3-26『一回戦第五試合』
ピトスから全身を執拗に弄くり回され――もとい治療されてから学院に向かった。
お礼として朝食をご馳走し、せめて魔力を回復してもらう。それから学院に着いたところでピトスと別れ、午前中はオセルの店員として働いた。
アイリスをセルエに預けてしまった以上、俺が代理として働かなければ。珈琲屋は特に何も言わなかった。
喫茶《オセル》出張店舗は、魔競祭三日目を迎えてさらなる客を集めていた。
新規の客以外にリピーターも獲得したようだが、それにしても凄まじい繁盛っぷりだ。ときおりノキが明るく声をかけられていて、どうやら彼女目当ての客も少なくないらしい。
昨日の試合では会長に敗北したと聞いているが、そのときにファンでも獲得したのだろうか。
客足自体は増えていたものの、俺も仕事には慣れてきていた。前回より意外と効率よく仕事を回せたような気がする。妙に上機嫌の珈琲屋から、なんと皮肉のひとつも貰うことなく、午前の仕事を終わらせることができた。
午後になって、オセルの賄いを頂いてから会場に向かう。
天気は生憎の曇り模様。場合によっては、明日辺り雨が降るのではないだろうか。
とはいえ、昨日にも増した活気は一段と熱く、この程度の雲くらいなら吹き飛ばしてしまいそうな勢いがあった。
まあ、仮に雨が降ったとしても、結界で全て防げるのだが。
それでも、晴れてくれればいいと思う。
※
『さあ、魔競祭三日目の今日は決勝トーナメント一回戦第五試合からスタートだ! まず登場したのはスクル=アンデックス学生会書記! 別名《学生会一モテる女》! 可愛い顔してやるときはやる、学生会の良心が今、魔競祭のステージに降り立った――!!』
相変わらず、身内にも容赦のない実況だった。
紹介されたスクル書記は、顔を真っ赤にして縮こまるように現れる。その様子は確かに可愛らしいものだったし、実際に来客の野郎どもは大いに盛り上がっていた。
というか、シュエットもそれを狙って言ったのだろう。
紹介は全般的に好意的だったが、この場合、そのほうがむしろダメージは大きいか。
『それに対するは編入生フェオ=リッター! 新進気鋭の攻略クラン《銀色鼠》から、はるばる学院までやって来た期待の一年生だあ! 果たして姉に劣らぬ本職としての実力を見せつけるのか、あるいは学生会の手でオーステリアの洗礼を受けるのか!? 新旧学院美少女対決の火蓋が今、ここに幕を切って落とされるぜ――っ!』
一方、続いて現れたフェオは、どこか難しい表情をしていた。これからの試合に緊張している、というよりは、むしろ心ここにあらずといった感じか。集中できていない気がする。
わずかに『美少女』と言われた部分で狼狽えたように肩を震わせたが、最終的に感知しないと決めたらしい。
フェオもフェオで、なんというか基準が狭い奴だ。真っ当に実力を発揮できれば、一部の怪物たちにさえ食い下がれる程度の力はある。
願わくは彼女がその全力を、この魔競祭でお披露目できればいいと思う。教団の連中のことなんて、今は考えてほしくない。
祭は祭だ。
彼女を強引に引き入れた者として、せめて楽しんでくれれば嬉しい。
「――がんばれよ、フェオ」
※
「昨日振り……ですね」
そう言って微笑むスクルに、フェオは小さく頷くことで答えた。
――自分のことを知っているはずだ。
フェオは思う。なぜなら対戦相手だったのだから。名前も顔もほとんどの学院生を知らないフェオは、相手なんてまったく気にしていなかった。
「その節はご迷惑をおかけしました」
「それは、むしろこっちが……」
「話の最中に割って入ったのは事実ですから。急いでいたとはいえ、申し訳ありません」
「……試合とは関係ないから」
端的に切って捨てるフェオ。彼女の興味は、もはや魔競祭ではない部分に向いている。
フェオはしばらくスクルを睨んでいたが、やがて視線を切り、腰にある剣の柄に手を当てた。タラス迷宮での一件以来、シルヴィアから預かったままになっている銀剣――エイラ謹製の魔術兵装である。
思うところはあったのだろうが、スクルもまた何も言わないことで応えた。
フェオが見たところ、彼女は特に武器を持っていない。代わりに手首のブレスレットから魔力を感じるため、おそらくはそれが持ち込みの魔具だろう。
見たところ、近接戦闘者という感じではない。おそらくは典型的な砲台型、儀式系魔術師だろう。フェオとは正反対のタイプだ。
いずれにせよ――近づいて刃を当てればそれでいい。
互いが臨戦態勢に入ったと判断され、審判の合図を受けたシュエットが口を開く。
『それでは一回戦第五試合――始めえっ!』
真っ先に動いたのはフェオだった。直線ではなく、僅かに右へ弧を描く軌跡で、一気にスクルとの距離を詰める。
対するスクルは動かなかった。その速度には目を見開いたようだが、片手を軽く振るうことで対応した。なんらかの魔術を使ったのだろう。
――だが、何も起こらない。
というより、何かをされるより早く、一撃で決めるつもりでフェオは駆ける。
斬りかかって怪我を負わせるわけにもいかない。寸止めするつもりで鞘から剣を抜き放ったフェオは――気づけば、スクルを遥か通り過ぎた地点を走っていた。
「――!?」
咄嗟にブレーキを踏む。危うく、自ら場外に飛び出していくところだった。
まるで時間が飛んだみたいに。フェオは、スクルに近づくという過程を通りすぎて、いつの間にか追い越してしまったのだ。
慌ててフェオは振り返る。だが意外にも、相手のスクルもまたその表情に冷や汗を浮かべていた。
「……驚きました。凄まじい速度ですね――まさかいきなり切り札を切ることになるなんて」
どうやら、彼女にとっても今の魔術はギリギリであったらしい。
これで余裕の表情をされていたらフェオも落ち込むところだったが、少なくとも、フェオの身体能力は目の前の相手に通じるレベルのようだ。
「何を、した……?」
「会長じゃないんですから、それは言えませんよ」
「……それもそうか」
馬鹿なことを訊いた、と苦笑しながらフェオは再度走る。今度は直線で、最短距離を駆け抜けるようにスクルへ迫った。
おそらく、そう簡単に連発できる魔術ではないと踏んでいる。
だが今回はスクルも棒立ちじゃない。
彼女は足に力を込めると、左右に向けて走り出す――。
「……なっ!?」
再度驚くフェオ。
なぜなら今、スクルの姿はふたり分に増えている。分身していたのだ。
身体能力は一流に近いが、魔術に関してはよく言っても二流以下のフェオだ。当然、スクルが何をしたのかなどさっぱりわからない。
いったいどちらを追うべきなのだろう。
それを迷った一瞬に、ふたりに分身したスクルの両方が、一斉に魔弾を放ってきた。
「――――」考えても仕方がない。
そもそも無駄に悩むこと自体が性に合わない。よく言って純粋な、悪く言えば単純脳筋のフェオは、ただの勘でとりあえず右側のスクルを倒すことにした。
迫り来る魔弾を剣で切り払う。
右のスクルはさらに追撃で魔弾を放つが、その動きは全てフェオに読まれていた。向かい来る魔弾を軽く潜るように回避し、スクルへと肉薄すると、剣の柄で腹を殴る。
その瞬間――殴られたスクルの身体がまるで溶けるように消失した。
「……幻惑」まあ、それもそうか、とフェオは遅れて判断。
まさか本当にふたりになるはずもないので、最初から気づけという話だったが。
当然その攻撃の隙は、残った左のスクルが逃さない。彼女は人差し指を伸ばして拳銃みたいな形を作ると、それを合図に魔弾を乱射する。
数十にも至る魔弾。それが視界を飽和するようにフェオへ迫った。
ミュリエルやミルが狙い撃ちをするタイプなら、スクルは狙いが甘くとも数を撃つタイプだ。
この魔弾の乱射を、魔術防壁で防ぐ技術はフェオにない。
作れないわけではないが、それには一秒ほどの時間がかかってしまう。つまり間に合わない。
だからフェオは――強引に力で突破する。
あえて自ら魔弾へと突っ込み、自分に当たるだろうものだけを選択的に斬り進んでいく。威力よりは速度を重視しているらしい魔弾を、それ以上の速度で振るう剣が消滅させていく。
一種の演舞。それはひとつの舞踏だった。
スガガガガガ――と凄まじい音を響かせながら、フェオは魔競祭のステージで踊る。
目にも留まらぬその剣閃は、来場の観客たちへ大いにウケた。
『速い速い速い速い速あ――いっ! フェオ選手、小細工は要らぬとばかりに正面突破! とんでもない身体能力である! これは魔競祭であって武術大会ではないぞ――! でも盛り上がればそれでいいな!』
適当極まりない実況など、もはやフェオには聞こえていない。
対するスクルは冷や汗を抑えられなかった。というか、普通に防壁で防ぐと思っていたのだ。その隙にさらなる魔術を加えようと思ったのだが――まさか正面から突破されるとは。
「まるでクロノスくんみたいですね……っ!」
スクルは、ここにいない自らの仲間をふと思い浮かべた。果たして、ちゃんと次の試合に備えているのだろうか。
魔術を苦手としていながら、ただ正面からの戦力だけで学生会最強を誇る庶務だ。あんなのは彼以外にいないという判断自体、スクルの思い込みだったということだろう。
フェオは冒険者だ。学院で魔術を磨いてきた学生ではなく、実戦の中で経験を培ってきた。
その経験値を、甘く見ていいわけがない。
――とはいえ、さすがにクロノスくんほどデタラメではありませんが……!
クロノスとは模擬戦さえしたことがないスクルだったが、とはいえ彼の強さは間近で見てきたという自負がある。
彼のあり得ない身体能力に比べれば、フェオはまだまだマシなほうだ。比べる対象が間違っているのだろうが。
いずれにせよ、近づかれては勝ち目がない。スクルがフェオを降すには、間合いを取り続ける必要がある。
――と。
「……!?」
その刹那、スクルの顔のすぐ横を、何かが通り抜けていく。長い髪がひと房奪われて、スクルは思わず目を見開いた。
それがいったいなんだったのか。思い至ると同時に愕然とする。
――打ち返されたのだ。
フェオは、スクルが放つ魔弾を斬るのではなく弾き返した。この乱打の中で、どれだけの余裕があるのか。わざわざ斬れないように気を使って剣を振るったのだ。
咄嗟にスクルは魔弾の連射をやめた。代わりに次の魔術を準備する。
その隙は、フェオにとっては充分すぎる一瞬だ。次の刹那には距離を詰め、フェオは剣の腹でスクルを打った。
同時――またしてもスクルの身体が消える。
両方が偽者だったのだ。ふたつの分身を囮として走らせ、自らは一歩も動かずに姿を隠していた。
それだけの猶予があれば当然、相応に強力な魔術を用意できる。
目を見開くフェオ。その視線の先で、初めの位置から一歩も動いていなかったスクルが、魔術の起動詠唱を始める。
「――うつつ移し身憂き世の浮絵」
「させるか……っ!」
フェオは咄嗟に身体を反転、今度こそ本物のスクルに向かう。
だが――さすがに起動が先んじた。
「虚ろ映しの仇撃ち――!」
詠唱が終わると同時、スクルがひとつの魔弾を放つ。
見た目は先ほどと変わらない。だが、そこに秘められた魔力量の違いはひと目で知れた。
フェオは剣を上段に構える。この威力の魔弾を相殺するには、フェオにも相応の魔力量が求められた。
向かい来る魔弾を、フェオはまっすぐ上下に叩き斬った。風さえ分かつフェオの一閃に、スクルの魔弾が両断される。
そうして無防備になったフェオの胸を、今度こそ魔弾が貫いた。
「――――っ!」
人ひとりを気絶させるのには、充分な威力の魔弾だった。フェオが意識を保ったのは、咄嗟に自ら背後へ跳びすさったからだ。
ほとんど勘だった。
とんでもない反射神経だ。なぜならフェオは、攻撃を受けてから威力を抑えたのだから。これで決めるつもりだったスクルは、フェオの野生とも言うべき勘のよさに驚きを隠せない。
「さすが、と言うべきなのでしょうね……」
魔弾は、地球で言うところの銃撃とは違う。
それはあえて言うなら打撃に近く、つまり殺傷性が低い。だからこそ魔競祭では頻繁に使われるのだが――だとしても、まともに受ければ意識を手放す程度の威力はある。
それを受けて、簡単に起き上がられては堪ったものじゃない。
無論、ダメージは零じゃないだろう。何よりフェオは、自分がどんな攻撃を受けたのかまったくわからなかった。
確実に両断したはずだった。
にもかかわらず、その直後にフェオは目に見えない魔弾を受けた。
そもそも魔弾だったのかどうか。受けた感じからなんとなく魔弾だったと判断しただけで、見えていない以上は確かめられない。
「…………」
魔弾自体を、目に見えなくする方法はある。それ自体は、フェオでもできるくらい簡単だ。
というよりも、魔弾自体は単なる魔力の塊なのだから、むしろ本来なら目に映らないものなのだ。
それが見えるようになっているのは、個々の魔術師の特性が反映されて、存在を強くしているからに過ぎない。
だが、見えなかろうが魔力体なのだ。魔術師に対して、魔弾を隠すことなど大した意味を持たない。感覚で、そこにあると知れるからだ。多少戦い慣れた相手には、せいぜいが小細工の領域だろう。
だが今、フェオはその身体に魔弾を受けるまで、存在を察知できていなかった。
「――――わかんね」
フェオは一瞬で考えるのをやめた。無策にそのまま突っ込んでいく。
今ので足りないならもっと速く、もっと鋭く斬ればいい。
と、今度は前進するフェオを狙い撃つように、魔弾が横から飛んで来た。誰もいない右のほうから飛来した魔弾を、フェオは剣で叩き斬る。
――そして左から来た魔弾に撃たれた。
右手に持った剣で右側の魔弾を切り払ったフェオは、無防備になった左肩を後ろから魔弾に撃ち抜かれる。今度もダメージは大きく、そのままフェオは場外ギリギリまで吹き飛んだ。
受身を取って、なんとか端のところで堪えたフェオだが、左肩の痛みに立ち上がれない。膝立ちになって振り返り、息を荒くしたままスクルを見据えた。
もっとも今となっては、見えている彼女が本物なのかどうか。 翻弄されている。その事実だけは理解できた。
「これで……終わりですっ!」
スクルが言い放ち、そして魔弾を形成する。
――二度あればさすがに学習した。
どうせ、あの魔弾を防いだところで、また予期せぬ方向から直撃を受けるだけだろう。
さすがに三回目を耐える自信はない。これに対処できなければ、おそらく自分は負けるだろう。
それはフェオにもわかっていた。
――そのとき、どこか頭の片隅がすっと冷えていった。
フェオは思考する。そもそも彼女は《考えていない》だけで、《考えられない》わけではないのだから。
この際、何が起こっているかはどうでもいい。あるいはアスタのようなタイプなら判断がつくのかもしれないが、それが自分に向かないことはなんとなくわかる。
だが――どうやっているのか、ならわかるような気がした。
なぜスクルは初めからこの術式を使わなかったのか。舐められていた、と考えるのは、この場合むしろ相手を舐めるのと同じだろう。
おそらく、なんらかの下準備が必要な術式――儀式魔術なのだろう。詠唱のほかにも、何かしら準備を必要としていたはずだ。
最初に偽の分身をふたつ出した時点で、すでにスクルは隠れていた。どうやったのかは、この際もう知ったことじゃない。ただその間に何をしていたのかと言えば、当然ながら今の魔術の用意だろう。
このフィールドに、儀式場を構築していたのだ。
ならば、それにどう対応するか。
――決まっている。
フェオは、自らの親指の腹を噛み切って血を出した。
「――森の穴倉に悪魔が一人、鼠が友の鬼が独り――」
そして詠唱を始める。同時にスクルが魔弾を放った。
迫り来るそれには見向きもせず、親指の流血で刀身をなぞる。血を媒介に詠唱を重ね、武器に魔術を付加させる。
そして――その剣を、横薙ぎに振るった。
そう。彼女が出した結論とは、つまるところ――、
「――《結界殺し》」
最後まで、力押しの一択だった。
※
フェオが剣を横薙ぎに振るう。その軌道が広がるように、目には見えない魔力の振動が会場中を包み込む。
それを見たと同時、俺はフェオの勝利を確信した。
この試合で、彼女が始めて使う魔術。彼女が振るった剣に合わせて、会場を覆っていた結界が力任せに砕かれていく。
――結界殺し。
考えて結論したのか、あるいは単なる本能だったのか。わからないが、とにかくフェオは会場に書記が構築した結界があると悟ったらしい。
俯瞰している俺からはよく見えた。
一度目、フェオは魔弾が到着するより遥かに早く剣を振るった。
二度目のときは、魔弾と正反対の方向だった。
これだけ見ていれば、彼女がなんらかの幻覚魔術にかけられていることは理解できる。魔弾の位置を、本来のそれとはまったく別の方向に誤認していたのだ。
しかし、この手の精神干渉を魔術師相手にかけるのは非常に難しい。まして神経を尖らせた戦闘中にはなおさら。
それでもフェオが罠に嵌まったのは、フェオ本人ではなく、周囲の空間に魔術がかけられていたからだ。初めに分身を走らせた時点からずっと、スクルは結界の構築に勤しんでいた。
第二試合で、副会長のミルがウェリウス相手に仕掛けたのと結果的には同じだ。会場に基点を作り、簡易的な神殿として結界を構築する。
フェオは見事に罠へと嵌まっていた。
だが――空間を基点にしたと言うことは、逆を言えばその基点を破壊されれば、結界が崩壊するということでもある。
力任せの範囲魔術で、フェオは場所もわからないままに結界をブチ壊した。完全に力押しだ。戦術も何もない。
いかな学生会書記とて、こんな対応は予想外だろう。
「一回戦突破――おめでとう」
結界が破壊される。フェオは隠れていたスクルに詰め寄って、その喉元に刃の切っ先を突き当てた。
今度は狙いを誤ったわけじゃない。降参しろ、という言外の通告だ。スクルにもそれはわかっている。
「――参りました。降参です」
スクルの宣言と同時、シュエットが盛大に声を張った。
『終――了――っ! 第五試合、勝者はフェオ=リッター選手だあ――っ!!』




