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セブンスターズの印刻使い  作者: 白河黒船/涼暮皐
第二章 陰謀の迷宮区
40/308

2-18『天敵』

「――ずいぶん簡単に、自分のことを喋るんだな」


 淡い光に照らされた迷宮の中で、俺は正直な感想を口にした。言われた言葉の内容には、あえて触れることをしない。

 枯れ草色の外套の男――アルベル=ボルドゥックは、静かな苦笑を零して答えた。


「別に、知られて困ることは言ってないしね」

「そうか? 名前に意味がない、なんて魔術師の台詞とは思えないが」

「君こそずいぶんと簡単に、僕の言うことを信じるじゃないか」


 誰も信じたとは言っていない。

 ただ、嘘だと思わなかったのも事実だ。

 もちろんアルベルを信じたわけではなく、単に嘘であっても問題ないと判断しただけだ。

 確かにこいつの言う通り、真実だろうと、詐称であろうと同じことだ。

 この会話に、意味なんてひとつもありはしない。


「《プシュコマキア》――確か、意味は《魂の闘い》だったか」

 俺の呟きに、アルベルは軽く目を見開いて笑う。

「博識だね。さすがは文字使い、その手の知識は幅広いわけだ」

「……お前こそ、俺のことをよく知っているみたいだな」

「もちろん敵のことは調べるさ。でも本当に感心しているんだよ? 短い間に(丶丶丶丶)よく勉強したものだ、って」

「…………」


 引っかかる物言いだった。会話の主導権を握られてしまっている。

 あまり望ましい展開だとは言えない。ここでこの男の時間稼ぎに付き合わされるのは、ピトスたちを追いかける上でかなりのマイナスだ。

 もう少し情報を引き出したいという欲求もあったが、早いところ会話を打ち切ってしまうほうがいいだろう。


「まあ、お前がどんなクランに所属していようと知ったことじゃない。道を空けろ、邪魔するなら押し通るぞ」

「ずいぶんと上から者を言うね、罪人」

 煽るでもなく、アルベルは平易な口調で言う。

 だが問答に付き合う時間はなく、だから俺は魔術を起動させようと腕を持ち上げた――その瞬間。

 それを留めるように、枯れ草の男は口を歪めた。

「――ふたつ、勘違いを正そう」

「何……?」

「ひとつ目に、僕たちは軍団クランじゃない――教団オーダーだ」

「……宗教者か、お前」

「そう。《七曜教団》だ。僕らも七なのさ」

 数字に反応するつもりはない。

 アルベルはつまらなそうに溜息をつき、続けた。

「教えに殉じて世界を救う。僕たちは、正義の味方だからね」

「それで俺は教えに背く罪人だと? 勝手な物言いだな」

「仕方ないさ。真の正義は、いつだって他者から理解されないものだから」

 狂信者はいつだって同じ言葉を発する。そんな妄言に取り合うつもりはなかった。

 アルベルもまたそのことを理解していたのだろう。残念そうに肩を揺らし、ただ続けた。


「そしてふたつ目の勘違い。――悪いけれど、君をこの先に通すつもりはない」


 いっそ芸がないとさえ言える宣言に、俺は小さく苦笑を零した。的外れな発言だと思ったからだ。

 なぜなら俺に、そんな勘違いをしていたつもりはない。

 この状況で奴が出てきた意味くらい、姿を見た瞬間からわかっていた。


「足止めのつもりか」

「ああ。――シルヴィア=リッター、及びピトス=ウォーターハウスにはこの場で死んでもらう必要がある。その邪魔をさせるわけにはいかないんだよ」

 アルベルはもはや、その目的を隠すことなく言葉にした。

 まるでもう決まったことを述べるように、アルベルの態度に気負いはない。

「――姉さんに、何をした」

 背後で、フェオが震えを押し殺したような声で呟く。

 怒りが彼女を覆っていた。当然だろう、アルベルは今、彼女の身内の死を宣言したのだから。

 だがアルベルは、フェオの怒気など意に介した様子もない。

「別に何も。彼女が死ぬのは運命だ、何かをする必要なんてない」

「ふざけるな!」

「生憎と本気だよ、理解はされないだろうけれどね。これは必要なことで、その邪魔をするほうが害悪なんだ」

「貴、様……っ!」

 あくまで冷静に宣うアルベルに、対するフェオが激昂する。

 咄嗟に俺は叫びを発した。

「待て、フェオ。挑発に乗るな」

「うるさい黙れ!」

「冷静になれ! 俺たちを足止めするということは、今ならまだ間に合うって意味だ。お前の姉はまだ生きてる!」

「……っ」

 シルヴィアを引き合いに出したからか、フェオはわずかながら冷静さを取り戻したようだ。

 挑発のつもりさえなかったのか、アルベルは顔色ひとつ変えない。俺は目の前の男から視線を外さないまま、フェオに向かって告げる。


「俺に任せて先に行け。シャルもだ」

 これもまたありがちな台詞か。思わず失笑が漏れそうになる。

「……いいの?」

 と、答えたのはこれまで黙っていたシャルだった。

 前を向いたままで頷き、アルベルにも聞こえるように言う。

「俺をお呼びらしいからな。フェオはシルヴィアさんを、シャルはピトスを頼む。俺もすぐに追いつく」

「……格好つけるね」

 真顔のままで言うシャルに、視線をずらして笑い返した。

「ま、これでも男だ。女子の前なら格好くらいつける」

「だからって、そう簡単に通してくれるとも思えないけど?」

 シャルは視線を、悠然と立つ目の前の男へと向けた。

 視線を受けたアルベルは、寂れた外套をはためかせて静かに答える。

「別に通っても構わないよ。僕が足止めをするのは、あくまでアスタ=セイエル、君ひとりだから」

「だ、そうだ。行け、ふたりとも。俺がこいつを止めておく」

「……わかった」

 しばしの逡巡のあと、シャルは頷いて前に進んだ。

 その後ろをフェオが追う。

「ごめん。……その、ありがとう」

 駆け出す前に、らしくない感謝をフェオが口にした。

 視線だけでそれに答えて、俺は掌をアルベルへ向ける。

 奴が何かをするのなら、その前に必ず止める。その意思を込めた動作だった。


「どうぞ。まあ、間に合わないとは思いますが」

 アルベルは、立ち止まったまま軽く言う。

 両脇を駆けていくシャルとフェオに、視線さえくれずに見逃した。本当に何もしなかった。

 やがて通路の奥にふたりの姿が消えていったことを確認して、俺は静かに口を開く。

「……なぜ見逃した?」

「僕は君を舐めていない。アスタ=セイエル――いや、アスタ=プレイアス。七星の六番目」

 あっさりと。アルベルは、俺の隠している秘密を当然のように口にした。

 もちろん、知られているのだろうとは思っていた。だから俺も動じない。

「僕が何かをしようとすれば、君に対して隙を作ることになる。それはできない」

 ――それに。

 とアルベルは続ける。

「どうせ、あのふたりには何もできない」

「そうかな? お前は俺を舐めてないのかもしれないが、でもあのふたりを舐めている」

「彼女たちが弱いとは思わないよ。ただ、強いだけで解決できることのほうが、世界には少ないものだからね」

「……不服ながら、その意見には同感だな。だが――」

 それでも、やはりアルベルは見落としている。

 所属を明かされたその代わりに、俺はそれを教えてやることにした。


「――あのふたりは、ただ強いだけなんかじゃない」


 同時。

 俺は魔術を励起した。



     ※



 発動したのは捕縛術式だ。隠蔽を合わせて、アルベルの姿を認識した瞬間から準備していた。

 捕らえて――そして、殺すために。

 手心を加えている余裕はない。確実に殺すつもりでいた。


 アルベルは俺を舐めていないと言ったが、俺だってアルベルを舐めてはいなかった。

 元よりこいつは、俺の索敵魔術を掻い潜ることのできる魔術師なのだから。

 一度目はオーステリアで転移の罠に嵌められ、最下層で二度目は見破ったものの、このタラスで三度目にリベンジを受けている。要するに、アルベルはこの短期間で術式を改良したということだ。

 こと自らの存在を隠蔽する魔術に関して言えば、この男は間違いなく天才だ。その才能が暗殺というベクトルに傾いたとき、どんな結果をもたらすのかは想像に難くない。


 だが、それでも俺はアルベルを舐めていたのだろう。

 迷宮の床に魔力が走り、アルベルの足元に拘束魔術が起動する。

 それをアルベルは、ただ一歩を前に出るだけで回避した。

 冷静極まりないその対処は、実戦慣れを示す明確な証拠だ。一瞬で術式を読み、《その場所にさえいなければ捕まらない》ということを奴は理解している。


 即座に俺は失敗を悟った。

 拘束術式の対象をアルベルという個人に向けた場合、発動前に気づかれる恐れが高い。だから俺は床を経由させることで隠蔽性を増したのだが、それは同時に《人間》ではなく《場所》を魔術の対象にしたということだ。

 術の範囲から逃れられれば、当然ながら躱される。

 読まれていた。

 すなわち、それは反撃の猶予を与えているということだ。


 一歩を前に出たアルベルは、こちらへ向けて片手を突き出した。

 ――魔弾だ。

 直感的にそれを悟った。純粋魔力をそのまま撃ち出すという、攻撃手段としてはおよそ最下級の基礎魔術だが、対人ならば充分な殺傷能力だ。当たれば骨くらいは軽く砕ける。何より発動が速い。

 失敗した術式は即座に破棄し、代わりに隠し持っていた護石を起動する。

 直後、俺の眼前に半透明の防壁が現れ、射出された魔弾を防いだ。

 同時にアルベルが魔弾を放つ。

 砲丸大の不可視の弾丸が連射され、数発が防壁に突き刺さり、残りが背後へと飛んでいった。

 どうやら、威力と狙いは相当に甘いらしい。

 何かに特化した魔術師は、別の分野を極端に苦手とするものだ。たとえば俺のように。


 魔晶に《防御エイワズ》を刻んだ護石は、あらかじめ用意しておくことで瞬間的な防壁の展開を可能にする。現状、俺の戦力は大半が事前準備による護石だ。発動だけなら魔力さえ必要としない。

 印刻使いの戦い方は、突き詰めても《書く》ということに終始する。

 その欠陥たる速度を補うために、魔具を準備しておくのが俺の戦い方だ。

 とはいえ、持てる量にも、作れる量にも限度はある。


「言わなかったかな。隠れることと、逃げることだけは得意だって」

 誇るでもないアルベルの言葉に、俺は隠さず舌打ちをした。

「……お前を相手に、こっちの隠蔽は通じないみたいだな」

「隠れることが得意ということは、見つけることも得意っていうことだよ」

「その割に、攻撃のほうは得意じゃないみたいだが」

「戦いは苦手なんだ。――これでも、平和主義だから」

「どこが――」


 と、言いかけた刹那。

 俺は背中に(丶丶丶)強い圧力を感じ、咄嗟に身を捩った。


「づ――っ!?」

 右へ回るように半身を捻り、背後からの一撃に回避を試みる。

 だが遅かった。もともと魔力圧を感じた時点で遅すぎる。無理な機動で肉体が軋み、それでも足りなかった回避のツケを、背中を掠めた魔弾が払う。

 ――誘導弾……っ!

 というより、単に戻ってきただけの、いわばブーメランのような攻撃か。

 防壁に殺されなかった魔弾は、だからまだ生きていたのだ。威力と精密性を犠牲に、そんな小技が術式に込められていたらしい。

 気づけなかった。本当なら、見ればそれがどんな魔術であるか、ある程度読むことはできたはずなのに。

 ――術式それ自体を隠蔽されたのだ。


 慢心の代償はそれだけではなかった。

 気づけば、すぐ目の前にアルベルがいる。一瞬でも意識を離すと、即座に見失うほどの影の薄さだ。

 そして――衝撃に襲われた。

 体勢を崩し、前のめりになっていた俺は、そのまま折れた腹部を蹴り抜かれて飛ばされる。

 そのまま一気に数メートルを吹き飛び、背中から迷宮の床へと激突した。

「が――っ」

 肺から、空気が搾り出される。蹴られた顔の痛みより、背中への衝撃が先行していた。

 魔弾でできた擦過傷が、迷宮の床で殴られる。

「――ぶ」

 口から血が漏れた。

 どこか内臓がやられたかもしれない。だが、その場で止まっていることはできない。

 口許の血を指につけ、そのまま俺は地面に印刻を記した。

 ――《防御エイワズ》、そして《野牛ウルズ》。

 血を媒介に野牛ウルズで強化した防壁が、直後、アルベルの発した魔弾を完全に防ぐ。魔術的に、血液は媒介として優秀な意味を持っている。

 その間に俺は立ち上がり、血で辺りを汚しながらも防壁の先へ目をやった。


「……汚いな」

 魔弾を防がれたアルベルが、わずかに憎々しげな表情で呟いた。

 感情を見せないこの男が、それでも見せた嫌悪の色だ。

「本当に生き汚い。吐いた血まで魔術の媒介かい? 頭の回ることだ」

「……はっ。仕留め切れなかったくせに、よく言う……」

「お願いだから、僕を失望させないでくれよ。僕の《忍耐》を無にしないでほしい」

「はあ……?」

七星旅団セブンスターズ――僕の敵。頼むから、僕にとって大きな試練であってくれ」

「……言ってろ、狂信者」

 俺は懐から煙草を取り出し、悠長に火をつけてそれを吸った。

 湧き上がる咳を気合いで押さえつける。

 まったく優雅じゃない――このザマじゃきっと笑われてしまう。


「――《紫煙の記述師》」


 ふとアルベルが、呟くようにそう言った。

 愉快そうに眇めた右目は、余裕のつもりか、それとも別の意図があるのか。

「君の二つ名くらい知っている。今度はその煙草が魔術の媒介か? 本気を見せてくれるのか」

 問いには答えず、俺は一方的に別の言葉を吐く。

「いや、確かに俺は七星じゃいちばん弱かったけどな」

「うん……?」

「それでも、俺のせいで七星の評判を下げたとあっちゃ、あいつらに何言われるかわかったもんじゃない」

 防壁はまだ生きている。あと一撃なら防げるだろう。だから煙草など出していられる。

 無論、防いでいるだけでは意味がない。それはわかっているし、俺がわかっていることは目の前の男もわかっているだろう。

 余裕ではなく、ただ純粋に疑問だという風にアルベルが俺へ問うた。


「それで、どんな忍耐を見せてくれる? なぜそこまで弱くなっているのかは知らないけれど、今のままじゃ僕には勝てないと思うけど」

「――お前。俺の二つ名知ってんだろ?」

「……それが?」

「なんでそんな恥ずかしい名前で呼ばれてんのか、つまり知ってるってことだよな?」


 ――なら、お前だって俺を舐めている。


 肺に溜めた紫煙を、俺はふうっ、と自分で張った防壁に吹きかけた。

 途端、まるでその息に押されたかのように、防壁がそのまま前に向かって吹き飛んでいく。

 ただし、駿馬の如き加速を得て。

「は――?」

 目を細めるアルベル。当然だろう、盾の形を取る防御の魔術は普通、出したその場から動かない。押されて動くような盾では、初めから壁の意味が為さないからだ。

 だが俺の防壁は、初めから薄い板の形をした魔弾であったかのように射出されている。

 硬い壁が高速で動けば、それだけで充分に攻撃として成立する。

「小細工だ」

 アルベルは咄嗟に魔弾を放ち、防壁を相殺して砕いた。

 まるで脆いガラスのように砕けた防壁が、きらきらと細かい破片となって散乱する。

 ――そして、その全てが再度、空中で加速してアルベルに襲いかかった。


「な……っ」


 今度こそ驚愕し、アルベルは大きく目を見開いた。

 襲い来る無数の破片を、アルベルは防御術式を起動することで防ぐ。円形の盾に、破片が飛び散って突き刺さった。

 直後――その防壁が爆発する。


「ぐっ――ぅ!?」


 爆風に晒され、アルベルはそのまま弾き飛ばされたかのように見えた。

 だがダメージは薄い。爆発の直前、自ら背後へと飛びすさることで威力を殺したらしい。

 とはいえ、奴も自分で作った防御の魔術が、まさか自分に害を為すとは想定外だったろう。

 防壁を作っていた右腕に、アルベルは裂傷を負っていた。

 ぽたぽたと、指先からわずかに滴る血が、迷宮の床に染みを作っている。


 ――それで終わりにするつもりはない。


 瞬間、アルベルが後ろを振り返った(丶丶丶丶丶)

 目の前の俺から視線を外し、無防備に逆の方向を見るアルベル。

 一見してあり得ない隙の晒し方だ。

 だが違う。アルベルは、隙がないからこそ振り返ったのだ。


「――《(Isa)》、《巨人(Thurisaz)》」


 ルーンを起動する――地面から、氷の棘を生やす魔術を。

 アルベルの背後から斜めに伸びた棘が、その肉体を突き刺した。

 鮮血が舞う。

 確実に殺すつもりで放った魔術だ。それは必殺の意思を得て、アルベルの肉体を削ぎ抉っていく。


 そして、それだけだった。


「ふ――っ」

 膝からくずおれ、アルベルはこちらへと向き直った。血の滴る右腕で押さえた脇腹からも、彼は血を流している。

 だが完全に貫けてはいなかった。

 氷の棘は、アルベルの脇腹を軽く裂くだけで役目を終えていた。

 躱されたのだ。あのタイミングで、それでもアルベルは棘の刺突を回避した。

 確実にったと思っていた。どうやって躱したのか見当さえつかない。

 身体能力ではない。おそらくはなんらかの魔術だ。しかし、何をしたのかはわからなかった。

 把握できる事実はひとつ。

 アルベルが、今もなお生きているということだけだ。


「術式を……書き換えたのか」

 自分が負傷した事実を確認して、アルベルが小さく口を開く。その声音には確かに驚きの色合いがあった。

 その怪我さえ無視して呟いたアルベルに、俺は何も答えられない。

 ただ、代わりに血を吐いた。

「く――、ふっ」

 無茶な魔術の反動が、肉体を内側から削っていた。狭くなった魔力の出口を、強引に広げた反動だ。

「防壁を書き換えて射出した。割られたら今度は炸裂させて、あとは刺さった瞬間に防壁を乗っ取り、その隙に後ろから攻撃する。――凄まじい処理能力だ」

 純粋な感嘆を漏らすアルベルだったが、俺からしてみれば皮肉にしか聞こえない。


 一度完成した魔術を、あとから別のモノに変えることは難しい。まして他者の魔術への干渉となればその難易度は軽く第三位階クラスの難易度だ。

 ただ、そもそもの出力が低い俺にとっては、こういう小細工も必要だった。威力が低ければ、まず隙を作るところ始めなければならない。

 それだけの話であり、そして――それさえ通じなかったという話でしかない。


「僕の術式を後出しで書き換えたことまで含めれば、都合四回、あの一瞬の間に術式を変え続けたっていうわけだね。挙句に別の魔術さえひとつ交えていた――畏れ入ったよ。確かに、舐めていたのは僕のほうらしい」

「お互い様だろ、なんだあの魔弾。当たるまで気づけない攻撃なんて、それだけでもう必殺だ」

「防いだくせによく言うよ。普通なら、当たってから気づくっていうのに」

 純粋な感嘆を見せて、それからアルベルはゆっくりと立ち上がる。

 こちらをまっすぐに見据えながら、静かに言葉を作っていた。

「棒立ちで煙草を吸ったまま、その場から一歩も動かず戦場全てを自在に書き換える」

「…………」

「それが君の二つ名の由来だったね――さすがは記述師トリックスター。七星を舐めたことは撤回しよう」

「――は」

 と、俺は笑った。

 結局、俺は七星の名に泥を塗ったのだから。


 ジリ貧であることに変わりはない。というか、すでに詰んでいる。

 すでに魔力は枯渇寸前。加えて連続して魔術を使った反動で、肉体のあちこちにガタがきていた。

「残念だよ」

 と、アルベルが言う。俺の事情を、奴もまた完全に掴んでいるのだ。

 こいつの考えを書き換えることは、どうもできそうになかった。

「やっと会えた敵が、ここまで技術を持つ魔術師が――それ以上のことを何もできないなんて」

「…………」答えられない。

 事実だからだ。こんな小細工を弄するくらいなら、普通に攻撃したほうが遥かに速い。

 俺がそれをしないのは――つまり、しないのではなくできない(丶丶丶丶)からだ。

 切り札の術式改変も見せてしまった。知られた以上、二度三度と使える技術ではない。

 綿密に術式を構築すれば済む話だからだ。それだけで俺は干渉できなくなる。アルベルの防壁を乗っ取って破壊できたのは、あくまでそれが咄嗟の粗い術式だったからに過ぎない。

 ネタが割れては、それだけで詰みの下らない宴会芸だ。


「それに、使える魔具ももう少ないんだろう? アレは使い切りだ、あらかじめ用意していた数を使い切れば、それ以上はない」

「さてな、まだ隠し持っている可能性はあるぜ?」

 嘘だ。少なくとも防御の魔具は先ほど全て使い切っていた。

 そしてアルベルは、俺の言葉を信じない。

「印刻魔術は便利なようでいて――その実、実戦にはまるで向いていないね」

「見切るのは早いだろう。まだ切れる札はいくつかあるぜ?」

 これは事実だ。だが同時に強がりでもあった。

 確かに決め手は二、三ほど考えられるが、外せば死ぬし――仮に当ててもしばらく動けまい。自爆を覚悟する必要がある。


 本当に厄介な呪いだった。

 五大迷宮に立ち入って、俺は様々なものを失った。

 その代わりに得たものが魔力制限の呪詛だというのだから、骨折り損などというレベルではない。


「本当は、ここではまだ(丶丶)君を殺すはずじゃなかった。――本当に残念だよ」

「勝手なコトばかり言いやがる」

「仕方ない。これも《運命》だ。君がここで死ぬ運命なのなら、僕の敵は君ではなかった、ということなんだろう。見込み違いだった。焦がれて、求めて、嫉妬して嫉妬して嫉妬してその全てに耐えたその先がこの結果だなんて! まったくなんて因果だろう」


 答える言葉なく、俺はただ灰になった煙草を床で揉み消した。

 ――詰んだ。

 そう悟ってしまった。俺では、おそらくこの男に勝てない。諦めるつもりはないが、この先の足掻きが通じるイメージが湧いてこないのだ。

 あの一撃で仕留め切れなかったのが完全に失敗だ。あの攻防で、力の底を見抜かれている。


 一方、切り札を切った俺に対し、おそらくアルベルはほとんど全力を出していない。

 ――この男は強い。

 単純な魔術師としての強さというより、純粋に戦闘者として鍛えられている。魔弾の攻撃は大したものでない代わりに、状況判断力も高く、隠蔽術式に至ってはまるで見抜けない。

 その戦い方は、誤魔化しと騙りで実力を偽る俺と、実のところ手の内が似通っている。

 隠蔽で騙すアルベルと、改変で騙る俺。違いなどその程度だ。

 ましてこの男、実力的には《七星旅団セブンスターズ》に匹敵する領域だろう。

 タイプが同じなら、あとは自力の差が勝敗を決する。


 俺にとって、アルベル=ボルドゥックは間違いなく天敵だった。


「……君は、僕にとって天敵だ」

 それとまったく同じコトを、アルベルは俺に向かって告げた。

「だからこそ、ただの力だけで勝敗が決まってしまうことが悲しくてならない。これに耐えろというのだから、運命は本当に残酷だ」

「……お前は俺を殺したいんじゃないのか。俺たちの戦い方は、敵に全力を出させないことだろう。なら喜んだらどうだ」

 アルベルは答えなかった。

 何を考えているのかは知らない。だがこの結果は、奴にとってさえ不本意であるらしい。

 今や俺は、慢心ではなく冷静な判断でもって舐められている。

 その事実に、俺は屈辱ではなく――ただ諦念だけを感じていた。


「術をやり取りすると、足元を掬われかねないからね。速度はいらない。君がいちばん苦手とするのは、純粋な力押しだろう」

 言い放ち、アルベルが魔術を展開する。

 作り出したのはやはり魔弾だ。それも相応の威力が込められた一撃。挙句、目には見えないときた。

 アルベルの周囲に、濃密な魔力が集中していくことだけが感じられる。

 呪いがない状態ならば、かろうじて正面から防げるかどうかという魔力量だ。

 残存する魔力では、きっとこの攻撃を防げない。

「……でも」

 それでも諦めることだけはできない。最悪、死にさえしなけりゃ相討ちでいい。

 その覚悟でもって、俺は悪足掻きのようにルーンを起動する。


 ――直後、視界の全てが光に包まれた。



     ※



「な……っ」

 と、驚きの声を発したのはアルベルだった。

 俺もまた目を見開いている。

 なぜなら俺とアルベルの間を裂くように、突如として天井から光の束が降り注いだのだから。

 円柱型の巨大な光の本流が、天から降り注いで地に突き刺さる。

 神の雷とも表すべき、圧倒的な魔力量エネルギー。シャルの儀式魔術でさえ、ここまでの密度は持っていなかった。

 だが、それは攻撃ではなかった。もしそれに物理的な攻撃能力があれば、その余波だけで俺もアルベルも吹き飛ばされていただろう。

 けれど俺たちの身体には、ほんのそよ風さえ伝わってこなかった。

 一切の攻撃能力を持たないままで、絶対に破壊できないはずの迷宮を貫いた圧倒的な魔術。

 それは円の形の巨大な穴を迷宮の天井に穿っていた。

 まるで、抜け道のような空洞を。


 突如として発生したその抜け穴から、ふと小柄な何かが降りてくる。

 まるで散歩にでも訪れたかのような気軽さで、ひょいっと軽々着地した謎の人影。

 そいつは俺の姿を認めると、にたりと嫌らしい笑みを浮かべてこう言った。


「え、何? もしかして負けそうなの? うーわー、なっさけな。それでも七星の六番目? 弱くなるにも限度あるでしょ」


 軽い口調の、しかし痛烈な皮肉。答える言葉を持たない俺は、ただ押し黙るよりほかにない。

 代わるようにアルベルが口を開く。

 今まで一度とて見せなかった強い感情で、この上なく憎いものを目にしたという口調で。


「なぜ貴女がここにいる……なぜ、なぜ今このとき、ここに来る!」

「あたしがどこにいようとあたしの自由でしょ? あたし的にもほら、アスタに貸し作れる機会なんて滅多にないっていうか、むしろこれで今までの借りを返せるチャンスっていうか? 主に借金的な意味で」

「馬鹿な……どう走ったって間に合うはずがない。それがなぜ――」

「なぜも何も。見たでしょ、普通に降りてきただけだよ」

「……あり得ない」


 その気持ちはよくわかる。というか、俺でさえ意味がわからない。

 どうやってここに来た。なぜこの場所がわかった。というか今いったい何をしたんだ。そしてどの辺りが《普通》だったんだ。

 本当に何ひとつ理解できなかった。理屈とか理論とか、そういった諸々を一切無視している。

 ただ、それでも慣れている俺にはわかることもある。

 すなわち――、


「てなわけで。腑抜けのアスタくんに代わって、こっからはメロ様の出番ターンってコトで。よろしくね?」


 ――《天災》メロ=メテオヴェルヌに、常識などという概念は一切通用しないということだ。

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