3-12『魔競祭予選』
俺たちは連れ立って試術場を目指した。
観客は各会場にばらけているが、この六番試術場はそこそこの集客を見せている。ともすれば有力な選手がこのブロックにいるのかもしれない。警戒しておこう。
学院が用意した、参加選手であることを示すブローチを適当に腕の辺りへつけ、ノキとともに試術場の中に入る。審判役の教員にブローチの番号を見せ、登録を済ませた。
すでに参加者はだいたい出揃っているようだ。
試術場の結界の中、およそ五十にも及ぼうかという臨戦態勢の学生と、その周りを囲む百名単位の観客たち。
試合はまだ始まっていないのに、すでに黄色い声援が辺りを飛び交っている。
列のいちばん前で、「ノキー! がんばれー!!」と応援している少女の姿が見えた。おそらくノキの友人だろう。
「やめて……恥ずかしい……」
ノキは顔を赤くして、どこかへとふらふら消えていった。
まあ、仲睦まじくて何よりだ。
一方どうやら、俺を応援に来る友人の影はないようである。
当たり前の話だったが、この格差社会には泣けてくる。ノキのことをとやかく言える立場ではない。
捜せばレヴィ辺りが応援に、というよりは偵察に来ているかもしれないが、生憎とその姿を人波から見出すことはできなかった。
ぱっと見、参加者の中にも知り合いの姿はない。どうやらフェオは別ブロックのようだ。もっとも、潰し合わなくて済む以上、そのほうが都合はいいだろうが。
さて、知り合い以外で有力そうな選手はというと――、
「――む。君は、そう。アスタ=セイエルじゃないか」
突然、正面からそんな声をかけられて驚く。
檸檬色に近い長髪を風になびかせる、背の高い女性の先輩だった。だが、まさか声をかけられるとは予想だにしていない。
俺はその相手を知っているが、しかし彼女が俺を知っているとは思えなかったからだ。
「レヴィから聞いていたが、やはり君が出場してくるか」
「……なるほど」
レヴィから聞いていたらしい。奴ならまあ、目の前の彼女と繋がりくらいはあるか。
一応とはいえ先輩だ。それを立てるべく、敬語で挨拶を口にする。
「初めまして、でいいですかね。――会長さん?」
「ああ、そうだったな。こちらこそ初めまして、だ。いきなり不躾に済まないね」
「いえ別に。アスタ=セイエルです。もっともご存知のようですが」
長身の女性は朗らかに微笑む。
わずかに、柑橘の香りが鼻腔をくすぐった。
「丁寧にありがとう。こちらこそ、知っているだろうが――ミュリエル=タウンゼントだ」
「どうも」
俺は軽く頭を下げて答えた。
それにしても、また意外なヒトに捕まってしまったものだ。
――ミュリエル=タウンゼント。
名門貴族タウンゼント家の長女であり、同時に今代の学生会長も勤め上げている。
ほぼ名誉職である学生会長に、自ら率先して名乗りを上げ、側近を連れて何世代か振りに学生会を改革した女傑。
そして――前回大会の準優勝者。
その辺りの情報は、出場に際しレヴィから叩き込まれていた。
もしも彼女があと一年遅く生まれていれば、きっとレヴィの好敵手になっていたことだろう。
そのくらいの実力と、同時にカリスマ性を持っている相手だ。だからこそ、同学年ならきっと争い合ったことだろう。
だが、ひとつ上の先輩であったことが功を奏したのか。
結果的に、レヴィにとってはよき相談相手のような立ち位置であると聞く。
「それにしても、レヴィからいったい何を聞かされたんですか?」
「うむ。そこはまあ女同士の話だからな。詳しくは言えんが」
「はあ……そうですか」
「ただ君も、最近ではかなりの有名人だぞ? 予選の強敵として、注目しておいて損はないだろう」
「有名……? 俺がですか?」
ちょっと驚いて、思わず俺は目を細める。
確かに、最近は少し目立つ行動を取ってきたと思うが、いかんせん元の影が薄い。そうそう人目を引くようなことはないと思うのだが、見当違いだろうか。
そう首を傾げると、ミュリエル会長が苦笑して言う。
「――あのオーステリア迷宮封鎖事件の関係者にして、さらには《天災》の知人ときたものだ。有名にならないほうがおかしい」
「…………」
そうか、と少し納得した。それらの件は、学院にも知れ渡っているらしい。
さすがにタラス迷宮でのことは伝わっていないが、学院にとって迷宮の閉鎖や旅団員の入学は大きなニュースだったのだろう。噂が知れ渡っていてもおかしくはない。
俺なんて、それ以上に目立つ四人の同級生の影に隠れてしまうと思っていたけれど。
どうやらそうでもないらしい、という事実をミュリエルはあっさり語った。
「『レヴィ様やウェリウス様に近づく不届き者』、と。一部の信奉者から不興を買っているそうじゃないか。あとは『ピトス様に近づく悪い虫』とか。人気者だね」
「……そりゃまた面白いお話です」いやマジで笑えるぜ、はは。
とでも自分を誤魔化さないと立ち直れない。
やはり学院でも、主に俺なんかが微塵も関わっていないところでは、派閥争いや権力闘争が繰り広げられている。
近い将来、海千山千の貴族、政治家連中の懐へ飛び込んでいく学生たちだ。若い段階からコネや繋がりを作っておかなければ、とても成り上がりなど狙えまい。
そして充分な実力があって、かつ家柄も申し分ないレヴィやウェリウスの場合だと、むしろ担ぐより担がれる側に回っているということだろう。
……まあ単に顔がいいからこその、一種の偶像崇拝的な人気なのかもしれないが。
そんなファン心理で憎悪を稼いでいるとか信じられない。
俺の関係ないところでやってほしかった。レヴィたちもご愁傷様だが、俺のほうが酷い。
「はは。妬み嫉みは世の常だ。あまり気にしないでおくことだな」
他人事のように言ってくれるミュリエル。事実そうだから文句も言えない。
俺は頷きを返しつつ、一応のように訊ねておく。
「……そりゃどうも。で、わざわざそんなことを言いに?」
「ふむ。まあ、顔見せ程度さ。評判はともかく、あのレヴィ=ガードナーたちが一目置いている君とは、少し話をしてみたかった」
「なるほど。それで、どう思いましたか?」
できれば体よく油断でもしてくれればいい。
そんな風に思う俺だったが、生憎とミュリエルは余裕の笑みで言う。
「――どうやら、聞いていた通りの人物らしい。まったく、さすがは《百年に一度の当たり年》と言われるだけはあるね。頼りになるも恐ろしい後輩たちだよ」
「それ、言われてんの俺じゃないですけどね」
「だが今回からは、君も言われることになるかもしれない」
微笑みを湛えてミュリエルは言う。当然、額面通りには受け取れない。
まあ要は牽制というところか。レヴィからどこまで話を聞いているのか知らないが、少なくとも実力が未知数の俺は警戒の対象として上げられるくらいではあったのだろう。
だからわざわざ声をかけた。しかも確実に周囲に届く声量で。
彼女とて学生会長。その名はレヴィたちにも劣らない。
そんな彼女と話している時点で、周りで聞いていた人物たちは俺に警戒を持つことだろう。どころか、場合によっては真っ先に狙ってくる奴が何人かいてもおかしくない。そして逆に、声をかけられた俺の意識はミュリエルに向く。
彼女に集中するあまり、周囲からの不意打ちによって敗退してしまう――とまで上手くいくかは別にせよ、この辺りがミュリエルの思惑だろう。
オーステリア学院は三年制だ。つまり彼女は最上級生である。
それはすなわち、これから魔術師として社会に出て行くことが決まっているということ。この程度の腹芸ならば、呼吸するより簡単にこなすだろう。
場合によっては、このブロックにも何人かミュリエルの回し者がいるやもしれん。
いずれにせよ――厄介な人物であることは否定できなかった。単純な戦闘力がレヴィ並み、ということはないにせよ、それに準ずる実力なのは間違いない。一方、腹芸に関しては勝ち目がない。
魔術戦はともかく、そういった戦いは俺の苦手分野だ。
「それじゃあ、健闘を祈るよ」
「……ええ。会長も」
互いに、考えていることなどおくびにも出さず別れた。
そこで俺はこっそりと、自身に向いている視線の数を数えてみる。
露骨に見ているのが比較的近くに立つ八人。中にはノキも混じっている。まあ、これは単に距離的な問題でミュリエルとの会話が目立っただけだろう。ノキなど露骨に怪訝な表情だ。
注意すべきは、比較的遠巻きから、声が届かないだろう距離からこちらを窺っていた奴らだ。こいつらがミュリエルの回し者である可能性はあるだろう。
――三人ほどいた。確実に、こちらを見ていた奴らが。
と、うちひとりが俺に気づかれたと悟って、人ごみの中に隠れていく。
これには本気で驚愕、というより愕然とした。
まさか俺が窺っているということに気づかれるとは思わなかったからだ。
よもや悟られるような下手を打ってしまうとは。間抜けにも程がある。
いや、これはそれに気づけるだけの相手を評価するべきか。ミュリエルといい、俺に気づいた誰かといい、予選にも厄介な相手が何名かいるようだ。
順当にいけば、このうちふたりだけが本戦に出場できるということになる。
はてさて、残れればいいのだが。
なんとなく一服したくなって、俺は懐から煙草を取り出す。
それを口に咥えようとしたところで――、
「――それでは、予選第六ブロックの試合を開始する。全員、準備はいいか!」
審判役の教員が声を上げてしまう。
残念、間に合わなかった。俺は肩を落として煙草を仕舞う。
試合中に煙草を喫むつもりはない。メロの存在がある以上、あからさまに《紫煙》っぽい戦い方をするのは避けたかったからだ。
副審となる四人の教員がそれぞれ、ちょうど正方形の四隅になる部分に立つ。彼らを頂点とする四角形の範囲から出た場合、そのまま無条件で失格だ。
声を上げた主審の教員は中央に立ち、辺りを見回していた。
参加者が揃ったのだろう。
見える奴らの顔が、軒並み緊張の色に染まっていく。静かな喧騒とも言うべき雰囲気が、周囲に広まっていた。
結界の外にいる見物客たちも、皆が息を呑むように静寂を保つ。
そして主審の教員が右腕を上げ――、
「――では、始めっ!」
言葉とともに、振り下ろした。
予選の開始である。
※
始まった瞬間、いきなり三人から攻撃を受けた。
辺りには様子見の選手も多いのに、まったく血の気の多いことだ。
四角形に区切られたスペースのうち、割と中心の辺りにいたのが不味かったか。綺麗に囲まれる形の奇襲である。
まさか組んでいるわけでもないだろうが。それにしても、まず真っ先に俺を狙った三人はいったいどういう考えでそう結論したんだと問いたい。
そんなに弱そうに見えたのだろうか。失礼な。
視界の左側から男、右側から女が攻撃を仕掛けてくる。いずれも近接型らしく、それぞれ手に武器を所持していた。視界の外には、背後から魔術を撃ってくる男もいる。
しかし峰打ちとはいえ、真剣で斬りかかられる祭とは畏れ入る。地球じゃ難しい催しだろう。
なんて、そんなことを考えられるくらいには余裕があった。
三人は、別に連携しているわけじゃない。ならば対処も単純だ。
まず初めに剣で斬りかかってきた男の攻撃を半身で躱し、脚を払って転ばせた。右手側から手甲で殴りかかってきた女子は、男が倒れたせいで進路を塞がれ、お粗末にもそのままバランスを崩す。
倒れた男に脚を引っかけたようだ。呆気なさすぎて、魔術を使う必要さえ感じない。
だから彼女の腕を掴み、そのまま男の上に捻り落とす。地面と挟まれた男よりは、倒れた男がある分、まあ低いダメージで済むだろう。
いずれにせよふたりダウンだ。放っておけば、審判役の教師が舞台外まで引きずり出してくれる。
ふたりの対処が済むと同時、背後から俺を狙っていた男の魔術が完成した。
撃ち出されたのは炎の魔弾だ。彼は元素魔術科らしい。威力はそれなり、直撃すれば気絶は免れまい。
だが、いかんせん術式の構築が遅すぎる。ウェリウスなら今の間に数十は撃つ。
俺は右腕を掲げて、指先で軽く宙をなぞった。指輪のお陰で、ルーンの起動がとても楽だ。
宙に刻んだルーンは《収穫》。
効果が発揮され、放たれた魔弾が、俺の手のひらへ吸い込まれるように消えていく。
「――馬鹿なっ!?」
魔弾を放った生徒が、驚きにそんな言葉を発する。
馬鹿な、も何もないだろう。気づかれていないと本気で思っていたのか。
手加減するほうが大変なくらいだ。
「返す」
俺の右腕から、彼の放った炎の魔術がそのまま同じ威力、同じ速度で撃ち返される。
だが術式構築の遅い彼では、その魔術を迎撃することはできないだろう。記念参加だったのかもしれない。
そのまま自らの魔弾に撃ち抜かれて、彼は気絶したようだった。
――うーん、なんというべきか。
いや、学生ならみんな、このくらいが普通なんだよなあ。
実戦経験がなければこの程度なのだろう。なんだか悪いことをした気にさえなる。
かといって負けるつもりもない。
ただ改めて、周囲の異常性を思い知る俺だった。
※
そのあとは、なんか手を出すのも申しわけないくらいの気になって、適当に逃げ回り続けていた。
――自分で言うのもなんだが、はっきり言って実力が隔絶しすぎている。
むしろ俺自身、「そうか、俺はこんなに強かったのか」と驚いてしまうくらいだった。
ともあれ、別に得点制でも評価制でもない。
逃げ回っていようがなんだろうが、生き残りさえすればそれでいい。
ある程度、人数が減るまでは様子見に徹しよう。
そういうことにした。
無論、中には高い実力や実戦経験を持つ学生もいる。
そういう奴らは奴らで、それなりに空気を読んでいる。言い方は悪いが、まずは雑魚の片づけという感じで、お互い直接的な戦闘を避けていた。
目立つのはやはり学生会長だ。
近接戦闘者が有利な中、彼女の戦闘方法は至って普通の魔術師らしい砲台型だ。
ときには攻撃魔術を、ときには搦め手の補助魔術を用いながら、派手さはなくとも頭を使った立ち回りで着実に撃破数を稼いでいる。ご丁寧に、倒した相手を場外に出してやる気遣いまでしていた。
かなり余裕そうだ。ほとんど実力を隠したまま残っている。
さすがは学生会長だと、そう言うべきか。このままならば予選の通過は手堅いだろう。
一方、こちらは意外ながら、ノキ=トラストもまたかなりの善戦を見せていた。
彼女の戦い方は至って実戦的で、魔術師よりは冒険者らしい。
短刀を片手に持っているが、こちらはほとんど使わず、相手の隙を突いた風の魔弾で昏倒させる戦い方をしていた。決して正面からはぶつからない。
火の魔術のような目立つ攻撃より、目に見えず回避しづらい風属性というのが通だ。俺好みと言い換えてもいい。
冷静な戦い方だった。これは間違いないく、何度か迷宮に潜ったことのある人間のやり方だろう。多人数を相手にする心得があると見ていい。
単純な、数値的なスペックならば、おそらく会長に勝っているのは足の速さくらいだろう。つまり、魔術的なステータスはほぼ負けている。
それでも、上手い立ち回りで残っているノキだ。俺はちょっとした感心さえ覚えていた。
魔術のエリートが揃ってるとはいえ、好き好んで迷宮にでも入らない限り、実戦経験を持たない学生は多い。能力はあれど経験がないのが学生というものだ。
そういった手合いとの実力差を、ノキは自らの経験値で補っているのだろう。今どき珍しい、冒険者志望であるらしかった。
あとは格上の会長をどこで潰せるか、といったところか。
隙を作れば、あるいは格上殺しも狙えるだろう。
――と。
「隙あり――!」
後ろからそんな声が聞こえたので、「ないよ」と答えて適当に背負い投げして気絶させておいた。あっさり撃破プラスひとりだ。
俺はノキよりさらに酷い。
たぶん、見た目いちばん魔術師らしくない戦い方をしているのが俺だろう。かといって冒険者らしくもない。
わかりやすい魔術はほぼ使っていない。戦況把握に魔術の網を巡らせているくらいで、あとはだいたい体術で済ませていた。
俺が適当に歩いていると、どうやら隙だらけに見えるらしい。魔術で周囲を探る、という発想自体がまず冒険者以外にはないのかもしれない。
気づかれなさすぎて、むしろ少し驚いている。
結局のところ、多少目立とうが警戒まではされていない、ということなのだろう。
学院はその性質上、いわゆる魔術師然とした魔術師が多い。勝てさえすれば、生き残れさえすればいいという冒険者たちとは根本的に異なり、栄誉ある正面きっての戦いを重んじるわけだ。
だからこそ搦め手には弱くなってしまう。
俺という撒き餌に釣られ、返り討ちに遭うのはそれが理由だろう。決闘を重んじる、とはいえ、誰だって強そうな相手とは戦いを避けたい心理はある。
勝てそうな相手を狙うのは当然だった。
まあ、このまま行けば予選の突破は難しくないと思う。
祭の性質上、観客たちは戦闘ではなく決闘を見に来ている。その点で学生たちの態度は正しいものだし、戦いを避ける俺のほうがむしろ間違っていた。
だから多少のブーイングは喰らうかもしれないが、適当に逃げ続けていれば制限時間は越えられる。
それは決勝トーナメントへの進出者を増やすことに繋がるのだが、別に優勝などする気のない俺にとってはどうでもいいことだ。
油断がある、わけではないと思う。
その上で、それでも俺はもう勝った気でいた。
「――、ん?」
ふと視線のようなものを感じて、俺は反射的に背後を振り返る。
だが、その反応はおそらく顕著に過ぎた。振り向いた頃には視線の主が消えていて、俺はただ祭の混戦模様を視界に入れるだけ。
「……っ」思わずを舌を打ってしまう。
油断していない、と言った矢先にこれだ。慢心を通り越してただの間抜けだろう。
感覚的に、試合前から俺を見ていた相手だと察した。
だが誰なのかまでが特定できない。仮にも元冒険者の俺に特定させない時点で、そいつが単なる学生だとは思えないわけだが……。
さては垂らした釣り針に、別のものまで引っかかったか。
あるいは、レヴィたちのような例外か。
現状、俺に何かしてくるということもないらしい。
ならば泳がせておいてもいい、というか、もう少し人数が減らない限りたぶん見つけられないだろう。相手の身の隠し方が上手すぎる。
七星旅団の中でも索敵や探査の技術は上手かったほうの俺で無理なのだ。少なくとも斥候的な技術に関しては、本職の中でも上位クラスと思われる。
……学院で教わるような技術では、決してないと思うのだけれど。
一瞬、俺は迷宮で会った、あの枯れ草色の外套の男――アルベル=ボルドゥックを思い出す。
だがそれは違う。奴ならきっと、俺に気づかれることさえないはずだ。
とりあえず、本戦進出の邪魔さえして来ないのなら、今のところは放置でいい。
そう思うことにした。
というわけで俺は結局、やはり積極的に動こうとは思わなかったのだ。
繰り返すが、このままいけば俺は本戦に出場できるはずなのだから。自信があるからといって油断していいわけじゃない。それは先ほど悟った。
だからこそ無闇な無茶を犯す必要はない。そのはずだったのだ。
――このままいけば。
そう。その点で言えば、俺はやはり考えが足りなかったのだろう。
自分という人間を巡る星の回りを、俺はもう少し重く考えるべきだったのだ。
奇しくも最近、あの珈琲屋に「異常だ」と言われた通り。
あのときは同意しなかったけれど、冷静に考えて、このまま《何事もない》なんてことが俺の人生にあるはずがないということを、そろそろ自覚するべきだった。
俺の《運命》は――いつだってロクな方向には転がらない。
そいつは突然現れた。
観客の中から、帯刀したひとりの女が現れたのだ。
祭の喧嘩は乱入が華だ。
予選にはときおり、若い魔術師に喧嘩の仕方を教えてやろう、などという建前の下に暴れたがる乱入者の殴り込みがある。
その行為は、途中で空気を読んで負ける分には、むしろ歓迎される文化なのだった。
もともとオーステリアの冒険者は、そうレベルが高いほうじゃないし、逆に学院にはどの年にも数人は本職並みの実力を持つ秀才がいるものだ。たいていはそいつらに見せ場を作って、それから綺麗に負けて帰っていく。
そんな、いわばプロレスの悪役みたいな奴が乱入してくるのだ。
――とはいえ。
「お、乱入者だぞ! 今年も来たなあ」
「しかし女とは珍しいよな。だいたいムサいオッサンでつまんねえんだ」
「そういうお前だって、去年は乱入してあっさり負けただろうが!」
「馬鹿言え、それはお前、若い連中に華を持たせてだなあ」
「ん? つーかあれ、もしかして――」
にわかに騒然とし始める観客たち。例年、実力の低い者がある程度まで間引かれた中盤、乱入者が現れて以降から予選が盛り上がるとされている。
そこそこ実力のある乱入者の場合、記念参加的な連中が根こそぎ薙ぎ払われたりもザラだ。
手加減してくれる乱入者に負けるようでは、本戦に出る資格なしという判断らしい。運も絡むだろう。
俺も負けるとは思いたくないが、とはいえ君子危うきには近寄らず。わざわざ乱入者と戦わずとも、ミュリエル辺りが適当に倒してくれるはずだ。
そんな風に考えて、俺は気にも留めていなかったのだが――、
「――そこの印刻使い! 敵に背を向けるとは何事かあ!」
なんとまあ。乱入者から直々に、ご指名を受けてしまうのだった。
――印刻使いなんざこのブロックには俺だけだろう。
認めたくない。が、認めざるを得なかった。俺は仕方なく、彼女に向けて振り返る。
それが誰かに関しては、呼ばれた時点で気づいていた。
「やいやい。敵前逃亡するような腑抜けに、妹は任せられないぜい!」
ド下手極まりない棒読みで、乱入してきた女性は言う。
――乱入文化を、少し勘違いしていないだろうか。
俺は心底から呆れ果ててつつも、とりあえず、挨拶だけは返しておく。
「……お久し振りです。ご無沙汰してました」
「あ、ううん。こちらこそ、その節はどうもありがとう」
一瞬で素に戻りやがった。
盛り上げようとするのはいいが、ならばもう少し徹底したらどうか。
彼女も気づいたのか、慌てて妙な演技に戻る。
「――さて。この私から妹を奪っていくというのなら、その前に実力を見せてもらおうじゃないの!」
「いったいなんの真似ですか……」
「どこの馬の骨ともわからない男に、妹は任せられないということよ!」
おお、と会場にどよめきが走る。
乱入からの決闘申請。それも気鋭の若手冒険者から、一学生に対してとあっては話題性も充分だろう。
まして《妹を奪っていく》だのなんだの、華を添えるようなエピソードが付属してはなおさらだ。
……本当にやってくれた。
『――おーっと! ここで乱入者が決闘を仕掛けたー! これはいったい何事だー!?』
いつからか試術場の外側から、そんな声が響いていた。
拡声の魔術を使った誰かが、実況の真似事をしているらしい。
ノリノリかよ。誰か知らんが何してんだ。
『しかも、これは……そう、乱入者はあの有名クラン《銀色鼠》の団長、新進気鋭の若手魔術師――』
そんな実況に合わせるよう、こちらもまたノリノリで剣を抜き放つ女性。
実況と、観客の歓声を一身に受けて、彼女は決闘の作法に則り名前を告げる。
銀色に光る刃の切っ先が、俺に向けてまっすぐ突きつけられていた。
「――シルヴィア=リッターが、君に決闘を申し込む」
ははは。まったくもう。
貴女そんなキャラでしたっけ? 祭で浮かれてるのかなあ、もう。
…………。
いやいやいや。じゃなくて。
――アンタ何してくれちゃってんのマジで!?




