2-10『銀色鼠の手足のほう』
外に出たところで、こちらに歩いてくるガストを見つけた。
その横にはひとりの少女がいて、こちらに気づくや否や視線を鋭くして睨んでくる。いきなり何か、とは思わない。オーステリアの学生は、若い冒険者から嫌われているものだから。
「――おう。話は済んだか?」
こちらへ気づくと、ガストは軽く手を挙げて近づいてくる。なかなか気さくだ。
だがその後ろには敵意剥き出しの少女がいて、こちらにガンを飛ばしている。俺とシャルは軽く無視して、メロはといえば笑っていた。
その反応が気に喰わなかったのだろう。少女は『キィ――ッ!!』と叫ばんばかりの表情でこちらを威圧していた。さすがに、本当に叫んではいなかったけれど。
面白いので、しばらく無視しておくとしよう。
「ピトスは残ってますが、僕たちの話は一応」
「ああ――治癒術師の嬢ちゃんか」
「ええ」
「さすがに下層は敵も強くてなァ……治癒術師がいるのは心強ェ」
頷きを繰り返しながら呟くガスト。彼からなら、あるいはシルヴィアからよりは話を聞けるだろうか。
試しに言葉を振ってみるとする。
「攻略の具合はどうですか?」
「ん? あァ、今は三十九層まで進んでるぜ」
あっさりと答えるガスト。
ただそれよりも、むしろその内容に俺は驚いた。
かなりの攻略速度だ。実際、俺は正直に感心してしまった。
このタラス迷宮は、せいぜい五、六層くらいまでしか冒険者の足が入っていなかったはずだ。それを、ひと月足らずで三十九層まで踏破するとは――自信を裏打ちするだけの実力があるのは確からしい。
もちろん一概に速度を取るより、安全性を考慮したほうが場合によってはいいけれど。治癒魔術師を求めたのも、あるいはその辺りの兼ね合いか。
「管理局には? 見たところ、まだ無人っぽいですけど」
――全ての迷宮には管理局が設置されている。
とは言うものの、これは建前の部分がかなり大きい。あることにはあるが、よほど冒険者の多い迷宮でもない限り、たいていは無人だ。
ただ《管理局》という名前の建物が、迷宮の前にぽつんとある程度。オーステリアのように栄えた施設のほうが、むしろ珍しいくらいなのだから。
とはいえ、このタラス迷宮も、彼らによって踏破されれば人の姿も増えるだろう。
攻略者によって踏破され、完全に地図化された迷宮は、当たり前だが危険度が格段に下がる。そもそもオーステリアに近い立地もあって、近い将来には冒険者でごった返す可能性もある。場合によっては、新しい街がひとつできるかもしれない。
「――秘密ですか?」
訊ねた、というより確認の言葉だ。やはりガストはあっさりと頷く。
「その通りだなァ。余計な干渉される前に決めちまいてえ、ってのが本当のトコだ」
「ま、そりゃそうですかね」
「つーかお前、冒険者の事情に詳しいみてェだな?」
「普通だと思いますよ」
「そうか、普通か――そりゃいいぜ」
愉快そうに大笑するガスト。やはり気が合いそうだ。久々に友人になれそうな男を見つけて、少し気をよくする俺である。
だがそれを妨げるような声が、このときいきなりに轟いた。
「――ガストさん! こんな奴に、どうしてクランの秘密を話しちゃうんですかっ!!」
誰か――は、言うまでもないだろう。先ほどからこちらをずっと睨んでいた少女である。
彼女はもう我慢できないとばかりにこちらへ寄ってくると、俺とガストの間に割り込んで大きな声で叫ぶ。
「誰だか知りませんけど、仕事が終わったならさっさと帰ってもらえます?」
「――――あ?」
言っておくと、「あ?」などと恐ろしい反応をしたのは俺じゃない。シャルだ。
目の前の少女に負けず劣らずの眼光。互いに火花を散らし合いながら視線を交わしている。どうしてすぐ挑発に乗ってしまうのか。
シャルって、実は冒険者が嫌いだったのだろうか。
初めて言葉を交わしたとき、いきなり不意打ちの魔術を受けた記憶を思い出していた。
「何、いきなり?」
ぎろ、と鋭い視線を向けるシャル。こいつも案外、沸点が低い。
一方の少女も怯まなかった。俺たち三人を睥睨するようにしながら、
「それはこちらの台詞です。用事が済んだならとっとと出て行って」
「は? ここアンタの家だっけ? 迷宮の前に誰がいようと自由でしょうが」
「冒険者には暗黙の了解ってモノがあるんです。本当にもう、これだから素人は――」
「ハッ。見習いのガキに言われたくないんですけど!」
「はあ!?」
売り言葉に買い言葉。ヒートアップしていくふたりの少女。
俺はもうひとりの連れに視線を投げた。なあ、これどう思う? と。
――メロは腹を抱えて笑っていた。
もう駄目だ。
「フェオ。テメエの出る幕じゃねえぞ」
と、微妙に呆気に取られていたらしいガストが、再起動してそう言った。
少女もこのクランの一員なら、副団長の言葉は聞くだろう。
などという考えは、どうやら甘かったらしい。
「何を言ってんるんですか! ていうか、ガストさんもガストさんです。どうして部外者に情報を漏らしちゃうんですかっ!!」
「……まさか俺まで怒鳴られるたァ思わなかったぜ……」
諸手を挙げるガストだった。いや負けちゃうのかよ、オイ。
調子を乗せてきた少女は、さらに俺へと向き直って言葉を続ける。
「貴方たち、オーステリア学院の学生ですよね?」
「ま、そうだけど」
頷き、俺は少女の姿を改めて正面に見る。
栗色の短い髪を持つ少女だった。勝気そうな瞳が険のある色を灯していて、格好は冒険者風というより傭兵に近い皮鎧などの装備だ。年齢は、たぶん俺たちと同じくらいか、少し下か。
ガストが言ったフェオというのが、おそらくは彼女の名前だろう。
聞き覚えはあった。例の焼き菓子を作った団員がフェオだと、シルヴィアが言っていた。
この《フェオ》という響きは、印刻魔術師なら忘れないものだ。
と、そんなことを考えていたところに、彼女の言葉が飛び込んでくる。
「――はっきり言いますけど。邪魔なので、今すぐ帰ってもらえますか?」
「いや、そう言われても。こっちも仕事だからさ」
「仕事……? 貴方たちは運び屋でしょう?」
怪訝に眉を顰める少女を、極力刺激しないように言う。
「ほかにも仕事があったんだよ」
「なんですか、それ?」
「……えー、っと。それは申し訳ないけど、言えないかなあ。訊くなら僕じゃなくて、君の上に訊いてくれれば」
「どういうことですかっ!!」
ぐいっ、と顔を近づけられた。明確に怒りと敵意を発しているが、そう言われてもどうしようもない。
「――仕事だから言えない。冒険者ならわかるだろう」
少し強めにそう告げた。実際には別に秘密にする必要もないと言えばないのだが。
この場合、言ったほうが余計に反感を買うと考えたのだ。
「く……!」
そう言われては反論できなかったのか、少女は悔しげに歯噛みした。
どうも彼女、《プロであること》や《仕事であること》に価値や誇りを見出しているようだ。
だからこそ素人でしかない、そのくせ評価だけは高い学生が気に食わないのだろう。
実際、結構驚いてはいた。
学生と若い冒険者は仲が悪い――その話は何度も聞いていたのだが、まさかここまでのものとは思っていなかったのだ。
……気持ちはわかる。と、言いはしないがそう思う。
若くして冒険者になど身をやつす者など、たいていはそれ相応の事情を抱えているものだ。
だが不幸自慢なんてつまらない真似はなしない。彼らには自らの実力で生きてきた、勝ち残ってきたという自負があるのだから。
だが、だからこそ納得のいかないのだろう。
幼い頃から現役の冒険者として働いている――働かざるを得なかった――自分たちよりも、ただ魔術学院で学んでいるだけの学生のほうが評価されている現状が。
魔術学院になど入学できるのはひと握りの金持ちだけだ。彼らからしてみれば、親の財産で学ぶ学生など敵意の対象でしかない。嫉妬ではなく、対抗心の向く先なのだ。
逆も然り。貴族も少なくない学院生には、叩き上げの冒険者を見下す向きが少なくない。学院で学んで冒険者になる魔術師など、滅多にいないのはそれが理由だろう。
そんな下賎な職業を選ばずとも、もっと素晴らしい就職先にいくらでも就くことができるのだから。
実は、ほとんどタダ同然で学院に通ってる奴もいるんだけれど。
とはいえ、ここでいがみ合う意味も価値もない。
俺は少女へ手を差し延べ、できる限り友好的に聞こえるよう気を使って声を出した。
「そういうわけだから、しばらくの間だけどお世話になるよ」
「――――」
「……アスタ=セイエルだ。よろしく」
おそるおそる名乗る。
と、意外にも彼女は俺の手を握り返してくれた。
「――フェオ。フェオ=リッター」
なぜか満面の笑みになる少女――フェオ。
それに謎の寒気を感じつつも答える。
「よろしく。……失礼だけど、リッターってことは」
「そう」
首肯し、少女は綺麗な笑顔で俺に答えた。
――なんだ、笑えば結構可愛いのに。
そんな間抜けなことを考えていた俺の視界が、瞬間、なぜか逆さに「は?」
――回転する。
直後、俺は肩口に強い衝撃を感じた。
「いっ……づっ!?」
痛みに思わず呻く俺。何が起きたのか瞬時にはわからなかった。
しばらくきょんと目を瞬く俺。そうして、ようやくのように気がついた。
いや、正確には最初から気がついていたのだ。ただ脳が理解を拒んでいただけで。
綺麗に口の端を歪めて笑む、フェオの姿が上に見えた。
「団長、シルヴィア=リッターの妹。――馴れ馴れしく触らないでくれる?」
見下す少女を見上げる俺は。
要するに足を払われて、無様にすっ転ばされたということだ。
視界の外から、大笑いするメロの声が聞こえていた。
※
そこそこの時間をかけて設営した天幕の中で、メロはわざわざ再び俺を笑った。
きっとこいつのことだから、煽ってるつもりさえないのだろう。俺も腹立たしいとさえ思えない。
さすがにメロ以外だったら俺も怒るかもしれないが。こいつ相手だと、なぜかたいていのことは怒る気になれないのだった。
「ひー、笑った。まさかあんな簡単に転ばされるなんて」
心底から愉快そうに腹を抱えるメロ。俺はジト目で、
「なんでヒトの不幸を笑ってんだよ……」
「不幸じゃなくて油断でしょ。いい薬だと思うよー」
「……普通、あんな風で投げ飛ばされるだなんて思わねえだろ」
「駄目だなー。常在戦場の心がけじゃないと」
「お前みたいなのと一緒にするな」
そこまで世紀末な世界に生きてるとは思いたくない。
「いやいや。それにしても、またずいぶんと嫌われたもんだねー」
軽く流すメロだった。完全に他人事である。
「……冒険者なんて、そんなものよ」
と、そう応じたのはシャルだった。こいつもこいつで、何か含むところがありそうな感じだ。煽られて怒った、というだけではない気がする。
もちろん地雷原だということがわかっていて、突っ込んでいく気はさらさらない。ただ視線だけを向けた俺だったが、そこで何かに気がついたような表情のシャルと目が合った。
「……そういえば、思ったんだけどさ」
「ん?」
首を傾げた俺に、彼女は少し口許を引き攣らせながら言う。
「――天幕って、ひとつしかないわけ?」
一瞬、意味がわからず目を細め。
それから、
「……あ」
遅れて気がついた。
――やべ。
女子陣と同じ天幕で寝ることになっちまう。




