2-21『呪術』
「――んで、いったい何があったわけ?」
座り込んだ俺に目線を合わせるようにして、首を傾げたメロが問う。
俺は荒れた息を整えつつ、身体の苦痛に慣れながら答えた。
「こっちの台詞だけどな……どうしてここがわかった?」
「そりゃまあ、いっしょに一晩を明かした仲だし?」
「…………」一瞬、何言ってんだこいつ、と閉口した俺だったが。
「愛の目印づけ、みたいな?」
微妙に視線を俺から逸らす、メロの態度で真相を悟る。
――この女、俺が寝ている隙に魔力で目印をつけていやがった。
同じ魔力でも、持ち主によって微妙にその性質、特質は異なっている。だからこそ個々人に才能や適性の差が現れるわけだが、この女はそれを応用して、いわば発信機に仕立て上げたのだ。
どこへ行っても、俺はGPSよろしく自身の居場所をメロへと発信しているに等しい。
そんなもの、呪いとほとんど大差なかった。
「ってお前ふざけんなよ、何してくれちゃってんの!?」
「えー。だって前も言ったけど、あたしまだアスタが勝手にいなくなったコト許してないし」
「……メロ、お前、まだそれ根に持ってたのか」
「んー……ていうか、言っても聞かないなら、初めからいなくなってもわかるようにしておけばいいかな、って。いわば発想の転換?」
「何が発想の転換だ。そういうの、世間ではストーカーって言うんだよ」
「え、追跡者? 何それカッコいい」
「駄目だ通じてない」
そりゃそうだ、という話であった。
まあ、仮にも《印刻使い》を名乗る俺が、ほかの術師から印を刻まれていては世話がない。授業料だと思って、素直に受け取っておくとしよう。
……いや、あとで外すけど。
ともあれ、ここで戦力を確保できたのは嬉しい誤算だった。
正直、俺はもうあと一戦こなせるかどうか、という程度の力しか残っていない。魔物相手ならともかく、正面切った対人戦はそもそもあまり得意ではなかった。
かつて迷宮で受けた呪いは、次第にその強さを増しながら、確実に俺を蝕んでいる。
何より、あの男が想像以上に強すぎた。
――アルベル=ボルドゥック。
冒険者として名前が売れていれば、俺が知らないということはないと思う。だが完全に初耳の名だった。
偽名か、いや、おそらくは本名だろう。
だからこそ、無名の魔術師があそこまでの実力を保持しているなど完全に想定外だ。明らかに上位層――首に懸賞金をかけられて、おかしくない魔術師である。
「メロ、《七曜教団》って聞いたことあるか?」
「んにゃ、ないと思うけど」
「……そうか」
いわゆる裏社会の人間であることは間違いない。
その目的が、シルヴィアとピトスの殺害というのは正直、意味がわからない。本来なら接点のないふたりだし、怨恨という線は薄いはずだが……。
あるいは、なんらかの宗教的な理由なのだろうか。神に奉じる生贄だとでも言うつもりだろうか。
だとするのなら――意味など存在していないに等しい。
「いや、そうとも限らないのか……」
「うん?」
首を傾げるメロに、俺は首を振って話を変える。
「いや。それよりメロ、さっきのアレ、まだ使えんのか?」
「ん? ああ、擬似転移術式ね。使えるよー」
メロは使った術式をすぐに忘れる。そして使えなくなってしまう。
ひとたび興味の薄れたことには、途端に脳の容量を割けなくなってしまうからだ。
とはいえ忘れてあとで必要になった場合、似たような効果の術式を再び編み出しやがるので、本人が困ることは滅多にないらしいが。
世の魔術研究者に、存在そのものが喧嘩を売っているような女である。
――メロは世界にとって、いわば一種の特異点なのだ。
「ならそれで下に行こう」
「わかった。――ほいさっ」
頷くと、メロが掌をすっと下に向けた。
瞬間、その掌から光が放たれ、迷宮の床に円を描く。
「この魔術、なんかいい名前つけられないかな。思いつく、アスタ?」
「いや知らねえよ」
「んー。ま、完全な転移じゃないしね、これ。転移術式の才能ってのは、魔術よりもむしろ異能に近いっぽい感じがする」
メロが言った。俺は少し驚きながら、
「……じゃあ、お前でも完全には扱えないのか」
「うん。治癒魔術とかと一緒で、初めからそういう風に生まれた人間じゃないと、完全には扱えないんだと思う」
メロは、その才能だけでたいていの魔術を再現できる。
だが正確には《結果》を再現しているのであって、彼女は《過程》を――つまり魔術そのものを再現しているわけではなかった。というより、できない。
たとえばこの、メロ考案の擬似転移術式にしたって、厳密に言えば《転移魔術》ではなく、《転移魔術と結果的に同じことが可能な何か別の魔術》ということになる。
彼女の扱う魔術が全て、彼女の固有魔術だというのはそれが理由だ。
メロはあくまで、自分にできる方法で同じ結果を出しているに過ぎない。その意味では、彼女は常にひとつの魔術しか使っていないと言えるのかもしれなかった。
だが、だからこそ治癒魔術のような、生まれ持った適性が絶対に必要な魔術などは、いくらメロでも再現できない。こればかりは術式云々の問題ではないからだ。
転移もまた、それと同じ類いの魔術であるらしい。
「いわばトンネルを作ってるだけだから、厳密には自分で移動してる……瞬間移動ってわけじゃないんだよね、これ。壁をすり抜けるくらいならともかく、別の場所に一瞬で跳躍、びゅんっ! みたいなことは、あたしにはできないっぽい」
「充分すぎるけどな。迷宮の理屈が完全にぶっ壊れてる」
誰も彼もがこの魔術を使えれば、もはや迷宮は迷宮たり得なくなる。
考えてみれば、普通に国から禁術指定を受けかねない術式だ。
「お前、間違ってもこの魔術の存在を外に漏らすなよ? 管理局に目ぇつけられても知らねえからな」
「だいじょぶだよ。……もうつけられてるから」
「ああ、確かに」
いや、それを大丈夫とは言わないが。
「それに、どうせすぐ忘れちゃうからね――ほら行った!」
メロに背中を押され、「うわっ!?」俺はバランスを崩して光の円の中に落ちる。
――ぎゅわあっ。
とか、擬音で表すならそんな感じの、なんとも表現に困る微妙な感覚を俺は得た。
周囲の光景が白くなり、落下する肉体の速度が重力を無視して遅くなる。奇妙な浮遊感とともにゆったりと地面へ進み――、
「うげ」
そして肩から床に墜落した。……だから痛えってのに。
立ち上がって脇に避ける。と、すぐあとを追うように、メロが軽やかに飛び降りてきた。
外から見ているのと、中での感覚はかなりずれているらしい。
術式が概念そのものに干渉しているのだ。概念魔術を即興で編み出されては、ほかの魔術師は商売上がったりだろう。
上手くすれば、すごく稼げそうな魔術だと思うけれど。メロのことだ、早ければ数日中に、術式を忘れてしまうだろう。
「つーか、落とすなよ」
一応、メロに苦言を呈してみたのだが、
「早く降りないからじゃん」
悪びれもせず、そう返された。
ま、そうだろうなとは思っていたけれど。
その後、俺たちは床のすり抜けとその階層の探索を交互に行いながら進んだ。
俺がルーンで階層全体にヒトがいるかどうかを探り、誰もいないことがわかったらメロの魔術で下に降りる――その繰り返しだ。
七星旅団で活動していた頃も、索敵はもっぱら俺か、あとは《教授》の担当だった。
その名残で、今も索敵というか、探査系の魔術は得意だった。印刻自体とも相性がいい。
そもそも結界のお陰で、魔物と出遭わないのが功を奏したと言えるだろう。行為自体は、ものすごく単純なものだった。
やがて数層を進んだところで、魔術に人間の反応があった。
「誰かいる。数はひとりだな、この先のほうで座ってる」
「んじゃ、行ってみよっか」
メロの言葉に首肯を返し、俺たちはその層を先へと進んだ。
――この時点で、すでに嫌な予感はしていたのだ。
※
そして、予感は的中してしまった。
ヒトの気配を追ってその場へ向かった俺たちは、通路の先に最悪の結果を見つけてしまう。
――屍の山だった。
血と肉と体液を撒き散らした、文字通りの死屍累々。その損壊は著しく、遺体というより、もはや死が塊となって落ちているとでも表現したほうが近いくらいだ。
数は五。中には原型を留めていないモノもあるが、死体の人数は五人の男女だ。
死体に近づき、その驚愕と絶望に塗り固められた顔を確認する。
「……ぃ、……っ」
ひとりだけ、生きている者がこの場にいた。生者のみを捜す術式に、だから引っかかっていた。
片腕が引き千切れ、脇腹からは内臓の零れた男が、それでも虫の息で生きている。
――もう、すぐに死ぬだろう。
俺たちでは、彼を救ってやることなどできない。治癒魔術など使えないし、仮に使えても――この傷では助かるまい。
だから、俺は無情に問いだけを投げた。
「答えられるか? 何があった?」
「――、ぅ――あ」
「しっかりしろ。死ぬ前に答えろ、誰にやられた!」
「――――」
返事はない。
男は、すでに事切れていた。
「……駄目か」
死の淵にいる人間に追い討ちをかけて、それでも得られた成果はゼロだ。
――本当に救えない。
心底からそう思う。
幸い、と言っていいのかはわからないが、知っている顔はなかった。
シルヴィアとピトスの死体は、少なくともこの中にはない。もちろんシャルとフェオも。
だから生きている、と楽観視するつもりはないが、可能性が残ったことは素直に喜んでいいと思う。
数から考えるに、おそらくは攻略パーティのメンバーだった連中だろう。打ち捨てられた揃いの銀剣は、俺たちがこのタラスまで運んできたものだった。
静かに黙祷だけを捧げ、俺は立ち上がってメロを振り返る。
「――どう思う?」
「武器でできた傷じゃないね。まるで肉体が内側から弾け飛んだみたいな……たぶん、呪術だ」
「呪術、か……嫌な言葉を聞かされたぜ」
だが同感だった。こういった術式には、俺も身をもって覚えがある。
身体のパーツが千切れ、抉られ、弾け飛ぶほどの力で惨殺された銀色鼠のパーティメンバー。
果たしてこれを、俺はどう理解するべきなのだろうか。
こいつらを殺した、その下手人は魔物じゃない。魔術を用いて殺されているのも理由のひとつだが、それだけではなく。
なぜなら――魔物は人間の死体を喰うからだ。
喰われた人間は魔力に還元され、迷宮の肥やしのひとつとなる。
死人の多い迷宮に、死体が残らない理由だった。
「先に行ったシャルたちは、この道を通らなかったのか――」
「――あるいは、通ったあとで殺されたか、だね」
メロの言葉に頷いて考える。
犯人は確実に人間だ。ひとりは息があったことを思えば、攻撃を受けてからそう時間は経っていないのだろう。
ピトスたちがいないのは、別行動だったからと考えるのが妥当か。彼女の治癒魔術の実力は知らないが、あるいは延命させることもできたのかもしれない。
――いや、違うか。ほとんど即死だろう、この傷は。
いくら治癒魔術師でも、死者を蘇らせることだけは不可能だ。最後の男だけは、もしかしたら救えたのかもしれないが。
「どう見る……?」
全ての答えを導き出せそうなピースは、すでに揃っている気がする。
だがどうしてもわからない。頭がロクに回っていない。俺は魔術師だが、残念なことに《賢さ》の数値には自信がなかった。
安楽椅子探偵を気取るには、ちょっと頭が足りなすぎよう。
……まったく。
五つの死体を前にしてなお、無感動な推察を繰り広げてしまうわけだけれど。
それは才能ではなくて、単なる慣れと諦めだ。
「――――――――」
俺は口を閉ざした。今は、脳を回す時間だからだ。
隣ではメロが、これまた無言で俺を見ている。
気心を知り合いすぎているから、こういうとき何を言わずとも通じ合ってしまう。
それを喜んでいいのか悲しんでいいのか、わからないので忘れてから、俺は頭を回転させる。
それから、小さく口を開いた。
「……奴らの目的は、シルヴィアとピトスを殺すことだと言っていた」
呟きのような俺の言葉に、メロが小さく返事を返す。
無言を求めれば黙り、返答を求めれば口を開く――勝手な俺に、なんだかんだで付き合ってくれる奴だ。
「それだけが目的だとするなら、ずいぶん遠回しだよね。わざわざ迷宮の奥でやる必要がない」
「……そう、それだ。そこがわからない」
迷宮そのものをひとつの拠点に変える――普通なら到底不可能な技術だ。こうして現実に行われている以上《絶対》ではないが、だとしても払う労力が大きすぎる。
ただ殺したいだけならば、迷宮の外で襲いかかればいいだけの話だろう。
わざわざ面倒な手間を費やしてまで、迷宮の内部で殺すことにこだわった理由はとはなんだ?
――その場所が、《迷宮である》という事実が不可欠だったからか。
なぜ迷宮だ。そもそも迷宮とはなんだ。
古代の魔術師の工房。それはそうだろう――だが、全てがそうだとは限らない。
オーステリアを思い出せ。
今さらこの事件が、先日の一件と無関係だとは思うな。
あの場所にも、この場所にも、両方にあの教団を名乗る男がいたことは酷く暗示的だ。俺たちが遭遇したこと自体は偶然――アルベルの言葉を借りるなら《運命》――だとしても、奴らがここにいたこと自体は別の話だ。
本来ならオーステリアにはいなかった魔物。合成獣。誰かが創り上げたものだ。迷宮の魔物を全て掛け合わせて。アレは、そういう呪術だった。
だが、それだけなら本来、合成獣は不死鳥や鬼種の形を取らなかったはずだ。掛け合わせた元の魔物を、混ぜたような異形が生まれなければおかしい。
なぜあの形になった? そう、形代があったからだ。
幻獣。神獣。――神。
七曜教団。つまり宗教徒。
俺は、ある事実に思い至り、それをそのまま言葉に変えた。
「なあ――シルヴィアって、処女かな?」
メロに一瞬で距離を取られた。ドン引きの表情だった。
「ごめん待って違うんだって誤解だ誤解」
「……溜まってるのね」
「待ってやめて話聞いて。違うから、慈愛顔でこっち見るなオイ聞け聞いて!」
「か、帰ったらあたしが慰めてあげるのも吝かじゃないよ? でもさすがに今この場で、ってのはちょっと――」
「お願い! 待ってストップ、本当に違うから!! 覚悟した目でこっちを見るな怖えよ!?」
「ほら、さすがのあたしも心の準備的なものがね? いるから、うん。状況も考えてさ」
「違えっつってんだろ、っつーかわかって言ってやがるな」
なんの決意をしてるんだコイツは。状況を考えてほしいのはこちらのほうだ。
「要するに!」咳払いし、気を取り直して俺は言う。「シルヴィアは、生贄に選ばれたんじゃないかと思って」
「生贄……?」
「そう、神に捧げる生贄」いや、この場合は悪魔だろうか。
神獣が祀られる、いわば神殿としての迷宮が中には存在していることを俺は知っていた。
それはメロも知っていることだ。
事実、俺たちが攻略した五大迷宮の一角――かの《ゲノムス宮》の最深部には、ある神獣が封印されていたことを俺は知っている。
そして、どの世界でも超越的存在の復活に必要なものなど相場は決まっていた。
「いわばシルヴィアは、奴らに《巫女》として選ばれた……のかもしれない」
この迷宮の奥で、神への生贄として死ぬために。
高い魔力を持つ女性――生贄にはぴったりの素材だろう。
「……突飛すぎない? 根拠も薄いし」
メロの言葉に、俺も頷くほかになかった。
「まあ、今の段階じゃ勘だな。確かに根拠はない」
魔力以外の何かを代償に要求する魔術を総称して、魔術師は呪詛魔術――呪術と呼ぶ。
俺にかかっている制限も、その一種だった。
中には人間の命そのものを犠牲にしてしか為しえない呪術もあると聞く。
あの合成獣を製作する魔術も、ほかの魔物を犠牲にしている以上は呪術の分類に入るわけだ。
「犠牲……犠牲か。誰が加担してる……? 本当にあいつらだけなのか?」
――確か、攻略パーティに転移の指環を渡したのはガストだったな。
彼もグル……いや、あるいはここで死んでいた五人でさえ、シルヴィアを殺すためだけの人員だった可能性すら俺は考えていた。
そこまで行くと、もはや《銀色鼠》というクランの成り立ち自体から疑わしくなってきてしまう。
「……いや、さすがに考えすぎか」
「でも、何かあるのは間違いないだろうね。それも、七星旅団と無関係じゃない何かが」
「この場合、ネックになるのはピトスの存在か……駄目だ、わからん」
俺は頭を掻いた。どうも、これ以上に考えても結論が出るという気がしない。
「……四人を捜す」
言って、俺はルーンを地面に描き出した。
その様子にメロが首を傾げる。
「って、どうする気? まさか、ここから迷宮の全体を探査するの?」
「まさか」
俺はかぶりを振った。全体をカバーする必要はない。
「――ここから下だけで充分だろ」
「…………」
言葉に、メロがきょとんと目を見開く。
珍しく彼女を驚かせる側に回れたことに、ちょっとだけ俺は気をよくする。
まったく安いことこの上ないが。
「……別の層まで探査範囲を広げるなんてこと、前はできなかったよね」
「まあ、俺だって伊達に学生やってるわけじゃないさ」
嘯くように笑ってから、俺は印刻を起動した。
探査にはしばらく時間がかかる。しばらく待たねばならない。
と、ふとそこでメロが何かを言いかけた。
「……ていうか、さ」
「ん?」
だが彼女はすぐにかぶりを振ると、
「やっぱり、いい」
「なんだよ、気になることがあるなら言ってくれ」
「……なら訊くけど」
彼女は――メロは。
七星旅団に、いちばん最後に加入した小さな少女は。
淡々と、しかし俺を詰るような口調で言う。
「――もしかして、あのときのコト含めて言ってるの?」
七星旅団の間でしか通じない言葉。
俺たちの間で《あのとき》といえば、かつて五大迷宮に潜ったときのことにほかならない。
だが、その問いに俺は何も答えなかった。
何も――答えられなかった。
「まあ……いいけどね」
というメロの言葉が嘘だということくらいなら、俺にだってわかるけれど。
それ以外のことは、今だって、何ひとつわからないままでいる。




