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セブンスターズの印刻使い  作者: 白河黒船/涼暮皐
第三章 魔競祭事件
80/308

3-28『一回戦第七試合』

 ――ステージに上がる。

 独特の熱気と緊張感に包まれた魔競祭のステージ。満員に近い観客たちの喧騒も、実況役である学生会書記のシュエットの声も、今のピトスには上手く聞き取れない。

 それだけ、目の前の立つ者の存在が大きいからだろう。

 レヴィ=ガードナー。

 オーステリア学院が学院長の孫であり、長い歴史を持つガードナー家において史上最高の天才と呼ばれる女傑。


 いわゆる強い魔術師、と呼ばれる人間には一芸に特化したタイプの人間が多い。魔術の才能、などとひと口に言っても、そこには様々な要素が絡むからだ。その全てを万遍なく修めている魔術師よりは、どれかひとつの技能を究めようという者のほうが多い。

 その意味で言えば、レヴィという少女はむしろ例外的なタイプだった。

 全ての能力値が一貫して高い万能型。特化型の魔術師よりも特異性において劣るが、代わりに幅広い対応力と隙のなさを持っている。

 この手の魔術師を相手に、格下が弱点を突いて勝とうとするのは難しい。

 単純な話、隙や弱点と呼ばれる穴がないからだ。この手の魔術師を上回るには、一芸や戦術によらない地力の強さが必要となる。

 シンプルイズベスト。

 などと言っては単純だが、それはひとつの真理だった。


「――なんだか、こうして相対するのは少し新鮮ね」


 レヴィが、どこか苦笑するように呟く。

 対するピトスはしばし迷ったが、最終的に本心を答えた。


「そうですね。少し、緊張しています」

「そう? ……そうかな、うん。私もそうかも」

「それは……意外ですね」

「失礼ね。私だって緊張くらいするって」

「……いえ」

 不本意な答えに失笑するレヴィだったが、ピトスが言いたかったのはそういうことじゃない。彼女が意外に思ったのは、レヴィが自分の感情を把握できていない、という部分だった。

 別に、レヴィがどんな場合にも感情を動かさない超人だとは考えていない。彼女がそういった見られ方を嫌うことくらいは理解できていたし、その魔術師としての才能に比して驚くほど真っ当な感性を持っていることも知っている。


 なぜならピトスは、レヴィのともだちなのだから。


「こうして向かい合っていると、初めて会ったときのことを思い出します」

 ピトスの言葉に、レヴィは心底から楽しそうな笑みを浮かべた。

「懐かしいわね。あのときは、本当に殺されるかと思ったわ」

「その件については謝ったじゃないですか」

「あれ。そうだっけ」

「そうですよ」

 むくれるピトスだが、そんな表情はもちろんポーズだった。

 レヴィもそれはわかっている。だから、その話を続けることにした。

「そうだけどさ。でも、あのときは本当に驚いたわ」

 レヴィの言葉に、ピトスもまたかつての思い出を想起する。

 それは去年。ピトスとレヴィが、学院に入学したばかりのことだった。


 今でこそ仲のいい友人同士であるふたりにも、当たり前の話ではあるが、かつては友人どころか知人でもなかった頃が存在する。

 ふたりが知り合ったのは、学院に入学してからのことだ。

 別に驚くようなことではないだろう。入る前から知り合いだというほうが珍しいのだから。

 ただ、ふたりが初めて会ったそのときから打ち解けあったのかといえば、実のところそんなこともなかった。

 どころか。

 むしろ出会いとしては、最悪に近い形だったろう。


 そのことについて触れるためには、まず彼女たちがなぜオーステリア学院に入学したのか、という部分から考える必要がある。

 といっても、普通はそんなこと考える余地もない。

 オーステリア学院は王国における最高学府――それも最高のエリートが集まる学校だ。魔術を志学するものであれば、誰だってオーステリア学院へ入学したいに決まっている。

 しかし、ことこのふたりに関しては、そういった《普通》の理由で学院へ入学したわけではない。


 レヴィに関しては、特に言うまでもないだろう。

 ガードナーであったから。

 学院の、というよりはオーステリアという街の守護者として定められている彼女の一族は、当たり前のように全員がこの学院の出身だ。ガードナーの歴史においてさえ最高の天才と呼ばれる彼女もまた例外ではなく、どころかより望まれる形でオーステリアへと入学した。

 彼女自身の意志もくてきが、それに沿うかは別として。


 一方、ピトスの場合もまた少々事情が異なっている。

 彼女がオーステリアに入学したのは、おそらく誰よりも単純な理由からだ。

 すなわち、ほかに行く場所がなかったから。

 彼女には居場所がなかった。しかしその代わりに才能があった。

 魔術に対する非凡な適性。幼くして仕込まれた近接格闘技術。そして何より稀少な治癒魔術師としての才能――。

 オーステリア学院へ入学するのに、充分足りる才能だ。むしろ学院の側から乞われ、奨学生として生活の保障さえ受けられるレベルだと言えよう。

 だから、ピトスは学院に来た。

 ある事情によって、それまで住んでいた場所を追われたピトスは、だから自らの力だけで生きていかなければならなくなった。そのためには、このオーステリア学院という土壌はうってつけだったのだ。

 本当に、それだけの理由で、ピトスはオーステリアに入学した。


 そんな事情を抱えていたピトスは、だからというわけでもないが、自身の格闘技術を学院では隠していた。どこで身につけたのかと問われても、答えることができない。自らの過去を問い質されても、何ひとつ言葉にできなかったから。

 だから隠した。そもそもオーステリアは魔術の学院であり、徒手での戦闘技術など評価されるわけではない。面倒ごとは御免だった。


 普通ならそれで済んだ。自分から見せなければ、誰かに気づかれることなどなかっただろう。

 だがピトスにとって誤算だったのは、そこに普通ではない人間がいたことだった。

 レヴィ=ガードナーが、ピトスの隠していたことをひと目で見抜いてしまったのだ。


「驚いたのはこっちですよ」

 だから、ピトスは言う。あのときは本当に肝が冷えた。初対面で、レヴィはいきなり「そんな技術、いったいどこで覚えたの?」と訊ねたのだ。

 それが彼女にとって、絶対に触れられたくない急所であるとは気付かずに。

 魔術ではなく、体術に関して言っていることは明白だった。だからこそピトスは反応した。

 ただ格闘を修めていることだけならよかった。だがレヴィは、そこに込められた理念が《戦うため》ではなく《殺すため》のものであることまで見抜いてしまった。

 それが問題だった。

 咄嗟に、レヴィへ殺気をぶつけてしまったのだ。声をかけられた瞬間、反射的にレヴィを迎撃しようとしてしまったのだ。

 レヴィもまた、思わず腰の剣を抜き放つところだった。いきなり殺気を向けられては、それも当然の反応だったろう。

 その辺りで、ピトスもようやく自身の失態に気がついた。不味い、とは思ったが今さらどうしようもない。過剰な反応であることは、ピトスにも、もちろんレヴィにも理解できていた。

 一触即発の空気。

 何も起こらなかったことが、それこそ奇跡だとさえ思えるほどに。


「まさか、ただ目で見るだけで気づかれるとは思いませんでした」

「私だって、まさかいきなり殺気を向けられるとは思わなかったって」

「だから、その件については謝りましたよね」

「私だって、いきなり触れたことは謝ったじゃないの」

「なら、おあいこですね」

「そうね。おあいこ」


 ふたりは視線を交わし合って笑う。結局、その件はお互い、なかったことにするという合意で片がついていた。特に示し合わせたわけではないが、なんとなくそういう流れになった。

 そのままふたりは友人となり――以降、互いの過去に言及したことは一度もない。

 見張り合っていたのかもしれない。

 打算からの関係だったのかもわからない。


 けれど、絶対にそれだけでもなかった。


 それがわかっていたからこそ、今日までふたりはともだちだったのだ。

 ピトスはそう信じていたし、それはレヴィにしても同じこと。結局のところ、ふたりはお互いに、お互いを強く意識していたのだろう。

 友人としても――あるいはそれ以外のものとしても。


「どうなんだろ。誤算は誤算なんだけど、それでも、嬉しい誤算って言うべきなのかな」

「……?」

 自嘲するような、自戒するような。奇妙な表情を浮かべてレヴィがふと呟いた。

 その言葉に首を傾げるピトス。レヴィは「ああ」と頷いて、それから今度は首を横に振る。

「いや。ただ、ピトスが本気で戦ってくれるなんて、考えてなかったから」

「……別に本気で戦うなんて言ってませんけれど」

「そう? だとしたら、そんなものは着けてこないでしょ?」

 レヴィの視線は、ピトスの手元に注がれている。正確にはそこに嵌められた、武骨な黒の手甲にだ。

 さすがに、その手甲が魔術の媒介、ということはないだろう。それを使うということは、つまり素手による格闘を想定しているということだ。

 今まで学院では隠していた――闘う者としての自分を見せるということだ。

 それを見せておいて、本気でない、などと言う言葉は通じまい。抜けていた自分に、ピトスもまた苦笑する。


「……そうですね。わたしも、たまには暴れてみたいと思うのかもしれません」

「たまに? 今、たまにって言った?」

「どういう意味ですか」

「あははっ」

 面白そうに口元を押さえるレヴィと、そんな彼女に不満げな視線を向けるピトス。

 友人同士としてのやり取り。あつらえたような茶番が、それでもどこか愉快に思えた。

「私の目的にとっては、絶対にピトスが本気にならないほうがいいに決まってるんだけど。それでも、なんでかな。やっぱり少し、嬉しいって思える」

「レヴィさんの目的……ですか。アスタくんといろいろやってるのは、その辺りが理由ってことなんですかね」

「あら。もしかして妬いた?」

 冗談めかして笑うレヴィに、けれどピトスは頷いた。

「そうですね。少し」

「……それはまた意外な返しだわ」

 思わず目を丸くするレヴィ。だが、きっと彼女は勘違いしている。

 それを正すためにピトスは言葉を重ねた。

「だってアスタくんはレヴィさんのこと、たくさん知っているみたいなのに。わたしは何も知りませんから。わたしのほうが、付き合いは長いと思うんですけど」

「……ピトスだって秘密主義でしょ。アンタがいちばん、自分のこと何も話さない」

「かもしれませんね。まあでも、そんなことはどうでもいいんです」

「どうでもって……」

「ともだちだからって、何もかも話さなければいけないわけじゃないでしょう?」

 それを学んだのは、きっとこの学院に来てからのことだろう。

 だって、レヴィがそれを教えてくれた。何も話さないピトスに対して、何も訊かないでくれていた。

 そのことに――どれだけ救われたかわからない。


「……あまり話し込んでいるのもなんです。そろそろ始めましょうか」

 そう言うと、ピトスはすっと両手を構えた。戦闘態勢に入ったと示すように。

 レヴィもまた、それに応えるべく右手を剣の柄に添える。

「本気で戦うのは、初めてよね。私たち」

「そうですね。そして悪いですが――わたしが勝ちます」

 ともだちだから。

 だからきっと、誰より負けたくないと思うのだろう。

 ピトスは繰り返すように宣言する。

「勝ちます。言ったことはなかったと思いますけれど、わたしは――レヴィさんには、勝ちたいと思っていたんです」

「それは奇遇だわ」

 レヴィもまた凄絶に、それでいて嬉しそうに答えるのだった。

 普段は被っている猫も、このときばかりは脱ぎ捨てる。今の自分は笑っているだろう。それはきっと、心からの表情なのだとレヴィは思う。

「――私も実は、ピトスには勝ってみたいと思ってたから――!」


 そして、第七試合が幕を開けた。



     ※



 動いたのは同時だった。

 互いに最速で駆け寄って、お互いの得物を叩き合わせる。金属同士がぶつかり合う、硬質な音が高く響いた。

 剣と拳がせめぎ合う。威力と範囲ではレヴィが、速度と手数ではピトスが勝っている。

 つまりは互角ということだ。

 上から下へ、薙ぎ払うように振るわれたレヴィの剣と、ピトスの拳が正面から激突する。さすがにピトスが弾かれるが、レヴィの剣閃も肉体を捉えるまでには至らない。

 何より一本の剣に対して、ピトスの腕は二本ある。

 右手の次は左手を。続け様に振るうピトスに対して、次第に押され始めたのはレヴィだった。単純に考えて手数は倍。間合い(リーチ)の有利は懐に飛び込まれた時点で意味を為さない。

 もちろん、そんなことはレヴィにも理解できていた。

 彼女は単に押されたというよりも、むしろ自分から距離を開けようとしたのだ。中距離ならば鋭さにおいて剣が勝る。互いに一流と言えるレベルだからこそ、その勝敗は基本的な部分に終始する。

 近づかせまいとするレヴィと、潜り込まんとするピトス。

 剣が刻む白線と、拳の描く黒線が、次第にその速度を増していた。まるで、それ自体がひとつの演武であるかのように。見る者を強く惹きつけて止まない、儚くも美しい光景だ。

 レヴィが振るう横薙ぎの剣を、ピトスが屈み込むように躱す。そのまま片足を軸に回転し、足払いを仕掛けるピトスだったが、これはレヴィが跳び上がることで回避した。

 行動はそのまま次の布石に。上段から振り落とされるレヴィの剣を、ピトスは両腕を交差させることで受け止めた。そのまま半身を捻って剣の勢いを殺すと、彼女は再びレヴィの懐へと潜り込まんとする。

 だが直後、レヴィは剣から左腕を離すと、その掌から魔術を放った。

 単純な魔弾。だが、受ければ隙を晒し、それはそのまま敗北につながるだろう。前に出かけたピトスは、制動するように地面を強く踏み鳴らす。それは同時に魔術を励起し、目の前に防壁を出現させた。レヴィが放った数発の弾丸は、ピトスの魔術で完全に防がれる。

 だが目の前に壁を出すという行為は、すなわち自身の進路を減らす行いでもある。魔弾を放つと同時に横合いへと回り込んだレヴィが、防壁を避ける動きでピトスに斬りかかった。

 もちろん、それもピトスには見えていた。振るわれる剣に、彼女の拳が応戦する――。


 直接に戦ったことはない。

 それでも、ずっと近くにいたのだから。

 お互いの行動など手に取るようにわかる。だからこそ、これが踊りに見えるのだろう。

 一手でも損じれば即敗北に繋がる、細い細い綱渡り。

 レヴィとピトスであるからこそ、お互いに渡りきることができる。このふたりであるからこそ難しいのに、このふたりでなければ絶対にできない行為。

 そんな矛盾が、今のふたりには楽しかった。


「――さすがですね」

 片腕を支えに後転して、距離を取ったピトスがレヴィに言う。曲芸じみた身のこなしも、レヴィには全て見切られている。

 互いに得物が届かない距離。だからこそ、それは魔術の間合いだったが――下手な攻撃はむしろ自分を不利にする。それがわかっているからこそ、ふたりは言葉を交わすしかなかった。

「ピトスこそ! ほんと、想像以上」

「もう……こっちはいっぱいいっぱいですよ。少しくらい手を抜いて下さい」

「冗談。そんな余裕、あるわけないっての」

「その割には楽しそうですが」

「何? ピトスは楽しくないの?」

「……訊かないでください」

 それが答えだった。


 出し惜しみなんて一切していない。ピトスは全力だ。

 それでも互角か――いや、あるいは少し不利か。元よりピトスはあまり攻撃的な魔術を覚えていない。学院で学んだのは、後衛としての補助魔術が主だった。

 その差は、試合が長引けば長引くほど不利になる。何より純粋な魔力の量で、ピトスはレヴィに負けている。持久戦は絶対に避けたい。


 だが、かといってどうすればいいというのか。

 近接では詰められない。生半可な魔術ではむしろ隙を生むだろうし、かといって大技を準備する余裕などあるはずもない。

 武術で隙を生み、そこに魔術を当てる。基本ではあるが、それを簡単にさせてくれる相手なら初めから苦労するわけがなかった。

 レヴィは万能型だ。

 一方、ピトスは特化型である。武術と治癒。それがピトスの武器であるが、片方はすでに互角以下、もう一方は、そう戦闘で積極的に使える技術じゃない。かといって、ほかの技術は全て負けている。


「……賭けに出ますか」

 ピトスは小さく呟いた。

 その声は、けれどレヴィに届いている。

「何かする気?」

「ええ。せいぜい警戒してください」

「……上等っ!」

 瞬間、またもレヴィが駆けた。前の試合でクロノスが見せた速度と、ほぼ遜色ないまでの加速である。

 対するピトスは動かない。さてはカウンター狙いか、とレヴィは睨むが、その程度で動きを変える性格ではない。できるものなら見せてみろ、と思うくらいだった。


 その目の前で、ピトスが両手に魔力を溜める。なんらかの魔術を用意しているらしい。だが、それより剣が速いだろう。

 ひと息に間合いを詰めたレヴィが、袈裟懸けに右手の剣を振るう。

 それを見極め、反射神経だけで躱そうとするピトスだったが――甘い。

 レヴィの攻撃はフェイントだった。

 瞬間、レヴィは剣を持つ右手の指を開いた。

 目を剥くピトス。その眼前で、剣は重力と加速に従って斜めに落ちると、すぐ左手に拾われて再加速した。

 初めに狙った軌跡より、少し下を走る剣。だがレヴィは、それでもピトスなら躱すと信じていた。

 回避はする。だが、決して楽ではないだろう。その隙に試合を決める――。

 そう決意するレヴィだったが、今度、目を見開くことになるのは彼女の側だった。

 振るわれた剣を、ピトスは咄嗟に掌で受け止めたのだ。

 彼女の腕は、手の甲から肘近くにかけてを手甲が覆っている。だが、それは決して掌を守ってはいない。彼女の行為は片手で、それも素手でレヴィの撃剣を白刃取りせんとする行いだ。

 いくらなんでも、そんなことができるわけがない。

 びちり――とピトスの掌から出血が迸る。咄嗟に腕の力を緩めてしまうレヴィだが、この場合は彼女の甘さを責めるべきではないだろう。あくまで祭なのだから。


 驚きは続く。

 ピトスは直後、まるで誰かに背中を突き飛ばされたかの如く前に加速した。

 右手から血を滴らせながら、レヴィとピトスは、ほとんど顔も触れ合わんばかりの間合いに接近する。こうなっては剣もピトスを斬れない。

 咄嗟に距離を取ろうとするレヴィ。だがそれよりも、ピトスの左手がレヴィの胸に触れるほうが速かった。

 女性らしい膨らみを見せる胸を、ピトスの左手がまるで揉みしだくかのように掴む。

「――わたしの勝ちですね」


 おいそれ試合の話じゃねえだろコラ。

 などと思わず考えてしまうくらいには、ピトスの表情が至近距離に見えていた。若干の苛立ちを込めながらピトスを蹴り戻そうとするレヴィだったが――刹那、足から力が抜ける。


「な――!?」


 ほとんど膝から崩れ落ちるように、レヴィは前のめりにバランスを崩した。

 そして、その上体を、反対にピトスの足が蹴り上げる。

「――か……はっ」

 無防備に腹部を蹴りぬかれたレヴィは、両肺の息を絞り出されながら魔競祭のステージ上を吹き飛ばされていった。

 それでも剣を腕から離さず、受け身を取ったレヴィは褒められて然るべきだったろう。

 だが――ピトスを相手に、その隙は充分すぎるほどに大きい。


「――独りぼっちの村の子ども」

 ピトスの詠唱。それが始まると同時、レヴィの足元を魔力の茨が拘束する。

「独りぼっちでかくれんぼ。いくら捜しても求めても、見つけられないあなたはだあれ――」

 ピトスが両腕をかざしている。その中心に、高密度の魔力が集まっていくのが見て取れた。

 だが、そのときレヴィが注目したのは違う部分だった。

 見れば掌だけではなく、その口元からもピトスは血を流している。そして彼女の背後には、多くの魔術師が多用する魔力障壁が見て取れた。魔弾と同じくらい高い頻度で使われる魔術だが、普通は自分の後ろに出す意味などない。

「……なるほど。それで自分を押し出したわけか」

 呟いたレヴィにピトスが応じる。

「ええ。そうでもしなければ、隙を作れそうにありませんでしたから」

 障壁はすなわち壁だ。それが空間に現れるということは、同時にその場にいた存在が押しのけられるということでもある。

 それを使って、ピトスは自分の身体を前に突き飛ばしたのだ。そんなもの、硬い金属で背中を叩きつけられたのと変わらない。痛みは確実にあっただろう。

 決定的な敗北を防ぐために、自ら傷を負う――そんな魔術師を、レヴィもひとり知っていた。


 なんとも言い難い微妙な心境に陥りながら、レヴィは自分の胸に手をやる。

 全身の駆動が悪い。どこか痺れるような感覚がある。

 その原因にも、レヴィは思い至っていた。


 ――これは、治癒魔術が原因だ。

 あのとき、ピトスが触れた左手から、レヴィは治癒の魔力を流し込まれた。

 いわば過回復。

 なんの傷も負っていない身体を過剰に治癒され、活性化しすぎた肉体が逆に傷んだのだ。

 本来なら攻撃には使えない治癒魔術。それを逆手に取った戦法だ。

 もちろん、それでも治癒は治癒。攻撃魔術でもなんでもなく、この痺れも長続きはしないだろう。とはいえ、隙を作るだけなら充分すぎた。


 ――それはわかる。ピトスが最も誇るべき技能が治癒であることは疑いなく、ならばその得意技で勝負をするのは間違った選択肢じゃない。

 だが、自らを犠牲にするような行いはピトスらしいとは言えなかった。

 そういった行為は、彼女が最も忌み嫌うところだ。レヴィはそのことを知っている。

 ――彼女がなぜ治癒魔術師になったのか。

 もちろん才能があったから。それは事実だ。レヴィだって、適性があればきっと学んでいた。

 だが、それだけではないことも知っている。

 いや、詳しい事情は知らない。それを訊いたことは一度もない。

 けれど――長い付き合いのうちに、知ってしまうことがないわけじゃない。


 ピトス=ウォーターハウスが、ヒトの死というモノを極端に忌避しているという事実を。


「……アンタ、そういうの嫌いじゃなかったっけ」

 思わずレヴィは問う。言葉には出さずとも、互いの脳裏に、同じ男が浮かんでいるだろうことは知れていた。

 ピトスは疲れたような微笑みを見せる。

「死ななければいいんです。死ななければ治せるんですから」

「……アレもどうかとは思ってたけど。アンタも充分、大概だわ。この猫被り」

「それはレヴィさんには言われたくありませんね」

「ていうか、そんなもの受けたら私も死にかねない気がするんだけど」

「嫌ですね。わたしはそういうの得意ですよ? ちゃんと殺さないように撃つんで安心してください。きっちり治してあげますから」

「性悪!」

 拘束されたまま叫ぶレヴィ。今度は、ピトスも答えない。

 ただ小さく――放つ魔術を宣言するだけ。


「――拘束破砕術式、《檻の鳥》」


 直後、レヴィの立っていた地面が、真上からの攻撃に破砕された。



     ※



 巻き上がる土煙を眺めながら、息も絶え絶えにピトスは右手を治療する。

 続いて背中を治癒し、受けた負傷はとりあえず回復した。痛みはまだ残っているが、動けないというほどじゃない。

 元より、自ら治せるという保険があったからこそ、ピトスはこの戦術を選んだのだから。なんの保証もなく自爆できるあの阿呆おとことは、一緒しないでほしいと思う。


 ――倒せただろうか。倒せたはずだ。

 そう思う一方で彼女は、まだレヴィを倒せていないのではないかという心境に襲われていた。

 あるいは、それは願いだったのかもしれない。なぜならピトスにとって、レヴィはある意味で憧れの相手なのだから。

 強く、自分に恥じることなく、その意志に悖ることなく――常にまっすぐ立っている彼女は、ピトスの理想そのものだった。

 その彼女が、この程度で負けるはずがない、と。そんな信仰にも似た願いが、どこかにあることは否めない。

 もちろん全力だった。これで倒し切るつもりで練った策だし、実際かなり上手く嵌まった。

 ――かつて迷宮で相対したとき、彼が行った戦法の焼き直しだ。

 二度は通じないだろう。捨て身のピトスに思わず攻撃を止めるくらいには優しい彼女だが、捨て身だとわかっていて躊躇うほど甘い性格でもない。

 負けていてほしくないと思う。

 その上で勝ったと、そうも思う。


 やがて、巻き上げられた土煙が晴れていく。

 会場の床を穿つほどの魔術攻撃だ。仮に防がれていたとしても、決して無傷ではないだろう。

 その確信とともに前を見たピトスは、そして答えを知り、思わず小さく呟いてしまう。


「……もう、なんて言ったらいいのかわかりません」

「恥じることないわよ。今のは本当に危なかったんだから」


 ピトスの呟きに答える声。

 土煙の向こうには、レヴィ=ガードナーが、まったくの無傷で立っていた。


「切り札、切らされちゃったなあ。一回戦で使わされるなんて……さすがピトス」


 いったい何をしたのか。ピトスにはまったくわからなかった。

 わかるのは、レヴィが今の攻撃を完全に防ぎ切ったという事実だけ。攻撃どころか拘束さえ外したレヴィが、剣を片手に悠然と立っている。


「……何をしたのか、お訊ねしても?」

「教えるわけないでしょ……って言いたいところだけどね」

 訊ねたピトスに、レヴィは静かに微笑んで答えた。

 すっ、と軽く剣を持ち上げ、その切っ先をピトスに突きつけて彼女は言う。

「その答えは、これから教えてあげる」

「お優しいんですね、レヴィさん」

「知らなかった? 私、アンタのこと結構好きなのよ」

「わたしも、実はレヴィさんのこと好きですよ」

「両思いね」

「ええ。では――遠慮なく」

 言うなりピトスは拳を打ち放つ。

 それは攻撃というよりも一種の儀式だ。打撃という行為が意味を持ち、その拳の先から、まるで拳圧を具現化したように魔弾が撃ち出された。

 その一撃を、レヴィは軽く剣を払うことで消し去った。

「――!」

 剣の攻撃で相殺したのではない。今、魔術は完全に零へと返されていた。

 咄嗟にピトスは横合いに向かって走り出す。

 理屈はわからない。だがおそらく、あの剣には魔術を掻き消すような何かがあるのだろう。それがどれほどのものなのかはわからないが、少なくとも接近戦は不味い。そう考えた。

 一定の距離を保ったまま、ピトスは魔弾を連続で放った。

 このレベルにもなると、一撃一撃がただの牽制では収まらない威力を持っている。


 対するレヴィもまた駆ける。こちらも一定の間合いを保つような軌跡で円を描く。

 ピトスが撃ち出す魔弾の乱撃を、レヴィは剣で消滅させていく。それは魔力が霧散して溶けていくというよりも、収束して一点に消えるような感覚だった。

「魔力の……封印? いや、というよりも――」

 ピトスの声を、レヴィが拾って答える。

「近いわね。答えを言うと、単に魔力を閉じているんだけど」

「……まさか」

「そう――閉式鍵刃。私の、いえ――守護者ガードナーの切り札」


 要するに、剣を鍵に見立てた魔術の術式だった。

 全ての魔術は魔力に起因する。逆を言えば、その供給口さえ閉じてしまえば、魔術は魔術として成立しないということだ。

 レヴィの剣は――その扉へ強制的に鍵をかける。

 扉を守る者(ガードナー)に受け継がれし、魔剣としての術式奥義だ。


「……いえ」

 それだけじゃない、とピトスは気づく。仮に魔力を閉じられたところで、それ以前に込めた魔力まではなくならないはずだからだ。

 だが、レヴィの剣はそれさえなかったことにする。それは大仰に言えば、因果さえ逆転させているということだ。

 鍵を閉じるというよりも、だから正確に言えば、初めから閉じていたことにする。

 それが、レヴィ=ガードナーの切り札だ。


 ――非常に不味い。

 この手の高度な魔術は、そう簡単に使えないからこそ切り札なのだ。

 だが、剣を媒介として行っているという事実は、すなわち剣さえあれば比較的簡単にその魔術を成立させるという意味でもある。

 もちろん、何かしらの前提条件は必要なのだろう。でなければ初めから使っていたはずだ。

 だが――今はそれを成立させてしまったらしい。

 この魔剣を、いつまで続けて使えるのかは不明だった。とはいえ、そう長く使える術式ではないと思う。せめてそう信じたい。

 このとき、ピトスは持久戦を視野に入れた。

 初めは避けたかったはずの選択肢を、今となっては選ばざるを得なくなっている。


 そして、レヴィは逆に、ここで決めるつもりだった。


 それから、試合は初めの状態まで戻る。

 すなわち剣と拳による、至近距離での武術戦だ。この削り合いに勝利したほうこそが、次の試合へと駒を進める。

 一度は持久戦に持ち込もうとしたピトスだったが、その考えはすぐに改めた。

 ここまでの接近戦になれば、レヴィの魔剣はさしたる意味を持たない。何より過剰治癒オーバードーズの後遺症が続いている今ならば、格闘において有利に立てる。

 一方のレヴィもまた、考えとしては似たようなものだ。元より消極的な戦法は性に合わない。何より受けてくれる相手ピトスがいる今、戦いに応じない自分など許せなかった。


 宝剣と手甲が火花を散らす。

 剣と拳が、目にも留まらぬ速さで踊った。鋭い刃が頬を削ぎ、ピトスが頬から出血する。構う余裕などない。治癒なんかに割ける余力はあり得なかった。

 一切の容赦なく振るわれる剣を、ピトスは渾身の打撃で逸らす。その勢いに押されたレヴィの懐に、ほんのわずかだけ隙を見出した。手数で押すタイプのピトスだが、このとき、彼女の脳裏にあったのはセルエの格闘術だった。

 理不尽すぎるほどの一撃で、石の身体を持つゴーレムさえ粉砕する七星旅団の格闘家。

 もちろん、比べるべくもない一撃だ。ピトスは七星に到底及ばない。だが、その一端を再現することくらいならば――。


「甘い――ッ!」


 レヴィが叫ぶ。彼女もまた本気だった。

 剣を持たない左手で、レヴィは打撃をいなすようにすると、手に持った剣を地面に突き立てていた。

 剣術家としては、およそあり得ない行為。だが魔術師ならば話は別だ。その行為には全て意味がある。一見してなんの意味もない行いは、魔術師にとって略式の儀式なのだから。

 レヴィの剣が地面を刺すと、その部分がめくれ返るように、会場のステージが形を変える。まるで石畳を返すみたいに、地面が反り立ってピトスを阻んだ。

 構うものか。

 ピトスは壁になった床を強引に叩き砕く。だが――その向こうにレヴィの姿はない。

 違う。屈んでいたのだ。

 下から上に、伸び上がるように剣戟が走った。咄嗟に上体を逸らすピトスだが、前髪をひと房持っていかれてしまう。

 構わず突き出した右腕は、またしても剣の腹で逸らされた。手甲が傷つき、その黒鉄の身に傷を刻む。と――、


「……!?」


 がくり、とピトスの体勢が崩れた。先ほどのレヴィの焼き直しのように。

 その原因に思い至り、ピトスは愕然とする。

 ――身体の魔力を閉じられた……!

 右腕が動かない。どうやら、その部分の魔力循環を止められたようだった。

 鍵の魔剣は、肉体の内部にさえ作用するらしい。ピトスの身体能力は、言うまでもなく魔力の賜物だ。それを止められた時点で、魔術師はただの人に戻る。


「これで――っ!」

「――まだです!」


 ふたりは叫んだ。

 ピトスは自らの右腕に、残った魔力を外から注ぐ。これも治癒魔術の応用だった。

 治癒とは、言い換えれば肉体活性の技術だ。それを応用すれば、疑似的な身体強化も不可能ではない。

 無論、それは一歩間違えば過剰治癒オーバードーズを引き起こす諸刃の剣だ。だが今のピトスがそれで止まるはずもない。

 対するレヴィもまた、きっと終わりではないと信じていた。

 剣が振るわれる。

 拳が伸びていく。

 互いにとって最後となる渾身の一撃が、会場中の空気を震わせながら放たれた。

 そして――。


 レヴィの剣が、ピトスの喉元に添えられていた。

 対するピトスの拳は、レヴィの顔の横へと向かって宙を貫いている。


「……私の勝ちね」

「ええ。……わたしの負けです」


 ここに、第七試合が終了を告げる。

 勝者――レヴィ=ガードナー。

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