3-21『一回戦第二試合』
試合開始が告げられた直後、真っ先に動いたのはミルだった。
横に向かって駆け出し、一定の距離を保ったまま、牽制するように魔弾を放つ。
薄緋色の魔弾――純粋な魔力の塊を、ウェリウスは身体の動きだけで躱す。ミルの動きと対称に移動して、こちらも一定の距離を保っていた。
魔弾はウェリウスに当たることなく、ステージに着弾して石造りの床を削る。
ミルは構わずに魔弾を連射した。そのことごとくをウェリウスは回避し、そのまま牽制を交えた距離の測り合いが続く。
ウェリウスが、自ら積極的に攻撃を仕掛けることは少なかった。ときおり隙を窺うようにミルは距離を詰めようとするが、そのときだけ元素魔術の魔弾を撃ち出して動きを止める。
基本的に遠距離型のウェリウスとしては、そう簡単に近づいてほしくないところなのだろう。
一方、ミルのほうは隙を見て接近戦に持ち込もうという算段らしい。実況が言っていた通り、申し訳ないがあまり覇気のある感じには見えない副会長だが、これで近接戦闘の技術も修めているらしい。
あるいは、間合いの開いた状況ではウェリウスに勝てないと踏んだのか。
第一試合とは打って変わった魔術師らしい撃ち合いに、観客たちも大いに盛り上がっているようだ。
その勢いをさらに煽るが如く、実況のシュエットが拡声器越しに声を張り上げる。
『さーあ、激しい撃ち合いの様相を呈してきた第二試合! 膠着しつつある状況を、先に打破するのはいったいどちらか!? 互いに使った魔術は一種類のみ! 元素魔術科の天才と儀式魔術科の鬼才。お互いのプライドを賭けた勝負からは、片時たりとも目が離せないぜ――!』
その台詞が流れたとき、一瞬、俺にはウェリウスが微笑したように見えた。
気のせいか、と思うも束の間のこと。
膠着を動かそうと動いたのは、ウェリウスのほうが先だった。
「――天網壱式。意志に順え、札を錬る小人――!」
詠唱が口ずさまれる。ウェリウスは右の手首を左手で掴むと、開いた手のひらを示すようミルに向けた。
まさか痺れを切らした、というわけでもないだろう。ひとつ勝負に出るつもりらしい。
ウェリウスが指し伸ばした五本の指。その先端に、それぞれ五色の魔力光が灯った。
ミルは咄嗟に目を見開く。当然だろう、一瞬のうちに片手だけで五属性を操る魔術師なんて、本職の中にすら滅多にいない。少なくとも俺の対戦相手だったカニスとは、比べるべくもないレベルの操作力だ。
赤、青、黄、緑、藍――。
計五色の魔弾が、ウェリウスの指から撃ち出される。
ミルは反射的に防御の術式を起動した。直撃を受ければ敗北は必至の魔弾だ。ミルの反応は速かったと言っていい。
だがウェリウスのそれは、厳密には単なる魔弾ではなかった。球の形ではなく、放射されたように伸びる線状の魔術攻撃までが含まれている。実に多彩だ。
直線で最速を行く風の矢。後を追う高威力の火炎の槍。しなりながら伸び上がる水の鞭。高い貫通性を誇る土の砲弾。ダメ押しに広範囲を囲む氷の散弾――。
単純にして強靭。
元素魔術の特徴を完全に反映させた、才能あるものだけが扱える五色の攻撃だった。
一撃目の風の矢で、ミルの防壁にひびが走る。だがミルもまたこのとき勝負に出ていた。
続く炎の槍で防壁を砕かれると同時、ミルは前方へ向けて駆け出していく。
不規則にうねる水の鞭を屈みこむことで回避すると、眼前に迫り来る土の砲弾を下から魔弾で打ち払った。上手い対応だが、ここで魔弾を使っては最後の攻撃を防げない。
そのまま、ミルが完全に無防備になったところで――、
「――っらあ……ッ!」
襲い来た氷の散弾を、脱いだ外套で全て払った。
魔術によって強化された布地が、氷の散弾を包み込むようにして無効化したのだ。
さすがに完全には受け止めきれず、魔術製の外套は役目を終えて弾け飛ぶ。だがそれを犠牲に距離を稼いで、ミルはウェリウスへと詰め寄っていた。
拳を引く副会長。
前進の勢いが乗せられた、突進にも似た打撃がウェリウスに加えられる――その寸前。
背後から受けた衝撃で、ミルは前方へと吹き飛ばされていた。
「な……っ!?」
目を見開くミル。だが背後を確認するよりも早く、逆にウェリウスの攻撃がミルを捉える。
前につんのめったミルは、視線の先でウェリウスが身体を捻っているのを確認したことだろう。左足を軸に放たれた回し蹴りを、彼は吸い込まれるようにその腹部へと受けた。
「が――、」
ステージの端へと、ミルは吹き飛ばされるように滑っていく。かろうじて落下は免れたが、受けたダメージは小さくない。
すぐ立ち上がろうとするミルだったが、床についた手が震えて体重を支えられない。がくんと肘から折れるようにして、彼はステージに倒れ込んだ。
※
『……な、なんと容赦のない攻撃だあ――! ウェリウス=ギルヴァージル! 甘い顔してかなりエグいぞ――!』
実況の声を聞きながら、ミルは冷静に思考する。
――いったい何が起きたんだ。
鮮やかに蹴り飛ばされたことはわかる。ウェリウスは接近戦もできたということだろう。その程度は、想定していなかったわけじゃない。
わからないのは最初に受けた一撃だ。まさか、背後から攻撃を受けるとは思っていなかった。
考え込むも一瞬、追撃を警戒してミルはなんとか顔を上げる。
そして――それと同時に答えへ至った。
「……馬鹿な。って、驚くべきところかね、こりゃ……」
悔しさというよりも、いっそ呆れと感嘆が混じったような声を漏らしてしまう。
それくらい、目の前の光景に理解が及ばなかったのだ。
もともと、ミルはあまり勝敗というものにこだわらないタチだった。
なんとなく魔術が好きで、なんとなく学院に入学した。そのままなんとなく卒業すると思っていたところを、なんの因果かミュリエル会長に拾われて学生会にいる。
――ミルはしかし、勝ち気というものがなさすぎるな。
以前、ミュリエルにそう言われたことがある。責めている風ではなかったけれど、それでも彼は思わずこう言い訳していた。
――生まれついての性格ですからね。こればかりは変えられませんよ。
普段と変わらないようでいて、しかしどこか拗ねるようなミルの返答に、ミュリエルはそのとき吹き出した。それもすぐに引っ込めてから、ごめんごめん、と謝るように言う。
――君も天才と呼ばれるうちのひとりだろうに。もっと修練を積めば、きっと一角の魔術師になれるはずだ。私は、それが楽しみなんだ――。
恥じらうようにそう語る、ミュリエルの表情が印象に残っている。
だがそんなことを言われた程度では、ミルは奮起も改心もしない。別に悪いことをしているわけでもなかったし、魔術師として大成したい願望があるわけでもなかった。
ただ、あのときは言わなかったけれど、ミルにはひとつだけ会長に言い返したいことがある。
「……天才っていうのは、こういう奴のことを言うんじゃないっすかね……」
目の前に立つ対戦相手を見て、ミルは苦笑するように零していた。
――ウェリウス=ギルヴァージル。
彼の周りには、先ほど放ったはずの攻撃が生きたまま残っている。
考えてみれば、ウェリウスほどの術者が魔弾程度に詠唱を必要とするはずがない。
渦を巻く風の矢が、揺らめく炎の槍が、乱れる水の鞭が、鋭い土の砲弾が、そして浮遊する氷の散弾が。まるでウェリウスの五指に操られるかのように、綺麗に整列して並んでいた。
それらは合わさって膨れ上がっては、また別れたりを繰り返して形を変える。元素というひとつの塊を、ウェリウスは完全に掌握していた。
幻想的と言える光景だ。それだけで、ひとつの絵画にさえ思える。
基礎を極めきった、本物と呼ばれる魔術師だけが持ち得る威光。ただそれを目にしているだけで、自然に頭を垂れてしまうような威容。
その中心で、五色の元素に守られた青年は、優しく微笑むように笑む。
「因子超越統御――僕の切り札のひとつです」
「……役目を果たすまで、永遠にその場へ残り続ける元素、か」
「さすが、ひと目で見抜きますか」
火は消える。風は流れる。水は滲みる。土は散る。氷は溶ける。
あらゆる元素は永続しない。何も魔術に限ったことではなく、それは当たり前の自然法則だった。
だが、それでも魔術で創り出した元素は普通と違う。魔力によって構成され、術式によって隷属され、そうして生み出された元素はもはや自然の法則さえ超越する。
永続し、際限なく増幅、強化されていく魔術など――もはや絶望と変わりなかった。
本来はひとりに一属性――どれだけ多くても三属性とされる元素魔術の適性。
それを五つも持つ上に、かつその全てを十全に操るなど馬鹿げている。嫉妬するのもおこがましいほどの才能だ。
「あまり他人に見せたことはなかったんですけど。困ったな。先輩、強いから」
「嫌味かテメェ」
「まさか。本心ですよ」
不敵に、けれど優雅にウェリウスは微笑む。
それが本心だなどとミルは思わない。ただ目の前の男の底知れなさに、畏怖にも似た感情を抱くだけだった。
天才と――本物と呼ばれる魔術師のみが可能とする一種の極み。
それを目の前にして、けれどミル=ミラージオはふっと力を抜くように笑った。
ウェリウスが怪訝に目を見開く。それに気がつくことさえなく、ミルはただ込み上げてくる笑みに身体を任せる。
彼にはなぜ自分が笑っているのかわからない。
何ごとにも興味を持たなかった彼が、どうして魔術だけは続けてきたのか。ミルは、ついぞその答えに気づかない。
――ただ、好きだったから。
扱える魔術が増えるのは楽しかった。才能があると褒められて嬉しかった。
たったそれだけのことさえ認識できなかったミルは、それでも本能のままに笑顔を見せた。
「……ほら。やっぱり強い」
ウェリウスの言葉など、もはや耳には届かない。
そもそも敵の言葉なんて聞く必要がない。
――さあ。反撃に移ろう。
※
立ち上がったミルを、五色の元素が一斉に襲った。
もはや形にさえこだわらない。猛火が、暴風が、激流が、土砂が、氷塊が、自在に形を変えながらミルを襲う。
放射状の火炎に肩を焼かれ、刃となった風に頬を切られる。水圧の塊に鳩尾を撃ち抜かれ、砂嵐に目を塞がれた。気がつけば、片手が完全に凍りついている。
今のウェリウスは、災害級の魔術を五つ身に纏っている。一見して、それは一方的な蹂躙にさえ見えたことだろう。
だがミルの瞳はまだ敗北を認めていなかった。紙一重で決定打を避け、魔弾を放っては攻撃を繰り返すミルに、気つけば観客たちさえ圧倒されている。
負けているミルを応援する声があった。
それでいて、優勢なウェリウスもまた観客から見放されてはいなかった。
会場の全員が、ふたりの決着を待っている。
そこからの一分間は、舞踏会の遊戯にたとえられただろう。
じわじわと体力を削っていくウェリウスの魔術。一瞬でも気を抜けば終わりという中で、ミルは徐々に攻撃を見切り始めていた。
いや、正確には違う。ミルが見抜いたのは、魔術というよりウェリウスが動かす五本の指の規則性だ。
「親指が……火だ。それで人差し指が水、中指が土……」
五指の動きが、どうやらそれぞれの魔術に対応しているらしい。どの指が、どのように動くかを見ることで、かろうじて魔術を回避できるようになっている。
『押されている! あのミル=ミラージオが押されているっ!! だがギリギリのところで攻撃を躱して、反撃の機会を窺っているぞ! 負けるなミル! 会場は君を応援している――!』
負けている、なんて理由で応援されるのも嬉しくはないが。
それでも、同じ学生会の仲間であるシュエットの声援が、ミルには嬉しく感じられた。中立の司会が完全に一方へ肩入れしているが、どうしてだろう。なかなか気分は悪くない。
攻撃の合間を縫って、ミルは三発の魔弾を放つ。
そのうち二発が迎撃され、一発はウェリウスが軽く動くことで避けた。
――それでいい。むしろ当たってもらっても困る。
なぜなら、これでようやく儀式の仕込みが終わったのだから――!
ミルが、ふと片膝を着くように座り込んだ。片手でステージの床に触れ、視線は真下を向いている。
観客たちは、ついにミルが心を折ったのかとどよめいた。
しかし、それは違う。
真っ先に気がついたのは司会のシュエットと、そして対戦相手のウェリウスだった。
『――ミル選手が床に手をついた。これは、来るぞ――!』
お前がばらしてどうする。
苦笑するミルだったが、どうせばれているのだからどうでもいい。
ふと顔を上げれば、対面に立つウェリウスは笑顔でミルの挙動を見つめていた。
何を期待されているのやら。いずれにせよ、このまま負けるなどウェリウス以上にミルが許せない。
地に魔力を流し込み、そして、ミルが術式の名を口にする。
「――脈動結界」
瞬間、これまでミルが打ち込んだ魔弾――それが砕いた地点から、血のように赤い奔流が立ち昇った。
「……儀式魔術の結界。あの魔弾は基点を撃ち込んでいたんですね――」
ウェリウスが驚きを口にする。
そう。ミル=ミラージオはあくまで儀式魔術科だ。その本領は魔弾などではない。
火山の噴火のように、あるいは血の流れる噴水のように。真紅の奔流が空へと昇って、ステージの上に結界を作る。
だが当然、ウェリウスもただ見ているだけではない。
圧縮された水の奔流が、結界の基点のひとつを撃ち抜くように発せられた。
家一軒を軽く倒壊しかねない水圧が、結界を破壊せんと進み――そして完全に相殺された。
「……これは」
ウェリウスもさすがに目を見開く。そう、魔術は正確に言えば相殺されたのではない。
――乗っ取られたのだ。
赤い魔力が水流を侵していく。まるで血管が張り巡らされたかのように、強大な水圧の塊が汚染された。
滲みこんだ魔力が、ウェリウスから術の支配権を奪う。
今や水の元素は完全にミルのものだった。そしてこうなっては、ウェリウスもそう安易に魔術での攻撃は行えない。
「魔術による、強制介入……まさか、僕から魔術を奪い取るとは思いませんでした」
「本来なら、難しい割に大して使えない魔術なんだが。魔術が永続することが、逆に仇になったな」
「……概念魔術。見くびったつもりはありませんが、まさかその領域まで至っているとは」
「お前に褒められても嬉しくねえな」
「あれ。それ、ついさっきも言われましたね……なんでだろ」
茶化すように言うウェリウスだったが、その余裕も今は演技だろう。
もはやこの場はミルの体内も同義だ。あらゆる魔術は血のような魔力に侵され、その支配権を奪い取られる。
いわば魔術の強制徴収。
それが、ミル=ミラージオの切り札だった。
「――行くぜ。お返しだ」
ミルによって操られた魔術。水の激流が、今度は逆にウェリウスを襲う。
ウェリウスはそれを魔術で防いだ。土で防壁を作り、唸る水の流れを堰き止めようとした。
だが水が土に触れた瞬間、血のような魔力が今度は土を侵していく。
「……そう来ますか……っ!」
咄嗟にウェリウスは土の操作を打ち切り、背後へと飛びすさった。
直後、それまでウェリウスがいた床の上に、土で作られた槌が振り落とされた。もし留まったままでいれば、骨の数本は叩き折られていただろう。
さすがのウェリウスも、手の内にわずかな汗を握っていた。
「間接的にも侵されるわけですね……とんでもない」
「お前の魔術が強すぎるせいだな。俺の実力とは言えないさ」
「いやいや。充分、言ってくれてますよ――っと!」
ウェリウスは前転するようにウェリウスの攻撃を躱す。
もはや魔術ではなく、体術で全ての攻撃を回避しなければならないのだ。形勢は逆転したと言える。
だが、それでもミルはまったく安心していない。
ウェリウスが全力を出しているとは到底、思えないからだ。むしろまだ実力を隠しているくらいだろう。
魔競祭が続く以上、その判断も当然だ。だが出し惜しみして負けては意味がない。
ウェリウスが反撃してくるのならここだ。
そう判断する。だからこそ、どんな魔術も見逃さないと意識するミルに――、
「――でも、まあ、こんなものか」
誰に言うでもなくあっさりと。小声でウェリウスは呟いていた。
おそらくミルにしか聞き取れなかっただろう。というかミルにさえ聞かせるつもりはなかったはずの言葉だと思われる。
その台詞を、強がりやはったりだとは思わない。舐められているわけでさえないだろう。
ただ純粋な、理性的な判断としてウェリウスはミルの魔術を《こんなもの》と評しているらしい。
思わずミルは絶句する。
そして、その一瞬の隙を突くように――ウェリウスの火炎がミルを襲った。
「――っ!」
反射的にミルは水を操って攻撃を防いだ。
――いったい何を考えている!?
同時にミルは疑問する。魔術で攻撃などしては、さらに火を乗っ取られるだけだというのに。いや、それ以前に、そもそも水に対し火では相性が悪い。
なぜわざわざ火を――。
不可解に思うも、かといって防がない手はない。ミルは冷静な判断でもって水の盾を作り、
――直後、全ての水が蒸発した。
「な――!?」
あり得ない。いくらなんでも、そこまで馬鹿げた温度はない。
だが現にミルが乗っ取った水は跡形もなく消えていた。炎はそのままミルを無視するように広がっていき、まるで結界を上から塗り替える――否、焼き払うように燃焼を続けた。
そして、そこで得た事実にミルは愕然とする。
――結界が、灼かれている。
意味がわからなかった。ただの火で、実体のない魔術を燃やせるわけがない。
しかし、ならば目の前で起きているこの現象をどう説明するのか。そもそも指を動かして魔術を使う、ということさえウェリウスの演技だったらしい。今の彼は指一本動かしていない。
混乱するミルだったが、やがてひとつしかないという結論まで至った。
「概念……魔術、だったのか。――初めから!」
ミルの叫びにウェリウスが答える。
嫣然と。
魔的に美しい微笑で。
「そうですよ。というか当然じゃないですか。ただの火遊び水遊び程度を、僕は切り札とは呼びません」
――概念魔術。
という魔術は厳密な定義上、存在していない。ある意味では、全ての魔術がそれに該当する。少なくともその可能性は秘めている。
単純な、物理的な改変から、一段上の領域に至った魔術――それを総称して概念魔術と呼ぶのだから。
それは物事の因果に、世界の法則に、《こうあるべし》と規定される概念そのものに干渉し、自在に書き換える魔術だ。
相手の魔術を、自分のものであると強引に奪い取るミルの儀式魔術もそうだし。
そして、あらゆる概念を強制的に《燃焼》させるウェリウスの元素魔術もまた――概念魔術の一種に至っている。
「魔力だろうと、魔術だろうと。水だろうと土だろうと意味だろうと――燃やし尽くして灰に変える。それが僕の概念魔術です」
そして奪い取った魔術そのものを消されてしまっては、もはやミルの結界に意味などない。
ウェリウスは格の違いを示すように、わざわざ結界そのものさえ焼き払ったのだ。
――あるいは、それは自分ではない、ほかの誰かに対するメッセージだったのかもしれない。
ミルはふとそんな風に考えた。その事実に思わず苦笑する。
「……当然、火の元素以外も概念魔術を発動できるわけだ?」
「ええ、まあ、そうですね。――だって先輩、動けないでしょう?」
「…………!」
言われて気がついた。ウェリウスの言う通りだということに。
身体がまったく動かない。かろうじて喋ることはできるし、視線を動かすこともできる。だが手や足はほとんど停止してしまっている。
まるで――硬く凍りついてしまったかのように。
「氷に停止の概念を付与しました。僕の氷に触れたものは、あらゆる運動を停止します」
「……そりゃまた。ご丁寧に解説どうも」
「いえ。いい戦いでしたので、これくらいは」
嫌味なくウェリウスは微笑む。
実際、別に馬鹿にされていたわけでも、手を抜かれていたわけでもないのだろう。むしろ本気で戦っていたからこそ、彼は手札を最後まで隠したのだ。
その事実を、ミルは誇らしいとさえ思ってしまっているのだから救えない。自分自身でそう思う。
――もう、敗北は決まったようなものだった。
「さて、まさか降参しろ、なんて言えませんからね。最後まで決めさせてもらいますよ」
「……いやマジで容赦ねえな、お前」
「だって、降参なんてする気ないでしょう? だから結界を灼いたんですよ」
買いかぶられたものだと思う。何もそこまで強くない。
でも、だからこそ、後輩の期待には応えるべきだ。
「そうだな。――まだ、負けたつもりはない」
「なら――僕も本気で応えましょう」
瞬間、ウェリウスの周囲から四属性の魔術が消えた。
同時にミルの身体も動くようになる。本当に凍らされていたわけではなく、概念的に止められていたのだ。だから再起動に不備はなかったが、それ以前に解せない。
ミルは思わず問うていた。
「どういうつもりだ……?」
「いえ。この属性は少し、扱いが難しいものでして」
「……おいおい」
見れば、ウェリウスの手のひらに紫色の魔力が集っている。
「とっておきです。行きますよ、先輩――」
「――ああ。来いよ、後輩」
ミルは腕を掲げ、そして一歩を前へと駆ける。
届かないことがわかっていながら、それでも一撃を、一矢を報いるために。ミルは敵へと駆け出した。
だが彼の足が、二歩目を刻むことはなかった。
刹那――気づけばミルは何かに撃ち抜かれ、そのまま後ろへと背中から倒れこんでしまう。
何をされたのだろう。目に留まることさえなかった。
ただひとつ、ウェリウスの手許に見えた、かすかな紫の輝き以外は――。
「――六属性目。雷の元素魔術です」
ウェリウスの声は、誰にも届くことがなかった。
なぜなら、唯一聞こえたはずのミルは、すでに意識を手放していたのだから。
実況のシュエットが、拡声器を通して大きく叫ぶ。
『――しっ。試合、終了ぉ――っ! 勝者、ウェリウス=ギルヴァージル――っ!!』
※
観客席にいた俺の耳に、二試合目の終了が告げられる。そして瞳のほうには、勝利を誇るように腕を突き上げるウェリウスの姿が映っていた。
間があって、それから爆発した観客たちを周囲に、俺は呆然と座席に腰を下ろしている。
敗北したミルが学院の医療班に運ばれ、ウェリウスが悠然とステージから去るところを漫然と眺めていた。地属性に適性を持つ学院生が、急ぎステージの修繕を始めている。
そこまでを茫然自失と眺めてから、俺はようやく再起動して、震える口から言葉を吐いた。
「……え? いや、え? 嘘、ちょっと待っ……えっ? あっれ? ……ええっ!?」
言葉になっていなかった。
だってそうだろう。あり得ないって、今の試合は。
ミルは間違いなく強かった。この年齢で概念魔術の領域に踏み込んでいる学生を、世の人間は天才と呼ぶ。
――しかし、ならばそれを相手に無傷で勝利する学生のことは、もはやなんと呼べばいいのだろう。
強い。というか強すぎる。なんかもう明らかにおかしい。
いやもちろん、俺もその《おかしい》の側に入っていた自覚は一応あるし、さすがにメロたち七星メンバーに比べればいくぶんかマシの域にはいるけれど。
それでも、これは、下手したら――。
「――レヴィより、強くね……?」
俺は今まで、学院最強はレヴィか、もしくは次いで学生会の庶務だろうと思っていた。
どちらも全力は見たことがない――庶務に至っては顔すら知らない――のだが、ある程度は知識のあるレヴィを基準にしていたところがある。それに伍す、というのだから庶務も相当だ。
だがウェリウスは、最低でも完全武装状態のレヴィに匹敵する。
それは要するに、魔術師として上から数えたほうが早い強さだという意味だ。
いや、ウェリウスだって強いことはわかっていた。とはいえ、いくらなんでもこれはおかしいだろう。普通じゃないにも程がある。何が異常って、アレでまだ全力を出していない辺りが特におかしい。
そんな相手と、俺は二回戦で当たることが確定した。してしまった。
……もう、こんなところで油を売っている場合じゃないな。
残念だが次の試合は観戦できない。会長とノキの試合は気になるところだし、それ以上に第四試合に出場するオブロ=ドゥランのことはかなり気になる。
が、今はもうそんな場合じゃなくなっている。
この休みのうちにピトスを捜し、出かけてくることを伝えなくては。申し訳ないが、その間はアイリスを預かってもらうことにしよう。
俺は立ち上がり、修繕されているステージを眺めながら呟いた。
「……さて。どうなることやらね……」
魔競祭は二日目も、まだまだこれからが本番だ。