1-06『模擬戦』
挨拶代わりの一撃――。
そう評すには、いささか威力の込められすぎた強襲だった。
「ぬおぅわあっ!?」
思い切り情けない悲鳴を上げながら、咄嗟に横へ跳んで回避する。
地面が剥き出しの試術場で、外套を汚しながら転がる俺。
女の子三人が観衆の中で、まったく格好のつかない展開から模擬戦は始まった。
「……驚いたよ」
無様な俺を遠巻きに見て、追撃するでもなくウェリウスが言う。
皮肉じみた発言だが、このザマでは否定もできやしない。
「悪かったな。いきなり不意打ちとは予想外だった」
「馬鹿にしたわけじゃないさ」ウェリウスは目を見開いて呟く。「てっきり魔術で相殺するか、もしくは防御するものだと思っていたからね。けれど、まさか普通に躱されるとは考えてなかった」
「いや、だからお前、俺の実技の成績知ってんだろ? あんな魔術、即座に相殺できるようならもっといい成績取ってるっつーの」
「それにしては素晴らしい身のこなしだったね。冒険者の中には近接に特化した魔術師もいると聞く。もしかして、君もそちらのタイプかな?」
あくまで優雅に、悠然と――何より上から物を言うウェリウス。
俺は「は」と吐き捨てるように答えた。
そちらがその気なら、こっちにだって考えがある。
「ぜんぜん違えよ。さっきからお前の推測は全部間違ってる。もうちょい考えてから物を言ったらどうだ」
さきほどの考えなどどこへやら。俺はウェリウスを挑発にかかる。
受けるウェリウスは、むしろ嬉しげに唇を歪めて答えた。
「いや、耳が痛いね。だが僕も魔術師だ。言葉より、行動で示すほうが合っている――!」
言葉と同時、ウェリウスが軽く腕を振った。その動きに指揮されるかのように、空気が強く響きを発する。
それは目に映らない大気の振動。魔術の形成を伝える余波だ。
攻撃を感覚だけで回避するべく、俺はさらに横へと跳んだ。
直後、それまで俺の立っていた地面が、ざくっと刃物を振り落されたように抉れる。
――風の魔術だ。
目に見えない空気の刃を創り出し、悟られるよりも先に相手を刻む。
「休む暇は与えないよ!」
ウェリウスはさらに風の刃を連射した。中には風の攻撃以外にも、先ほどの火球まで含まれていた。二属性を同時に操るとは、地味に難しい技術をさも当然のようにやってくれるものだ。
などと暢気に評している余裕もなく。俺は迫り来る不可視の攻撃を、魔力感知だけで回避していく。
目に見えなかろうが、魔力の流動は感じられるのだから。魔術師ならばそれは当然の感覚だ。ある程度の勘と本能で、攻撃を避けることは不可能じゃなかった。
体勢を低く保ち、ほとんど地面を転げまわるように無様な格好で、それでも俺は攻撃を回避し続けた。
防御力に欠ける俺の、それが生き残るためのすべなのだから。
「それにしても、攻撃の殺傷性が高すぎませんかねえ! これ模擬戦だろうが!!」
顔の真横を抜けていった火球に、嫌な汗をかきながら俺は叫んだ。
「それを全て避けている君には言われたくないな。まあ、そうでなければ面白くない」
「レヴィみてえなこと言いやがって、お前も脳筋の類いかよ! 意外!!」
「知らないのかい? 意外性に富んでいる男のほうが、女性からは支持されると聞くけれど」
「嫌味か! なんだ、喧嘩売ってんのかテメエ!!」
「売っているだろう」
「そうだったね!」
アホなやり取りを繰り広げる間も、俺は攻撃を回避し続けながら移動する。
――それにしても、さすがに学年次席というだけはある。
いや、この場合はレヴィが例外すぎるだけで、普通なら学年主席レベルの実力を持っていると見做すべきなのだろう。
今、ウェリウスが使っている魔術は、大別して《元素魔術》と呼ばれる種類のものだ。魔術としては最も一般的なタイプで、学院にも元素魔術科がひとつの学科として存在している。
火や水、風や地といった自身に適応する《属性》を操り、現実世界に干渉する魔術。扱いが簡単で習得が早く、何より高い攻撃力を持たせやすいことから、もっぱら戦うことを目的とする魔術師がよく用いているものだ。戦闘系魔術師は、その大半が元素魔術の使い手だという。
もちろん欠点もないではなく、たとえば自身の持つ属性と異なる魔術を使うことが、ほとんど不可能なことは元素魔術師の大きな弱点だろう。
魔術師の属性は生まれつき決まっている。たいていはひとつで、たとえば属性が《火》の魔術師は、火属性以外の元素魔術を使うことができない。それは戦闘時における対応力の低さを意味し、たとえば迷宮で火に耐性を持つ魔物と相対した場合、火属性の元素魔術しか使えない魔術師は苦戦を余儀なくされるだろう。《火の元素魔術》で可能なことは《火を創り、操ること》にほぼ終始するからだ。特別な魔術効果を持たせる技法も存在はするが、難易度が格段に上がってしまう。
元素魔術師は、行使可能な魔術の幅が極端に狭い。
ただ、やはり例外はあるわけで。
ひとりの魔術師が、必ずしも単一の適性しか持たないわけではないのだ。
現に目の前のウェリウスは、火と風、ふたつの元素魔術を操って見せている。これだけで、対応力は単純に考えて倍だ。決して数は多くないが、中には三つ以上の属性に適性を持つ魔術師だって存在する。
それがウェリウスでないなどと、今の時点で断言することはできなかった。
この時点では、まだ切り札を切るような段階じゃないはずだ。
ウェリウスだって――無論、俺だって。
もちろん、それは必ずしも俺の有利を意味しない。対応力の狭さは、翻せば単一技能を磨きやすいという利点でもあるのだから。
――ただ元素を操る。
それだけで、一流の元素魔術師は百の魔物を鏖殺せしめる。
単純にして強靭。
それが、元素魔術師の戦闘方法だ。
「……こうまで避けるとはね」
魔弾の連射を止め、ウェリウスは呆れたように呟いた。
俺は軽く肩を揺らして、
「なんだよ、弾切れか?」
「いや。でも、このままだと君を捉えるのは難しそうだ」
余裕の表情でウェリウスは答える。
実際、こちらからはまだ一度も攻撃できていないのだ。持久戦になればいずれ敗北する。どちらが優勢かを言うのなら、明らかにウェリウスの側だった。
威力から速度、連射性、消費の燃費に至るまで、ウェリウスの魔弾は間違いなく一流だ。
正直ここまでのモノとは思っていなかった、というのが本心だ。ぶっちゃけ完全に舐めていた。馬鹿にしていたのは俺の側かも知れない。
言い訳をさせてもらえるのなら――ここまでの練度を持っているウェリウスのほうがおかしいと思うけれど。
これのどこが学生の魔術だ。本職としてさえ、間違いなく実戦で通用する。
これが才能の差だというのなら、世の魔術師は堪ったものじゃないだろう。
「まったく、天才ばっかで泣けてくるね……!」
ぼやく俺に、ウェリウスは苦笑して答えてた。
「仕留められていない以上、嫌味にしか聞こえないな」
「仕留めるって」殺す気かよ、俺を。「実際、当たったら普通に大怪我だっつーの。必死にもなるわ」
「躱しておいて言うことかい? それも魔術さえ使わずに」
「これから俺ら迷宮に潜る予定でしたよね? 忘れたの? 消費は極力抑えるべきだろうが」
「なるほど。僕も舐められたものだ」
「舐めてねえよ」
今は、もう。
どこか愉快気に宣うウェリウスに、俺は告げることにした。
その勘違いを正す言葉を。
「――現に、魔術はもう使ってる」
言うが早いか、俺は片手を地面に突き、そこから魔力を放出した。
今の俺に使える貴重な魔力を惜しみなく、ではなく盛大に惜しみながら、ほんのちょっとだけ地面に流し込んでいく。
正確には、そこに描いた《印刻》へ向けて。
「魔術!? いつの間に――」
驚きの声を発しながらも、さすがにウェリウスの反応は迅速だった。
地面に浮かび上がった魔力光。それが描く記号を見てとって、ウェリウスの表情に初めて焦りが浮かんだ。
ウェリウスが叫ぶ。
「魔術陣!? いや、これは――」
「――そう、印刻だ」
瞬間、俺は地に描いた文字の意味を、魔術として起動する。
――記したルーンは《氷》と《野牛》。
俺はただ転がり続けていたわけじゃない。回避の行動と同期させて、地に足で文字を記していた。
印が現実に意味を刻み、見る間に地面を凍らせていく。まるで氷原が広がっていくかのように、ウェリウスへと向けて魔術が走る。
咄嗟、ウェリウスは足元へと火を放った。地面を走るように進む火炎が、俺の創り出した氷と激突する。氷が自分へ届いては、動きを阻害されると悟ったのだろう。《氷》のルーンには停滞の意味もある。ウェリウスはそれを知らないだろうが、勘と経験から直感したらしい。
火の勢いに、氷は瞬く間に溶かされ始めていた。《野牛》による強化を加味してなお、俺は出力でウェリウスに届かない。
だがそれでいい。そこに隙さえ生まれれば充分だ。相手の攻撃を防ぐための、あくまで対処としての魔術なら、注意はどうしても下に向く。
その間に俺は、あらかじめ靴に刻んであった刻印を再起動する。
「――《駿馬》」
単純に加速の効果を発揮するこのルーンは、俺が最も多用するルーンのひとつでもある。
もちろん、さきほどまでウェリウスの攻撃を回避することができていたのも、このルーンのお陰だった。
強化のかかった足。ただ加速にのみ特化した魔術による俊足は、並の強化では及ばない。
駿馬の脚を身に降ろし、俺はその脚力で――地を一気に蹴り抜いた。
《駿馬》で強化された脚力により、俺は一気にウェリウスへと肉薄した。氷の地面を滑るように、加速を極めて距離を詰める。
だが相手もさるものだ。炎の下から、地面がせり上がって壁を創り出す。
――地属性まで使えんのかよ。
俺は小さく失笑した。
ここまでくれば認めざるを得ない。ウェリウス=ギルヴァージルは、間違いなく天才のひとりである。
それこそ――レヴィに匹敵するほどに。
壁がせり上がるよりもなお速く。俺は、それを飛び越えて上を取る。
対するウェリウスもまた、上空の俺に掌を向けていた。魔力の練りが異常に速い。当たり前の技術が、当たり前にできるからこそウェリウスは隙なく強かった。
彼の放った水の弾丸が、魔術による加速を得て俺に迫る。
水属性まで持っていたとは。四元素複合適性など、世界中を捜したところで何人いることか。
――最後まで。本当に笑わせてくれるものだ。
空中の俺に、ウェリウスの攻撃を回避するすべはない。眼前にまで迫り来た水の弾丸は、ヒトの骨くらいは軽く砕くだけの威力があるだろう。
その魔弾を――、
俺は、正面から素手で殴りつけた。
この小説における《ルーン文字》への解釈はフィクションです。
現実の場合と異なりますが、異世界ということで大目に見てください。