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セブンスターズの印刻使い  作者: 白河黒船/涼暮皐
第三章 魔競祭事件
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3-02『挿話/迷子の少女と行き倒れの男』

 その荘厳な街並みに、フェオ=リッターはしばし圧倒されていた。


 オーステリア。

 迷宮都市、円状都市、そして学院都市――数々の二つ名を持つこの街は、国内でも有数の規模と活力とを誇っている。

 恰幅のいい商人らしき男、高価な衣服を身に纏った貴族の令嬢らしき女性、強面な外見の冒険者に、そして街に住んでいる元気な子どもたち。

 フェオの目には、その全てが新鮮なものとして映っていた。


 実のところ、フェオがオーステリアの街に足を踏み入れるのは、これが初めてのことだった。


 この地から遥か南に位置する、片田舎の農村を出身とするフェオは、姉であるシルヴィア=リッターが銀色鼠シルバーラットを設立し、その一員として合流してからもオーステリアに立ち入ることがなかった。

 何度か遠目に、高い城壁を外から眺めたことはある。だがその程度だ。

 もっぱら剣の訓練に明け暮れていたフェオは、目標である姉の背中を追うことでいっぱいだったのだ。それ以外の余分にかかずらっている暇がなかった。

 だから、


「ふわぁ……すごいなあ……!」


 生まれて初めて目にする大きな街並みに、フェオは目を丸くして感嘆の吐息を零す。

 きょろきょろと辺りを見回しては、高そうな品物が並ぶ商店や、活気溢れる市場の様子に視線を奪われるフェオ。その様子は完全に片田舎から出てきたおのぼりさんのそれで、事実その通りではあったのだが、次々とめくるめく目抜き通りの喧騒に当てられて自覚がない。

 ときおり愛らしいものを見る瞳で、人々から微笑ましい視線を向けられていた。


 都会の騒がしさをある程度まで堪能したところで、フェオははっと我に返る。

 ――いけない。今日の自分は、何も観光に来たわけではないのだから。

 あくまで役目があって、それも正式な銀色鼠シルバーラットの使者として、フェオはオーステリアを訪れている。

 まあ、それが終わったらちょっとくらい観光してもいいと思うけれど。

 今日のために、お小遣いもいっぱい下ろしてきたのだし。

 そんな言い訳を胸中で作りながら、フェオはオーステリアの大通りを歩いている。


 目的は、アスタ=セイエルに会うことだった。

 タラス迷宮において、銀色鼠シルバーラットは彼に多大なる迷惑をかけ、そして返しきれないほどの恩を受けた。その点はフェオとシルヴィアの共通認識である。

 当然、そのままにしておいていいはずがない。

 とはいえ現状、銀色鼠シルバーラットは実質的な活動休止状態だ。幹部級の冒険者がごっそりと抜け、今はシルヴィアに憧れてクランへの加入を決めた若い魔術師ばかりが残っている。

 クランの長として、シルヴィアには若いメンバーに対して負うべき責任がある。この大変な時期に、一時期とはいえクランを空けるわけには行かなかった。


 そこで白羽の矢が立ったのがフェオだ。

 というか元々、ほかに選択肢もなかったのだが。

 迷宮における事件の中心人物のひとりであり、かつアスタたちとも交流がある人間となれば、初めからフェオ以外にはいない。対外的な体面かたちとしても、団長の妹であるフェオならば銀色鼠シルバーラットの使者として申し分ない。

 というわけで、フェオは謝罪の大使としてオーステリアを訪れることになった。


 当然、あの事件に関わった全員に改めて感謝を告げる必要はある。

 その手始めとして、まずは彼らのうちのリーダーであるらしいアスタに接触コンタクトを図るべきだとシルヴィアから言われていた。

 この点はフェオも同感だ。アスタがいちばん、なんか偉そうだったし、と思う。

 それを聞けば、アスタはきっと「なぜそうなる」と不満も露に文句を言うことだろうが。そんなアスタの反応など想像さえせず、フェオはとりあえずアスタを捜すことにした。


 そして一歩目で躓いた。


「……あれ?」

 考えてみれば、アスタがどこにいるのかまるでわからない。

 なんとなくオーステリアを訪れればアスタに会えるような気がしていたが、この街は想像以上に栄えた都市だ。とんでもなく人が多い。

 この中から目的のひとりを捜し出すなんて、闇雲に歩くだけでは不可能だろう。

 ――待て待て、落ち着きなさいフェオ。冷静になるのよ。

 フェオは心中で自分に告げる。そのやり方は実はアスタと酷似していたのだが、もちろん本人には知る由もない。そんなことは露知らずフェオは考える。

 アスタは学院生のはずだ。

 ならオーステリア学院まで行けば、たぶん捜すこともできるだろう。


 そう考え直して、フェオは意気揚々と学院目指して歩き始めた。



     ※



 ――そして、迷子になった。



     ※



「なんで、こんなに、広い、わけ……?」

 小一時間ほどうろつき回ってから、ついにフェオは口へ出してそう言った。

 なんだか負けた気がするが、初めから負けていたような気もする。

 何に? と問われれば、たぶん都会の雑多さに。

 その人並みと、忙しない喧騒にフェオは敗北したのだ。


 学院の場所がわからなかった。

 というか、もう自分がどこにいるかもわからない。


 本来、オーステリアはかなり迷いにくい土地だ。

 広大で人の多い都会ではあるが、完全な円を描く街並みは、四方にきっちりと区分けされている。ほぼ全ての道が東西と南北にまっすぐであるため、その性質さえ知っていれば、子どもでもそうそう迷うことはない。

 事実、街には子どもの姿も決して少なくなかった。さすがに冒険者の多い地区にはそうそう立ち入らないだろうが、治安自体はかなりいい。

 少しくらい迷ったところで、大通りさえ探せばすぐ元の場所に戻れる街なのだ。


 問題は、フェオがそれを知らず、かつ気づくこともなかった点だろう。


 見慣れない街並みは、どこを歩いても同じ場所のように感じられた。

 あの酒場、さっきも見たような気がする。それとも似ているだけで別の建物なのだろうか。

 もう、わけがわからない。


「まさか、こんなところで躓くなんて……侮りがたいわ、オーステリア」


 なんとなくそんなことを呟いてみたが、聞く者がいるわけでもなし。単に空しさが増しただけだ。

 聞かれていても恥ずかしいだけだったが。

 こうなったら、誰かに道を訊ねたほうが手っ取り早いだろうか。なんとなく気恥ずかしくて、今まで避けていたのだけれど。背に腹は代えられない。

 だが、なぜだろう。先ほどから、周囲に人が少なくなっているような気がしていた。

 なんだか裏通りに入ってしまったみたいだ。

 なにせオーステリアだから、裏通りといってもたかが知れている。急激に治安が悪くなるようなこともないし、少し歩けばすぐ大きな通りへ出れるだろう。


 だが、そんな冷静な思考を、今のフェオは保てていなかった。

 ――やばい迷子だこれ。

 フェオの背筋を冷や汗が流れる。なんかもう、自分がどっちから来たのかさえわからない。

 途方に暮れて、フェオはがむしゃらに道を進んだ。本来、迷子になったらその場を動かないほうがいいのだが、それはあくまで捜してくれる相手がいてのことだ。

 今のフェオに助けは望めない。

 適当に歩けば大通りのほうへ出るだろうと歩き回るフェオは、そのままどんどんと、むしろ外れのほうへ進んでいった。

 狭い路地に入ってしまい、建物のせいでオーステリアの外壁が見えなくなったことが災いしていた。外壁との位置関係さえわかっていれば、端のほうへ向かうことだけは避けられただろう。


 やがて、なんだか当たり前のように、フェオは外壁まで辿り着いてしまった。

 目の前に高く聳えるオーステリアの外壁を見て、思わずフェオは口に出す。


「……これを伝っていけば、少なくとも入口までは戻れるかな!」


 できるだろうが、どれだけ遠回りするつもりなのかという話だ。

 言ってて自分で悲しくなる。

 でもほかに方策もないし、もう本気でその手を使ってやろうかと考えたフェオだったが――、


「――、んん?」


 ふと前方に、何か、モノが落ちていることに気がついた。

 ……いや、よく見ればそれはモノじゃない。

 薄汚れた青いローブに、これまた深海ようにな濃い蒼の髪。

 おそらく男性だろう。背の高い男だった。


 ――つまり人間が倒れていた。


「ええっ!?」


 よもや死体では、とフェオは慌ててその人影に走り寄る。

 そして近寄ってみれば、幸いなことに、倒れている男には息があるようだ。

 仰向けで地に倒れてはいるが、胸は上下している。というか意識もあるようで、ときおり「ああ」とか「うう」とか、何か呻き声のようなものを漏らしていた。


「だ、大丈夫ですか……?」


 おそるおそる、フェオは男に声をかける。

 返答は、しかし声ではなかった。


 ――ぎゅるぎゅるぎゅる。


 という、轟くように大きな音が耳朶を揺さぶった。

 男の腹の虫だった。

 まさかお腹から返事を貰うとは思わず、盛大に狼狽えるフェオだったが、それでもなんとか声を絞り出す。


「お、お腹が空いているんですか……」

「――――」

 もそり、と男がわずかに揺れる。どうやら頷いたようだ。

 ――どうしよう。この人、行き倒れだ。

 ぶっちゃけ怪しいし、何なら今すぐ逃げたいくらいのフェオだったが、根っからの善人気質が彼女にそんな行動を取らせない。

 どころか親切にも、フェオは男にこう提案した。


「あの、よければこれ、食べます?」


 フェオは持っていた携帯食を男に見せる。

 ここまでの道のりのために、持ち運んでいた糧食の余りだった。


「――!」


 と、いきなり男が跳ね起きた。『食べます?』のひと言に反応したらしい。

 ――すさまじいまでに現金な男だった。


「ひゃっ……!?」


 驚くフェオもそっちのけ。

 男はほとんど奪い取るようにフェオから食事を受け取ると、即座に口へと投げ入れ始めた。

 よく見れば、かなり整った顔をしている男だ。深い蒼の短髪に、琥珀色の瞳――きちんと着飾れば、それは大層、女性から人気が出るだろう美形である。

 無論、第一印象がアレなフェオは、微塵もなびかなかったけれど。

 まるで飢えた獣のように、がつがつと食事を貪る男。厚かましくもフェオから水筒まで借りて喉を潤し、それからようやくひと心地ついたように言った。


「――ありがとう。助かった」


 なんかいい声でそんなことを言ったが、今までの挙動を見ていては感動もない。

 フェオは完全に呆れながらも、小さく頷いて答える。


「いえ、そんな……別に」

「君は命の恩人だ」

「そんな大袈裟な……」

「なにせ、もう一週間も食事をしていなかったから」

「駄目じゃないですか!」


 思わず突っ込むフェオだった。

 本当に死にかけだ。

 というか、だとするなら逆に復活が早すぎる。


「あの、よければもう少し食事代くらい出しますけど……」

 思わず提案するフェオ。

 男は苦笑し、どこか優しい声音で言った。

「そこまで世話にはならない。伝手はあるんだ。まあその前に行き倒れてしまったが」

「はあ……」

「それより、こうして助けてもらったんだ。何かお礼をしたいんだが、望みはないか?」

「い、いきなりそんなことを言われましても……」

「俺はシグウェル=エレクという」


 唐突に名乗られてしまう。異様にマイペースな男だった。

 なんというか、完全に自分の中の理屈だけで生きている感がある。姉にも似た部分があるとフェオは思ったが、いくらなんでもここまでじゃない。

 ……それにしても、どこか聞き覚えのある名前だった。

 頭の片隅に引っかかるものを感じるのだが、引っかかっているだけで出てこない。顔は知らないのだが、いったいどこで名前を聞いたのだったが。思い出せない。

 記憶を浚うのは早々に諦めて、フェオは静かに名乗り返した。


「……フェオ=リッターです」

「フェオか。なるほど、いい名前だな。将来はきっと金持ちになるだろう」

「…………」

「俺の知り合いに喫煙者がいるが、奴もきっと同じことを言う」


 やはり、わけがわからない。

 というか正直、これ以上関わり合いになりたくなかった。

 だからフェオは、咄嗟に思いついた望みを口にする。


「……あの。ひとつ、お願いしてもいいですか?」

「ああ。俺にできることなら」


 それじゃあ、とフェオはその頼みをシグウェルに告げる。


「――すみませんが、オーステリア学院までの道を教えてください」



     ※



 結果として、二重遭難は避けることができた。

 男は、意外にもと言っては失礼だろうが、オーステリアの地理に明るいらしい。地元の人間でなければ知らないだろう裏道をさくさく抜けると、あっという間にオーステリア学院までフェオを案内してくれた。

 知らないなら知らないで別れようと考えていたフェオだったが、これは嬉しい誤算である。


「ありがとうございます、助かりました」


 頭を下げるフェオ。こんな形で目的を達するとは予想外だったが、まあ結果オーライだ。

 男は一度だけ頷いたが、それから今度は首を横に振る。


「もちろん、この程度で恩を返したとは思わない」

「いえ。あの……わたしは別に」

「命の恩とは重いものだ。それを返さないのは不義理だと思わないか?」


 どこかで面倒だとは思うものの、その台詞を言われてしまうと弱い。

 だってフェオは、まさにその《命の恩》を返すために、このオーステリアを訪れたのだから。

 男は淡々と言葉を続ける。

 いい声なのだが、どうにも抑揚の弱い独特の喋り方だった。一度会ったら、しばらく忘れられそうにない衝撃インパクトがある。


「この街にはどれくらい滞在する予定なんだ? 道を訊く、ということはこの街の人間じゃないんだろう」

「えっと……わかりませんけど、たぶんしばらくはいることになるかと」

「そうか。俺の名前は覚えているな?」

「あ、はい。シグウェルさん、ですよね」

「俺はしばらくこの街で冒険者として滞在する予定だ」


 会話のテンポが、やけに早い男だった。

 質問はしても返事には反応せず、そのまま次の話題に飛ぶ。

 ついて行くのが大変だ。

 魔術師――特に冒険者には、我が道を往くというか、そういったマイペースな人間は多いものだが、中でもこれは別格だろう。


「何かあったら、俺の名前を管理局にでも告げてくれ。力になれることもあるだろう」

「か、管理局にですか……?」

「――ではな」


 結局、ほとんど一方的に告げるだけ告げると、男はそのまま踵を返して去っていった。

 その途中、また大きな腹の虫の泣き声が聞こえたため、正直まったく締まらなかったのだが。どれだけ空腹なのだろうか。

 しかし妙な男だった、とフェオは思う。

 また会うことがあれば、そのときまで絶対に覚えているくらいの個性があった。

 ――それにしても。

 去っていく彼の背を眺めながら、フェオは意外な思いで呟いた。


「冒険者……同業の人だったんだ」


 正直、そんな感じはまったくしなかったのだが。

 冒険者が街中で行き倒れるなんて、そんな話は聞いたこともない。


「――……んん?」


 と、そこでひとつ、何か閃きのようなものがフェオを貫く。

 シグウェル=エレクという名前。

 冒険者という職業。

 そして、管理局に伝えろという伝言。

 その三つが、フェオの脳内で電撃的に結びついていった。

 そしてひとたび気づいてしまえば、なぜ今までわからなかったのかと自分を罵倒したくなる。

 想像イメージ現実ほんにんが余りにもかけ離れていたためだろうか。


「……嘘。い、今のが《魔弾の海》……?」


 ――《魔弾の海》。

 その二つ名は、冒険者にとって《天災》に比肩するほど有名なものである。

 いや、知名度ではさすがに《天災》には劣るだろう。なぜなら《魔弾の海》は、厳密な意味での冒険者ではないからだ。あちこちで名声を、というか悪名を轟かせる《天災メロ》のほうが、単純な知名度では勝っている。

 一方の《魔弾の海》は、各地であまり目立った行動を取ることが少なかった。


 だがそれは、《魔弾の海》が《天災》に劣っていることを意味しない。


 メロ――《天災》は、単独ソロで活動する冒険者の中で最強の一角だと噂される魔術師だ。

 もちろん最強なんて概念は相性によって一概には語れないため諸説あるが、少なくとも話題の俎上には必ず乗せられる有名な魔術師だろう。

 だが、なぜ単独ソロの冒険者に限っているのか。

 なぜ全ての魔術師の中から最強を決めないのか。

 そこには当然、理由があった。

 なぜなら、なんらかの組織や団体に所属している冒険者までをも加えたとき、最強の座は満場一致で、全ての冒険者が同じ人間を指名するだろうからだ。


 ――それが《魔弾の海》。

 管理局所属の、いわゆる《公式冒険者》の一角。王国中の冒険者から、尊敬と畏怖の眼差しを一身に受ける男。


 シグウェル=エレク。


 王国から《最強》を名乗ることが許された、世界で唯一の魔術師おとこである。

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