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セブンスターズの印刻使い  作者: 白河黒船/涼暮皐
第三章 魔競祭事件
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3-25『魔競祭三日目/誘発と企み』

 目が覚めて、身体を動かした瞬間に、全身が激痛に襲われただだだだだ。

 俺は思わず呻きを漏らし、起こしたかけた上体をそのまま寝台ベッドにまた倒す。

 オーステリア魔競祭、三日目の早朝であった。


「――い……ってえぇ……っ!」


 全身の筋肉が軋るような痛みを主張する。

 原因は考えるまでもない。昨日、学院の試術場で試した魔術のせいである。


 迷宮で受けた呪いを、誤魔化すための術式。

 俺は、その方法を今の段階でふたつ思いついている。

 ひとつは以前、フェオやアイリスと一緒に学院書庫へ向かったときに思いついたそれだ。こちらは昨日試した術式モノに比べれば、身体への負担が遥かに少ない。もちろん皆無には程遠いのだが、相対評価でだいぶマシ。

 ただ生憎と、その方法を魔競祭で使うのは不可能だ。これを行うには、自分以外の魔術師の協力が絶対に必要だという難点がある。一対一の形式である魔競祭では選びようもない方法だった。


 だからふたつ目――実は以前から発想だけは持っていた、呪いの対策術式を試すことにした。

 こちらもまあ、行う前にセルエの協力を仰いでいる。一回戦の第二試合を見終わったあと、俺はその足でもう一度、セルエのところに向かっていた。

 彼女に魔術をかけてもらって、それを保険として実験に至ったという顛末だ。こちらの方法自体はひとりでも行えるのだが、それをすると高確率で、なんというか――反動で死ぬ。

 セルエには、それを防ぐほうの手伝いを頼んだということである。


 もちろん俺だって死にたくはない。まさか本番ぶっつけで試すわけにもいかなかったので、セルエ先生黙認の元で試術場へと実験に向かったというわけだ。

 そして盛大に失敗したところで、なぜか現れたフェオに助けてもらった。

 そのあとはボロボロに傷ついた身体を癒すため、学院の医務室に向かったのだが――そこで俺は、俺以上に傷を負ったひとりの学生と出会った。


 レフィス=マムル。

 学院で唯一の数秘魔術師にして、数少ない俺の友人と呼べる男。魔競祭では初日最後の第四試合に出場しており、そこで俺と同じ第六ブロックを突破したオブロ=ドゥランと対戦した。

 陰気な外見の陽気な男だ。学院でもエイラに並ぶ変わり者として通っており、しかし魔術の実力は折り紙つきの男でもある。

 残念ながら俺は彼の試合を観戦できなかったのだが――ある意味では、観なくて正解だったのかもしれない。

 それほどに、凄惨な試合だったと聞かされている。



     ※



 昨日、心配だからとついて来てくれたフェオと連れ立って、俺は試術場から魔競祭用に特設された医務局本部へと向かった。

 実験に失敗し――というか成功してしまったがゆえに――想定の五割り増しくらいで負傷したため、怪我を治療してもらおうと思ったのだ。

 先に話を通してあるセルエが、待ってくれている手筈だった。彼女からもらった薬で、内部の魔力は抑えたものの、肉体の傷に関してはどうしようもない。

 本当はピトスに頼めれば最高なのだが、さすがに試合を控えた彼女の魔力を、俺の治療に使わせるのは申し訳なさすぎる。

 いや、決して無茶な実験が彼女にばれることを恐れたわけじゃない。断じて違う。


 ともあれ、そういうわけで医務局に向かった俺は、その場が酷く慌しい様子であることに気がついた。

 ついて来たフェオが、「そういえば」と何かを思い出した風に言う。


「最後の試合で、誰かが大怪我したって……」

「どっちだ?」不穏な気配を察知し、フェオに問う。「レフィスか、それともオブロって奴のほうか」

「えっと……確か、レフィスってヒトのほうだったと思うけど」

「……そうか」

 俯き、それから医務局へと入る。

 中は騒然としていた。学院勤めの治癒魔術師たちが、数人がかりでひとつの寝台ベッドを囲んでいる。

 確認せずとも、そこにいるのがレフィスであろうことは知れた。


「――アスタ」

 と、横合いから声がかかる。

 現れたのはセルエだ。少し険しい表情で、こちらに向かって歩いてくる。

「……とりあえず、アスタのほうは大丈夫みたいね。よかった」

「ああ、悪いな無理言って。セルエの保険で、なんとか事なきは得た感じだ」

 ――それより、と俺は続ける。

「レフィスは……まずいのか?」

「……いえ」

 予想に反して、セルエは首を横に振った。

 その割に険しい表情は崩さず、だからこそ俺はこれが尋常の事態でないと悟る。

「ひとまずは大丈夫。峠は越したよ」

 つまりは一時、峠を彷徨うほどの怪我だったという意味だ。

「何があった?」

 魔競祭である以上、ある程度の事故は本人の責任だ。それが嫌なら初めから出場するべきじゃない。

 だが、その一方で本戦に出場できるほどの実力者同士なら、そうそう深刻な事故は起こらないものなのだ。怖いのはむしろ素人同士の戦いであって、ある程度の実力があれば互いに力の差は判断できる。そうでなければ、こんな戦いを一般公開できるわけがない。

 元よりレフィスは、一流と言っていい数秘魔術師だ。そう滅多なことが起こるとは思えない。

 果たして、セルエは言った。


「――右腕から肩、胸にかけての範囲に爆発を受けたの。防ぎきれなかったレフィスくんは大火傷ね。もちろん、すぐに学院の治療班が対処に当たったから命に別状はないわ。傷もほとんど残らない……とは思う」

「……事故、ってわけじゃないみたいだな」

「事故は事故だよ。少なくとも、記録の上では」

 魔術師ならば魔術師である時点で、ある程度は魔力に対する抵抗力を持つ。

 瘴気に満ちた迷宮へ潜れることもそのひとつだし、それと同じで、魔力がもとになっている攻撃なら、魔術師はある程度まで抵抗レジストすることができる。

 見た目に派手な火炎や魔弾が直撃しても、魔術師がそこまでダメージを負わないのはそれが理由だ。

 とはいえ、もちろん限度はある。殺そうと思えばそれこそ簡単だ。


「その前の時点で、レフィスくんが張っていた防壁は全て破壊されていたの。彼もその時点で降参しようとしたんだけど――それより先に」

「……完全に意図的じゃねえか」

「実況のシュエットさんが、審判よりも先に試合を止めたのは英断だったね。レフィスくんが助かったのはここに優秀な治癒魔術師がいたからであって、それがなければ……わからなかった」

「相手は? 失格にならないのか?」

「ルール上は問題ないもの。攻撃は、レフィスくんが降参を宣言するより前だったからね。だから事故ってこと」

「言わせる前に攻撃しただけだろ」

「それはわかってる。けど、どうなるかまでは、まだ」

「……そう、か」

 魔競祭は互いの善意を前提として成立している。

 だからこそ(予選の乱入を除けば)学院生しか参加できない仕組みなのだから。

 学院生にしてみれば、わざわざ相手を痛めつける理由がない。そんなことをしたって評判を落とすだけなのだから。制御能力が低いと判断される。


 しばし押し黙る俺とセルエ。一歩後ろでは、フェオもまた難しい表情で押し黙っている。

 と、そのときまたしても医務局に入ってくる人影があった。

 それが知り合いであることに気づいた俺は、思わず声を上げてしまう。


「ピ、ピトス!? アイリスも――なんでここに?」


 服を少し汚したピトスと、無表情のアイリスだった。

 なぜ医務局に、と俺は焦る。怪我を負ってしまったのだろうか。

 入ってきたピトスも、驚いたように声を出す。


「アスタくん。け、怪我したんですか!?」

 驚くピトスに、俺は反射で嘘を言った。

「いや……前の試合で問題があったらしくてな。ふたりも見てたんじゃないのか?」

「問題ですか? いえ、わたしたちは試合は見てなくて――あの」

 ピトスが俺から視線を切り、セルエのほうに声を出す。


「先生、それにアスタくん――ドラルウァ=マークリウスという名前はご存知ですか?」


 その名前に、俺とセルエは思わず顔を見合わせた。フェオもまたびくりと肩を震わせる。

 セルエは一度頷くと、それからピトスに向き直って告げる。


「――とりあえず。ここで話しても邪魔になるから、本部のほうに向かいましょうか」



     ※



「――という、わけです」


 運営本部の天幕まで移動した俺たちは、そこの一区画を借りてピトスから話を聞いていた。入り口を布で仕切られた部屋のひとつだ。

 アイリスが突然走り出し、追った先で七曜教団を名乗る存在に出会ったこと。そいつと戦い、アイリスの力を借りて撃退したこと。それから報告のためにセルエを捜していたこと――。

 正直、驚くポイントが多すぎて、どこから話を切り出せばいいのかわからない。

 ドラルウァ=マークリウスの名前は、先立ってセルエから聞いている。七曜教団の水星を名乗る変身魔術師。そいつが、いったい何を考えてか、この街に潜伏しているのだと。

 いろいろと迷った末、ひとまず俺はアイリスに向き直って言った。


「……なんとなく予感はあったけど。強かったんだね、アイリス」

 彼女はよくわからないという風に首を傾げた。

「ふつう……だよ?」

「……うん。ああ、そっか。いや、うん……普通だね」

 嘘でも冗談でも誤魔化しでもないことが、嫌というほどわかってしまう。

 実際、彼女にとっては《普通》のことなのだろう。その認識を覆すことはできそうにない。

 とはいえ、これだけは確認しておかなければならないだろう。

「――アイリスは、ドラルウァ=マークリウスと知り合いだったのか?」

「知らない……よ? ただ、いやなにおい、したから」

「嫌な匂い、っていうのは?」

「まえに、アイリスがいたところのにおい。くらいところのにおいと、おんなじだった」

「《水星》は、アイリスちゃんを指して『あのときの実験体』だと言っていました」

 アイリスの言葉を継ぐようにピトスが言う。

 ……実験体。

 どう聞いても不穏な言葉だ。

「なんというか、言っていることが支離滅裂で、正直どこまで信じていいのかはかなり怪しい相手だったんですが……少なくとも、七曜教団とアイリスちゃんの間に、何かしらの関係があることは間違いないと思います」

「……アイリスから聞ければ、それがいちばん楽だったんだけどな。くそ、そもそもマイアはこのことを知ってたのか?」

 ちら、と俺はアイリスに視線を向ける。賢い少女は、自分に求められていることを理解しているようだった。

 だからこそ、それに応えられない自分を恥じるように視線を落とす。

「……くらいところにいたの。それしかわかんない。ただ、マイアが来て、それからいっしょにくらいところから出た。それだけ」

 その話は、俺もすでに聞いてあった。

 あの日――俺がフェオたちと連れ立って図書室に向かい、新しい術式の実験をしてそのまま気絶した翌朝。俺はアイリスと一応の話をしている。

 その話を合わせて考慮するに、アイリスは、どこかの実験室と思しきところに幽閉されていたらしい。

 そこを襲撃……もとい訪れたマイアに救い出され、そのままふたりで旅をしたのだとか。期間にしてひと月ない程度をマイアと過ごしたのち、俺の元にやってきた。

 彼女は、それ以外のことをほとんど記憶していない。それ以前のことは、何ひとつ。


「……セルエ。そのオブロって学生は、いったいどんな奴なんだ?」

 仕方なく、話題を変えてセルエに訊ねた。

 ピトスから聞いた《水星》の反応を考慮するなら、連中にとってもアイリスがこの場にいることは予想外であったらしい。

 もちろん演技である可能性がないとは言えない。ただ、ピトスから聞いた《水星》の様子を考えるならば、そんな演技ができる人間だとも思えなかった。

 いずれにせよ、アイリスから教団に迫ることは難しいだろう。


「去年までは、あまり目立たない学生だったかな」セルエが言う。「成績は中の下くらい――お世辞にも、魔競祭の本戦にまで出場できる実力はなかった」

「……そのオブロって奴が《水星》なんじゃないの?」

 と、これはフェオが言った。

 その可能性は、実はつい先ほどまで俺も考慮していた。だが――、

「いえ、それはあり得ません」

 ピトスが首を横に振る。

「どうして?」

「わたしが《水星》と戦っていたときには、すでに第四試合が始まっている時間でした。わたしたちの会った《水星》が偽者でもない限り、試合に《水星》が出場していたとは思えません」

「……ああ、そうか……」

 目を伏せるフェオ。そう、ピトスから聞いた話がネックだったのだ。

 彼女たちが遭遇した《水星》が偽者だとは思えない。ならばオブロとは無関係で、彼は勝手に暴れたのだと考えるのが自然だ。

 だが、気にかかるのは俺が予選で受けた正体不明の《視線》だった。

 所詮は俺個人の感覚だ。なんの意味も持ってはいない。だが、あれがオブロだったのはもう間違いないと思う。そうではないにしろ、少なくとも誰かが――それも邪悪な興味でもって――俺を意識していたのは間違いない。と俺は信じている。


 無関係なのだろうか。なんとなく、根拠なくそうは思えない自分がいる。

 この魔競祭において起きている事件の全ては、なんとなく全てが繋がっている気がするのだ。

 そう。まるで――運命で定められているかのように。


「――失礼します。セルエ先生、いらっしゃいますか?」


 ふと、外から声がした。

 布で区切られた向こう側から、誰かがセルエを呼んでいる。


「はい、いますよ! ミュリエルさん?」

「そうです。報告に伺いましたが……ほかに誰かが?」

 布に手をかけたミュリエルが、こちらを気にしたのか動きを止めた。

「あ、気にしなくても大丈夫。アスタたちだから」

「……では」

 しばし迷ってから、彼女は仕切り布(カーテン)を開けて入ってくる。

 集まった面子を見て少しだけ驚いた表情を見せたものの、すぐに畏まってセルエに告げる。


「オブロ=ドゥラン本人に事情聴取を行いました。その結果から判断を仰ごうかと」

「どうだったの、彼は」

「『規則は破っていない』の一点張りですね。少なくとも反省する様子はありませんでした。『あの程度は防げると思った』と」

「……そう」

「実際、彼の言っていることが事実なのは否定できません。形の上では正々堂々、一対一の決闘で攻撃を加えただけですから。必要以上に追い打ちしたり、嬲ったりということもしていません。学院としてはともかく、魔術師の倫理に照らし合わせれば、彼を失格にはできないでしょう。……あくまで事故ですから」

「……学院長は、なんて?」

「必要なら反則を取って失格処分も構わない、とは仰っていただきました。判断は現場の教員に任せるとのことです」

「そう。ミュリエルさんの考えは?」

 問いに、ミュリエルはしばし考え込むように目を伏せる。

 しかしすぐ毅然と顔を上げると、まっすぐにセルエを見据えて言う。


「――私個人としては、彼を失格にするべきではないと考えます」


 その判断に、俺は少し驚いてミュリエルに視線を投げる。

 セルエは逆に驚きもせず、ゆっくりとミュリエルに問い返した。


「いいの、それで。次に当たるのは貴女なのに」

「勝てば済む話です」

「……」

「と、断言したいところですが、立場上そういうわけにもいきません。私の役目は、この魔競祭を無事に終わらせることですから」

「その上で、失格にするべきではない、と? 学生会にも、変身魔術を扱う人間が紛れ込んでいることは伝わっているでしょう?」

「だからこそです」

 ミュリエルは毅然と断言する。

 おそらくは、全ての責を自ら背負うことも辞さず。

「彼らがいったい、なんのために学院を訪れたのかはわかりません。ですが、もしこの魔競祭を妨害するために現れたのなら、それに屈することはできません」

「それで、一般のお客様たちに被害が及ぶことはないと?」

「はい。そもそもオブロがその《水星》とやらである可能性はかなり低いです。わざわざ学生に変身して、魔競祭に出場する理由があるとは思えません」

「彼らの考えていることなんてわからないでしょう?」

「ええ。ですが、もしオブロが本当に《水星》だった場合、故意に失格にすることで別の問題を起こされることのほうがむしろ私は怖いです。仮に《水星》を捕らえたところで、別の仲間が出て来ない確証がありません。今の段階なら、泳がせておけば暴挙には出ない。何かをするつもりでも、会場でなら捕らえられる」

「……そう、ですね」

「彼が変身魔術を使っているのかどうか、私には判断することができませんからね。ですが――大丈夫です」

 会長はゆったりと微笑むと、改めて、先ほどと同じ台詞を断言した。


「――私が勝てば済む話ですから」

 

 結局、会長にはほかの選択肢などないのだろう。

 オブロを拘束したところで意味はない。最低でも、この街に潜伏している七曜教団の連中全ての居場所を把握しなければ、こちらから手を出すことはできない。

 ――忘れがちだが、オーステリアは王立の魔術学院だ。

 つまり国王のお膝元である。この祭もまた国王の名の下に開催されており、それを中止するということは、すなわち王国の威信を傷つけるということになる。

 昔の俺なら、下らないと思っていた理屈なのだろうが。


「……アスタ」

 と、そこでセルエに水を向けられる。

 とはいえ、何を言われるかは聞く前からわかっていた。自分から切り出そうと考えていたくらいだ。

「わかってる。俺が確認してくるよ」

「……どういうことですか?」

 首を傾げるミュリエルに、俺は小さく答える。

「会長も見てましたよね。俺が、あの紐くじを当てるの」

「――あ、もしかして……」

 と、同じくそれを知っているピトスが、思い至って声を上げた。

 俺は頷き、ミュリエルに向かってこう告げる。


「絶対とまでは断言できないけど。俺が見れば、オブロが変身魔術を使っているかどうか判断できる……かもしれない」


 ミュリエルは驚いたように目を見開き、それから苦笑してこう答えた。


「――案内しよう。ついてきてくれ」



     ※



 別の天幕に移り、オブロが待っているという部屋の前に行く。

 ついて来たのはフェオだけだ。セルエたちは見てもわかりそうにない、ということで先ほどの部屋に残っていた。

 仕切りの前でミュリエルが俺たちを制す。


「少し待っていてくれ。――オブロ、入るぞ」


 先んじてミュリエルが部屋に入った。

 中から「人を連れてきた。これが終わったら帰って構わない」というミュリエルの声がする。

 それからミュリエルが布越しに顔だけを出して言う。


「いいぞ、入ってくれ」

「――失礼します」


 一応そう言ってから、俺とフェオは部屋に入った。

 思えば、オブロ=ドゥランと顔を合わせるのはこれが初めてのことだ。

 くすんだ茶色の短髪に同じく茶色の瞳。体格は中肉中背か、少し痩せ型というくらい。あまり特徴のある外見だとは思わなかった。

 ただ、妙に虚ろな視線をしているというか、なんだか焦点の合っていない風な目をしている。

 しばし彼を見つめ、それから俺はフェオと視線を見合わせる。

 そして、どちらからともなく首を振った。

「……使っていませんね。彼はオブロ=ドゥラン本人だと思います」

「私もそう思う。特に魔力の乱れみたいなのは感じない、かな」

「そうか。すまなかったなオブロ、もう帰って構わない――だが次はないぞ」

 俺たちの言葉を受け、ミュリエルがオブロにそう告げる。

 彼はこちらにまったく視線を合わせることなく、

「はあ……そうですか」

 とだけ言うと、そのまま部屋を出て行った。

 その反応に首を傾げていると、ミュリエルが少し困った風に微笑む。


「――喜ぶべきか、それとも振り出しに戻ったと嘆くべきか。よくわからないな」

「いえ。彼の手前ああは言いましたが、実際のところはわかりません」

「何……?」

「変身魔術なんて見たことないんですから。本当に見破れるものなのか……それに、彼が本人だったとしても、それが教団と無関係であることとイコールだとは限りません」

「なるほど。まあ道理ではあるか」

「いずれにせよ会長はお気をつけて。次は彼とでしょう?」

「なに、後輩に心配されるほど落ちぶれてはいないさ。これでも学生会長だ。一応、彼にも監視はつけておくしな」

 なんとも頼もしいことを言う会長だった。

 と、フェオが口許に手をやって、不思議そうに呟く。

「そういえば、どうして奴らはこの街に――というか祭に来たわけ?」

「……どういう意味だ?」

 視線を細めるミュリエルに、フェオは考え込みながら答える。

「まさか、本当に祭を妨害するためだけに来たんですかね? そんなことに、意味があるとは思えませんけれど」

「なくはないだろう。王国の評判は少なくとも下がる。まあ、ずいぶん遠回しだとは思うが」

 ミュリエルも、その点は疑問だったらしい。

 自分で言った考えを、自分で信じていないようだった。

 けれど、その辺りは俺に考えがある。あるいは俺だからこそ気づいたというべきか。

「――メロだろ。七星の連中がいるからこそ、奴らはちょっかいを出しに来たんだと考えるべきだ。どうにも連中は、七星旅団セブンスターズを意識しているらしいからな」

 ミュリエルの手前、俺は意図的に自分とセルエを省いて言った。今の段階ではまだ、俺とセルエのことまで告げる必要を感じていない。

 なぜなら――おそらく、奴らにとってはそれもまた本当の目的ではない、と思うからだ。


 思い出すのは、あの二度の迷宮での件だ。

 奴らには必ず何かしらの目的がある。それが何かまではわからないが、俺たちを意識しているらしいのは、その目的とやらになぜか七星が邪魔になると考えているから。

 ということはなんとなく理解できていた。いや、意味がわからないといえばわからないが。


「いずれにせよ――無事に終わればいいのだがな」


 ミュリエルがそう呟いたことで、この場での話し合いは終了した。



     ※



 それが昨日の顛末だ。


 その後、俺はアイリスをセルエに預けて自宅へと帰った。

 彼女を守るためである。昨日、思いっ切り自爆してしまったせいで、今日の俺は普段に輪をかけて戦力が下がっている。

 結局あのあと、なんやかんやで治療も受けられなかった。

 その傷をアイリスに悟られたくない、という個人的な理由からも、彼女をセルエに預けておくのは妥当な判断だっただろう。


「さて――今日はどうするかな」


 とりあえず、魔競祭を観戦しておけばいいだろう。

 オブロは無関係だったようだが、そうでなくとも連中が魔競祭に紛れ込んで出場している可能性は低くないように俺は思う。

 教団の連中は自己顕示欲が強い、らしい。

 狂っているからなのか、あるいは意図的なのかはわからない。だが件のオーステリアで起こったという殺人事件の際、奴らはわざわざ教団が犯人であるとわかるよう証拠を残していった。

 ご丁寧に、七曜教団という文字が被害者の血液で書いてあったのだとか。

 このことはピトスたちが《水星》に会ったとき、わざわざ名前を名乗ったという点からも判断できる。

 劇場型というかなんというか。

 そんな連中が七星に攻撃を仕掛けるのなら、魔競祭という場を喜んで使うような気がしてならなかった。


 とりあえず、これで方針は決まった。

 さて、では学院に向かうかと思い立ったところで、ふと誰かが階段を上がってくるのを俺は感じる。

 親父さんではないらしい。ということは俺の来客なのだが、しかし誰なのだろう。

 結界に反応していない以上は、害意ある人間ではないはずなのだが――と、やがて部屋の扉が軽くノックされる。

 同時、聞き覚えのある声が飛び込んできた


「――アスタくん? もう起きてますか?」

「ピトス……? どうしたんだ?」


 なぜピトスがこんな時間から。俺は首を捻りながら扉を開く。

 と、その途端。俺の腕を、ピトスが軽く両手で握った。

 別に攻撃されたわけじゃない。

 だが今、俺の身体には傷が残っている。結果として俺は堪え切れずに呻きを漏らしてしまうのだった。


「う、ぎ……っ」

「……やっぱりですか」

 ピトスはすぐに手を離して、呆れたような表情になる。

「あの……ピトス?」

「おかしいとは思ったんですよ、昨日。どこか庇うような歩き方でしたし、スピードも妙に遅かった」

「…………」

「隠してるつもりだったんでしょうけど、その程度でわたしを誤魔化せるとは思わないほうがいいですよ? 舐めてもらっちゃ困ります」

「…………」

「――セルエ先生に聞きました。何をしてたのかまでは聞けませんでしたが、なんだかまた自爆したらしいですね?」

 ……非常にまずい。

 なぜなら、ピトスがどんどん笑顔になっていく。

「あの。うん、まあそうなんだけど、別に今日ちょっと医務に行って治してもらえばいっかな、みたいな……」

「へーえ。そうなんですかー。わたしという者がありながら、アスタくんは別の術師にかかろうっていうんですかー。へー」

「……ピ、ピトスさん今日は試合じゃないっすかー。そんな個人的なことでご迷惑おかけするわけには……」

「試合は午後からですけど。今は何時でしたっけ? というか、なら昨日のうちに言えばよかっただけの話では?」

「……………………あ、はい」

「アスタくんの主治医は誰でしたっけ?」

「ピトス先生です……」

「なら――」

 ピトス先生が、なんかもう凄絶な笑みで俺に告げた。


「――今すぐ服を脱いでくださいね?」


 ピトスさん、最近ちょっと毒されてませんかね。メロとかに。

 などと言えるはずもなく、素直に従う以外の選択肢はないのだった。

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