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セブンスターズの印刻使い  作者: 白河黒船/涼暮皐
第三章 魔競祭事件
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3-05『紫と橙と幼女』

 喫茶店オセルを出てから、俺とアイリスは連れ立って学院を目指した。

 目的は、セルエに会って魔競祭への出場申請を行うこと。こういうことは早いほうがいい。

 ついでというわけでもないが、アイリスとセルエの顔合わせも一緒に行うつもりだ。今後はアイリスに関して、セルエの手を借りることも多くなると思う。

 教職の道に進んだだけあってか、セルエは割と子ども好きらしい。きっとすぐに打ち解けてくれることだろう。

 本当なら、オーステリアで魔術を教えるよりも、もっと小さな子どもを見てあげるほうがセルエには向いているのかもしれない。そう思うことがあった。


 あとは同じ屋根の下に住むわけだし、メロにも会っておきたいのだけれど。彼女は昨夜、なぜか煙草屋の部屋に戻ってくることがなかった。どうやら外泊したらしい。

 心配はするだけ無駄だろうが、それにしてもいったいどこで何をしているのやら。気にはなるし、訊いておきたいこともいくつかあるのだが、居場所がわからない以上は仕方ない。

 タラス迷宮において、あの魔法使いと会ったことが関係しているのだろうか。

 文明から――運命から放逐された世捨て人でありながら、奴は他者に対し常に大きな影響を与える存在だ。何か吹き込まれたのだとしたら、早いうちに探り出しておきたかった。

 放置などしておいたら、絶対に碌なことにならない。


 とはいえ、メロがそう簡単に口を割るとも思えない。肝心なことは何も話さない奴だからだ。

 その点は七星の全員に共通した悪癖だと思う。訊いていないことはぺらぺらと話し、頼んでもいないことを嬉々として行う反面、大切で重要なことに限って秘して隠し通す。

 七星旅団セブンスターズには、その方向性はともかく、そういう頑固者ばかりが集まっていた。

 あるいは探りを入れるなら、まずシャルから当たってみるのがいいのかもしれない。治療のごたごたで結局、迷宮から戻って以来、彼女には会えていなかった。


「ったく、なんか面倒な事態が起こってるよなあ……」


 わずかに曇りつつある空を見上げながら、俺たちは昼どきのオーステリアを歩く。

 道行く人々の足は、どこか急いでいるように見えた。空模様を見る限り、今晩辺りで雨が降るような気配がある。用事は早めに済ませたいのかもしれない。

 さすがに、雨が降ればメロも帰ってくるだろう。外に宿を取るような考えを、あいつが持てるとは思えない。そもそもお金を持っていないだろう。


「……?」


 陰鬱にぼやいた俺の表情を、隣で歩くアイリスが首を傾げて見上げてきた。

 モカちゃんから貰ったお土産の包みを、小さな両腕で抱え込みながら歩くアイリス。以前から思っていたことだが、どうやらこの子は、他人の感情の機微にかなり敏感であるらしい。

 まあ俺がわかりやすいだけなのかもしれないが、少しでも表情や声音に感情が籠もると、アイリスはそれを察知する。客観的に見ても、かなり聡い子であるのは事実だろう。

 その割に、彼女自身は表情の変化が少ないけれど。これはアイリスが無感動だからではなく、単に感情を表現する方法を知らないからなのだろう。

 無表情であっても、決して無感動ではない。

 外からわかりにくいだけで、彼女はいつだって、いろんなことに心を動かしている。


「――さて。これからセルエに会いに行く。名前は聞いたことあるか?」

 なんだか情けないところばかりを、俺はアイリスには見せている気がした。

 せめてこの小さな少女に、無用な苦労や心配を負わせないように。ほかの誰でもなく、俺自身が気を配らなければならない。

「うん。聞いた」

 俺の問いに、アイリスは頷いてそう答えた。

 やはりマイアから、名前くらいは知らされていたらしい。

「そっか。なんて聞いた?」

「マイアのなかまで、だいだいいろのひと」

「……正解」

 日溜まりに向かう花のように、大らかで温かい、太陽のような女性。

 それが俺の知る、セルエ=マテノという魔術師だ。マイアよりよほどお姉さんらしい。

 そういう人間だからこそ、ひとたび怒らせると手がつけられないわけだが。


「それじゃ、挨拶しに行こうか」

「ん」


 こくりと頷く少女を連れて、曇り空のオーステリアを学院に向かった。



     ※



 いつだったかも訪れた、セルエの研究室の前に立つ。

 扉をノックすると、中からは「は――ひゃわいっ!?」という慌てたようなセルエの声。反応にちょっと間があったことから察するに、たぶん寝ていたのだと思う。

 俺は少しだけ苦笑しながら、中に向かって言葉を投げる。


「珍しいね。セルエが、平日の昼間から居眠りなんて」

「あ、なんだ、アスタかあ。学院長かと思って驚いちゃったよ」


 確かに同僚や上司に居眠りを見咎められるわけにはいかないだろう。

 とはいえ基本的に真面目なセルエが、ただ眠たかったという理由だけでこの時間から夢の中に入るとは思えない。


「疲れてるみたいだね。なんなら出直すけど?」

 言うと、中からは否定の言葉が返ってくる。

「大丈夫大丈夫。今は特に何かしてるってわけじゃないからさ。いいよ入って」

「んじゃ、失礼します」

「しま……す」

 俺が言い、アイリスがそれを真似た。きっと研究室の中まで届いただろう。

 そのまま部屋の中に入ると、中ではセルエが目を丸くして待っていた。


「……あれ、その子は?」

 まさか俺が小さな女の子を連れているとは思わなかったのだろう。セルエは首を傾げて問う。

 反応から察するに、どうやらセルエは何も知らないらしい。

 実はほんの少しだけ、マイアから何か聞かされていないかと期待していたのだが。駄目元ではあったので、特には気にしない。

 俺は端的に告げた。

「いもうと」

「……」

 さすがに言葉を失うセルエ。や、無理もないとは思うけれど。

 とはいえ彼女も慣れてはいる。すぐ思い至ったらしく、苦い笑みを浮かべて言った。

「よくわからないけど。要するに先輩関係ってこと?」

「……ま、そういうことになるかな」

 かつて俺のように振り回された経験が多いからだろう。悲しい察しのよさだ。俺もセルエも、世の理不尽はその大半がマイアを原因にしていると、そう捉えている。

 義弟の俺も、学院時代の後輩であるセルエも、マイアに対する認識などそんな感じだった。

 ……慣れと言うには、少しばかり嫌な適応だったが。


「マイアから、しばらく預かってほしいという連絡が来た。その分だと、セルエは何も聞いてなかったみたいだね」

「初耳だよ……その子、どこの子なの?」

「さあ。何も聞かされてないからわからないけど――とりあえず今はうちの子」

「なるほど。よくわかった」

 ――わからないということが、わかったよ。

 セルエが言っているのは、おそらくそういう意味だろう。


「というわけで、こちらアイリス=プレイアス。いろいろあって義妹いもうとになった」

 説明の大半を省いて、俺はアイリスをセルエに紹介する。

 いや、いろいろあったというよりは、正確に言うと《いろいろなかった》という感じだが、今はいい。

 セルエも特に突っ込んで訊いてはこなかった。誘われるまま、ちょこんと俺の前に立つ少女に対し、セルエは笑顔で背をかがめる。

 続けて俺はアイリスに言った。

「そしてこちら、セルエ=マテノ。この学院で先生をしている」

「よろしくね、アイリスちゃん」

 セルエがアイリスに向けて手を伸ばす。

 その手をきゅっと握って、アイリスはこくりと首肯する。

「ん。よろしく、セルエ」

「……かっ、かわいい……!」

 なんだかわずかに頬を赤らめてセルエは呟く。

 一瞬で骨抜きだ。ちょろいと言うべきか、あるいはアイリスが魔性の子なのか。ピトスもセルエも一撃で(?)やられていた。

 いずれにせよ、この分ならば特に心配することもないだろう。元々していなかったし。


「アスタにはよくしてもらってる?」

「うん。アスタ、やさしー、よ?」

「そっか。何かあったらいつでも言ってね? わたしのこともおねえちゃんだと思っていいからね?」

「セルエ……おねえちゃん?」

「……うへへ」

 だらしなく頬を緩ませるセルエだった。どうやら《おねえちゃん》という呼称が、セルエ的にツボだったらしい。

 きょうだいがいる、とは聞いたことがないし、ともすればそういう関係に憧れのようなものがあったのかもしれない。


 ……いやまあ、かつては数多くの舎弟から《姐御》と呼ばれていたんだけどね?

 さすがに、それは計算カウント外ということなのだろう。


 しばし話し込むふたり。といってもセルエの質問に、アイリスが坦々と答えるだけである。

 すっかり気分をよくしたセルエだが、それでいて彼女はアイリスに対し、その個人情報パーソナリティは年齢さえ訊ねることをしていない。

 何を言わずとも、この時点である程度の事情を察してくれている。

 正確には、事情を察したというより、事情があるのだろうということを察してくれた、というべきか。

 必要なことなら俺が話すだろうし、逆に俺が何も言わないのなら訊かない――そう冷静に判断してくれているのだ。この辺りの配慮はさすがだった。とても助かる。


「――ところでセルエ。ふたつ頼みがあるんだけど、いいか?」

 その恩に感謝しながらも、さらなるお願いをセルエに頼む。

 彼女は顔を上げると、内容も聞かずあっさり頷いた。

「いいけど、何かな?」

「ひとつはアイリスのことだ。忙しいとは思うけど、たまにでいいから一緒にいてあげてくれると助かる」

「それはもちろん。頼まれるまでもない、っていうか、むしろアイリスちゃんを独り占めなんて絶対に許さないからね?」

 冗談めかしてセルエは微笑む。それだけのことが心強い。

 俺はあえて礼を告げず、代わりにふたつ目の頼みごとをする。

「あともうひとつ。話は変わるけど、魔競祭の出場登録エントリーも頼みたい。確か、セルエは運営役員やってたよな」

「あ、そうそう。実はそれで最近忙しいんだよねー。それで、誰の登録をすればいいのかな?」

「…………」


 俺が出場するなどとは、欠片も考えていないらしかった。

 いやまあ実際、レヴィの件がなければ絶対に出場していなかっただろうけれど。

 かといって、自分以外からまでこの認識とは、ちょっと考えざるを得ない気がする。

 自業自得と言えばそれまでだったが。


「出るのは俺だよ、セルエ」

「……え、うっそぉ」

 露骨に信用しないセルエ先生だった。

 教師が教え子にこの対応。いったいどうなってるんですかね。

「なんで……? なんか企んでるの?」

「失礼極まりないな。単に自分の実力を確かめて、より向上しようという意欲の表れだろ」

「それは絶対に嘘でしょ」

「そうだね嘘だね」

「で、何を企んでるの?」

「企んでるのは俺じゃない。レヴィだ」

「……なるほど。雇われたわけだ」

 あっさり看破するセルエ。まあ、わからいでか、という話か。

 この学院で、俺を顎先で使おうとする奴はレヴィくらいのものなのだから。

 別に性格や何やらの問題ではなく、単にほかの学生たちは、俺など眼中にないだろうから。


 ……いや、それも最近はわからないか。

 レヴィやエイラくらいしか友人がいなかった頃は、俺もそう目立つことはなかった。レヴィは自分が人目を惹くという事実を充分に弁えていたし、だからこそ俺を巻き込まないだけの配慮をしてくれる程度には心得ていた。エイラはそんな気遣いをするタイプじゃないが、あいつはそもそも自分の研究室からほとんど出て来ない。

 だがウェリウスやピトスは、そういった配慮をするタイプじゃない。ピトスは自分が目立つ生徒であることをあまり自覚していないし、だから俺を見つければすぐ声をかけてくる。ウェリウスに至っては、もうわかってやってるんじゃないかというくらい俺に絡んでくるようになった。

 いわんや、止めはメロである。

 奴が悪目立ちしすぎているせいで、俺まで結果的に目立ってしまった。


 この歳にもなって、海外のファンタジー小説の悪徳貴族の御曹司みたいな、妙な絡み方をしてくる奴もそうそういないけれど。

 一応、ここはあくまで学校であり、そして同時に就職活動の場でもあるわけだから。

 目前に魔競祭を控えた今、面倒な事件が起きないとも言い切れなかった。

 要はまあ、気に入らない奴をブッ飛ばす大義名分ができた、という感じか。俺としても、ある程度は覚悟しておく必要があるだろう。

 ……ふむ。なんならむしろ、予選前に仕込みをしておいてもいいかもしれない。


「……アスター。なんか、怖い顔してるけどー?」

 と、セルエが茶化すようにそう言ってきた。

 彼女に突っ込まれるほど、ということは、相当悪い顔をしてしまっていたらしい。

「ごめん。ちょっと考えごとがね」

「ま、だいたいわかるけどさ。お祭りなんだから、まずは楽しみなよ?」

「……先生らしいこと言うじゃん、セルエ」

「茶化さないの」

 唇を尖らせるセルエに苦笑。ここに入学する以前からの知り合いだから、あまり教師と学生、という感覚もない。

 とはいえ、彼女の言う通りせっかくの魔競祭おまつりだ。

 出店なんかもいっぱい出るし、公然と賭けなんかも行われたりする。最近はあまりいいこともなかったし、ここらで厄落としがてら楽しんでおくのも悪くないだろう。


「ま、そういうわけだから出場申請頼むわ」

 俺が告げると、セルエも教師として対応を始める。

「一応言っておくけど、怪我が回復しないようだったら当日出せないよ?」

「ああ、その辺はたぶん大丈夫だと思う」

「わたしとしては、むしろ怪我くらいしててもらったほうが安心なんだけどねー」

「はっはっは」どういう意味だ。

 ジト目で睨んでやると、セルエはこれ見よがしに視線を逸らして口笛を吹いた。

 また古典的な誤魔化し方をするものだ。もう突っ込む気にもならない。

 呆れた目で見てやったら、彼女は強引に話題を変えた。

「――で、どんな手使って勝ち進むつもり?」

「どんな手って……」

「予選はともかく、本戦は今のアスタじゃ厳しいんじゃない?」

「……やっぱそう思う?」

「ううん」

 と、なぜかセルエは首を横に振った。

 言ったことが翻っている。

 疑問に目を細めると、セルエは少し真面目な表情になっていた。


「――アスタが本当に勝つ気になれば、話は別だと思うけれど」

「…………」

「そんなつもりはないんでしょ?」

「それは、意外と買ってくれてることを喜んでおくべきなのかな?」

「本気になれば、だからね」セルエは首を振る。「アスタ、最後に全力で戦ったのいつ?」

「…………」

「確かにアスタは強かった――けど、戦わなければ腕は錆びるし、いつまでも最強そうではいられない」


 ――七星旅団セブンスターズは解散した。

 今の俺は、かつて最強と呼ばれたうちのひとりではなく、単なる一学生に過ぎない。

 まして呪詛に侵され、魔力を制限された身とあっては。


「……また、いきなり真剣シリアスな話だね」

「この前みたいな事件があれば、わたしだって考えるよ。これから先、また連中に何かされるかもしれない……というより、何もないと考えるほうがおかしいでしょう?」

「ああ――まあ、そうだな」

「たまにはさ。何も考えずに、暴れてみてもいいんじゃないの、って話」

 ――魔競祭はいい機会じゃないかな。

 と、セルエはそんな風に言う。


「……生憎と、それはできない契約なんだよ」


 だから俺もまた――そんな風に答えていた。

 応えることなく、答えていた。


 このときの俺にはまだ、それが精いっぱいだったから。

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