3-15『魔競祭二日目/朝』
目が冴えていたせいか、それとも疲労が一周回ってハイにでもなったのか。
帰宅した俺はなかなか寝つくことができず、ようやく眠れたと思っても明け方には目を覚ましていた。
どうにも眠れない。仕方なく、まだ陽も昇りかけの時間、俺はアイリスを起こさないように部屋を出る。
ちなみにメロはいない。結局、彼女は昨夜も帰ってこなかった。
どうせ祭に浮かされているのだろう。特に、というかまったく心配はしていない。
メロを心配するなんて。そんな行為を俺は無駄と呼ぶ。
アイリスは、さすがに疲れが溜まっていたのか、部屋に帰るとすぐ眠りに就いた。
昨日はずっと《オセル》の屋台で働いていたのだ。まあ当然だろう。
別段、無理をしている、というほどでもないと思う。彼女は彼女なりにオセルの仕事を楽しんでいるようだし、モカちゃんという同年代の前例がある分、その辺りのことは俺以上に珈琲屋のほうが詳しくわかるだろう。問題はないはずだ。
階下に向かい、煙草屋の店舗部分を通って外に出る。
持ってきた煙草に火をつけて、俺は紫煙を肺の中へと通した。
どうでもいい話だが、喫んでいる煙草の銘柄は《一角山羊》という。
この店で仕入れている品の中でも、特に貴重だという逸品だった。なんでも、すでに生産されていない煙草らしい。ある意味ではお金に代えられない貴重品なのだが、親父さんはタダであっさりくれた。
普段、安い煙草を買うときは金を取るくせに、お勧めの煙草を自慢するとき、親父さんは代金を取らずに押しつけてくる。
その様子は、まるで新しい玩具を自慢する子どものようだ。
俺なんかよりずっと年上の男なのに。オーステリアに来てからいろいろとあったが、そんな親父さんとの関係は、ここで得た数少ない貴重な繋がりだ。
だから俺は、この煙草屋に下宿し続けているのだろう。
その点だけは、姉貴に感謝してもいい。
親父さんの一押しだけはあって、かなり美味い煙草だと思う。濃い目だが深みのある味で、何より香りが素晴らしい。俺もお気に入りの銘柄だった。
「…………ふー……」
朝ぼらけの空に向け、俺は紫煙を静かに吐き出す。
魔術の媒介に煙草を使うとき、別に銘柄や値段で効果が劇的に変わることはない。
もちろん魔術には想像の力が重要だ。だから厳密に言えば、きっとお気に入りの煙草を使うことには多少なりとも魔術の効果を上げる意味がある。でも、それも誤差の範囲だ。
そのため俺は、戦いに使うときは安い煙草にしか火をつけない。
特に味わったりもしないし、そもそもあまり口をつけていなかった。
それはそれで、なんというかもったいないし、あまり真摯な行為だとは思わない。
だからこうして、ひとりで一服する時間というものを、俺は殊のほか大事にしていた。元より七星には個人主義の人間が多く、その辺りがむしろ上手く嵌まったのだろう。
明けていく空を眺めながら、しばらくひとりで風を浴びていた。
別段、何か物思いに耽っていたわけではない。単に考えごとがあっただけだ。
たとえば喫茶店の屋台のこととか。
たとえば今日からの決勝トーナメントのこととか。
たとえば七星旅団のこととか。
たとえばアイリスのこととか。
たとえば学院の友人たちのこととか。
たとえば――これまでのことと、これからのこととか。
雑多な思考には纏まりがなく、つらつらと頭を動かしていても結論なんて何ひとつ出ない。それは時間を無為に贅沢に、ただ潰すだけの行いだったのだろう。
それでも、そんなひとときを尊く思う。こんな心境の変化は、きっとオーステリアに来なければ得られなかった。
そんな朝を過ごしていたところで、ふと通りの向こうから人影が現れ、俺に声をかけてくる。
親父さんだった。
「――アスタじゃねえか。何してんだ、こんな時間から」
「親父さんこそ。何やってたんだよ、こんな時間まで」
俺は思わず苦笑する。彼の赤らんだ顔を見れば、何をしていたかなんて訊くまでもない。
案の定、親父さんは当たり前のように答えた。
「あ? 何言ってんだお前、今は祭だぞ。こんなときに飲まないでどうすんだ」
「普段から飲み歩いてるだろ……いい加減いい歳なんだ。そろそろ少しくらい酒を控えたらどうなんだ?」
「そういうお前は、じゃあ言われたら煙草をやめるのか?」
「……まあ、やめないだろうね」
「そういうことだ」
いや違うだろう、と思う俺だったが、突っ込むことはせずに笑う。
別に本気でやめさせようだなんて思っていない。親父さんもまた破顔して、懐から取り出した煙草に火をつけた。
「――んで? お前のほうはどうなんだよ」
ふたり並びあって、煙草を喫みながら言葉を交わす。
ただし互いに視線は交わさず、俺たちは空の方向だけを見ていた。
今日もきっと、祭に相応しい晴れ空だろう。
「とりあえず、決勝には出場できたよ」
答えると、親父さんは意外な風に笑う。
「へえ? なんだお前、選手やってたのか」
「あれ、言ってなかったっけ」
「いや、聞いたかもしれねえがな」親父さんは言う。「興味がねえから覚えてねえ」
こうまで言われても怒る気にならず、むしろ笑ってしまうのだから親父さんも得な性格だ。
別に人格者というわけじゃない、というか、どちらかと言えば駄目なオッサンでしかないと思うのだが。なんだかズルいなあ、と俺は思わされてしまう。
「酷いな。応援にくらい、来てくれてもいいと思うけど」
「応援するかはともかくとして」
「そこをともかくとしちゃ駄目だろ」
「もちろん観戦しには行くぜ? ありゃ毎年、この時期だけのいい肴なんだ。適当に勝つより、盛り上がって負けてくれるほうが、見てる側としちゃ楽しいもんだ」
彼にかかれば、学院生が全力で挑む魔競祭も酒の肴でしかないらしい。
いや、それは観客全員が同じだろうか。戦う選手は全力でも、あくまで見世物なのだから。
魔術師同士の戦闘なんて、実際そう簡単に見られるものではない。
短くなった煙草の火を揉み消し、吸殻を灰皿(煙草屋の前に設置されている)に捨てて俺は答える。
「生憎と、その期待に沿えるかはわからないね」
「なら負けろ」
「言ってくれるよ。ならなんで訊いたんだ」
表情だけで不平を示した俺に、親父さんは悪びれもせず答える。
「だからそんなこと訊いてねえんだよ。祭なんだ、女のひとりやふたり、引っかけてねえのかって話だよ」
「またそれかよ」
親父さんには、酒か煙草か女かしか話題がないのか。
駄目人間すぎるだろう。
そう告げると、だが親父さんは首を振って「違う」と宣う。
「俺のことなんかどうでもいいんだ。今さら夜遊びする歳でもねえよ」
「ま、そりゃ確かに」
「だがお前は若い。まだまだ遊んでていい歳だ。野郎もこの歳になると、若え奴に道を示してやりたくなるもんなんだよ」
「なら、もう少し真っ当な道を示してもらいたいものだけどね」
「健全極まりねえだろうが。だからお前はガキなんだ。童貞かよ」
「うるせえエロジジイ」
言いたい放題、言ってくれるものである。
だが甘い。今回の俺には、きちんと反撃の用意があるのだから。
「今日はデートだよ。これでも冒険者時代は結構モテたんだ」
まあ紫煙と七星の名に釣られた奴らばかりだったが。
言わなければわかるまい、と俺は見栄で答える。
親父さんは、少し驚いたように、というか失礼にも意外そうな風情で答えた。
「なんだよなんだよ、やるじゃねえか! いや、お前もちっとは成長したってことかね」
「成長って」
「なんなら俺の話を聞かせてやろうか。俺だって、若い頃は結構ならしたもんなんだぜ?」
「心底から興味ねえよ」
「つまんねえ奴だな、アスタ。……で、どんな娘だ?」
いや、食いついてくるんじゃねえよジジイ。
俺は端的に答える。
「同級生」
「そういうこと訊いてんじゃねえよ」
「知ってるよ」
「ホントに可愛げねえな。もっとあんだろ、顔とか胸とか」
話がゲスい。
ただまあ、たまには親父さんのゲスい話題に付き合ってやるのもいいだろう。
ここには俺と親父さんしか――男同士しかいないのだから。
「まあ、可愛いよ。学院でもかなり人気あるらしいし」
「胸は?」胸しか興味ねえのかよ、この男。
突っ込むのも野暮だし、せっかくだから乗って答えた。
「いや、意外と大きいんだ、これが。割と大人しめの――」
性格だと思っていたのだが絶対にそんなことないな。
途中で言葉を変えて続ける。
「……感じがしてたんだけど。うん、女の子って怖いよね」
「ああ……そうだな」
親父さんが、珍しく神妙な感じで頷いた。なんらかの共感を得たらしい。
どうでもよかった。
実際、ピトスの豹変振りは、レヴィの猫被りを超えるレベルだと思う。
ていうか、もしこの話をピトスに聞かれたら、俺たぶん消されるんじゃないだろうか。
初めて会ったときの、お淑やかで控えめなピトスさんはどこに消えてしまったのだろう。もし今いちばん怒らせたくない相手が誰かと訊かれたら、俺は迷いなくピトスだと答える。冗談ではなくそういう域。
「……んで、お前はその娘のこと、好きなのか?」
親父さんに問われる。
修学旅行の中高生かよ、という突っ込みが頭に浮かんだが、さすがに通じないだろう。
だから、普通に本心を答えた。
「まあ、嫌いじゃないかな。好きか嫌いなら、好きだと思う」
「ひとつ言っとくが、それ最低の答えだからな」
「……わかってるよ」
言われるまでもなかった。
でも、親父さんは言う。
「その子は、お前のことが好きなんじゃないのか?」
「……嫌われてはいないと思うよ。でも好きってわけでもない」
「お前、クソ野郎だな」
「だからわかってるっての」
とはいえ、親父さんは知らない。そしておそらく、俺だって知らないのだ。
ピトス=ウォーターハウスという人間のことを。
彼女が、アスタ=プレイアスという人間のことを知らないように。
俺は彼女を知らない。
ただそれでもひとつだけ、わかったようなことを言わせてもらえるのなら。
――ピトスは、そう簡単に他人へ心を許す人格じゃない。
そのことだけははっきりとわかる。
彼女は治癒魔術と、そして対人格闘術を修めている。
問題なのは後者だった。自分の身体で受けたのだ、はっきりとわかる。あれは護身や武芸として習うタイプの技術じゃない。少なくとも学院で教わるようなモノでは絶対にない。
ピトスの修めている格闘術は。
あれは間違いなく、ヒトを殺すための技術だ。
戦闘ではなく、殺し合い。剣士や拳士が修める華美で流麗な型ではなく、武骨で実際的な戦闘技術。
あんな技、真っ当に生きてきた人間が身に着けるような技術じゃない。
彼女は俺を《異常》と言ったが、その言葉は、そっくりそのまま返してやる。
――お前だって、異常だよ。
「……アスタ。お前、どうせまた面倒臭いこと考えてるんだろ」
ふと黙りこくった俺に対し、親父さんが呆れた風情で言葉を投げる。
特に否定する気もなく、ただ無言で肩を竦めた俺に、彼は諭すような口調でこう言った。
「物事ってのはな。たいていの場合、人間が考えてるよりずっと単純なモノなんだ。それが複雑に思えるのは、いつだって周りで見ている人間が、勝手に勘違いしているときだけだ」
「……そんなもんかね」
「そんなもんだ。それがわかるようになりゃあ、もう少しお前も大人になれる」
「一応、聞いておくことにするよ。最近は年長者の意見を大事にするようになってね」
親父さん然り、珈琲屋然り。あるいはセルエやシルヴィアもか。
冒険者としての経歴は長いけれど、人間としての俺はまだまだ青二才なのだから。
「――ああ。煙草が美味えなあ……」
親父さんは、紫煙を吹かして呟いていた。
※
そのあと、ちょっとした事件のようなものがあった。
煙草を吸い終え、家の中に戻ったところで、二階から何かの気配を感じたのだ。
階段を上った先に誰かが潜んでいる。冒険者時代に培った勘で、俺はそのことに気がついた。
――咄嗟に、身体が一瞬だけ硬直する。
なぜなら、二階ではアイリスが眠っているのだから。
俺は親父さんに下で待つよう告げ、静かに、だが最高速で二階へと急いだ。
この煙草屋の家屋は、全体が俺の張った結界で覆われている。侵入した人間を察知し、その事実を俺に伝える結界である。警戒というよりは、単なる防犯の意味合いだった。
だが結界は、俺に侵入者の存在を知らせていない。
アイリスと暮らすようにして以降、俺は自室にも結界を張っている。
こちらは探知だけではなく、そのもの攻撃のための結界だ。家を覆うとそれと部屋を覆うそれで、合わせて二重の防御がこの家には敷いてある。
部屋のほうの結界も、やはり作動はしていない。
普通に考えれば、誰も出入りしていないという意味だ。
だが安心などできなかった。その《誰か》はすでに一重目の結界を越えて中に入っているのだから。結界破りに長けた魔術師ならば不可能ではない。
二階への階段を、足音を殺して駆け上がる。
そして、その場にいた誰かへ向けて、問答無用で魔術を発動しかけたところで――、
「あ。アスタ、おかえり」
「――あ、アイリス!?」
のほほんとした表情で、俺を迎えるアイリスと出会った。
――つまり、俺が感じた気配は、アイリスのものだったということで。
「び、びっくりしたあ……!」
「……?」
心底から安堵して胸を撫で下ろす俺に、アイリスはきょとんと首を傾げる。
それはそうだろう。彼女は単に部屋から出ただけだ。それが俺を慌てさせるとは思うまい……じゃなくて。ていうか、いや、ちょっと待て。
やはりおかしい。
俺は、部屋にも結界を張っていたのだ。
結界とはすなわち境界であり、そこを通過するものを等しく察知する。
入っていくのだとしても――出て行くのだとしても。
つまりそれは、たとえアイリスでも部屋から出れば俺に伝わるはずだ、ということにほかならない。
攻撃は作動しなくても、探知それ自体は作動するはずなのに。
だが結界は、アイリスが部屋から出たことも俺に伝えてはいなかった。
まさか魔術を失敗しているのか。一瞬だけ疑問するが、それもあり得ない。もしルーンの起動が失敗していれば、それは絶対に術者へと伝わる。当然ながら、結界が壊された様子もなかった。
つまり。
アイリスは今、結界をすり抜けて外へ出たということだ。
……いやいやいや。
あり得ないだろ、そんなこと。
「……アイリス、ここで何してるの?」
「アスタ、へやから出たから……待ってた」
「あ、もしかして起こしちゃったか? ごめん……」
「ううん」
「……ところで今、どうやって部屋から出た?」
「ん?」
アイリスは普通に答えた。
当たり前の答えだった。
「とびらから、出たよ?」
「……ですよね」
やはり、どこかで術式が間違っていた、と考えるのが妥当だろうか。
術自体は成功していたのだが、その術の効果が間違っていた……ということならあり得るかもしれない。
……え、ええ……?
やはり疑問だ。これは理屈ではなく、俺の個人的な自信なのだが、大して難しくもない結界魔術如きの術式を、間違って記したとは思えないのだ。
疑惑は尽きないが、とりあえず結界は張り直しておこう。
まずは下の親父さんに何ごともなかったと告げ、それから少し早いが三人で朝食を摂る。
そのあとで結界を見直しておこう。
そう思った。
※
結局、結界に粗は見られなかった。俺はただ、前と同じ結界をもう一度張り直しただけだ。意味があったのかもわからない。
今日から始まる決勝トーナメントを考えれば、ただ無駄に魔力を消費しただけという気さえする。
時間は飛び、祭が始まる少し前の時間。
俺はアイリスと学院に向かい、まずはオセルの様子を窺う。
今日は仕事がなかった。
予選の結果次第で、俺とノキの空き時間が不明瞭になるからだ。揃って決勝に進出したため、組み合わせ次第でいつ出られるかわからない。
その点は初めから含んだ上で、珈琲屋は手伝いを呼んでいるらしかった。
なんでも、街の名士に知り合いがいるとかなんとか。昨日のお手伝いさんもその繋がりだと聞くし、なんなら常連の客の中にも「手伝いをやりたい」と申し出る人たちがそこそこの人数いたらしい。
客商売ゆえか、想像以上に顔の広い珈琲屋だった。
「そういうわけだから、お前はむしろいないほうがいいわ。はっきり言って邪魔だし、役に立たねえし」
ひと言多いのは、まあ今さらだろう。
もちろん俺だって、わざわざ朝から珈琲屋の顔を見に来たわけもない。
エイラとの待ち合わせがこの場所だったのだ。昨日、オセルの出張営業に訪れた彼女は、一発でこの店の味が気に入ったらしい。
そんなわけで、オープンテラス風の椅子に腰掛け、まだ開店前にもかかわらずコーヒーで一服しているエイラに声をかけた。
「おはよう。――そんなに気に入ったのか、この店」
「ああ、アスタかい。それにアイリスもおはよう。いや、いい店じゃないか」
「否定はしない」
「コーヒーなんてほとんど飲んだことなかったけれどねえ。実際、この味なら毎日だって通いたいところだよ」
出不精のエイラに、ここまで言わしめるとは驚きだ。
さすが珈琲屋。異世界でのコーヒー普及に人生を捧げた男である。口には絶対に出さないが、実力を伴ったその行動力は素直に尊敬する部分だ。
あとは人格さえまともなら完璧だったのにな。いやはや残念ながら、性格は悪い男だ。
お前が言うな、と奴には言われそうだが。
俺が言わなきゃ誰が言う。
「さて、さっそく話に入るかい?」
エイラに問われ、俺は頷きを返して答える。
「ああ、頼む。どんなもんだ?」
「最近ちょっと研究していた分野があってね、それを応用した術式を組んでみた」
「研究、ってのは」
「――ちょっと《使い魔》のことをね」
エイラの言葉に、俺は思わず目を細くする。
――使い魔。
魔力によって作動する擬似生命。言われて思い出すのは以前、オーステリアの迷宮でシャルが創った《クロちゃん》だろうか。
しかし、魔具製作と使い魔の間に共通点があるとは思えない。
俺の疑問に答えるよう、エイラが言う。
「まあ、要は使い魔ってのはある程度の命令に沿って動く擬似的な意識、人格だからね。それを、魔具にも搭載できないかと思ったのさ」
「まさか……魔具に意識を持たせたのか!?」
「それ自体はそう難しいことじゃなかったさ。要は発想の転換さね」
――それはいわば、人工知能を開発したと言っているに等しい。
言うまでもなく前例のない大発明だ。
それが可能なら、魔術の術式を魔具に代理演算させることができる。別々の魔術を同時に使う――どころか、場合によっては本人が使えない魔術さえ魔具で発動できるようになるかもしれない。
魔術の常識を根本から覆しかねないレベルの発明だ。
分野は違えど、こと魔具の製造において、エイラ=フルスティの天才性はメロに匹敵するモノだと言っていいだろう。
いや、それを越えて――魔法使いの粋にさえ、あるいは。
嘘だろ、オイ……信じられねえ。
俺なんか生温いくらい、普通に化物だよコイツ。
「とはいえ、まだ問題は多いんだけれどね。人格の搭載は楽だったと言ったけど、載せる人格自体のほうがなかなか開発できなくてね」
「……お前にできないことがあって今、俺は少しほっとしてるレベルだ」
「気分はいいけど。そりゃさすがに褒めすぎさね」
「これ、公表は待ったほうがいいだろうな……少なくとも魔競祭の間はやめとけ」
「もちろん。というか、まだまだ実用には程遠いのさ」
――これさね、とエイラに指環を渡される。
見た目は昨日とほぼ同じだ。環の部分の装飾が、少し変わっているくらいか。
「まず創るのに時間がかかりすぎる。それに頭もよくない」
「どれくらいのことができる?」
「印刻用に創ったからね。これはアスタの協力あって初めてできたことさ。代理演算可能なのは《火》、《氷》、《防御》、《保護》、そして《駿馬》の五種類だけ。一度にひとつだけだし、解釈の種類もひとつだけ。指示されたことを、指示されたとおりにやる程度の能しかない」
それぞれ単純に《火を出す》、《地面を凍らせる》、《防御障壁を出す》、《術的な保護をかける》、《脚力を強化し移動速度を加速する》ということにしか使えない、のだとか。
いや、それでも充分すぎると思う。ちょっと興奮してきた。
早速試してみよう、と俺は指環を右の人差し指に嵌める――その瞬間。
脳裏で、
誰かが、
叫んだ。
※
――私■■■■■保護呪詛AAAAAAAAA■■の■■の■■■■■■人を■束■約■■■確かにGGGGG主GGG■■■■■■■、■■■其れが嘘裏駄止だThTh神■■■■■777777777777777■■■■■死ぬ死の呪死死四死死ししし氏■が七W星■■■■、、、、■■■■■■■■■■■■■嘗手化廼序野四二才死■■■■■■■■■■■■■■■――。
※
ふと気づくと。
俺は全身を悪寒と汗に塗りたくられ、指環は砕けて地面へと落ちていた。
何が起きた。
呼吸が荒れている。頭が割れるように痛い。心臓が悲鳴のような軋みと熱を持っていた。
理解できない言語で、理解してはならない情報を、理解の及ばないほど大量に流し込まれたかのような――そんな気分だった。
「……なに、が――起きた……?」
なんとか呼吸を整えて、俺はエイラへと訊ねる。
アイリスが心配そうに俺を見上げていた。
彼女の頭を軽く撫で、それで大丈夫だということを告げる。
「……死んだ、いや、壊れたさね。拒絶されたんだ」
果たして、エイラが驚愕も露わに言った。目を丸くし、どことなく表情まで固い。
もちろん俺も驚いていたが、しかし彼女がこうも露骨に驚きを示すなど今までに見たことさえなかった。
「拒絶、された……?」
「そうさね。この指環は、術者と直に接続することで機能する。だが、指環の人格が今、アスタに拒否されて――発狂した」
「俺は……拒否なんて」
「その様子を見る限りはそうだろうね。そもそもまだ《人格》と呼ぶには機能の低いモノだ。ヒトには到底及ばない。だが、だからこそそう簡単に狂うということもない。狂うだけの知能もないからね。これは直接的な干渉を受けた拒絶だからこそ起きた現象……だと思うさね。断言はできないけれど」
「お前にもわからないのか……?」
「認めるのは癪だけどね、さすがに予想外さ。しかしアスタ、アンタが拒絶したんじゃないとすれば、ほかに考えられる理由はひとつだけ。――そういえば、アンタは呪われてるんだったね」
「……どういう意味だ?」
「――――」
エイラは、やはり珍しくも、言いづらそうに視線を伏せる。
だが、そんなところで説明をやめられても困る。
俺は視線で先を促す。彼女は、しばし逡巡してから、意を決して言った。
「――アスタ。アンタたぶん、何かに憑かれてるさね」