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セブンスターズの印刻使い  作者: 白河黒船/涼暮皐
第三章 魔競祭事件
60/308

3-08『学院書庫』

 オーステリア学院書庫。

 それは学院の敷地の片隅に存在する、古ぼけたひとつの建物である。

 そう広くない一階建ての小屋とはいえ、一棟丸ごとが図書室として開放されているため、正確には図書館と表現するほうが正しいかもしれない。

 その蔵書は膨大だ。基本的に魔術関係の書籍に限られてはいるが、中には貴重な魔術書や、旧時代からの遺物である翻訳不可能の写本、稀覯書が数多く収められている。

 さすがは王立オーステリア学院だと誇ることのできる、いわば叡智の泉だった。

 管理局や貴族、あるいは高名な教師たちからの寄贈も多い。これだけの書物を個人で蒐集するのは、おそらく第二位階――実質的な魔術師の頂点である魔導師メイガス級の人間でも不可能だろう。

 教育、研究の機関として以前に、この蔵書の数々だけで計り知れない価値が学院にはある。

 それを所属しているだけで読み放題の借り放題だというのだから、入学して学生になった価値はあると言えるだろう。


「……すごいね」

 林立するような書架の威容を前に、フェオが息は飲んで呟いた。

 そもそもの話、本は高い。

 この異世界には、活版印刷に代わるものとして《複製魔術》という技法が存在しているため、書籍自体はそれなりに作られるようにはなっている。

 問題なのは流通のほうで、貴重な魔導書や研究書などは、そもそも複製自体が作られることが少ないし、仮にわずか出回ったとしても、こうして学院や貴族などに押さえられてしまう。


「ここにあるのは、大半が複製魔術による写本で、原書じゃないらしいけどな」

「魔導書ならともかく、研究書や論文とかならそれで充分じゃない?」

「ああ。だから便利なんだよ、ここは」


 ちなみに複製魔術とはその名の通り、あるモノを複写コピーし、その複製物レプリカを創り出す魔術のことだ。優れた術者ならば、文字を写し取るどころか魔力それ自体で物質そのもの(丶丶丶丶)を複製することさえ可能だと言われる。

 もちろんモノ自体が魔力で構成されているため、内蔵する魔力を消費しきれば物体自体が霧散する――要するに永続するものは作れない。

 たとえて言うなら、魔術による複製物レプリカは、魔物と似たモノだと考えればわかりやすいだろうか。それそのものが魔力で構成されているという点において両者は共通している。

 その違いは、魔物が自ら魔力を取り込む――すなわち消費した魔力を回復することができるのに対して、複製物レプリカにはその機能がないことだろう。

 そもそもの難易度の高さや、物体の複製魔術自体に多大な魔力が必要となることも相まって、物質再現はあまり便利な魔術だとは言えなかった。


 とはいえ、文字を写し取るくらいならお手の物だ。

 複製魔術により文字を記憶し、それを普通の染料インクを媒介に紙へ写せば本は作れる。

 この技術を応用して、たとえば機械の設計図や衣服のデザインなどを広めることにひと役買っていた。

 紙と染料インクと糊さえあれば、書物はいくらでも量産可能なのだ。複製魔術が使えれば、ではあるが。


「――禁書庫のほうには、魔導書の原本なんかも置いてあるらしいけど。そっちは許可を取らないと入れないんだよ」

 俺は説明がてらフェオに言う。

 ちなみに《魔術書》と《魔導書》の違いは、前者が魔術に関する事柄の記された普通の本、後者が書物それ自体に(丶丶丶丶丶)魔術のかけられた本のことである。

 だから魔術書はともかく、魔導書に関しては写本でなく原書が手元になければ、その本領を発揮することはない。

 もちろん、写本でさえ価値があることもまた事実ではあるけれど。


 ……正直、がんばれば禁書庫の結界ふういんを突破できるような気はするのだ。

 この手の魔術に必要なのは、魔力の強さ(パワー)ではなく、むしろ精密な制御コントロールである。呪いの影響はそこまで出ない。

 まあ確実にバレて犯罪者になってしまうため、さすがに実行するつもりはないけれど。

 その欲求に襲われたことがないと言えば嘘になる。


「アスタは、それで学院に入学したの?」

 フェオが怪訝に首を傾げる。

 まあ確かに、普通はそんな理由で入学などしないだろう。書庫はあくまで特典であって、決して目的ではないはずだから。

 俺の場合は少し特殊だ。

「そういうことになるね。――解けないにしろ、なんとか呪いを誤魔化す方法を見つけたいと思って」

「……そんなの、そう簡単に見つけられるものなの?」

 フェオは懐疑的だった。

 当然だろう。迷宮由来の――千年超級の呪詛なのだ。そう簡単に解呪できるはずがない。


 とはいえ、忘れてもらっては困る。

 俺とて、かつては七星旅団セブンスターズに所属していた印刻ルーン使い――つまりは術式解析の専門家エキスパートなのだから。

 この手のことは、むしろ戦闘よりも得意分野であると胸を張らせてもらおう。


「――いや。実は呪詛を誤魔化す理論自体は、すでに構築できてたりするんだよね」

「なんか……さらっとスゴいコト言ったね」

 驚くフェオ。まあ俺も、たまには格好いいところを見せていきたいから。このくらいは。

 最近いろいろなところで元七星旅団セブンスターズという事実が割れているけれど、そのたびに「え、それで……?」みたいな表情されるのが、実は少し堪えてないといえば嘘になってしまう。

 俺だって本当は格好つけたいのだ。特に女の子の前とかでは。

 だから俺はドヤ顔で語る。

「ま、まだ机上の空論だけどな。理論だけで、実際の術式までは構築できてない」

「そうなんだ……それでも、これから次第では完成させられるんでしょ?」

「もちろん、そのつもりではいるさ」

「じゅうぶんスゴいと思うけど」

「はっはっは」

 ちょっと気取って、いかにも《もう少し研究が進めば実用化できる》風に語ってみせる俺。

 ただ実際のところは本気でドン詰まりもいいところだった。思いつき程度の領域であり、方法を確立できたわけじゃない。

 恥ずかしくてフェオの顔は見られないレベルである。やっぱ言わなきゃよかった。


 ――要は俺の場合、正確に言えば《魔術が使えない》のではなく《魔力が使えない》というのが問題なわけだから。

 それを解決するためには、《違う場所から魔力を工面できればいい》ということだ。

 たとえば、あらかじめルーン文字を刻んだ魔具を用意しておくとか。そこに魔力を込めておけば、起動以外に魔力を使わなくて済む。

 普段の俺がやっていることと同じだ。あとはそれを、もう少し拡大解釈できればいい。


 ただまあ、そこで加えて問題になってくるのが、印刻ルーン魔術以外は使えない(丶丶丶丶丶丶丶)という俺の体質なわけで。

 これは呪いとは関係なく、生まれついての性質ゆえに解決のしようがない。

 普通の魔術を扱うことができれば、あるいは何か別の道が開けるかもしれないのだが。俺の場合は、解決に使う技法もまたルーンに頼るしかない。


「――まあ、そんなわけで俺はこれから本を読む。悪いな、付き合わせて」

 俺はフェオに言った。しばらくここで籠もることになるため、彼女の案内は後回しになってしまう。

 フェオは特に気にした風もなく、あっさりと答えた。

「わたしも、しばらくここにいることにするよ。いい機会だし、読んでもいいんだよね、ここの本」

「ああ。んじゃ、またあとでなー」

「ん、わかった」

 頷いたフェオと別れると、俺はアイリスを連れて目当ての書架に向かった。

 彼女にも、何か読める本があるといいのだが……ここの蔵書では難しいかもしれない。



     ※



 それから、およそ一刻ほど俺は書物に向き合い続けた。

 読んでいるのは、いわゆる亜人種に関する書籍だ。

 この世界には、実は人間以外の知性ある生物が存在している。もちろん魔物のことではなく。


 いや、正確な定義を言えば彼らも人間ではあるのだ。

 俺たち人間は、分類で言えば《人類種》であり、それ以外にもたとえば《吸血種》や《獣人種》、《森精種》などの人間(丶丶)が存在している。

 そしてそれぞれの種族は、俺たち人類種が持たない固有の魔術や理論を隠していることがあった。

 今回は、そちらの方面からアプローチをかけてみようと思ったのだ。


 ――けれど。


「駄目だ……そもそも資料が少なすぎる……」

 俺は数冊の書籍と向き合いながら、頭を抱えてそう零した。

 独り言が出てくる辺り、すでに集中力が限界に来ている自覚はある。

「そもそも数が少なすぎるんだよな……森精種エルフなんかほとんど《詳細不明》のひと言で終わってるじゃねえか。もうちょっとがんばれよ……」

 正直、なんの参考にもならないレベルだった。研究者に対する逆恨みが漏れるほどだ。


 森精種エルフなんていう、《ファンタジーといえばこれ》、みたいな種族が現実に存在しているのがこの世界の特徴だ。

 だが彼らはその名の通り森に棲んでおり、そして故郷の森から出てくるということがほとんどない。実在するといわれているだけで、現実的には都市伝説みたいなものだった。

 俺も冒険者時代に、一度だけ顔を合わせたことがある程度だ。

 森を棄てた変わり者の森精種エルフだった。どこの世界にも、外法者アウトローってヤツはいるらしい。

 想像イメージ通りの少し尖った耳には驚いたものの、それ以外には人類種とほとんど違いがない。言われなければ、もしかしたら気づかなかったかもしれないほどだ。

 魔に対する適性が人類種より高いとされる彼ら。その扱う魔術もまた、俺たちのそれとは少し違ったものであるらしい。

 だからこそ何か参考にならないかと思ったのだが――駄目だ。なんの参考にもならない。

 なぜならそもそも情報が皆無だからだ。


獣人種ワービースト鬼種オウガに至っては、そもそもほとんど魔術を使わないときたもんだからな……このアプローチは失敗だったかもしれん」

 まさか、これほどまでに情報が少ないとは思わなかったのだ。政治的、ないし宗教的な問題が絡んでくるからだろう。この方面の研究はほとんど進んでいないらしい。

 俺はそれまで読んでいた『異種族考』という、まんまな題名タイトルの本を机に置く。

 ――ちょっと疲れてきた。

 外に出て、一服してきたい気分である。


 そんな風に考えながら、俺はふと隣に座るアイリスの様子を見やる。

 彼女は先ほどから、一冊の書物を熱心に読み耽っていた。その集中力たるや、俺を軽く凌駕するほどである。学院書庫には彼女が読めるような本がはないと思っていたのだが、どうやらそうでもないらしい。

 少し興味を持った俺は、邪魔をしないように、彼女が読んでいる本の表紙をこっそりと覗いてみる。

 そこには、こんな文字列が記されていた。


 ――『セブンスターズの謎 ターク=マイルド』


「って、いつぞやのアレかよ!」

 反射的に突っ込む俺だった。我ながらお約束(テンプレ)な反応である。

 かつて学院長室に呼び出され、ピトスたちと顔を合わせたときの朝、たまたま読んでいたあの本だ。まさかここで再び巡り会うとは思っていなかった。

 図書室で大声は本来なら厳禁だろうが、オーステリア学院の図書室は元から大して静かではない。

 だから大して目立ちはしなかったが、さすがにアイリスには気づかれてしまう。


「……?」

 きょとん、と首を傾げるアイリス。俺は頭を下げる。

「ああ、ごめん。邪魔しちゃったな」

「ううん。……どし、たの?」

 無垢な瞳で、アイリスはこちらを見上げてきた。

 さすがに、その本を読むのはやめろ、と告げることはできそうにない。たぶん素直に言うことを聞くだろうが、だからこそ心が痛んでしまう。

 まあ読まれている時点ですでに心は痛いので、どっちもどっちという話ではあった。

「えーと、だな。アイリス、その本は……」

「アスタの、ほん」

 そうだけどそうじゃないっていうか。読む前に処分してしまったため、実は中身についてはほとんど知らなかった。

 かなり俗っぽいというか、噂話ゴシップのまとめみたいな内容であることは予想できる。とはいえ、アイリスが読めるほど簡単でもないと思っていたのだが、文字は十全に読める子であるらしい。

 その賢さが、今回は裏目に出たようだ。

 まさか学院の蔵書として収蔵されているとは……想定外だ。

 ていうか誰だよ、入れた奴。


「ここ。ほら」

 と、アイリスが途中のページを、俺に見せるように差し出してきた。

 かなりマジで読みたくないのだが、アイリスに言われては仕方ない。しぶしぶ目を落とすと、そこはちょうど――俺に関して記述されているページだった。

 うわあ。


 ちなみに、以下がその内容である。



     ※



 七星旅団の六番目セブンスターズ・ザ・シックスス

 通称――紫煙の記述師(レトリックスター)

 彼――あるいは彼女――に関する情報は、七星旅団セブンスターズ団員メンバーの中でも群を抜いて少ない。

 なにせ公の場では頭巾フードを深く被り、ひと言も発さず影に徹していたからだ。謎多き七星旅団セブンスターズにおいてさえ、性別すら定かでない団員は《紫煙》くらいのものだろう。


 その《紫煙》について唯一わかっていることは、彼が世界的にも稀有な《印刻ルーン魔術師》であるということくらいだ。

 国内で高名な印刻ルーン使いといえば、たとえば十人の《魔導師メイガス》の一角である《脚色家シナリオメイカー》ユスティーナ=チェイカや、クラン《創世境界オールボーダー》の副団長サブリーダーである《戦災一過カタストロフ》シモン=カヴェニャックなどが挙げられるが、それにしても戦場で前線に立つ冒険者としての印刻ルーン使いは稀だ。


 ある傭兵は、戦場で見た《紫煙》に関して次のように語っている。


「全身を外套ローブで隠して、奴はただ煙草を吸っていた。それだけだったんだ、ほかには何もしていないように見えた――だが奴はその時点で、もう魔術を完成させていた。奴が煙を吐き出すと同時に、まるでその吐息が何倍にも膨れ上がったみたいな暴風が、敵の一軍を包み込んでいた。それだけだ、それだけで奴は百近い魔術師を一掃したんだぜ。俺にはむしろ、奴こそが《天災》そのものに思えたもんだ。確かに、《紫煙》の名は伊達じゃねえ。なにせ奴は結局、闘いが終わるまでその場所から一歩も動かなかったんだからな。あいつには初めから、戦場の全てが手に取るようにわかっていたんだろう――」


 本来、印刻ルーン魔術はあくまで補助のための術式で、それ自体は決して戦闘で決め手になる威力を持ち得ないとされている。

 だが《紫煙》に限っては違うのだ。

 かの魔術師が扱うルーンは、それ単体で魔術師の一個師団を壊滅させるほどの威力と規模を誇っている。

 そんな《紫煙》でさえ、かの《超越》や《天災》に比べては戦闘向きではないとされ、七星旅団セブンスターズ内部においてはもっぱら参謀としての立ち位置にいたというのだから、かの旅団の底知れなさが知れるというものだろう。

 無論、この事実は《紫煙》が旅団において、魔術師として劣るということを意味してはいない。

 むしろ旅団における重要な作戦や行動は、そのほとんどが《紫煙》の手筈によって進められたという話がある。

 つまり、《紫煙》は旅団の頭脳ブレーンとして機能していたということだ。


 この項では、そんな《紫煙の記述師》の正体について迫っていこうと思う――。



     ※



「――恥ずかしい死にたい!」


 俺は叫んだ。叫ばずにはいられなかった。


 なんだこれ! 誰の話だこれ!! 尾ひれがついてるとかいうレベルじゃないんだけど!?

 ものすごい脚色されまくってるよ! そんな大層な魔術師じゃねえよ!!

 別に戦場の全てとか把握してねえから。動かなかったんじゃなくて、単に怖くて動けなかっただけだから!


「こえぇ……外からだとこんな風に見えるのか、俺は……」


 普通に戦慄する俺だった。事実錯誤にも程がある。

 俺が参謀役だったのは、あくまでほかの奴らが俺より強かったせいで、必然的にやることが限られていたというだけだ。あと単に脳筋バカが多かったから。

 それなのに、シグやメロみたいな化物と比べられては堪ったものじゃない。頭脳ブレーンという見方に関しても、俺なんかより教授のほうがよほど頭はいい。見当違いも甚だしかった。


 強さに関してもそうだ。

 俺は必死で、限界振り絞ってそれだけの火力を成立させているのだから。仮にも魔術師の全力攻撃なら、それなりの火力は出せるだろう。

 比べてほかの連中は、片手間で俺と同等の火力を持つ魔術を使うことができる。顔を隠していたせいで、俺がどれほど必死だったのか欠片も伝わっていないようだった。

 紫煙さんは世間的に、戦場で余裕ぶっこいて棒立ちしてる格好つけ野郎だと思われていたらしい。

 ……マジかよ。ぜんぜん知らなかった。


「そして知りたくもなかった……ええ? これ、この作者が勝手に言ってるだけじゃないの……? 共通認識なの?」

「どし、たの?」

 慄く俺を、アイリスが不思議そうな表情で見上げてくる。

 だがなんと言ったらいいものか。

 この偏向報道じみた記述の嘘を、俺はアイリスに伝えるべきなのだろうか。ある意味で人気商売みたいな魔術師が、子どもの夢を壊してしまっていいのだろうか。

 まったくわからなかった。というか、


「……すごい、ね。アスタ」


 素直で穢れのない瞳を持つ少女に、それを伝える勇気がそもそもない。

 ……いいか、別に。

 完全に過剰評価だけど、魔術師なんてそもそも格好つける生物だし、アイリスに対してくらい夢を確保しておいてもいいんじゃないだろうか。

 もうそういうことにしておこう。

 俺は彼女から視線を逸らし、けれど平然と告げる。


「そうだろ。すごいだろ、俺は?」

「うん」


 アイリスは、ほんの少しだけ笑みを見せてこう言った。


「アスタは、すごい。かっこう、いい」

「……はっはっはっは」


 いやはや……これはアカン。

 ――罪悪感だけで死にそうだ。



     ※



 それでも、ここで終わっていればまだ傷は浅かったと思う。

 少なくとも致命傷には、まあギリギリで至らなかった。

 いずれはアイリスも事実を知り、俺に対して失望する日が来るのだろう。だが、それまでの時間稼ぎくらいにはなったはずなのだ。主に俺の心の傷的な意味で。

 その頃にはこの無垢な少女も、世間の厳しさを――というか大人の汚さを学習することだろうと。その程度に思っていた。

 それならば俺も、義妹に対してくらいは格好つけていられたのだ。

 ――だが、


「へえ……すごい格好よく書かれてるね。これ、ホントにアスタのことなの?」


 そんな声が背後から聞こえた瞬間、俺は思わず周囲に隠れられる場所を探していた。

 穴があったら入りたい。

 その言葉の意味を、本心から実感として悟った瞬間だった。穴がないなら、なんなら掘り起こしてでも埋まりたい気分である。


 もちろん図書室に隠れる穴などない。当然、掘り返せるはずもまた、ない。

 よって俺は、ぎちぎちと、まるで壊れたブリキ人形のような挙動で、ただ背後を振り向かざるを得なかったのだ。

 そこには――少し悪戯っぽい笑みを浮かべるフェオの姿。

 獲物ひつじを見つけた猟師おおかみの目だ。


「さすがは七星旅団セブンスターズの一員だね。強いお兄ちゃんでよかったね、アイリスちゃん」

 俺にではなく、あえてアイリスへと告げるフェオだった。

 ――あ、これわかってますわ。

 俺は瞬時に悟る。たぶん俺が狼狽えているところから見られていたのだろう。

 俺の感情が、完全に理解された上でからかわれている。あるいは先ほど強引に詰め寄った、その意趣返しなのかもしれない。

 フェオの奴、意外といい性格をしてやがる。

 逆に、真実を知らない無垢なアイリスは頷きを作って言う。


「そう。アスタ、かっこいい、の」


 ……もうやめてください。

 そんな心中の懇願を、もちろんフェオは斟酌しない。


「そうだね。いいお兄ちゃんだよね」

「ん。だいすき」


 やめて……お願い、もう許して……。


「なにせ伝説の冒険者のひとりだもんね」

「ん。やさしい」

「伝説に名前が残ってるんだもんね」

「ん。すごい」


 微妙に噛み合っていないふたりの会話が、けれどそのままで俺に大ダメージを加えてくる。

 ――畜生、なんて女だ。

 仮にも俺へ謝罪するためにここへ来たんじゃないのか。なんで俺に対して精神攻撃を加えてくるんだ。

 だが開き直るには記述に嘘、というか解釈の偏りが多すぎる。

 要するに打つ手がない。


 勝利を確信したフェオは、満面の笑みを浮かべ言う。


「――きっと女の子にもモテモテだよね!」

「もういっそ殺せよ!」


 俺は幻想の血を吐いて、机に突っ伏すことしかできなかった。

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