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セブンスターズの印刻使い  作者: 白河黒船/涼暮皐
第三章 魔競祭事件
79/308

3-27『一回戦第六試合/最強対最上』

「お疲れ、フェオ。一回戦突破おめでとう」

「ああ、えっと……うん、ありがとう」


 試合後、俺は医務に向かったフェオと合流した。

 幸い大した傷もない。魔弾の直撃で痣くらいは作っただろうが、その程度なら治癒魔術で一発完治だ。異世界の医療魔術は便利である。


「この調子なら二回戦も突破できそうだな」

「そのほうが、レヴィってヒトのためになるもんね」

 軽く言った俺に、フェオは皮肉っぽい答えを返してくる。とはいえ表情が試合前より少し緩んでいるのを見るに、冗談のつもりではあるらしい。

 体を動かせば発散できる、という辺り、やはり根の部分で単純な奴なのだろう。

 ただ、

「別に勝ちたかったら本気出してもいいけどなあ。あいつはむしろ、そのほうが喜ぶかもしれない」

「興味ない」

 それでも、何もかも割り切れたわけではないのだと思う。個人的には教団なんぞと関わってほしくはないのだが。

 あっさりと切り捨てられてしまった。


 医務局を出て、ふたりで観客席に戻る。前のほうの席は混み合うが、段の高い位置ならばそこそこ座れる場所はあった。まだ一回戦ということもあるのだろう。

 もちろん盛り上がる組み合わせも多い。この先の三試合は特にそうだ。

 まず次の第六試合はシャル対クロノス――二年代の秀才と、怪物と称される学生会の鬼才の戦いだ。さらには続いてはレヴィ対ピトス、そしてダメ押しにメロの試合と、目の離せない試合ばかりが残っている。

 ……まあ、メロの試合の勝敗など決まりきっているようなものだと思うが。

 それでも、かの《天災》の戦いぶりを見物したい観客は多いと思う。


 空いていた席へ適当に陣取り、ふたりで次の試合を待つ。

 フェオはどこか浮ついた雰囲気を纏っており、なんだか試合以外の箇所に意識が向いているようだった。


「……いいわけ? こんなところで、暢気に試合なんか観てて」

「いいんだよ。むしろ、そのほうが」

 七曜教団なるクランの存在は、公にはほぼ知られていない。だが奴らが危険な集団であることは間違いなく、放置などできようはずもない。

 とはいえ、そこにフェオを巻き込むか否かはまた別の話だ。

「…………」

 彼女はまだ納得いっていない様子だったが、それ以上は何も言わなかった。ひと安心して、改めて俺は会場を見る。

 フェオの様子がおかしいことには気がついていた。だからこそ目を離さないでおこうと思っているわけだ。

 気持ちがわからない、とは言わない。七曜教団の連中がいると聞かされたフェオの内心は、察して余りあるだろう。

 とはいえ、奴らの目的が俺たちにあるのだとするのなら、こうして釣りのように待ちの姿勢でも問題ないとは思うのだ。

 というよりほかに仕方がない。後手に回っているという自覚はあるが、祭を楽しんではいけないという考えも違う。

 と、俺は思うという話だ。

 ……それに実のところ、罠ならすでに張ってあった。

 あとはかかるのを待つばかりである。


「――っと、そろそろ始まるみたいだな」


 シュエットが拡声器越しに声を上げ始めて、俺は目の前の試合に集中する。

 できれば試合の間に、わかりやすくボロを出す奴がいればいいのだが。


『――さあ! 女子同士の対戦の次は、野郎と女の子という正反対のふたりがバトルに突入だあ! まず入場するのはシャルロット=セイエル! 第二学年シード候補の一角! 学院でも特に多くの魔術を修めているという彼女は、いったいこの試合でどんな手札を切るのか――!』


 歓声に呼び出されるように、シャルがステージへと姿を現す。

 ――様子がおかしい、といえば、フェオだけではなくシャルもそうだろう。

 結局、あの迷宮での一件以来、シャルと話す機会を設けることはできなかった。たぶん意図的に避けられているのだろう。

 何があったのかは、だから今もまだ俺は知らない。

 だが、彼女があの魔法使い(イプシシマス)アーサー=クリスファウストの娘だというのなら、何かがあったのだろうという事実は察せられる。


 実際、現れた彼女の表情はどこか優れなかった。

 硬いというか、色がないというか。初めて顔を合わせたときや、タラスへ向かったときに見せた歳相応の豊かな感情が、今はどこにも見られないのだ。

 そのことに、俺は何か言い知れない不安のようなものを抱いてしまう。


『さあ続いては下馬評における優勝候補筆頭、大本命の前回優勝者が入場だあ――! 今年もあのデタラメな強さを見せつけてくれるのか、あるいは世代交代か!? いずれにせよ、みんながお前を待ってたぜ? 学生会庶務、クロノス=テーロ――っ!』


 紹介と同時、壇上にひとりの男が現れる。顔を見るのは初めてだった。

 驚いたのは――だからだったのか。彼の姿を見た瞬間、俺は思わず息を呑む。


 ――圧倒的。

 凄まじいほど圧倒的な魔力量。それを隠すことさえせず、垂れ流しにしてクロノスは歩く。

 いったい何をどう間違えば、このような突然変異種が存在するというのだろう。


「……あり得ねえ」

 知らず、俺は呟いていた。

 それくらい、男の持つ魔力の量は常軌を逸している。

 これは、だって――メロよりも多い。

 もちろん魔力量を単純に強さとイコールできるわけじゃない。七星でも、俺は魔力の量だけで言えば上から数えて三番目だった。

 ちなみに、いちばん魔力量に優れていたのがメロだ。彼女でだいたい俺の三割増しくらい。並の魔術師と比較するのなら、百人近くを必要とするほどの量だ。

 だが、目の前の学生会庶務――クロノス=テーロは、そのメロをさらに二倍したほどの魔力を所持していた。所詮は感覚論なので正確なところはわからないが、そう外していないと思う。

 異常だ。

 こんなものはもう、ひとりの人類が所持していい魔力の量じゃない。

 なるほど、かつては学院最強と呼ばれただけのことはある――などというレベルをどう考えても超えていた。漏れ出る魔力から察するに、出力限界も総量に見合うものがあるだろう。

 ――なんだんだ、こいつは。

 魔力の量イコール強さではない、にしたって限度がある。ただそこに在るだけで、周囲を空間ごと歪めかねないほどの魔力量。そんなもの、その時点で暴力だ。


「シャル……」

 思わず、試合に臨む少女の名前を口にしてしまう。

 彼女は友人であり、そして妹弟子なのだ。

 ならば、きっと俺にはこの試合を見届ける義務があるのだろう。

 そんなことを――自分勝手に俺は思う。



     ※



 試合開始が告げられると同時、シャルが真っ先に取った行動は――防御だった。

 何か攻撃をされたわけじゃない。

 ただ、もし攻撃されたときは、その時点で終わりだと悟っただけ。

 なんの媒介さえ持たず、ただ自らの技量だけでシャルはステージの全域に複数の防壁を張る。いわば迷路のようだった。

 クロノス=テーロが近接型の魔術師であることは知っている。

 ならば、まずは絶対に近づかせないことからだ。

 そう考えたシャルの判断は間違っていない。何が間違っているかを言うのなら、きっと対戦相手の存在そのものだろう。


 白髪の鬼才は、まったくの無表情を保ったまま周囲に張り巡らされた障壁の迷路を見やる。

 関心があるのかないのか、それさえ判然としないほど色がない表情。いったいどんな判断があったのか、彼はそのまま、障壁の迷路に誘導される形でステージの上を進み始めた。

 二枚の障壁いたで作られた道を、クロノスはただまっすぐ歩く。

 横合いで見ている観客にだって、その判断が間違っていることくらいわかる。定められた道をそのまま進んでは、罠にかかることなど当たり前だ。

 余裕のつもりなのか、あるいは何も考えていないからなのか。

 いずれにせよ、シャルにできることは攻撃だった。


「――東に祭壇、西に神、北に司祭、南に火と香炉――」


 詠唱。シャルは両腕を前に突き出す。同時に、クロノスの正面にある障壁に、六芒の星が描き出される。

 クロノスはやはり表情を変えず、ただ目の前のそれを漫然と眺めた。

「――中央には四角の石。杖、鐘、油、乙女に書物。最強の秘にして聖なる神像。火を熾し、手を取り、香炉の前に燃え上がれ――!」

 長い詠唱は、それだけ魔術の神秘ちからを高めるものだ。

 その分、彼女が本気であることも窺える。


 そして――シャルの魔術が炸裂した。


 六芒の刻まれた障壁から、波を打つ火炎が迸る。

 それは質量を持つ魔術の炎だ。

 一切の容赦なくクロノスを襲い、その身に敗北を刻まんとする。障壁によって退路を塞がれた一直線の通路では、その魔術を躱すことなどできない。

 ただでは済まないだろう。魔術師でなければ、間違いなく命を落とすだろう域の攻撃。いや、たとえ魔術師の抵抗力をもってしても危うい域だ。

 それを――クロノスはただ生身で(丶丶丶)受けた。

 彼が行ったことといえば、両手を開いて軽く前に突き出しただけ。それ以外には一切の防御を行わず、悠然と炎の中を歩く。全身を焦がす熱に表情を変えることさえなく、クロノスは火炎の波を突っ切った。

 その肉体は、火傷のひとつさえ負っていない。ときおり焦がされる服の内側には、傷ひとつない肌が覗いていた。


「…………っ」

 シャルの表情が歪む。当然だろう、渾身の詠唱儀式魔術を、クロノスは魔術さえ使わずに受けたのだから。

 そのままクロノスは炎を完全に受け止めると、やはりまっすぐ歩くことで正面の行き止まり――つまり六芒星の刻まれた障壁の前まで辿り着いた。

 その壁を、クロノスは一撃、ただ殴ることで破壊する。

 魔術を受け止めるための障壁が、ただ肉体による攻撃では破壊されたのだ。

 そうして彼はまっすぐ進む。

 そう、クロノスにとっては初めから、シャルの障壁など存在していないも同義だったのだ。だからまっすぐ――シャルに近づくための最短距離を歩いたに過ぎない。

 もちろんシャルも諦めない。彼女は矢継ぎ早に魔術を放った。

 障壁を経由して、いくつもの魔術が起動する。

 肉体を抉る魔力の棘、移動を束縛するための術式、詠唱から撃ち出される渾身の魔弾――。

 そのことごとくを、クロノスは生身だけで無効化していく。急ぐこともなく前に歩き、邪魔になる障壁は全て発泡スチロールか何かのように破砕していった。


 もはや試合の趨勢は、誰の目にとっても明らかだ。

 シャルは、クロノスがただ《前に歩く》という行為を止められない。驚くほど多彩な魔術を彼女は用いたが、クロノスが持つ魔力の前に、全ては意味を持たなかった。

 そして、クロノスがついに、最後の障壁を割り砕く。


「――降参してくれませんか」


 あっさりと。提案というよりも、ただ独り言を零したかのようにクロノスが言う。

 だが、それでもシャルは諦めなかった。

 彼女は答えず、おそらくは最後となる魔術の起動を返答に代える。

 いつの間に用意していたのだろう。クロノスの足元に、複雑な文様の刻まれた魔術陣が浮き上がる。陣は輝きを放ち、その外縁に沿う形で光の杭を打ち出した。

 いわば魔術で構成された牢だ。足元から、円を描くように何本もの杭が伸びてきて、クロノスの身体を鳥籠の如く拘束した。

 シャルの魔術は凄まじい。

 果たして何人が気づいたのか。それは単なる物理的な牢ではない。ヒトを捕らえるという意志が具現化した、術式の刻まれた魔術牢――概念魔術だ。

 たとえ七星レベルの魔術師でも、ここから逃れるには圧倒的な魔力による強引な破壊か、術式に対する介入の技術が必要になるだろう。

 身体能力云々で突破できるような術式じゃない。


 だが、クロノス=テーロは。

 その檻を、無造作に片手で払いのけた。


「――降参してくれませんか」


 クロノスは再度、同じ台詞を、まったく同じ声音で言う。

 シャルはやはり答えない。こちらもまた、絶対に敗北を認めないとばかりに駆け出して、新たな術式を構築し始める。

 無様に背を向けて逃走してでも、絶対に勝ちは諦めない。もはや執念をすら感じるほどだ。

 ――けれど。

 そんな彼女の足掻きを見て、クロノスはやはり、無感情な声音で小さく呟いた。


「残念です」


 その刹那――彼はそれまでとはまったく違う動きを見せた。

 足に力を込め、その直後には一瞬でシャルに追いつく。ただでさえ魔術が通じないにもかかわらず、その身体能力まで超人の域なのだから救いがない。

 逃げるシャルにあっさりと追いついたクロノスは、彼女の首筋に軽く手刀を落とす。

 その一撃で意識を奪われ、シャルロット=セイエルはあっさりと昏倒した。


 それが、第六試合の顛末だった。



     ※



 気づけば、会場が静まり返っている。それだけ、誰もがクロノスの異常さに意識を奪われていたのだろう。

 なまじシャルの実力が一定以上に高かったせいで、クロノスの異常さがより浮き彫りになっている。

 ――化け物だ。比喩ではなく現実として。


「なんだ、あれ……」

 としか言うことができない。

 圧倒的な魔力抵抗、素手で障壁を叩き割る膂力、逃げるシャルに追いつく身体能力。

 その全てが、比喩ではなく怪物の域だった。《天才》ならぬ《鬼才》――その言葉の意味を、俺もまた思い知らされた思いだ。

 奴は結局、一度たりとも魔術を使うことがなかった。にもかかわらずこの結末だ。


 ……どうなってんだ、この学院は。

 レヴィといいウェリウスといいクロノスといい、どうしてこう例外的な奴ばかりが揃っているのだろうか。

 魔術師ってなんだったっけ。よくわからなくなってきた。


「……あのヒト、ううん……でも、もしかして」

 ふと、隣に座るフェオが小さく何かを呟いた。誰に聞かせるという風でもなく、ただ思いついたことが口から漏れた感じだ。

 フェオの二回戦の相手は、これでクロノスに決定している。

 その割には余裕があるというか、相手のことをあまり気にしていないようなのは不思議だ。

「どうかしたのか?」

「え? あ、いや、別にそういうわけじゃないけど……ただちょっと」

「……ちょっと、何?」

「――彼。わたしの親戚(丶丶)なのかな、って――」

「親、戚ぃ……?」予想外の台詞に、思わず妙な声が出た。「え、何? そうなの?」

「いや、たぶんアスタが思ってるのとは違うと思うけど」

「なんか、もったいぶった言い方するな。何か気づいたんなら知りたいんだけど」

 フェオが気づいて、俺がわからないというのも悲しい話だ。魔術に関する知識なら、言っちゃなんだが俺のほうが上だと思うのだが。

 結局、フェオは軽く首を振ってこう言った。

「やめとく。間違ってたら恥ずかしいし、別にどうでもいいでしょ。どうせ当たらないんだし」

「まあ……たぶんそうだろうけど」

 そう言われると、こちらからも強くは訊き出せない。元よりただの興味本位だ。

 一連の事件に関係あるかと問われれば、これはさすがにないだろうし。形の上では魔競祭のライバル同士である彼女に、手札を伏せたいと言われては終わりだ。

 フェオも別に、そこまで自信があるというわけではなさそうだった。俺も少し、自分で考えてみるとしよう。


 曇り空の下の会場では、次の試合の準備が粛々と進められている――。



     ※



 ――同時刻、オーステリア城壁外部。

 郊外の街道から少し外れた場所に、別の怪物が存在していた。


「……なんとも悪い時期に来たものだ。いや、ある意味ではタイミングがよかったのかもしれないが……」


 乱れた髪を掻きながら、シグウェル=エレクは静かに呟く。

 周囲に人影はない。見えるのは地平線まで続くだだっ広い平地の光景だけだ。

 にもかかわらず、シグウェルはまるで誰かに語りかけるかのように、誰もいない空間へと独り言つ。


「確かにこれは俺の役目か。本当は送り届けたらすぐ帰るつもりだったんだが。マイアの奴に、またいいように使われたな……」

「――はは。それはこっちの台詞だなあ」


 と、誰もいないはずの空間から、なぜか答えるかのような声があった。


「なにせ彼女には完全に裏をかかれた……錬金魔術師ね。なるほど、本領はむしろ人形作り(丶丶丶丶)のほうだったわけだ。いや、同じ女性に振り回される同士、共感を覚えるよ」


 果たして、いつの間にだったのか。

 気づけば目の前の喬木に、シグウェルはひとりの女性を見つける。

 まるで枯れ枝のように草臥れた感じのする女性が、幹に背を預けて座っていた。その手には一冊の本を持ち、そこに視線を落としている。

 痩せぎすの身体。鈍い銀色の髪を持ち、どこか中性的な外見をしている。見る者によっては男性とも、女性ともつかないような曖昧さがあった。女性だと判じられたのは、その声を聞いたからに過ぎない。若くも老いても見えた。

 身体には襤褸ぼろと見紛うほど薄汚れた白衣を羽織っている。それがまた妙に似合っており、言うなれば妙齢の研究者然とした雰囲気を纏う落ち着いた女性だった。

 シグウェルはまったく動じることもなく、単なる世間話の延長であるかのように語る。


「なんの話だ?」

「ああ、つれないなあ」


 言葉の割に、白衣の女は愉快げだった。噛み殺すような笑みを見せながら、立ち上がって片手で樹の幹を撫でていた。

 本を閉じ、それを白衣の中に仕舞って笑う。


「まあ、君が言うなら本気なんだろう。《辰砂の錬成師》とは、確か幼馴染みだったと記憶しているけど」

「……それで。俺を呼び出したのはお前か?」

「無視は寂しいなあ。まあそんなものか。うん、そうだね。こちらも仕事だからさ。命令には逆らえない」

「そうか。なんの用だ」

「あっさりなんだね。うん、それじゃあ端的に言うんだけどさ――君、もうオーステリアから出て行ってくれないかな? 君に留まられてしまうと、僕たちは非常に困ってしまう」

 魔術師同士の邂逅とは思えないほど、剣呑さのない、どこか緊張感に欠けるふたり。

 その平穏が、所詮は仮初めのものであると知っていながら。互いに互いを滅ぼし得るすべを持つからこその、張りぼてじみた探り合い。

「邪魔と言われてもな。俺もすぐ帰ろうと思ってたんだが仕事が増えてしまったんだから仕方ないだろう」

「それについては悪かったよ。こっちも、このときこの場所に《魔弾の海》が現れるだなんて想定外だったんだ。本当は《火星》の彼にがんばってもらう予定だったんだけど」

 火星、という言葉は聞いた表現だった。シグウェルは、少し前に撃退した魔術師のことを思い出す。そいつが確か、自らを火星と呼んでいた。

 侮るなかれ。《魔弾の海》を敵に回して、それでもなお生き延びるという成果がいったいどれほどの偉業か。それを知らない魔術師はいない。

 クラン《七曜教団》は、知名度で言うならば無名もいいところである。シグウェルでさえ、その名を知ったのはつい最近だ。

 だが個人としては事情が違う。たとえば七曜教団でも《火星》と《水星》を名乗るふたりは、それなりに名が知られていた。いわゆる裏の社会において、主に悪い意味でだが。


「……お前は、自分が一連の殺人の犯人だと認めるのか?」

 シグウェルの静かな問い。

 わかりきった無為なやり取りに、白衣の女は嘲笑うかの如く口を開いた。

「その質問は悲しいなあ。世に最強を謳われる君が、ひとつの幻想の頂点に立つ君が、そんな決まりきったことを訊いてくれないでほしいね。君はどうしてここに来た? そう、死体の横(丶丶丶丶)に、わざわざ呼び出しの文言を僕が書いておいたからだ。それで、その上でここにいる僕が、無関係なわけないだろう?」

「……あの死体はどれも人間の形を保っていなかったな」

「ああ、なんだ。なるほど、そこに気づいてたんだね。その通り――街の死体は、ほとんど全てが実験に耐え切れなかった魔術師さ。殺したんじゃなくて、耐え切れなくての自爆。そうか、そういえば君たちには、数少ない生存例(丶丶丶)を押さえられていたね。てっきり、彼女は《辰砂》と行動を共にしているものだとばかり思っていたよ」

「あっさりと認めるものだな」

「ほかの連中ほど、僕は教団の教えに肯定的じゃないからね。僕は魔学者だ、神様なんて信じていない」

「それこそ、魔術師の台詞じゃないだろう」

「そう、矛盾だね。だから面白い。まあ、本来は適当に処分するつもりだったんだけどね。何を思ったのか、《木星》くんが利用しようとか言い始めたのさ。君たちへのメッセージ代わりだったのかな。まあ、それを受け取るのが君じゃ、差し引きマイナスが多すぎるけど。お陰で僕まで出張ってくる羽目になった」

「……ずいぶん簡単に事情を話すものだが、それは引っかけのつもりか。それとも余裕か」

「どちらも間違いだけど、まあ判断はご自由に。ああいや、自由なんて言葉は僕じゃなく火星が使うべきかな。まあいいや。なんなら今回の目的を教えておこうか? どうあれ、この段階で七星の上三人(丶丶丶)に関わられるのは絶対に避けたいんだ。聞いて引いてくれるなら助かる」

 彼女は白衣のポケットから煙草を取り出して、けれど火をつけるでもなく軽く笑む。

 なんだかやけに愉快げだった。

「煙草って美味しいものなのかな。僕はんだことがない」

「……知らないな」

「そうか――ああ、でも、いいものだよね。実は貰い物なんだけれど、眺めているだけでも悪くない。銘は皮肉だが(丶丶丶丶丶丶)――まあ魔法使いの考えることなんて、普通の人間にはわからないからね。そんなものだろう」

「…………」

「仕込みと、勧誘と――殺害。それが今回の目的だよ。できれば七星を、もうひとりくらいは減らしておきたい」

 あっさりと。天気でも告げるかのように女は言う。

「本来、この段階ではもう死んでいる(丶丶丶丶丶丶丶)はずの彼が生き残ってしまったからね。呪いひとつでさ」

「……どういう意味だ?」

「七星は僕らの敵だという話さ。まあ、お陰で戦力外にはなったんだけど。どうも《木星》の彼がご執心らしくて。今の段階で、《紫煙》を消しておきたいみたいなんだ」

「だが、それだけが目的じゃないだろう」

「…………」

「殺したいだけなら、毒でも盛って暗殺するほうが遥かに楽だ。ほかに目的があるんじゃないのか?」

「……あー。ま、そうなんだけれどね。それで殺せるなら苦労しないし、それに、生憎と僕たちは正義の味方(丶丶丶丶丶)だから。信仰上の都合って感じかな」

 ――さて。と呟き、白衣の女はシグウェルに向き直る。

 取り出した煙草を意味もなくまた仕舞い込み、億劫そうに関節を解しながら言った。


「お喋りはこのくらいにしておこうか。悪いけど付き合ってもらうよ? 今この段階で、君に表側へ出張られると困る。水星の彼女も木星の彼も、今はまだ君には勝てないから」

「……今はまだ、か」

「そのための実験で、そのための犠牲だったからね。それに《日向》と《天災》には対策を講じてある。でも、君は駄目だ」

「お前なら俺を殺せると?」

 挑発するでもなく問うシグウェルに、女は肩を竦めて笑う。

「殺さないよ。まだ殺さない」

「…………」

「でも、足止め徹すると割り切ったとしても、それでも君を止められる人間は限られるからね。というか君みたいな化物どうにかできる戦力があったら、初めからこんな回りくどい真似はしないという話さ。僕に与えられた責務は、せいぜい祭が終わるまでの間、ここで君を足止めしとくことくらいのものだ。そのくらいなら、まあ――できるんじゃないかな」


 ――《魔弾の海》を足止めしろ。

 そんな発言がすでに、魔術師にとっては死刑宣告に等しい。

 だが白衣の女に気負う様子は皆無だった。何より対するシグウェル自身が、目の前の女性にそれだけの力があると悟っている。


「単純な話だよ。僕を殺せれば君の勝ち、それができなければ僕の勝ち」


 シグウェルは答えなかった。ただ代わりに一発の魔弾を放つ。

 最強と呼ばれる魔術師の魔弾だ。一切の予備動作なく、目にも留まらぬほどの速さで、人間など軽く数十人は殺せるだけの威力を秘めている。その一点だけで怪物だと知れるほどの魔弾。

 だが――当たらなければ意味はない。

 魔弾はシグウェルの狙いを逸れ、遥か明後日の方向へと消えていった。

 このとき、ほぼ無表情だったシグウェルの気配が明確に変わる。ただしそれは、何も魔弾を避けられたからではない。


 ふと気づけば、周囲は完全な夜になっていたからだ。


「無粋な真似はしないでほしいな。魔術師なら、まずは名乗りから始めるべきだ」

 白衣の女が笑う。シグウェルは、すでに自分が結界の中へと取り込まれている事実に気がついた。

「これは……」

「概念結界《夜天新月ブラックアウト》――悪いけど、ぼくの世界に神の威光は届かない」

 光なき闇の淵。夜。それは混沌という概念の最も特徴的な表現だ。

 魔物が蔓延る異界との境界。それを魔術によって体現する、最上級の結界魔術。

「……思い出した。どこかで見た気はしていたが、お前――《魔導師メイガス》か。教授を通じて、一度だけ顔を合わせていたな」

 魔法使い(イプシシマス)を除く、実質的な魔術師の頂点。人間としての最上位階。

 その背景を指摘された女は、だがこのとき初めて、心底から顔を顰めて呟く。

「む。その話はやめよう。アレのことは苦手なんだよ、どうにもね」

 気の抜けた発言。だがそれを最後に、ふたりはどちらからともなく互いの眼を見る。

 その意識を、戦闘のために引き締めて。


「七曜教団《月輪》――ノート=ケニュクス」


 魔術師らしく。《月輪》は正面から名乗りを上げた。

 それを前に、だからシグウェルも、自らの所属を静かに答える。


七星旅団セブンスターズ二番目セカンド。――《超越オールオーバー》シグウェル=エレク」


 ――そして、決闘たたかいが始まった。

 魔競祭の裏側で行われた、人類としては間違いなく世界最高峰の魔術合戦。

 観客はなく、歴史きろくに残ることもないそれは――最強と最上による、たったふたりだけの戦争だ。


 観測者のない月夜の異界で、魔弾の星々が煌めいていた。

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