7-10『治癒魔術師vs治癒魔術師』
贔屓目のない客観的な評価として。
一対一を想定した場合、旧《七星旅団》戦の組み合わせとして最も戦力差が大きい二組の片方は自分だろう。
そう、ピトス=ウォーターハウスは冷静に判断していた。
「っ……はは」
いや――誰でもわかるか。
こんなものは別に冷静さでもなんでもない、とピトスは口の端を拭って笑う。
それに使った右手はまだしも、血を滴らせながらだらりと垂れ下がる左腕のほうは損傷が激しい。
まあ、治せばいいだけの話ではあるが。
動く右腕で左腕をなぞり、断裂した筋繊維を魔力で縫合する。
「もしかして、治せばいいだけと思ってる?」
「…………」
「治癒魔術が使える人間の傲慢だよね、そういうの。そんなわけないのにさ」
――呪ってきている側の言うことか? とは思うものの、口に出す余裕はすでに奪われていた。
まったく、物理的な損壊を伴う呪詛とは厄介だ。癒やすほうにもより高度で繊細な治癒技術が求められる。
この場所が現実上の物理空間ではないことが、今回ばかりは唯一の幸いだった。
傷つく先から治して対処する、なんて一種のゴリ押しを通用させるのは、さすがに地上では無理があっただろう。
「……、」
勝ちを投げているつもりは毛頭ない。
この戦いは世界の行く末を左右するものではなく、ピトスのモチベーションはむしろ酷く個人的なものだ。
だが、だからこそ勝利には大きな意味がある。元より、魔術師の戦いとはそういうものだろう。
今でもピトスは攻勢に転じる機を静かに窺い続けているし、隙があれば見逃さない。
だからこそ。
逆に言えば守勢で精いっぱいな現状は、ごく単純に――精神論ではどうにもならない実力の格差を表していた。
今回の戦いにおいて、単純な実力差が最も大きいマッチアップはユゲルとアイリスのところだろう。
無論、七星旅団級の魔術師の中での実力差など比べる意味もなく《全員怪物》だが。
それでも単純な魔術の技量においては三名の魔法使いすら上回る、旅団最高にして最巧の魔導師《全理学者》ユゲル=ティラコニアを相手取るには、アイリスはあまりに幼すぎる。経験値という点において、あまりにも差がありすぎるわけだ。
にもかかわらずアイリスがユゲルとのマッチアップになった理由は、実力差を加味した上でも相性が抜群にいいからだった。
アイリスの持つ《略奪》の異能は、対魔術師戦を想定した場合においてほぼ無敵に近い能力である。
単純に《魔術師》として最優であるユゲルと対峙するにあたって、アイリスという《魔術師ではない》カードはジョーカーなのだ。
これらの考えは、ほかのマッチアップにおいても前提となる。
七星旅団の最も厄介な点は、彼らが魔術師ではなく、あくまで冒険者――すなわち《戦う者》として伝説になった部分だ。
実力云々を差し引いても冒険者として格上である彼らと戦う場合、相性問題は何より重視すべきだった。
ピトスのマッチアップがキュオネ=アルシオンであるのも相性の兼ね合いが大きい。
そうでなくとも因縁上、ピトスは自分が戦うと言っただろうが、相性問題はそれ以上に決定的な要素だ。
呪術などという面倒で手間のかかるものを平気で実戦投入する怪物相手には、治癒魔術師でなければ安定して戦えない。
そういう意味では、マッチアップを選べる突入組側には一種のアドバンテージがあったわけだが――。
これは、アイリスの場合とは少し話が違う。
ユゲルに対して明確に強みを持つアイリスと違い、ピトスはあくまで《戦いが成立させられる》程度の相性に過ぎないからだ。
「――――――――」
ふとピトスが思い出すのは、今回の一連の事件のきっかけになった最初の日。
ピトスたちが、レヴィに呼び出されたアスタと顔を合わせ、模擬戦を行ったときのことである。
あの日から、みんながそれぞれに実力を伸ばしてきた。こうして伝説の冒険者と一対一の戦いができるほどに。
――自分を除いて。
あの日から自分の戦闘能力はほとんど向上していないことを、ピトスは自覚していた。
もちろん誤解がないように言えば、この短期間で急激に強くなっているほかの連中のほうがおかしいのだが。
それでも、ピトスが最もレベルアップできていないことは単なる事実だった。
責められるべきことではない。
何か特殊な事情でもない限り急激に強くなれるはずがそもそもなく、ピトスにはそれが普通になかっただけの話だ。
だから当然のように。
若くして伝説に至る特別を持つ、キュオネ=アルシオンに及ぶはずがなかった。
勝っている部分があるとすれば近接戦闘能力くらいか。
《金星》仕込みの格闘戦技能だけ見れば、ピトスはキュオネにわずかなり明確に勝っている。
だが治癒魔術は互角、その他の攻性魔術の性能差では圧倒的に劣っているとなれば、戦力バランスは相手に傾く。
戦いの趨勢もまた、相手優位に傾くのは必然だった。
狙うべきはやはり接近戦。
だが呪術により百発百中の妨害を受ける現状では、近づくことが難しい。
ピトスが押されている根本の原因は、この部分に集約した。
「まあ」
とはいえ、それなら。
やることはやっぱり明確で。
「――そろそろ、賭け金を釣り上げる時間ですかね」
薄く笑うピトスに対し、キュオネもまた笑みでもって応じる。
「うわあ、品がない女は嫌だなあ。破産しちゃっても知らないからね?」
「は――言ってろ、ですね。財産に胡坐を掻く女より、やりくり上手なほうが家庭では優秀って知らないんですか?」
「それ今からオールインのギャンブルしようとしてるヒトが言うことじゃなくない? わたしのほうが家庭的だと自覚してますけど」
「女が家庭に入るなんて考え方自体が旧世代的なんですよ? だから昔の女なんじゃないですか、あらゆる意味で」
「うわはは。言い出したのそっちー。何それ、数秒前でも昔に思えるほど記憶力終わってるのかな?」
「そうですねー。忘却は人間が持つ優秀な自己保存機能ですのでー。そろそろ忘れられてもらってもよろしいんですよホントに」
「……」
「……」
「わたし、個人的にもあなた嫌いだなー?」
「両思いですね。やだ、鳥肌立っちゃーう」
「――泣かすっ!」
「鳴かすぅ――!」
仲はいいのかもしれなかった。
案外、似た者同士ではあるのだろう。
「だらっ!」
会話を終えた直後、まず真っ先にピトスが前方へと踊り出た。
不意を突くかのようなひと息の直進。それに、キュオネはわずかに目を細める。
不意は――結論から言えばつけていない。
当然だ。示し合わせたかのような会話の終わりに油断するほど、キュオネ=アルシオンは温い魔術師ではないのだ。
ゆえにこれは、だからこその困惑であると言えよう。
キュオネは決して油断していない。
ピトス自身が思うほど、キュオネは相手を格下に見てはいなかったからだ。
戦場で油断をしたり手を抜いたりしないのは当然の話でもあるが、それを抜きにしてもキュオネはキュオネでピトスの脅威をしっかり認識していた。
目の前の相手が、自分へ届き得る牙を確かに持っていると――認められないほど愚かにはなれない。
――でも、その割には……。
あまりに愚直な突貫だ。思わず眩しくなるほどだが、目が眩むほどの光ではない。
何かあるな、とキュオネは判断を下した。
向こうが接近戦を狙ってくるだろうことならキュオネにも読めている。それ相応の対策なら手札にすでに抱えていた。
だからこそ、ピトスが必要とするべきはそれを上回る何かなのだ。
「なら、――こうかな」
結論としてキュオネは、用意していた攻性呪詛の術式を即座に破棄した。
これまで行っていた呪術による迎撃をやめて、その場に待ち構えての対応を選択する。
「……っ!?」
この選択に驚かされたのは、もちろん突っ込んでいたピトスのほう。
何かしら呪術による攻撃を受けるであろう目論見が、なにせ目の前で否定されていたのだから。
だが悪くはない。
元よりピトスが用意していた解答など《一撃を気合いで耐える》レベルの、戦術とも呼べない脳筋精神論みたいなものだったからだ。
頭はかなり悪い戦法だが、向こうの呪詛がピトスを相手に即殺とならず、確実な回復を見込める以上はそこまで悪くもない。
まして覚悟していた一撃もなく突っ込めるのなら、ピトス側には有利に働くはずで――、
「《衣装変更》/《おてんばに》」
「――――っ!?」
刹那。ピトスは驚愕に目を見開く。
振り抜いた腕が、キュオネによって簡単に受け止められていたからだ。
いや違う、それだけではない。キュオネはごく簡単な動作で、込められた勢いを背後に流して体勢を変えている。
それはピトスの一撃が、キュオネによって完全に――しかも身体運用だけで無力化された証左だった。
防御はできない。
腕ごと軽く跳ね上げられ、体を宙に浮かされるピトス。
その脇腹に、まるで舞い踊るかのように可憐な動作で身を回した少女が。
「せいっ」
「――――――――!」
鋭すぎる一撃を、がら空きの体へ叩き落とした。
踵が、脇腹を抉るように突き刺さる。魔術師でなければ本当に抉れていたかもしれない。
真下に叩き落とされたピトスは、受け身も取れずに地面へ叩き伏せられた。
キュオネに油断はない。幕引きが呆気ないものになるなら、それはそれで構わないと本気で考えていた。
ゆえに、
「――……っ!!」
床に落ちたピトスが、それでもなおまっすぐキュオネを睨んでいたことにも驚きは少なかった。
否。確かに驚いてはいる。だがそれで隙を作るほど甘くもないだけで。
ならば、そのときすでに構築していた魔弾があったのは、確かにピトスの戦果だった。
倒れた状態のピトスが魔弾を放つ。
キュオネは受けるほかない。咄嗟に手で顔を防いだが、さすがに魔弾の勢いはそれだけでは止められない。
たとえ魔弾そのものが人間の頭部程度のサイズでも、見た目以上のエネルギー塊が高速で射出されては無傷でいられない。
弾き飛ばされ、キュオネは地面を滑るように数メートルほど後退させられた。
間に合った防御は片腕だ。
ようやく魔弾を弾いた頃には、キュオネはわずかにこめかみから血を流している。
「……ったいな、もう……顔は反則って思わない?」
こめかみから滴る血を舐めとって、薄く笑いながらキュオネは問う。
頭部は軽傷だった。だが、じかに魔弾を受け止めた右手は見るからに酷い有様になっている。
「うわ。指の骨、全部べきべきだよ。ってか腕の筋肉までいくつか断裂してる。ただの魔弾じゃないな……?」
言いつつも軽く手を振るい、その頃には全ての傷が治癒し終わっているのだから大概ではあるだろう。
それは対するピトスの側も同じことで、口の端を歪めながら立ち上がる少女はどこから見てもまったくの無傷だった。
「は。呪詛返しって知らないんですか?」
ピトスは言う。それに向かってキュオネも笑いを返して。
「や、知らないわけないと思うし、こんなの呪詛返しじゃないんだけど」
「そうでもないですよ。貰った呪いを纏めて投げ返してんですから、充分に呪詛返しじゃないですか」
「いやそれ、呪詛返しとは呼ばないから」
「じゃあなんと?」
「うーん。山猿が糞尿投げつけてきたとか」
「この女ホンット……」
歯噛みするように目つきを悪くするピトスだったが、それを見るキュオネも驚いている。
少なくとも定義上、これは呪詛返しではない。結果的には同じでも、こんなものを呪詛返しと呼んでは呪術がかわいそうだ。
そもそもピトスには、深い呪術の知識などないだろう。呪詛返しができるとしても嗜み程度で、とてもではないが一流の術者であるキュオネの呪いを返せるほどではない。
証拠に、それができるなら治癒に頼る必要自体がなかったからだ。
呪いで傷つけられるたびに治すことで対処してきたのは、治療はできても解呪ができなかったから――そのはずだが。
「治癒の一環で、呪いを洗い流したわけか……」
呪詛も魔術の一種である以上、被術者には術者の魔力が流されることになる。
その干渉を、ピトスは《治癒魔術》によって濯いだというわけだ。
ただの魔力ではない術式の干渉を、魔力だけでは洗い流せない――だから治癒として洗浄した。
理屈はわかるが真っ当ではない方策だ。まして流した呪いの魔力を、魔弾として撃ち返してくるのは完全に想定を上回っていた。
術式洗浄。
名づけるならそんなところだろうか。
対抗術式なしで、あらゆる魔術の干渉そのものを癒やす治癒魔術の発展形――。
ピトス=ウォーターハウスが編み出した、ひとつの答えであった。
「なるほど。同じ治癒魔術でも、ちょっとだけ性質が違うね」
自身の腕を癒やしたキュオネは、ピトスに向かってそう声をかけた。続けて、
「わたしのは割と《復元》に重きを置いてるけど、あなたのは言うなら《正常化》が近いのかな」
「……」
「後ろに戻すか前に押すか、かな。どちらが優れてるってことはないけど、やっぱりいろいろ正反対かもだ」
結果は同じでも、実のところ過程は真逆に近い。
傷を負う前の状態に戻すことに重きを置くのがキュオネ=アルシオンの治癒ならば、
傷を癒やしてさらに強固に作り治すのが、ピトス=ウォーターハウスの治癒らしい。
無論、それらは基本的に目に見える違いとしては表れないけれど。
「……ちょっと生意気、だよね」
「あんたに、そんなこと言われる筋合いねーんですよ」
反射的に睨みを返すピトス。
そんな彼女に、続けてキュオネはひとつ訊ねた。
「でも、さっきの攻撃を受けても無傷だったのはわからないかも。よかったら教えてくれる?」
「……戦いの最中に手札を教える奴が、どこにいますかね」
「いるでしょ。わたしもあなたも、すっごくよく知ってる奴がひとりほど」
「――――」
「まあ、できないってんなら無理強いはしないけどね。どうする?」
安い挑発だった。真っ当に考えて、ピトスがそれに乗るメリットなど何ひとつない。
――だがコトはそんな問題ではさらさらなく、手札を明かすより目の前の女に舐められるほうが不愉快なのだからして。
「単なる事前治癒ですよ」
「……何それ」
「言葉通りですけど。傷を負ってから治してたらやってらんねえですからね。だから、傷を負うより前に治しておいてあるだけです」
「…………」
「まあ全身に治癒をかけとくわけですから効率は悪いですけど。性格の悪い呪詛に対抗するにはこれくらいしないと」
つまりピトスは。
さきほどの攻撃を受ける前から治していたということか。
「……なるほどね」
と、キュオネは笑う。その笑みは、自身の確信が正しかったと自覚するものだ。
やはり間違いなくピトス=ウォーターハウスは、キュオネにとって紛うことなき敵だ。
――だって。
事前治癒はキュオネにだってできないのだから。




