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セブンスターズの印刻使い  作者: 白河黒船/涼暮皐
第二章 陰謀の迷宮区
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2-17『もうひとつの、七つの星』

 地下へと向かう構造の迷宮に、当然ながら窓などない。

 陽の光が差し込まない暗闇の世界には、だから時間の流れを判断する基準に欠けていた。

 腕時計でも持っていれば問題にならないのだが、生憎とこの異世界で携行可能な時計などそうそう望めない。技術のほうが追いついていないからだ。

 しかし、魔術師ならば話も別になる。

 術式を用いて時計まぐを作ることはそう難しくないし、単に時間の経過を計るだけなら道具さえ必要ではなかった。

 魔術を使えば魔力は減る。逆に減った魔力は時間経過で回復できる。

 つまり、その消費や回復の具合で、おおよその時間経過ならば判別できるということだ。

 まあ所詮は経験と感覚による判断なため、ちょっと正確な腹時計程度の信頼具合だが。それでも、何もないしないよりは正確だろう。


 その感覚が、朝の到来を告げていた。

 どんな魔術師でも、魔力の回復には時間をかける必要がある。使えば即座に魔力が回復する、などといったゲームのアイテムじみた道具は、少なくとも一般には流通していない。

 休息を取り、体力魔力ともに万全とした俺たちは、行動を再開した直後から迷宮を駆け下りていた。


 ――先行パーティに随伴するピトスの身に、なんらかの危機が訪れているからだ。


 俺はそれを、ピトスに持たせた魔晶のお守りを通じて知ったのだ。

 ルーンを刻んだ護石おまもりは、所有者に迫った危機を製作者である俺に伝える効果を持っている。

 まさか、本当に効果が発揮されるとは考えたくなかったけれど。

 効果そのものというよりは、持たせたこと自体に意味があるお守りだったのだが、結果的には功を奏したらしい。

 迷宮内の事情には干渉しない。それがなんであれ、入った人間の責任を奪うことは許されない――とはいえ。

 俺も一応、彼女の護衛を任されている身ではあるのだから。知った以上は看過できない。

 ――おそらく、尋常の事態ではないのだろうから。

 今から追いかけて間に合うかどうか。その不安はある。もちろん、その程度なら持たせてくれる奴だとは信頼しているけれど。


 この世界に、《絶対》など存在してない。


「――もっと急げないの!?」

 背後から、焦りを露にした声がかかった。

 フェオの声だ。緊張を隠さない、震えた声音で彼女は叫ぶ。

「姉さんに何かあったってことなんでしょ!」

「これで全速だ」

 俺は振り返らずに答えた。

 隊列は、先頭の俺に続いてフェオ、シャルの順番。魔物を呼び寄せることは度外視して、とにかく速度を優先している。

 ただし罠の可能性だけは常に考慮しなければならないため、最初から最後まで走り抜けるということはできなかった。

 悔しげに歯噛みしているフェオの様子が、振り向かずとも伝わってきた。

 姉が心配なのだろう。ピトスの窮地は、同行しているシルヴィアの窮地と同義であるからだ。実の姉の身に命の危機が迫っているとなれば、彼女も冷静ではいられまい。

「姉さん……っ!」

 祈るような、縋るような声で呟くフェオ。

 そのさらに後ろのシャルが、そのとき鋭く声を発した。


「――前、来るよ!」


 無論、先頭の俺も言われる前に気づいていたが、しかし声に出しておくことは大事だ。

 見れば言葉の通り、通路の前方に三体の粘性獣スライムがねばねばと蠢動している。

 赤、青、黄とけばけばしい極彩色をした、不定形の塊だ。それは意思を持って動く酸のような魔物。それが子どもの身体ほどもあり、見ているだけで不快感を覚える。生理的な不快さで言うのなら、方向性はあるが魔物の中でもトップクラスじゃないだろうか。

 平気な人間は、もうぜんぜん平気だったりするけれど。俺は苦手だ。

 そもそも面倒な敵である。物理攻撃に対する耐性が高く、また体色によって対応した元素魔術をレジストする。

 赤いスライムには火属性の攻撃が効かない――などといったことだ。


「フェオ、位置変われ」

「わ、わかった」

「無理に倒さなくていい、道だけ空けてもらうぞ!」


 短いやり取りで意思を疎通する。

 フェオは頷くと、速度を上げて先行した。スライムに肉薄すると、その直前で跳ね上がるように舞う。

 決して広くない迷宮の通路。だが空間は完全に彼女の支配下だ。

 フェオは錐揉みするように身体を捻らせ、脚を振り落とすように蹴り抜いた。

 衝撃で、スライムが後方に吹き飛ばされる。

 魔力を帯びた物体ならば、スライムによる侵食を防ぐことができる。フェオは履いている靴自体へ魔力を帯びさせ、スライムに対する武器としたということ。

 下手に斬っても効果はないし、どころか分裂させてしまう危険性がある。


 先頭のスライムが、蹴り飛ばされた勢いで後ろの二頭を巻き込んだ。ぶつかり合い、ぐにゃりと揺れるスライムたち。液状の体がわずかに飛び散っている。

 俺は蹴りの反動で後退したフェオと入れ替わるように前で出て、そこへ手持ちの魔晶を投げつけた。

 あらかじめ用意しておけることが、印刻使いの数少ないメリットだろう。

イサ》の刻まれた魔晶が秘められていた魔力を解放し、それが触媒となって魔術を起動する――。


 刹那、ねばねばとしたスライムの全身が凍結した。俺は横合いの壁目掛けて、一体のスライムを蹴り飛ばす。

 決して毀れない迷宮の壁面と、凍りついたスライムの体――どちらが硬いかは明白だろう。

 凍りつき、硬くなることで逆に脆くなったスライムが、砕け散ってダメージを受けていた。

 もちろん本来的に不定形のスライムが、この程度で死ぬはずもない。だが《破砕された》という事実は、魔物の中核がいねんへと確実に刻まれる。

 ダメージは魂へと穿たれるのだ。


 道が開いた。今のうちに駆け抜けてしまおう。凍結したスライムの横を抜けるように、俺たちは道を急ぐ。

 背後のフェオが、小さく呟くように零した。


「ここ――もう、二十層を越えてるのに」


 俺は振り向かずに答えた。


「それがどうした?」

「だって、おかしいじゃない……! 普通、どうやったってこんな簡単に進めるわけない。ぜんぜん時間もかかってないし――何、これ」

「そら、魔物といちいち戦いながら進むのと、無視して駆け抜けるのじゃ違うだろう」

「普通はそんなことないから言ってんじゃん……絶対に敵が気づくより先にこっちが気づくし、どんな魔物の対処法も知ってるし」

「――――…………」

「道は初めから知ってるみたいに迷わないし、罠には全部気がつくし、魔物を誘導して逃げ道を作ったりするし、挙句の果てには隠し通路まで見つけ出すし!」

 まあ、仮にも《五大迷宮》を突破したパーティなのだから。

 魔力が呪われていようと、迷宮に関する知識ならば一般の冒険者より多いのである。

 などということをこの場で言うわけもなく。

「あんた、いったい何者なワケ……?」

 完全に訝っているフェオに、俺はやはり背を向けたままで答えた。


「普通あり得ないのはな、フェオ。こんなことは、たとえできても誰もしないからだ」

 答えになっていない返答。フェオは眉を歪める。

「は……? いきなり何言って――」

「冒険者でさえあまり知らないけどな。これ、本当はやってはならない(丶丶丶丶丶丶丶丶)行為なんだよ」

「どう、いう……?」

「まあ適材適所だ。お前は俺より運動能力が高い。俺は迷宮でのサポートが得意。シャルには火力がある。いちいちきにすることじゃないさ」

「……話変わってない?」

「なんだか、既視感デジャヴがあってな」

 ――いや、それは違うか。

 実際に見ているのだから既視感デジャヴとは言わない。ただ繰り返しているだけだ。

「魔物の数が減ってる。だから、こうして先を急げるわけだ」

「はあ……?」

 フェオはわかっていないようだが、説明している時間もない。

 代わりに俺は、そういえば、と思い出したことを伝えた。

「あとひとつ――念のため、先に謝っておく」


 足は止めないまま、けれどここで初めて振り返って。

 俺は笑顔で、フェオに向かってこう告げた。


「――全滅したらスマン」



     ※



 などとフラグっぽい言葉を発してみたのだが、かといって何が起こるでもなかった。

 どころか、むしろあまりにも何も起こらなすぎて逆に不自然なくらいだ。

 事実、俺たちは二十五層を越えた辺りから魔物とまったく遭遇しなくなっていた。

 その代わりに、別の変化を目の当たりにして。


「なん、だ……これ?」


 三十層に到達した途端、周囲の光景が大きく変わっていた。

 それまで石の様相だった迷宮の壁が、突如として鈍い灰色の鉄板に変わったのだ。

 天井には一定間隔で魔術の明かりが灯っており、自分たちで光を点ける必要もないほどに明るい。床も壁も継ぎ目のない金属に覆われて、ひんやりとした冷たさが空気を満たしていた。


「何、ここ……?」

 シャルが小さく呟く。だが、その問いに答えられる者などいなかった。

 青白い炎の揺らめきに照らされ、フェオは不安そうな表情で言う。

「確かに、迷宮の中なら何が起こってもおかしくないけど……」

 迷宮は一層ごとに構造も、階段の位置も、天井の高さも、場合によっては広ささえ異なっている。

 ひとつ別の層に進めば、その先にどんな変化があってもおかしくはない――のだが。


「…………」

 俺はしゃがみ込み、床を手の甲で二、三度軽く叩いてみた。

 返ってくる硬質な感触は、地球でいう病院や、あるいや刑務所のそれを髣髴とさせる。

 もしくは、そう、秘密基地とでも表現しようか。

 いずれにせよ、やはりファンタジーよりはSFっぽい感じだ。

 この世界にあるセンスじゃない。


 ――これは、地球人のセンスではないだろうか。


「人工だな……自然に迷宮が変わったものじゃない」

「じゃあ、誰かの手が加わってるってこと?」

「だろうな――いや」

 シャルの問いに頷きを返し、それから横に振った。

 まともに考えることではないのかもしれない。

「迷宮の下に地下施設を作るとか……発想の気が狂ってる。これ作った奴は世紀の大馬鹿だな」

 そして同時に、稀代の大天才でもあるだろう。

 確かに考えてみれば迷宮は、秘密基地としてこの上ない条件かもしれない。

 だが、思いついたからって普通やるか? どれだけ乗り越えなければならない前提条件があると思っているのか。

 まして、それを実際にやってのけるなど。

 正気の沙汰じゃない。


「なるほど、結界なんだ。迷宮の内側に、あとから別の結界を重ねて張った」

 やがて、解析したらしくシャルがそう結論づけた。

 俺も同感だ。首肯とともに答える。

「たぶん迷宮の魔力を横流しして(丶丶丶丶丶)使ってるんだ。上層から魔物が少ないのはそのせいだろう。――この先には、いないかもしれない」

「言っといてなんだけどさ。可能なワケ、そんなこと?」

「理論上は不可能じゃないだろう。そんなことができる魔術師は限られるだろうが」

 最近そんなのばっかりだ。

 理論上は可能、というのは現実的に不可能という意味じゃなかったのか。

「思えば、あの土人形ゴーレムの強さはおかしかった。あとから魔力を注がれたんだろう」

 それで本来より強くなった。歪に、けれど確実に。

 邪魔な魔力を除き、魔物の増加を防ぎ、その上で邪魔者に対する防御の役目も果たす。

 確かに合理的ではあるだろう。――同時に狂気の沙汰でもある。

「とはいえ結果は結果だ。問題は誰が、なんのためにっていうほうだよな」

 銀色鼠シルバーラットの連中は、ガストの言葉を信じるなら、確か三十九層まで攻略が済んでいるという話だ。そしてここは三十一層である。

 連中は俺たちより低い階層まで進んでいる。

 さて、果たしてシルヴィアたちはこのことを知っていたのだろうか。

 重要な点だろう。いろいろな意味で。


「考えることが増えたな……進もうか」

「――それは困るなあ」


 唐突に、どこからか男の声がした。

 聞き覚えのある声だった。


「できれば、見なかったことにして欲しいんだけど」

 本当に困ったようなその言葉に、思わず苦笑してしまった。

 そんな場合でないことはわかっているのだが。

「俺もできればそうしたいんだけどな。生憎そうもいかないだろう」

「本当にもう。どうしてここに来ちゃうかなあ。それもこんなにタイミングよく」

「別に、俺だって狙ってきたわけじゃないんだがな……」

「君、何かに呪われてるんじゃないのかい?」

「まあ事実そうなんだが。俺から見れば、お前が俺の行く先々にいるんだよ」

「両思いだね」

「やめろ、気色悪いことを口走るな」


 白々しく、そして空々しい会話だった。

 その会話が――言霊こそが。

 ひとつの呪詛のろいであるかのように、迷宮の中で反響する。


「……久し振り、でいいのかな?」

 まるで久闊を叙す旧友同士のような自然さで、その男は口を開いた。

 纏う気配がどこか希薄で、だが目を離せない奇妙な存在感。

 そして何より目を引くのは――身体を覆う、枯れ草色の外套だ。

「そうだな。オーステリアの迷宮で会って以来か」

 俺は肩を揺らして答えた。どこかで、きっと予感があったのだと思う。

 ――この男と、この場所で出会うという予感が。

 わずかに苦笑して俺は言った。

「せっかく二回目なんだ。どうせなら名前、聞かせてくれないか?」

 言葉に、男はきょとんと目を見開く。

 意味のない問い。だが、それでこの男の仮面を剥がせたのなら安いものだろう。

「……意外だな。君は、そういうことを訊ねる人格じゃないと思ってたよ」

「そいつは勉強不足だな。そういう、知った風なことを言う奴の予想を裏切るのが好きなんだ。覚えとけ」

「なるほど、……覚えておくことにするよ」

 呟くように苦笑すると、枯れ草色の外套を翻して彼は言う。

「では、初めましての挨拶をしましょう」

「一度会っただろう」

「僕はアルベル。アルベル=ボルドゥック」


 男は――アルベルは俺の言葉には答えず。

 けれど、ただ応えた。


「――《七曜教団プシュコマキア》の第二位。木星を担う忍耐の使徒だ」


 嘘なのか、それとも真実なのか。

 いずれにせよ意味のわからない言葉で、名と所属を露わにする。


「よろしく頼むよ――原罪ぼく使徒てき



     ※



 それが、のちに幾度となく命を奪い合う羽目になる相手。

 正義と美徳とを謳い、七星旅団を大罪と呼んで敵視する謎の集団。


 ――もうひとつの、七つの星々の一員であった。

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