3-16『ピトスとデート』
ピトスは小柄な少女だが、薄い栗色の髪は人目を惹く。
とはいえ、さすがに人通りが多すぎると、そもそも視界が狭くなりすぎるのが問題だった。
約束より少し早めの時間に、俺は待ち合わせの学院正門前に向かった。
だがそのときにはもう、学院の校門は人波で溢れていた。
ただの入口だし、もう少しでも時間をずらせば来客者も別の場所に移るとは思うけれど。これは待ち合わせの場所を間違えたかもしれない。
そんな中から、小柄なピトスを捜すのは骨だった。ちょっと合流に手間取ってしまう。
お陰で、なんとか約束の時間には間に合ったのだが、俺は開口一番まず謝罪から入ることになった。一応はデートだというのに、これはどうなのだろう、と我ながら思う。
「――ごめん、ピトス。待たせたかな」
「いえ、時間通りですし。今来たところですよ」
お約束の台詞は、地球でも異世界でも変わらないものらしい。
ピトスは朗らかに微笑んで言う。丸い茶色の瞳を細めて、なんだか上機嫌なように見えた。
今日のことを、せめて楽しみに思ってくれていれば嬉しい。
「とりあえず移動しようか。向こうに《オセル》っていう喫茶店が出張営業してるんだ。食事はした?」
「いえ、特には。出店で何か食べるかと思いましたので」
「んじゃちょうどいいね。ちょっと早いけど昼にしようか。組み合わせ次第で、時間もわからないし」
「わかりました」
発表は今日の正午だった。
その半刻後にはもう第一試合が始まるのだから、時間的にはギリギリだ。もう少し早めに発表しろよ、と思うのだが、たぶん故意なのだと思う。
情報収集や対策のことを考えれば、試合が遅いほど有利であることは否めない。まあ一日二日程度でできる対策にも限度があるし、同時に対戦相手にも対策の時間ができるということだ。大差はない。
一回戦は、試合数にもよるが、慣例として二日間に分けて行われる。
全五日間の魔競祭を通して見れば、初日が予選、二日目と三日目が第一試合、四日目が第二試合、そして最終日の五日目が準決勝、及び決勝戦である。
例年、どれだけ参加者が多くても、おおむね五日間の間に魔競祭は終わる。
この辺りの適当さは、運営があくまで教員と学生会の手によるものだという部分が大きいのだろう。オーステリア行政府の協力があるとはいえ、根本的には、あくまで《学園祭》なのだ。
「オセルで食事をしてから適当に店を回って、昼になったら発表を見る。それからは組み合わせによるけど、試合がなければ観戦ってことでいい……かな?」
恐る恐る訊ねる。
デートプランなんて言っても、所詮はこんなものだった。互いに試合を控えているし、学院を離れるわけにもいかない。出場している以上、ほかの選手の試合を見ないわけにもいかないだろう。
幸い、ピトスは嬉しそうに笑って頷いてくれた。
「はい! 楽しみにさせてもらいますね」
「ん……ありがとう」
「いえいえ。行きましょうか、アスタくん」
ちょっと照れながらも答える。さすがに、この反応を演技だとは思いたくない。
顔を逸らして「おう」とだけ答え、俺はピトスを先導して歩き出す。
後ろからついてくる彼女が、くすりと少し、微笑んだような気配があった。
※
オセルまで戻ると、意外にもエイラはまだその場にいた。
「陽の光の下にいると精神力が溶け出す」とまで豪語する彼女が、こんなに長く外にいるのも貴重だろう。
陽光に弱いとか吸血鬼かよ、と突っ込みたくなる。
……あれ。そういやこいつ、フェオやシルヴィアと遠縁だったよな。
じゃあ本当に吸血種の血を引いているのだろうか。ちょっと気になった。
意外な繋がりに頭を巡らせる俺。
それを尻目に、ふたりは会話を始めていた。
「――ああ、ピトスじゃないか。決勝、応援に行くよ」
「エイラさん! ありがとうございます、がんばります!」
仲よさげに挨拶を交わす女性陣。第二学年の三女傑、などと呼ばれるだけあって気安い関係だ。
レヴィを含めた三人で、よく一緒にいるところを見かける。
「そうだ、アスタ。こいつを持っていきな」
と、エイラがこちらに向けて何かを投げてきた。
咄嗟に受け取って見ると、それは先ほど壊れたはずの指環だった。
「……まさか、もう直したのか?」
「いや、さすがのアタシもそれは無理さね。そいつは予備だよ。取りに行ってたのさ」
ということは、わざわざ工房まで一度戻ってくれたのか。
その割にはまた席についてコーヒーを飲んでいる。どれだけ気に入ったのだろう。
「悪いな、わざわざ」
「学内なんだ、別に大した手間じゃないさね。依頼を投げ出すのも主義に反する」
「ありがたく使わせてもらうよ」
エイラは微笑し、カップのコーヒーを飲み干して立ち上がる。即座に現れたモカちゃんが、一声かけてカップを下げていった。職人芸だ。
普段はぽわぽわとした子なのだが、働くときの行動は迅速だった。
俺が役立たずと呼ばれるわけである。
「それじゃ、アタシは行くよ。デートの邪魔をするのもなんだからね」
「……意外に空気読むよな、お前」
「アタシは個人主義だけどね。それでも、友人のことは大事に思うのさ」
友人、とはもちろん俺でなくピトスのことだろう。
言われたピトスは苦笑し、エイラを誘う。
「別にわたしは構わないですよ? 一緒に回りますか?」
「いいのさ。そろそろ陽も高くなってくるしねえ。溶けてしまうよ」
「そう言うと思いました」
ひらひらと手を振って、気だるげな足取りのエイラはどこかへと去って行った。
俺たちは空いたその席にそのまま座る。
うむ、デートっぽいじゃないか。たぶん。
ピトスは採譜を開き、興味深そうに呟いた。
「コーヒーのお店なんですね。わたし、コーヒーって飲んだことないです」
「ここのは美味いよ。気に入るかはわからないけど」
「でも、商品名じゃよくわかりませんね。任せてもいいですか、アスタくん?」
正面に腰かけたピトスから、そんな風に頼まれる。
一応、説明書きは記されているが、確かに初見の客には少しハードルが高いかもしれない。
とはいえオセルなら、何を選んでも外れはないだろう。
「ピトスは、甘いもののほうが好きだったり?」
「うーん……特にそういうことはないですけれど。アスタくんは?」
「コーヒーは苦いほうが好きかな」
「わたしも、アスタくんと同じものがいいです」
「…………」
ちょっとどきっとしてしまった。や、別に深い意味はないんだろうけれど。
なんだろう、いいように翻弄されている気分だ。
俺は店員として働いているアイリスを呼ぶ。戦力外通告を受けた俺と違い、彼女はきちんと戦力に数えられている。
……覚えてろよ、珈琲屋め。負けたら働いてやるからな。
そんな、我ながら謎の決意を固めた。
「わあ。アイリスちゃん、ここで働いてたんですね」
とてとて駆け寄ってきたアイリスを見つけ、ピトスが目をきらっきらに輝かせた。
一方のアイリスはいつも通りの、なんとも言えない無表情だ。
「ん。いらっしゃい、ピトス」
「可愛いお洋服ですね。とっても似合ってますよ!」
「あり……がと」
「……アスタくん、この子抱き締めていいですか!?」
今日いちばんの笑顔を見せるピトスだった。
おかしいな。店員としてどころか、違う場所でもアイリスに負けている。
仮にも義兄としてそれはどうなのだろう。
「……本人に訊いて」
「アイリスちゃん、抱き締めてもいいですか!?」
「……? いい、よ」
「きゃ――っ!」
ご満悦のピトスだった。もうこれでデート終わりでもいいんじゃないだろうか。
無表情のまま、ピトスに纏わりつかれているアイリスへ俺は注文を告げる。
「んじゃ、アイリス。ブレンドふたつと、あとクラブハウスサンドもふたつ。お願い」
「ん。任され、た……!」
こくりと頷いて、アイリスは店のほうへと戻っていく。少し跳ねるような歩調に見えた。
小さな身体で、一生懸命働く姿はたいへん愛らしい。これは負けても仕方がないな、と俺は自分に言い聞かせる。
情けないにも程があった。
「……すごいですね、アイリスちゃん」
ピトスは感心したように言う。
「まあな。仕事の順応も俺より早かったみたいだし。あっちの子、モカちゃんと並んで、もはや二大看板娘になってるな」
「そうですね。お店の店員もできるなんて」
――このとき、俺はその台詞になんら疑問を抱かなかった。
その間抜けさを、俺はすぐ後悔する羽目になる。
「俺は戦力外通告を受けたけどな……」
「あははっ。取られちゃうんじゃないですか、アイリスちゃん」
「それは許さない」
「アスタくん、目が本気ですよ……」
「ま、冗談はともかく、アイリスのできることが増えるのはいいことなのかもな」
なんとなく、ちょっと沈むように俺は言ってしまった。
だがアイリスだって、いつまでも俺が傍にいてあげられるわけじゃない。そもそも魔術師なんてやっている以上、いつ死んだっておかしくないのだ。
いずれひとりになるアイリス。
そのとき、自分を支えられるだけの能力が、そして支えてくれる人間が、周りにいればいいと願う。
「――アイリスちゃん、楽しそうでしたね」
と、そこでピトスがふと口を開いた。
「ん? ああ、そうだな。この仕事に向いてるのかもしれない」
「そうじゃなくて」
ふるふるとピトスは首を振る。
それから彼女は指を立て、まるで諭すような口調でこんなことを言った。
「アスタくんから注文を取れたから、あの子は嬉しいんですよ?」
「……そう、なのかな」
「見ていればわかりますよ。可愛らしいじゃないですか。少しでもアスタくんの役に立てることなら、アイリスちゃんにはそれが嬉しいんです」
「…………」
そんなこと、考えもしていなかった。
というか、ピトスは俺が考えていることを読み取ったのだろうか。
気を使わせてしまったのか。
「――さて。このあとはどうしよう?」
少し沈み込んだ空気を誤魔化すように、俺はピトスに訊ねる。
今はデートの最中なのだ。仮にも男側がこれ以上、気を使わせてなるものか。
「そうですね。学生が有志で出している店もあるそうですし、そちらを回ってみるというのは」
「へえ、そいうのもあるんだ」
「遊戯の出店とか、結構いろいろやってるみたいですよ」
「なるほどねえ……確かに《祭》だし、何も戦うだけが全部じゃないか」
「ですね」
「それじゃ、食べたらそっち回ってみようか」
そんなようなことをふたりで話した。
そのあと、運ばれてきたコーヒーをふたりで喫み、珈琲屋手製の料理にふたりで舌鼓を打つ。
それだけのことが、楽しかった。
ちなみにピトスはブラックの苦味に敗北し、諦めて砂糖とミルクを使っていた。
※
いくら祭と言っても、さすがに日本のそれとは趣向が違う。
日本で祭の屋台と聞けば、思い浮かぶのは焼きそばやりんご飴、酒類からお面などの販売系、あるいはお面屋やくじ引き、射的や金魚掬いといった遊戯系だろう。
前者は地球ともそう変わらない。
もちろん焼きそばの屋台を見つけることはなかったが、飴細工や小物などを売る店はあるし、麦酒の屋台なんかは少し地球を思い出させる。日本のような風流さを伴う風情はないが、異世界らしい独特の活気も悪くはない。
一方、遊びを売る出店のほうは、むしろ地球以上に趣向を凝らしたものが多い。
魔術の応用された遊具があるためだろう。魔力銃の射的は、元素魔術で華やかな演出を施してあって見栄えがいい。使い魔が出し物を演じるところなど、地球では決して見られないだろう。
そんな中、一軒の屋台に視線が向いた。
正確に言えば、その屋台に立つひとりの女性と目が合った、というべきか。
露骨に視線が合った以上、無視するわけにもいかず、俺はピトスとその店に向かう。
店員の女性は、含むような笑顔で俺たちを迎えた。
「――いらっしゃい、おふたりさん。よければ一度やっていくかい?」
噛み殺すような笑みの女性に、俺は無言で返事をする。
代わりにピトスが人当たりのいい笑みで答えた。
「おはようございます、会長さん。――出店をやってらしたんですね」
「知り合いの店だよ。今は空けているからね、しばらく店番を頼まれてしまった」
学生会長――ミュリエル=タウンゼント。実質的な学生のトップが、笑顔でくじ屋をやっていた。
大量の紐が箱の中に通してあり、片方の先端が商品に繋がっている。もう片方の端を引けば、繋がっている商品を貰えるという仕組みの……ていうか、異世界にもあるのかよ、これ。
そしていったい何してんだ、この人。
「決勝、出てましたよね? 暇なんですか」
「いきなり失礼だな、君は」
特に気分を害した風もなく会長は苦笑。
まあ、だろうと思ったから言ったのだが。別に喧嘩を売る気はない。
「そうしていると、あれだけの試合を見せてくれた魔術師とは思えないね」
ミュリエルは悪戯っぽい流し目で俺を見据えた。
さては何か探ろうという腹なのか。別に構わないけれど。
「あれだけ、ってほどのことでしたかね?」
「かのシルヴィア=リッターを下しておいて、その言いようはないだろう。謙虚を通り越して嫌味ですらある」
くつくつと笑むミュリエル。俺は肩を揺らした。
「ありゃ向こうが手を抜いてくれたからですよ。途中で降参してくれてたでしょう? 華を持たせてもらっただけです」
「饒舌だな」
「……」
「そう思わせるのが君の作戦だったわけだ。なるほど、確かに見た目には派手な試合だったが、魔術師ならばあの程度は造作もない。一見して勝利を譲ってもらったかのような試合だ」
「事実そうですよ」
「そう。魔術に明るい相手ほど騙される。印刻魔術に詳しい人間などそうはいないからね。あの魔術の構成強度、精密性、そして速度――いったいどれほどの研鑽と才能があれば可能なのか、私には想像もできない。君の魔術の腕は、学生の域を明らかに超えている」
「もしそうなら、それを見抜く会長もまた一角の術者ですね」
「……そう警戒するな。別に手札を見抜こうなんて腹はないよ」
失敗したかな、とミュリエル会長は苦笑する。
その様子に首を傾げていると、やがて彼女はこのように言った。
「君たちの世代は、かのレヴィ=ガードナー女史に横のピトスくんと、《天才》と呼ぶに相応しい若者が多く入っている。私はそれが嬉しいのさ」
「貴女だって、そう劣らないと思いますが」
「私のことはいい。なぜならこれでも学生会長だからね。私の望みは、あくまでも学院に関してのことだけだ」
「……何が言いたいんですか?」
「うん。つまりだ――」
会長は、黒い笑顔でこう言った。
「――来期の学生会に所属するつもりはないか?」
だから、俺もまた笑顔で答える。
「ないです」
「……もう少し考えてくれてもいいだろう」
不満げな表情で唇を尖らせるミュリエルだった。警戒していたが、意外と面白い反応をくれる人だ。
それで警戒を解いたわけじゃないが、先輩に対して最低限の礼儀は払って答える。
「俺には向きません。会長も、俺の成績を知らないわけじゃないでしょう?」
「この学院はあくまで実力主義だ。関係ないだろう。現に学生会の庶務なんて、戦う以外の能が一切ない」
「そう思えるのは結局、上に立っている人間だけですよ。大抵の人たちはそう言えません」
この学院にいる以上、誰だって将来を嘱望されて入学した秀才たちだ。かつては天才、神童と呼ばれた学生も多いだろう。
だが、そんな彼らも、入学して初めて知ってしまう。
世の中にいる本物の天才と、それに及ばない自分との違いというものを。
それが絶対に埋められない差だと、どれほどの研鑽を積んでも、どれほどの時間を重ねても追いつけない隔たりであると――誰より彼ら自身がそう思ってしまう。
なまじ魔術に明るいために、レヴィやピトスといった《本物》との違いがはっきりわかってしまう。
――自分が、ただの《贋物》でしかないということを理解してしまう。
「それに、ほかにも理由はありまして。これでも忙しいんですよ、いろいろと。それで学生会に所属するのは不義理でしょう」
「はは。見事に袖にされたな、残念だ」
「……すみません」
「別に謝る必要はないさ。まあ、考え直したら言ってくれ」
「はい」
「本戦で当たったらよろしく頼む」
本当は、それを引き受けられない最大の理由は別のところにあった。
俺は嘘をついたのだ。それを悟られたくなくて、それっぽい言い訳を用意したに過ぎない。
――だって俺は、来年度も学院に残るとは限らないのだから。
先のことはわからない。俺の目的は学院ではなく、あくまでそれに付随するもののほうなのだから。
そんな考えを、しかし悟られないように俺は笑った。
「できれば、会長とは当たりたくないところですね」
「心にもないことを」
思わずと言った風に失笑する会長。
それから声音を変えて、明るい声で彼女は言う。
「さて! それはそれとして一回どうだい? ピトスくんも」
「えっと……どうします、アスタくん?」
「遠慮しておきます」
「……君は本当にいけずだな。外れなしだぞ? 景品もそれなりにいいだろう?」
確かに、可愛らしい小物類やぬいぐるみなど、女性受けはしそうなラインナップだ。
しかし俺がそれに興味を持つかといえば別だった。
「外れがないのはわかってますけどね」
「気に入らないかい?」
「いや……ちょっと悪いかな、と」
そう答えた俺に、ミュリエルは「ほう……?」と目を細める。
その表情が愉快そう変わるのを見て、口が滑ったな、と俺は悟った。
仕方なく答える。
「紐に魔力が籠もってますね。全部の紐に、ちょっとずつ違う量の魔力が」
「気づいたか。まあ、さすがと言っておこうか」
「初めからそういう店でしょう、ここ」
「気づくのは、それでも学生の五人にひとりくらいでな。ちょっと暇になってきた」
やっぱり暇なのか、と思いながら口を噤む。
そう、実はこれは運否天賦の《くじ》ではない。冷静に見れば、それぞれの紐に込められた魔力量の差に気がつけるからだ。
そして多い魔力が込められた紐ほど、大当たりの品に繋がっているというわけだ。魔術師ならば気づける仕組みである。
この店は、初めから魔術師向けのゲーム屋だった。
「だが、わかってもそう簡単にはいかないぞ?」
呟くミュリエルに、ピトスも頷く。
「そうですね……魔力が籠もってるのには気づきましたが、それぞれの差が小さすぎて、確実に当てるのはかなり難しいと思います」
魔力は目に見えるわけじゃない。それを視るのは、あくまで魔術師個人の感覚による。
個々の紐には、ほんのわずかずつしか魔力が込められていなかった。
多いか少ないかくらいの違いはわかっても、三桁に届く紐を完全に見極めるのは難しい。
「どうだ? 決勝前の運試しというのは」
頼まれただけ、という割にはノリノリで薦めてくるミュリエル。
仕方なく、俺は隣のピトスに訊ねた。
「ピトス。どれ欲しい?」
「え。え……?」
「せっかくだからね。取ってあげるよ」
格好つけて俺は言った。これで外したら恥ずかしいが、自信はある。
伊達に魔法使いの弟子ではなかったのだから。
ピトスはどこか混乱しながら、咄嗟にひとつを景品を指した。
「じゃ、じゃあ……あれを」
彼女が示したのは、高さ二十センチくらいのぬいぐるみだ。デフォルメされた茶色い犬……いや狼で、凛々しくもちょっと可愛らしいような、そんなデザイン。
景品のランクとしては、中の下くらいといったところだろう。微妙なところなので魔力を読むのも難しいが、大見得を切った手前、ここは是非とも当てていきたい。
「……了解」
言って、代金をミュリエルに手渡した。
それから俺は店の奥で景品に繋がっている紐を眺め、それから手前の引き手に目を移す。
そして――そのうちの一本を引っ張った。
「……わ。あ、当たった……!」
ピトスが目を丸くして驚く。やった甲斐があるというものだ。
紐に引っ張られたぬいぐるみが、手前に敷かれたシートにこてんと落ちる。
ミュリエルはちょっと硬直していたが、やがて再起動すると狼のぬいぐるみを俺に手渡した。
その表情は、どこか硬い。
「大当たりだ。おめでとう」
「どうも」
「……君はさっき、私と決勝で当たりたくないと言ったが――」
「なんです?」
会長は表情をしかめて言った。
「――こちらの台詞だ。君のような化物相手に、勝てるという気がまるでしない」
「魔力を視るのは得意でして。でも、それだけのことですから。戦いとは関係ありませんよ」
事実だ。韜晦するでもなく告げ、ミュリエルから景品を受け取った。
それを今度は、俺の手からピトスに渡す。
「はい」
「え、あ……あの」
「プレゼント。今までのお礼代わりっていうか、まあ大した額じゃないし。受け取ってくれると嬉しい」
ぬいぐるみが、この歳の女の子に渡すプレゼントとして正しいのかどうかは自信がない。
けれど、逆にこの程度のものだからいいのではないか、とも思う。
ピトスはおずおずとぬいぐるみを受け取ると、それをきゅっと両腕に抱いた。
「ありがとう、ございます」
「うん」
「……大切に、しますね」
そう、彼女は花が咲いたように微笑んだ。
※
出店を冷やかして回っているうち、時間もいい感じに潰せていた。
そろそろ組み合わせ発表の時間になる。俺たちは学院の中央広場へと足を向けた。
決勝の舞台となる石壇の周りには、すでに多くの観客や学生たちが詰めかけていた。周囲に組まれた特設の観客席で、今か今かと発表を待っている。
もう間もなく、壇上で決勝の組み合わせ発表があるだろう。
どんな試合が見られるのか、どんな相手と戦うのか――それぞれに期待と思惑を秘めて、広場を人が埋めている。学生も冒険者も街の住民も問わずだ。
しばし待っていると、やがて壇上にひとりの学生が現れた。
小柄な体躯に、活発そうな笑みを浮かべた女子だ。赤茶けたショートカットの髪が、なんだか勝気そうな印象を与える。
誰だろう、と思ったところで、それを察したピトスが教えてくれた。狼のぬいぐるみを胸に抱えたまま、彼女は俺に耳打ちする。
「シュエット=ページさんですね。学生会の会計で、決勝の実況役をされる先輩です」
「え。何、決勝って実況とかされるの?」
「毎年そうですよ。中でもシュエットさんは、オーステリアでいちばん話の上手い方だって言われています」
「……仮にも魔術師的に、その呼ばれ方って嬉しいモンなのか?」
「さ、さあ……?」
視線を逸らすピトスだった。まあ、別に魔術の腕だけが人生じゃないが。
そのシュエット先輩とやらが、メガホンに似た形の道具を口元に当てる。
拡声器の役割を果たす魔具だろう。
それを通じ、彼女は大音声で発表の司会を開始した。
『――あー。あー! ……さて会場にお集まりの皆様、お待たせいたしました! これより決勝トーナメントの組み合わせを大発表します! お前ら、準備はいいかあ――!』
なんの準備だよ、と心中で突っ込んだのは俺くらいだったらしい。
瞬間、辺りは大歓声に包まれて盛り上がった。
どうどうと片手で観客の叫びを制し、シュエットは続ける。
『よろしいっ! では背後の大掲示板をご覧あれ!!』
直後、それまで黒幕に包まれていた木製の看板がその前面を公開する。黒子役の学生に取り払われた布の向こうに、トーナメントの表が記されていた。
だが名前の部分がまだ空欄だ。察するに、どうやら端からひとりひとり名前が呼ばれるらしい。
一気に公開しないのは、やはりノリ優先ゆえだろう。
さて、それよりも組み合わせ表で気になる部分がひとつある。
空欄は十六か所。2人×6ブロック+シード4人で数は合っているのだが、俺の出場した第六ブロックを突破したのは四名だ。ほかのブロックにも波乱はあったらしい。
さらにこの組み合わせ表、シードになる場所がない。一回戦が第八試合まである形ということ。
どうやら今年は、ピトスたちも一回戦から出場する必要があるようだ。
「……ないみたいだね、シード」
「ですね。まあ、だろうとは思っていたので、特には」
シードだったピトスには、特に思うところがないらしい。
まあ彼女がいいのならいいのだろう。予選で手札を伏せられただけ充分と考えているのか、初めから期待していなかったのか。いずれにせよ自信はあるのだと思う。
司会のシュエットが続ける。
『ではいちばん右端、第一試合の参加者から発表していきましょう! 最初のひとりは、こいつだあ――!』
す――っ、と掲示板のトーナメント表に、名前を記す文字が浮かび上がる。
魔術で文字を刻んでいるのだろう。そこにあった名前は――、
『トーナメント第一試合、ひとり目の参加者は――アスタ=セイエルっ!』
いきなり、俺のものだった。