人間》、そして日々の運行や展開の解釈がある《一日》などのルーン文字を重ねれば、その領域に入った人間の流れを、時間さえ遡って掌握する結界を構築することができるだろう。
そのための仕込みは、この出店を設営する時点ですでに終えている。
そのために、俺はわざわざ手伝いをしたと言ってもいい。
「待て」
と、だが珈琲屋が首を振る。
理屈はわかっても、納得はできないという風に。
「なるほど、ルーンを応用して人の流入を把握できるとしよう。だが、それだけじゃ意味はないだろう?」
「……お前、本当に魔術に詳しいな」
「入った奴を全員洗い出せたところで、そのうちのどれがお前の捜してる人間なのかは特定できないはずだ」
「ま、その通りではあるんだが……」
よく気づくものだ。魔術に慣れていない人間が、そう簡単に浮かべられる発想じゃない。
魔術らしい魔術は一切使えない、と言い切る珈琲屋だが、実のところ俺はあまり奴の言葉を信じていなかった。
単純に、魔術に対する理解が深く、そして広いからだ。
珈琲屋のことだ。意味もない嘘をつくとは思っていないが、かといって正直なだけの男でもない。必要とあらば嘘もつくし、人を騙すこともあるだろう。そうでないほうが馬鹿げている。
なんなら、眼帯に隠された左眼が実は魔眼でした、と言われても俺は驚かないだろう。
……いやまあ、ないとは思うけれど。
「とりあえず、その点に関しては問題ない」
俺はあっさりと言った。珈琲屋は特に驚くこともなく、むしろ当然だという風に呟く。
「お前がそれを考えてねえとは思ってない。どうやったかだ」
「いや、単純な話、奴の魔力の感じなら掴んでるからな」
「会ったことがあるのか?」
「ないけど」
「……お前が何を言ってるのか、もう俺にはわからねえよ」
言葉とともに、諦めたような視線を向けられてしまう。
別段、そう難しいことを言っているわけではないのだが。ことは割と単純だ。
「会ったことはねえが、会ったことのある奴には会ったってことだ」
「はあ……?」
首を傾げる珈琲屋に対し、俺はピトスとアイリスが水星と遭遇した一件について教えた。
その際、水星はふたりの目の前で魔術を行使している。
その痕跡ははっきりと、ふたりに魔力として残されているというわけだ。
「いやいやいやいやいや」
だが、俺の説明に珈琲屋は納得しない。
どころか、明らかにおかしいモノを見るような視線で首を振る。
「他人に残った、会ったこともない人間の魔力を把握できるってか?」
「まあ簡単じゃねえけど。水星は結構、わかりやすい魔力だったからな。オセルの付近を通った人間の中から、同じ魔力の人間を特定する。あとはそれを辿るだけだ」
「お前が言ってるのは、濡れている人間を見るだけで、そいつがどこで泳いできたのか当てるってのと大差ねえぞ」
「いや、そこまでじゃねえだろ……」
「そこまでだよ。いい加減に自分の異常性を自覚しろ」
苦言を呈するというよりは、もう明らかに引いているという感じで珈琲屋が言う。心外だった。
別に俺にしかできない技術でもないだろうに。
元より、俺は直接的な戦闘より、こういった小技のほうが得意なのだ。それに七星でも、メロやシグみたいな火力馬鹿はともかく、たとえば教授になら同じようなことができるだろう。
「ま、いいや。とりあえず結界を起動するぜ」
一応断ってから、俺は地面にすっと手をつき、地面に魔力を流し込む。
途端、膨大な量の情報が、頭の中へと一気に押し寄せてきた。
いつ誰がどこへ――溢れんばかりの魔力情報を、受け取る先から精査する。ほんのわずかに、微かだけ目にした水星の魔力と、同じものを見つけ出すために。
そして――、
「見つ、けたあ……っ!!」
延べ人数で数万にも及ぶ魔力の中から、ついに俺は目的の水星を発見する。
走査の次は追跡だ。術式の網を、学院全域へと広げて水星を捜す。
正門広間にはいない。魔競祭会場も同様だ。出店通りにもやはり見つからない――端から精査を続け、そして。
敷地の奥。試術場が位置する一角で、俺は水星を補足した。
――そして。
同時にその目の前に、いるはずのない人物を見つけてしまった。
「あ、アイリス……?」
「どうした?」
珈琲屋の声。だが今は、それに構っている暇がない。
なぜアイリスが、またしても水星と対峙しているというのか。セルエはいったいどこに消えた。
「…………まずい」
一刻の猶予さえ許されない。
俺は両足に駿馬を刻むと、後ろを振り返ることもなく駆け出した。
何が起きたかはわからない。
だが、アイリスにもしものことがあってはならない。そんなことになっては、俺は自分を許せないだろう。
だから。そうなる前に。
――水星を殺す。




