2-11『夜半、燻る火の前で』
夜半、俺は乗ってきた馬車の横で煙草を燻らせていた。
別に一服するために天幕から出てきたというわけじゃない。ただシャルに追い出されたというだけだ。
俺としても、さすがにシャルやピトスと同衾しては問題だろうと思う。いや単に同じ天幕で寝るというだけで同衾という表現もおかしいが、ともあれ同じ空間で休むことを、シャルに断固として拒否されてしまった。
……うん。まあ、普通に考えれば当たり前の話である。
「んー? いや別に同じトコで寝てもいいけどー」
軽く宣う考えなしのメロとは正反対に、
「い――いいわけないでしょっ!」
顔を赤くして首を振るシャルの姿は割と印象的だった。意外に初心な奴だ。
その反応を見るに、俺が嫌悪を抱かれているわけではなく、単に羞恥心の問題らしい。ちょっと安心してしまった。
というか案外、シャルもその辺りの感覚は人並みであることに、俺はむしろ安堵にも似た納得を覚えてしまっていた。周囲にそういう常識人がほとんどいないからだ。
俺は素直に天幕を明け渡すことにする。そうだよな、それが普通だよな、と。
ただそのあとから新しく天幕を張るのも面倒だったため、この日の寝床は馬車に決めた。冒険者生活のお陰で、硬い寝床にも慣れているといえば慣れているし。
……とはいえ。
やっぱ、冷静に考えたら理不尽なのでは。
「本当、なんつーか毒されたよなあ、色んなことに」
もちろん、ほかに選択肢はない。ああいう場合は、男が出て行くのが当たり前だろう。そのせいで実質、野宿みたいな感じになってしまったことは……もう諦めよう。
馬車の傍らで火を熾し、念のために用意してあった食材で汁物を作る。野菜と干し肉投げ入れて塩で適当に味つけしただけの、料理と呼ぶのもおこがましい一品だが、まあ出かけた先ならこんなものだろう。
「ん、……美味い」
ひと口飲んで、それから呟く。自分に言い聞かせていただけとも言えた。
なぜだかわからないが、ものすごく侘しい食卓だった。
おかしい。出かける前は、両手に花でも余るくらいの面子に少し浮かれていたくらいなのに。
俺も男なので、女の子――それも間違いなく容姿端麗な三人――から囲まれるという状況には、何かしら浪漫とも言うべき優越感を覚えないでもなかったのだけれど。
気づけばなぜか、ひとりでスープを飲んでいる。
「いや、いいけどね別に。何か期待してたわけじゃないし?」
またしても自らに告げるような独り言が零れてしまった。
それはもちろん本心で、実際たとえばメロを異性として意識しているかと問われれば、あり得ないというのが返答になる。だが、かといって寂しくないかと問われれば、それはまた別の話だとも思うのだ。
揺らめく焚き火を眺めていると、少し慰められるような気がした。
……ちょっと末期だな、それ。
「もう寝るか……」
呟き、俺はスープの残りを掻き込むように食べきった。それから何本目かの煙草に火をつけ、漫然と焚き火を眺めて過ごす。
どこまでも孤独で寂れた野営の風景。そんな場所に近づいてくる人影があったのは、煙草を半分ほど吸った頃のことだった。
「――どうしたんだい、こんなところで」
影は俺のすぐ脇に立つと、そんな風に声をかけてくる。
その凛と響くような声音が今は、夜闇を撫でる涼風のように優しげだった。昼間の印象と、少し異なっている気がする。満天の星と、焚き火のちらつきに照らされた銀色の長髪が、踊るように月下の黒を裂く。
近づく影には気づいたいたが、近づいてきた人物には少し驚かされていた。
俺はわずかに肩を揺らし、人影に向けて声を作る。
「こんばんは――シルヴィアさん」
「ああ、こんばんは。――アスタくん、でよかったね?」
「ええ」
銀色鼠の団長様が、まさか俺のところへひとりで訪れるとは。
普通に意味不明だった。右手の煙草から灰が落ちる。
「済まない。先ほどは、妹が失礼したようだ」
と、シルヴィアが言う。フェオのことだろう。
俺は火のほうを見たまま、
「いえ。よくあることと言えば、よくあることですから」
「不甲斐ないね。若いのは、やっぱりどうしても学生にいい感情を抱かないから。私が抑えらればいいのだけど」
「……別に、大して年齢差があるわけじゃないでしょう」
あえて論点を外した言い方で、俺は話題を逸らす。
シルヴィアだって、ただ謝りに来ただけというわけじゃないはずだ。
「それで。どうかしましたか、シルヴィアさん?」
「シルヴィアで構わないよ。――大して年齢差はない、だろう?」
「なら、アスタでどうぞ」
「そうさせてもらおう」団長殿は苦笑を見せた。「隣、失礼するよ」
シルヴィアが俺の横で腰を下ろす。冷たい地べたの上に、普通に座っていた。
はっきり言って警戒しか呼び起こさない事態だったが、まさか取引先の長を無碍に追い払えるわけもない。この状況を受け入れる以外の選択肢などなかった。
「それで、どうしたんだい?」
訊ねるシルヴィアに、俺は諦めて煙草の火を揉み消す。
少し話に付き合うしかないようだ。
「ま、端的に言えば、天幕を追い出されまして」
「喧嘩でもしたのか?」
「まさか。もっと単純な話です。向こうは女性で、こちらは男ですからね」
「そういうことか。別に、言えば寝床と食事くらい提供したぞ?」
それは先に言ってほしかった。が、今さらどうしようもないので黙っていることにする。
俺の沈黙をどう受け取ったのか、シルヴィアは軽く腕を組んで呟いた。
「しかし、当然といえば当然の意見だが、贅沢な話でもあるな。寝床を別けるとは」
冒険者らしい意見だった。基本的に、衣食住には頓着しない人種なのだ、冒険者は。
そも贅沢を言ってられない環境にいることが多いだけとも言うが。
「ま、僕らは学生なので」
関係ない。そう告げると、シルヴィアは苦笑してこう返した。
「そうだったな。つい、忘れそうになるが」
「……」
「ピトスの腕を見せてもらったよ。――驚いた。治癒魔術師としてはもちろん、ほかの魔術まで一線級の実力とはね。学院ではあれが普通なのか?」
「普通なわけないでしょう」
俺は首を振る。ピトスの実力は充分に異常だ。というか、あのとき迷宮でパーティを組んだ四人は、揃ってどこかおかしかった。
全員、確実に実戦経験があることは間違いがない。ただ魔術を発動できることと、実戦の中で十全に扱えることでは求められる水準が大きく異なってくる。
もちろん才あってのことだ。だがあれは、才能だけで説明がつくことでもないだろう。
本当にもう、どいつもこいつも。
「そうか。誰もが彼女や、エイラのような腕を持っているわけじゃないんだな」
「そりゃそうですよ。あんなのは例外中の例外です」
学院にも、いて五人くらいのものなのだから。
……その時点で充分おかしいけれど。
「さすがに少し自信がなくなるところだったよ」
「……シルヴィアさんでも、ですか?」
「シルヴィアでいいと言ったろう、アスタ」
少し不満げに言うシルヴィアだった。それにしても、その言葉はかなり意外だ。
もちろん名前で呼んでいい、という言葉のほうじゃない。それも意外と言えば意外だが。
若くして実力派の攻略クランの長を務め、二つ名持ちに匹敵する実力を持つ元騎士が、よもや学生を相手に『自信をなくす』と言葉にするとは。考えていなかった。
確かに、いわゆる《天才》と呼ばれる人間を前にしては、普通人など吹けば飛ぶ程度の強度しか持っていない。実力に限らず、精神的な面で言ってもだ。
だが、それでも前に進める人間は存在する。
彼女はそのひとりだろう。エイラ=フルスティという例外を前にして、なお折れずに前進できる存在なのだと勝手に思っていた。
かつて――メロ=メテオヴェルヌという天災に折られた俺とは、きっと違うのだと。
「私は、剣を振るしか能のない女だから」
俺の言葉に、シルヴィアは力なく首を振る。
ぱちり、と薪の弾ける音が響いた。
「だが別に天才ではなかった。よくて秀才止まり、枠の外には届かない」
「……そこにさえ届かない人間のほうが、きっと多いと思いますよ」
「まあな。だからきっと、これはないものねだりなのさ。だが――その欲は止まらない。今だって上を求めている」
「…………」
「私が折れずにいられるのは、剣の天才とはまだ会ったことがないからさ。それだけだ。エイラやピトスとは分野が違う、だから認めることができた……それだけの話だよ。もし剣の天才に会えば、私はきっと嫉妬する。ないものをねだって心を灼く」
――それに。
と彼女は続けて言う。
「なんの自慢にもならないが、私は本物の天才を目の当たりにした経験が多い」
「本物の天才、ですか」
「そうさ」
シルヴィアは、悪戯っぽく微笑んだ。
「――たとえばメロ=メテオヴェルヌとか」
※
こういうとき、咄嗟に反応を隠せるかどうかは訓練次第だ。そして俺は、自分のポーカーフェイスにそこそこの自信がある。少なくとも魔術よりはある。
魔法使いの師に無理やり鍛え上げられた仮面は、今回も俺の反応を隠してくれた。
だがそれに意味があるかどうかは別だ。鎌をかけられただけならともかく、初めから確信している相手に、それでも誤魔化しを続けてはむしろ見苦しいだろう。
愉快そうに、けれど皮肉っぽいわけでもなく微笑むシルヴィアを相手に、俺は諦めの溜息を零すほかなかった。
「……知ってたんですか」
「まだ騎士だった頃に、な。迷宮ではなく戦場で会ったことがある。もっとも向こうは、私など覚えていないだろうが」
「ま、ばれてるなら隠す意味ないですね」
俺は肩を竦めて言った。どうせ時間の問題だった。
メロだし。俺じゃないし。ならいいや。
「まさか、こんなところで七星旅団の一員に合えるとは思わなかったよ」
そう零すシルヴィアの表情に、嫌悪や忌避は見られない。少なくとも俺はそう思った。
だがそれは聞いていた前評判と違う。彼女は――シルヴィア=リッターは、七星旅団に対抗意識を持っていると聞いたはずだったが。
まあ、噂は噂だ。わからないなら、訊いてみればいいと思われる。
「……嫌いなんじゃないんですか?」
「嫌い? 七星旅団を、か? なぜ?」
「…………」
完全に予想外の質問だ、という風な顔をされてしまう。そう思われていることさえ知らないという感じだ。
どころかシルヴィアは続ける。
「嫌いどころか、彼女たちは私の憧れだよ。命の恩人なんだ」
……さすがにその返答は想定していなかった。
驚き、言葉に詰まった俺へ、シルヴィアは淡々と言葉を重ねる。
「戦場でね、七星旅団に助けられたことがある」
「…………」
「本当は全員に礼を言いたかったのだけれど、顔がわかっているのは一番と七番のふたりだけだからね、直接言葉を交わせたのは、プレイアスさんとメテオヴェルヌさんだけ」
「メロと、会ったことがあったんですか」
「ここでは、メルトではなかったのかい?」
悪戯っぽく笑むシルヴィアに、俺は答えない。
彼女は眉尻を落とした。
「まあ名前を隠す理由はわかるさ。気づいているのも私だけだろうし、言い触らすつもりもないから、そこは安心してくれていい。向こうも、私のことは覚えていないようだからね。都合はいいだろう」
「そりゃ……どうも」
「ところで、これは興味本位からの質問なのだが」
「……なんです?」
シルヴィアは、新しい薪を火の中に投げ入れて言った。
「いや。君やシャルロットさんも、もしかして実力ある魔術師なのかと思ってね」
「…………」
俺は沈黙を返答に変えた。肯定するのも否定するのも、何か違うと思ったからだ。
シルヴィアは小さく肩を揺らし、それから言う。
「アスタは確か、冒険者志望なのだったね?」
「ええ」
そういえばそんな設定だった。否定もできずに頷く。
それなら、とシルヴィアは俺に提案した。
「――しばらくの間、ウチの若い連中とパーティを組んでみる気はないか?」
「パーティ……ですか。それは迷宮で、ということですか?」
予想していたわけじゃないが、あまり驚きもしなかった。
「ああ。互いに、いい刺激になればいいと思うのだけれど」
シルヴィアは言う。あわよくば、それで俺たちの実力も確認したいと思っているのだろう。
……なるほど。俺はようやくにして悟った。
どうにも話の流れが妙だとは思っていた。向けられる敵意も、学生に対する反感だけと見るにはいささか大きすぎる気はしていた。
――何か、あったな。
それはわかった。ただ何があったかまではわからない。とにかく何かがあった。
おそらくは人間が犯人と思われる、あまりよくない何かがだ。
根拠はない。こんなものは勘だ。下のほうから感じられる敵意と、対して妙に好意的な上のほうの対応。そのアンバランスさから勝手に勘繰っただけのこと。推理とさえ呼べない勘だ。
「どうだろう? 悪くない提案だと思うが」
そう言うシルヴィアに、俺は日本人らしく笑顔で返答する。
「――考えておきます」
呟き、俺は懐から煙草を取り出した。




