3-17『組み合わせ発表』
発表を受けて、会場が歓声に包まれる。
もちろん俺に対する歓迎ではなく、あくまでノリ優先の盛り上がりだ。そもそも観客たちが、俺のことを知っているとは思えない。
今年の魔競祭は、例年にも増して盛り上がりが大きいような気がしている。
たぶん、レヴィたち二年代の影響が大きいのだろう。
「初戦、ですか。アスタくん」
「そうみたいだね」
隣に座り、上目遣いにこちらを見上げるピトスに頷きを返した。
しかし、この先は勝つことだけではなく、盛り上げることも考えて戦わなければいけないのだろうか。それも予選以上のものを、となると考えることが増えてくる。
自分で言うのもなんだが、シルヴィアとの戦いは結構な盛り上がりだったと思うのだ。
さて、どうしようか。
目を細める俺の視線の先で、司会のシュエットが俺の紹介をしていた。
『予選では第六ブロックにおいて、あの銀色鼠団長、シルヴィア=リッターを下した実力者! これまでも一部ではレヴィ=ガードナーやピトス=ウォーターハウス、そしてあのメロ=メテオヴェルヌといった有名人との付き合いが取り沙汰されてきた、今ある意味で最も話題の学生だあ! 学生会にも《爆ぜろ》《もげろ》《カッコつけ野郎》《ていうか誰だお前》の声が多数寄せられているぞっ!!』
「……うるせえよ」
「き、気にしたら負けですよ、アスタくん」
口許を少し引き攣らせながらも、慰めるように言うピトス。
その優しさが痛かった。
寄せられた(どこからだ)という言葉の数々を僻みだと切り捨てるのは容易いが、俺も少しくらいは自分を省みたほうがいいかもしれない。
もちろんシュエットはこちらのことなど知る由もなく、続いて対戦相手の紹介に入る。
『続いて対戦相手――カニス=アメストゥス! あの名門魔術師家系、アメストゥス家の御曹司が三年連続でトーナメントに進出だあ! 去年は惜しくも一回戦で生徒会庶務の怪物野郎に敗北したが、今年はその汚名返上なるかっ! 学生会にも《がんばれ噛ませ犬!》《負けるな当て馬男!》と応援の声が多数寄せられているぞ――!』
「――どういう意味だあっ!」
遠巻きに、立ち上がって文句を言う男の姿が見えた。
おそらく彼がカニスだろう。まあ、この言われようなら文句のひとつも言いたくなるか。
俺といい、彼といい、この司会は意図的に悪意のある紹介ばかり選んでいる気がする。それも反論しがたい絶妙なラインで。
カニスが叫んだせいで、むしろ会場は爆笑に包まれた。哀れカニスくんは顔を真っ赤に紅潮させ、おずおずと腰を下ろすほかなかった。
……名門にも容赦ない。
同情しつつも、俺は隣のピトスに訊ねる。
「で、実際のところどうなの、彼は?」
「もちろん強いですよ。ただ運がないというか、三年連続、一回戦で強敵に当たって負けているそうです」
「……二年連続じゃなくて?」
「どうせアスタくんが負けるわけないじゃないですか」
どうせと言われた。信頼ではなく、『何言ってんだコイツ』という風に答えるピトスだ。
言いたいことはいろいろあるが、まあ実際、レヴィたちレベルの相手でなければ勝てるという自信は持っている。
気を抜くつもりはないけれど、それでも一回戦は、どうやら割と楽そうだ。
『続いて第二試合、まずはコイツだ!』
シュエットはノリノリで言葉を続けた。煽るのが上手いのか、会場の反応も芳しい。
――レヴィ来い!
そう祈りながら俺は掲示板を見た。彼女が隣なら、俺の魔競祭は二回戦で終わる。
だが生憎と、そうは問屋が卸さなかった。
『――ウェリウス=ギルヴァージル! こちらも名門貴族ギルヴァージル家出身の大天才! 扱える属性の数が最低でも五、その上でまだ実力を隠していると言われる二学年シード。底なしの化物のひとりだあっ! 顔よし腕よし家柄よしの嫌味な男、今年のオーステリア二年生代には魔物が棲んでいるぞ――っ!』
「……マジかー……」
隣のブロックにウェリウスという事実は、正直かなりのマイナス要素だ。
大きな弱点がなく、戦力が特化しておらず、ただ数値として強いウェリウスのような相手が、今の俺にはいちばんの鬼門だった。
奴とは一度、模擬戦を通じて戦っているが、あのときでさえ普通に負けている。しかもまったく全力を出していない様子のウェリウスにだ。こちらも本気ではなかった、などという言いわけは最低でも引き分けていなければ使えまい。オッズは向こうが上だろう。
とはいえ、まだ対戦相手がレヴィである可能性が残っている。一回戦から強豪同士の優勝争い、というような幸運を祈る俺だったが、
『対戦相手は学生会副会長、ミル=ミラージオ! 前年度のベスト4! 学年は違えど、ともに天才と呼ばれた男同士の壮絶な争いから、これは目が離せないぜえっ! 同時に美形男子対決でもあるこの試合、野郎連中は共倒れを期待しろ――!』
知らない奴だった。もうどうしようもない。
学生会の副会長にして、前年度のベスト4だとか。きっとそれなりに強いのだろう。
だがウェリウスに勝てるような奴が学院にそう何人もいるとは思えない。
というか、むしろウェリウスに勝てるような奴なら、やはり俺が厳しいので意味がない。
司会に煽られた通り、俺は共倒れを期待することにした。
……イケメンなんか潰し合え。
『どんどん行くぜ! 第三試合は、ともに第六ブロックからの決勝進出者同士の戦いだ! まずは数少ない一年生の出場者、ノキ=トラスト! 今、話題の喫茶店でバイトをしている美少女だ! 野郎どもからの人気が高いぞ――けっ、メイドがなんじゃコーヒーがなんじゃ! 酒もってこい、酒ぇ――!』
「やりたい放題だな、あの司会」
「あはは……」
呆れる俺と、苦笑するピトス。
まあ、他人ごとだと思って聞いている分はいい。
『対するは我らが学生会長、ミュリエル=タウンゼント! 昨年の準優勝者を相手に、果たして一年生がどこまで対応できるのか! この試合からも目が離せないぜ!! がんばれ会長! アタシは学生会の味方を思い切り贔屓するぞ!! だから仕事を減らせコラァ――! つーか働け会長――っ!!』
もはや身内ネタだったが、会場の反応は結構温かい。
という事情はともかく、一回戦第三試合はノキ対ミュリエルだった。ともに第六ブロックの試合を一緒に勝ち残ったふたりである。
あのときの様子を見るに会長のほうが有利だろうが、生存性に長けたノキにも勝ち目がないとまでは言えない。
ノキが会長を倒せるだけの手札を持っているかどうか。そこが勝負の分かれ目だろうか。
『そして今日、二日目の最終試合、一回戦第四試合の出場者は――予選第六ブロックからオブロ=ドゥラン、二年生! 去年は出場しておらず、今年が初めての魔競祭出場! しかしながら、そのまま予選の突破を決めたダークホース! 《陰が薄い》《こんな奴いたっけ?》と評判の男だが、秘められた実力を見せてくれえ――!』
――オブロ=ドゥラン。それは確か、俺と同じ第六ブロック四人目の決勝進出者だ。
あのときは余裕がなく顔を確認できなかったが、いったいどんな奴なのだろう。
「ピトス、知ってる?」
「いえ……聞いたことがありません」
訊ねると、だがピトスは首を横に振った。ということは紹介の通り、ほとんど無名の出場者なのだろう。
相変わらず悲しいコメントばかりピックアップする司会だが、それはともかく、思うことがある。
……なんとなく。
予選で感じた視線の主は、このオブロではないかと俺は思った。
特別の根拠はない。しいて言うなら、俺から隠れおおせるほどの実力者なら、予選を突破しているだろうという当て推量だ。
ただ、そう外してはいないように思える。
オブロの名前は押さえておこう、と俺は脳内で考えていた。
『対するは三年、オーステリア唯一の《数秘術研究部》部員にして部長、レフィス=マムル! 陰気な外見で明るい性格の変人が、三年連続の魔競祭本戦出場だ――! 毎度毎度、勝敗を度外視したパフォーマンスばかり魅せる彼だが、果たして最後に本気は見られるのか!? 楽しみだぜっ!!』
と、そのオブロの対戦相手だが、こちらは聞いたことがあった。
レフィス=マムル。
特に魔術師の家系の出というわけではないらしいが、独学で修めた数秘術の技術が認められて学院に入学したと聞いている。
印刻術と数秘術――それぞれ文字と数字に関わる超マイナーな魔術を修めている関係で、何度か話をしたことがあった。
くすんだ灰色に似た長髪を、長く長く伸ばした奇妙な髪形をしている。体格も細身で、服も好んで白ばかりを着るため、日本出身の俺から見るとまるで幽霊のようだったが、これが話してみると非常に気さくで、冗談と諧謔を好む面白い男だった。
友人というほどではないが、互いにマイナー魔術を扱う同士、ときおり話すことがある。仕事を一緒にしたこともあった。
そうか、レフィスも魔競祭に出場していたのか。
彼のことだから、たぶん勝敗よりも盛り上げのほうに力を注ぐことだろう。数秘術という地味な技法で、ものすごく見た目に派手な魔術を使うのがレフィスの特徴だ。
きっと面白い試合を見せてくれると思う。
偵察や警戒という意味ではなく、個人的な興味からこの試合は見ておきたい。
『さーて、これで出場者の半分を紹介し終わった! ここからは明日、魔競祭三日目からの試合予定を伝えていくぜ。まずは一回戦第五試合! 出場者は学生会から、書記のスクル=アンデックスだあっ! 大人しい顔して学年きっての実力者! 彼女が三年目にして初の魔競祭出場だあ――! 学生会にも《可愛い》《美しい》《踏んでください》《むしろ罵ってください》と野郎どもからコメントが寄せられているぞ!』
「ちょっ、やめてくださいっ!?」
掲示板のほうから声が上がった。書記だけあって、おそらく文字を魔術で映しているのは彼女なのだろう。
その反応を、同じ学生会メンバーのシュエットが『その反応も可愛らしい! 憎いねー!』と煽っている。人気者は人気者で、また別の追い込み方をする奴らしい。とんでもないな。
しかし、またしても学生会メンバーだ。オーステリア学院最上級のトップは伊達ではないらしい。
ひとつ下の、二年生の代があまりにもアレすぎて霞んではいるが、本来なら充分に熟練と言える実力者が揃っている。
実際、去年の魔競祭では上位をほぼ独占していたはずだ。
逆にレヴィやウェリウスたちは出ていなかった。両者が直接当たるのは今年が初めてだ。
魔競祭の見どころのひとつになるだろう。
『さて、その対戦相手は編入生! つい最近、セルエ先生からの紹介で入学したフェオ=リッターが名を連ねているぜえ! なんと、あのシルヴィア=リッターの実の妹! この土壇場にいきなりの登場、果たして魔競祭の台風の目となるか――!?』
その書記の対戦相手がフェオだった。やはり予選は突破していてくれた。
いきなり学生会のメンバーが相手とは運がいいのか、悪いのか。
とはいえ、狭い範囲に区切られての戦いならば、彼女のような近接戦闘を得意とする魔術師には独擅場だろう。
勝ち残って、楽をさせてもらいたいものである。
『続いては第六試合、最初の出場者は二年のシャルロット=セイエル! 多くの魔術で高い成績を誇っている今年のシード権ふたり目だ! 史上最強とも呼ばれる第二学年のシード選手として、どれだけの爪痕をこの魔競祭に残してくれるのか、乞うご期待っ!』
続いてはシャル。もちろんシードなので入っていて当然だ。
タラスから帰ってきて以降、彼女とはほとんど話をしていない。顔を見たことさえほとんどなかった。
どうにも、あの迷宮での事件から彼女はひとりになりがちなのだ。その傾向は以前から強かったのだが、さらに輪をかけている。
……あの魔法使いと、何かあったことは間違いない。
だがメロは頑なに口を割らないし、本人に聞く機会も今日までなかった。
気にはなるのだが、どうも彼女自身、俺を避けている気配がある。どうしようもない。
『その対戦相手は、学生会から最後の参加者! ついにこいつの登場だ、前年度魔競祭優勝者にして第三学年の《怪物》! 果たして二年代との格づけはどんな結果が出るのか! ――クロノス=テーロ学生会庶務! なんと学生会の四人は全員が本戦出場だが、その中でもこの男の実力はまさに学年最強!! 二年連続の優勝なるかあ――!?』
「……学年最強、ね」
ふと呟いた言葉に、隣のピトスが頷いて答える。
「ええ。レヴィさんの入学以前は、当時の三年さえ凌駕して学院最強と呼ばれていました」
「さすがに、奴のことは俺も聞いたことあるな」
レヴィが強烈に意識していた相手だ。
俺と同じく、普通の魔術の成績はとことん悪いのだが、ひとたび戦い始めれば鬼神の如き戦闘能力を発揮するという、文字通りオーステリア学生会の鬼札。
直接戦ったことはないはずだが、もしレヴィに勝てる学生がいるとすれば、それは学生会庶務クロノス=テーロをおいてほかにいない、とまで言われている。
実際、彼が戦っているところなんて一度も見たことはない。それでも噂通りの実力者ならば、シャルでさえ厳しい戦いになるだろう。
いずれにせよ、俺と当たることはなさそうだが。
『まだまだ行くぜえ、第七試合! なんとこの組はいきなりシード同士の直接バトル! 皮肉な組み合わせにアタシも涙を禁じ得ないぜ! 片や学院長の孫にして、あの二年代で最強の名を冠する万能魔術師! そしてもう一方は治癒魔術の使い手にして、二年代シード最後のひとり! 学院二年代三大女傑のふたりが、魔競祭でしか見られないガチンコバトルを繰り広げるぜ! 果たして軍配はどちらに上がる、両名一気に紹介だ! レヴィ=ガードナー、そしてピトス=ウォーターハウス――!!』
俺は驚いて、隣のピトスを振り返った。
まさかいきなりレヴィとピトスの直接対決とは。間違いなく、本戦一回戦でのベストバウトだと見ていいだろう。
一方、名を呼ばれたピトスは特に驚きも嘆きもしていないようで、冷静に通知を受け止めた。
「いきなりレヴィさんとですか。さすがに大変そうですね」
「……なんつーか。運、悪かったな」
「酷いですね。まだわたしが負けるって決まったわけじゃないでしょう?」
もちろん、俺だってそんなつもりはない。
ただ、ピトスがそう自信を見せることが意外といえば意外だ。
思わずきょとんとする俺に、彼女は微笑んで言う。
「トーナメントですから。勝ち残れば、いつかは当たる相手です。むしろ余力のある最初に当たって、運がいいくらいですよ」
「意外だな。ピトスはあんまり、魔競祭に興味がないのかと思ってた」
「もう。わたしだって魔術師なんですからね?」
「……そうだね。ごめん」
一瞬だけ頬を膨らませて見せたピトスは、けれどすぐに破顔してこんな風に言う。
「いえ、いいんですけど。確かに、わたしはそこまで魔競祭で勝ちたいとは思っていません。ですが」
「……ですが?」
「いえ。……やっぱり、アスタくんに秘密です。それより訊いてもいいですか?」
彼女の言葉に首を傾げる。
「えっと。何?」
「――アスタくん、わたしとレヴィさん、どっちに勝ってほしいですか?」
「……………………ピトスかな」
「間がありすぎです」
「……ごめん」
「冗談です。別に、それでもいいんです。今は」
含みを持たせてピトスは言うが、真意を訊ねることは、なんとなく躊躇われた。
その間も実況を続けていたシュエットが、ついに最後のふたりの紹介に入る。
『そしてお待ちかね、ラスト第八試合! 最初の出場者はリーフ=ラザーロ! 第三試合出場者のノキ=トラストと並んで数少ない一年生の出場者! 初の大舞台を前にどれだけの結果を刻めるか、みんなぜひぜひ応援してやってくれい! だがしかし、うーむ、彼にとっては厳しい戦いになるだろうか――!?』
と、司会のシュエットが、ここで初めて試合内容の予測を言葉にした。
今まで盛り上げる台詞は言えど、結果が見えたようなことは口にしなかった彼女がだ。いったいどうしたというのだろう。
そんな俺の疑問に、直後、シュエットが答えを出してくる。
予想していて然るべきの――けれど、なぜかまったく予想していなかった、その答えを。
『リーフの対戦相手はお待ちかね、誰しもが待っていた彼女の登場だ! 予選第一ブロックでは噂に違わぬ圧倒的な実力を見せつけ、なんと開始一秒で参加者全員を場外まで吹き飛ばしたという規格外の魔術師! 学生会に寄せられた、《無理》《勝てるわけない》《つーか存在が反則》《そもそもなんで出てくんだよ》《これもう優勝決まってませんかねえ?》といったコメントの一切合財を無視して出場! いや、あたしも試合見てたけど、おかしいでしょこれ! 何考えてんの学院長! というわけで二つ名に違わぬ鋼の精神を見せた傍若無人の反則級――』
待て待て待て待て待て。
嫌な予感しかしない。むしろすでに確信か。
そうだ、なぜ忘れていたのだろう。なぜ奴のことを考えていなかった。
ほかの誰でもない、あの女が、祭に出てこないわけがないのに。
あいつも、そういえば確かに学生だった――。
『――あの伝説の冒険者集団《七星旅団》が一員、《天災》メロ=メテオヴェルヌが、魔競祭のフィールドに殴り込みだあ――ッ!!』
瞬間、会場がこれまでで最高潮の盛り上がりを見せ。
俺はおそらく、人生で最低レベルの沈み方をピトスに見せた。
……いやいやいや。
お前、マジ何してくれてんですかねメロさん。
※
絶望的な心境で、俺は拠点代わりになっているオセルまで戻った。
ちなみにピトスとは一旦、別れている。彼女は席の確保のため広場に残ったのだ。
あのまま俺の試合を観戦するとのことだった。
そう。すぐに自分の試合が始まるのだが、正直いろいろとそれどころではない。
つまり問題はメロの件であって。
いや、まあ別にどうでもいいといえばどうでもいいのだ。
奴の組は半分から向こう側――つまり決勝まで残らない限りメロと当たることはない。
ただそういう問題でもないというか。
あいつは意図的に、俺に対して魔競祭の出場を隠していた。
冷静に考えれば、気づいてもよかったはずなのだ。一応とはいえ、メロも学生である以上は権利があるし、何より彼女の性格で魔競祭に興味を持たないとは考えにくい。
それでも俺がメロの出場を一切想像していなかったのは――たぶん、知らずのうちにメロから誘導を受けていたからだ。接触を少なくし、かと思えばたまに出て来ては意味深なコトだけ呟いて消える――その繰り返しのせいで、俺はメロと魔競祭を結びつけることができなかった。ほかの何かにかかりきりだと思わされていたのだ。
その誘導には、確実に何かしらの意図がある。考える天災、だからこそ奴はメロなのだ。
俺が怖いのはその部分だ。碌なことにならないと断言できる。
「……だいじょぶ、アスタ?」
俺があまりにも暗い顔をしていたからだろう。合流したアイリスが、首を傾げて俺に問うた。
珈琲屋の計らいで、彼女は午後のシフトから外れている。俺の試合を観戦できるように、という珈琲屋なりの気遣いなのだろう。
あるいは単に、奴もノキの試合をみたいだけなのかもしれないが。
俺は首を振ってアイリスに笑いかけた。
「あー、うん。大丈夫。ちょっと予想外があって、いろいろとテンパっただけ」
「……これ、飲む?」
と、アイリスは俺に取っ手のついた木製の杯を渡してきた。
中には水が入っている。珈琲屋から貰ってきたのだろう。
彼女の気遣いに感謝して、俺はありがたく杯を受け取ろうとする。
そのときだった。
とん、と軽くアイリスの身体が後ろから押される。
通りかかった人がぶつかったのだ。
それ自体は大したことがなく、アイリスもちょっとバランスを崩しただけだったのだが、そのせいで杯の水がぱっと中から飛び出したのだ。
けれど――次の瞬間。
アイリスは、撒き飛んだ水を杯で全て受け止めた。
「…………はあっ!?」
ささっ、と軽く手を動かして、アイリスは飛び散った液体を空中で完全に回収する。地面には一滴たりとも零れることがなかった。まるで時間が撒き戻されたみたいに、水は全て杯の中へと戻っている。
……そんな馬鹿な。
あり得ない。幻想と神秘を司る魔術師が言うことでないが、だがそれでも言わせてもらう。あり得ないだろ。
人間の、それも十歳にも届かないくらいの女の子の動きとは思えない。そんな肉体の運用、果たしてレヴィにもできるかどうか。
剣と魔法の異世界で言うことじゃないが、それでも俺は、今の光景をまるで漫画みたいだとさえ思った。
「い、今の……今、ていうかアイリス、え? 今、何それ。はいぃっ!?」
驚愕に、自分の目が白黒と変わりまくっている自覚がある。メロの魔競祭出場なんて、これと比べればさしたる衝撃じゃない。
それくらい、眼前の光景は異様だった。
だが目の前の少女は、たった今自らが行ったことの超常性をまったく理解していない。
軽くきょとんと首を傾げると、
「何か、ヘン……だった?」
「…………」
変といえば明らかに変だし、どころか正直言って異常の領域だったが、たぶん彼女はそんなことを考えていない。
アイリスが訊いたのは、おそらく《零れそうになったから対処したのだが、それは間違っていたのか》という意味合いだ。そう訊かれれば、確かに間違った行為だったとは言えまい。
普通はそんなこと絶対にできない、という一点を除けば。
と、近場から見ていた珈琲屋が、そこでこんな風に口を挟んだ。
「お前、やっぱり知らなかったんだな」
その発言に、俺の首がぎしぎしと珈琲屋のほうへ回る。
「つーことは……お前は、知ってたのか」
「ああ。とんでもねえ身体能力だよな」
「し、身体能力って……今のそういうレベルじゃ」
「いろいろ働いてくれてたんだぜ? なにせ人が多いからな、スリなんかも出るんだが、その子が全部気づいて阻止してくれてた。割と話題になってたぜ? 学院側から正式な礼が来てるくらいには」
「…………」
「正直もう人間とは思えんな。いやはや、すげえ」
「い、いや、リアクションそれだけかよ!?」
「それだけ?」
俺の驚愕が理解できないのか、珈琲屋は面倒そうに目を細める。
だが、これ間違ってるのは俺じゃないだろう。今の光景を見て「すげえ」だけで済ませられる、珈琲屋の神経がわからない。
そういった意味で奴を見ていると、やがて理解したのか、「ああ」と呟いて奴は言う。
「なるほどな。まあ知らなかったんなら、驚くのも無理はないかもしれないが。でもここは地球じゃねえんだ、そういう奴もいるだろう。魔術師だの、冒険者だの、魔物だの。それだけいて、今さらこの程度は普通の域じゃないか?」
「待て待て、異世界基準でも充分におかしいだろうが!」
「かもな」
「かもなって、お前……」
「だが言わせてもらえればな。俺から見ればお前だって充分におかしい。この異世界には異常な奴ばっかりだよ。一般人の俺から見れば、異常の大小なんてさして違いもねえ。何より――」
珈琲屋は、眼帯のないほうの目で俺を見据える。
その視線に感情はなく、ただ淡々とした口調で呟いた。
「――お前みたいのが連れてる子、おかしくないほうがおかしいだろ」
※決勝トーナメント組み合わせまとめ
・第一試合
アスタvsカニス(貴族の人)
・第二試合
ウェリウスvsミル(副会長)
・第三試合
ミュリエルvsノキ
・第四試合
オブロvsレフィス(数秘術師)
・第五試合
スクル(書記)vsフェオ
・第六試合
シャルvsクロノス(庶務)
・第七試合
レヴィvsピトス
・第八試合
リーフ(一年生)vsメロ