7-08『最終決戦』
「なっげえ!」
と文句を言いながら、螺旋階段を上っていく。
ちょっと足を踏み外したら、下まで真っ逆さまに落ちかねない危ない階段だ。だからってさすがに落ちるほど間抜けではないが、単純に頂上が遠すぎて嫌になってくる。
エウララリア第三王女殿下が城を抜け出したくなる気持ちもわかろうというものだ。
こんな面倒なところには住みたくない。
いや、ここと王城をいっしょにしたらファランティオ王子に怒られそうだが……。
「…………」
どうでもいいことを考える。
どうでもいいことを考えられるくらいには、俺の心は落ち着いていた。
我ながら、とてもじゃないがこれから最終決戦に挑むという緊張を感じない。
「まあ《最終決戦》とかいう単語がもう、俺に似合わん説あるしな……」
思わずそんな言葉を零してしまうくらいには、どうやら余裕があるようだった。
元より俺は、あまり精神状態に術が影響されないタイプの魔術師だという自覚があったりする。
死にかけでも術をほとんど失敗しないのは数少ない俺の長所である。
できればそもそも死にかけにならないほうがいい。
それはそう。
それができたら苦労はしない。
本当に。
ただまあ、それでも精神の調子が、魔術の行使に大きく影響するということはよく知っていた。
なにせ俺自身、相手の調子を崩す方向で悪巧みをすることも多い。
どんなに強い魔術師であっても、ひとたび心を崩せば、まともに術を使うことすら難しくなる。
俺よりも上位の魔術師が、心持ちひとつでごく簡単な魔術さえ失敗するような様は、何度となく見たことがあった。
――逆を言えば、心がノッているときは魔術の精度も合わせて上がる。
たとえば姉貴なんかは、メンタルのノリ具合いで調子が大きく変わる典型的な魔術師だ。テンションが低いと格下に足元を掬われるが、一度ノリ始めたら無敵にさえ思えてくるほど振り幅がデカい。
姉貴ほどでなくとも、これは多くの魔術師に共通する要素である。
その意味で言えば――ここまで来た仲間たちは全員この上なく仕上がっていたと思う。
間違いなく今が最高の状態だ。
もちろん運もあるが、正しいときにその状態を仕上げてくるのも才能や経験のひとつだと思う。
全員がほぼ間違いなく格上を相手にしている。
何より俺が、ほかの誰より姉貴たちの――七星旅団の強さを知っている。
ある意味で俺が最も、七星旅団のみんなが負ける姿を想像できないほどに。
だからこそ。
それでも信頼して任せてこられたことが、自分でも少し不思議だった。
――あいつらなら、あの怪物どもを倒してもおかしくない。
なぜだろうか。もはや自分が戦うよりも勝率が高いと、どこかで俺は信じていた。
「なんなんだろうなあ、この感じ……」
そう、翻って俺はどうか。
特に自分が上がっているという自覚はない。メンタルは波を立てずに凪いでいる。
まあしいて言えばさきほどピトスとキュオが睨み合っていたときはだいぶ心の調子が崩れそうになった気がしないでもないけれど。それはそれとして。
今の自分の、よくも悪くも緊張感のない不思議な心持ちに、なんだか自分で驚いていた。
「できれば勝って、追いついて……さっさと手伝ってくれとか思ってんのかな、俺……」
――かもしれないな、と駆け上がりながら普通に思う。
別段、一対一にこだわりはない。
肩に乗せられたものの重さとは特に関係なく、俺はそもそも楽に勝てるならそのほうがいいという考え方をする人間だ。プライドなんて異世界転移初日に空気へ溶けた。
俺より適任がいるのなら、それこそ今からだって役目を代わっていいと本気で思う。
この思考は、たぶんもう一生、揺らがないのだろう。
文句があるなら、そいつは俺を選んだこの星に言ってくれという話だ。
人選が悪いんだよな、そもそも。俺なんかを選ぶ星さんのセンスが終わっている。
……ああ。
これは、じゃあそういうことか、と自分で考えてようやく気づいた。
どうやら俺は柄にもなく、与えられた役割が重すぎるとどこかで思っていたらしい。
何を今さらと、人に聞かれたら腹を抱えて笑われそうな不安。
自分の実力に自信なんてまったくない。
きっとこの世で、俺がいちばん、俺という人間を信用していない。
ピトスは、きっとそのことを見抜いていたのだ。
だからあのとき別れ際、荷物は置いて行けと言って笑った。
あるいはほかの連中もみんな――俺以外は最初から気がついていたのだろうか。
いや、……まあ、そりゃそうか。
俺だって、これが俺じゃなければ気がついただろう。
そんなものは重すぎると。
自分のコトでさえなければ一瞬で思い至ったはずの当然の事実に、俺は今の今までまるで思い至らなかったらしい。なんというか、我ながら傍目にはずいぶん間の抜けた話だ。
「……はは」
その上で。
その上で俺は確信していた。
今の自分が、間違いなく最高の状態にあることを。
なんつーか、我ながら意外なことに、これまで俺はそういうことがあまりなかったのだ。
つまり、自分の調子がノッている状態で戦場に臨むということが。
強敵と戦うときほどそうだ。
だいたいいつも最悪に近い状態で立っていた気がする。アホみたいに追い詰められているとか、一歩間違ったら死んじゃうとか、なんならつい一歩間違って死んじゃったとか。
いや死んじゃったじゃねえんだよな。
普通は死んじゃわないんだよ。死んじゃったら終わりなんだから。
びっくりだよもう、なんなら俺自身がいちばん。
格上にギリギリ喰い下がり、死線の淵でかろうじて生の目を拾い上げるような戦いばかりしてきた。
それが仮にも伝説の魔術師集団の一員だというのだから、もはや何かがおかしかった。
俺が格上であれよ。いや本当に。
そりゃ、ここ最近はそもそもニュートラルが呪われ状態だったのだから、ある意味で当然と言えば当然なのだろうが。その件を除いても、だ。
どうかしている。
劣勢でも崩れないと思っていた俺の長所が、実はそもそも劣勢でしか戦えていないという運の悪さの証明でしかなかったとか、そろそろ本格的に自慢がなくなってくる感じだ。
――そんな俺が今はベストの状態に立っている。
この上ない自然体。ナチュラルこそが俺にとってのベストなのだと初めて自覚していた。
なるほど、それがわかっていて荷物を持って行ったのなら、ピトスもなかなか策士だ。
やはり悪い影響を受けている。
俺から。
ホントごめん。
「まあ、……つまりはいつも通りってコトだ」
思わず笑ってしまう。
結局は、そうやって平静であることが俺の持つ強みであるのなら。
劣勢だろうとなんだろうと変わらない。
どんなときでも俺のやることは同じという話でしかなかった。
上がり幅に欠けると思うか、いつでも実力を出せると捉えるかは考え方次第だが――。
「どっちにしたって同じこと、か」
この先に待つ男の言葉を借りれば、そういうことになるのだろう。
ならば条件は同じだ。有利も不利もそこにはない。
荷物を預けず、全てを背負ってきたことさえ――俺にとっては普段と同じ。
まあ、それはもしかしたら、送り出してくれたみんなには悪いのかもしれないけれど。
俺は何も変わらない。
アスタ=プレイアスというひとりの人間だ。
どうせいつも通り、ふざけた強さの敵を相手に、死ぬほど追い詰められるのだろう。
かもしれない。だとしたら、いつも通り逆転してやるだけだ。
知らないようなら教えてやればいい。
これでも俺は、意外と結構、大事なときは負けない男だ。
「――さて、と――」
頂上に辿り着く。
これまで進んできた扉とは違い、酷く小さく、そして簡素な扉だった。
特に気負いも躊躇いもなく、俺はその扉を右手で押し開く。
そして。
「いらっしゃい。待っていたよ、一ノ瀬明日多くん」
扉を潜り抜けた先は、天井のない朽ちた玉座だった。
壁は崩れ、闇に沈む空と星々が見える。宇宙を見透かすような天上の間だ。
明らかに上ってきた塔よりは広い。
だが寂れた玉座だけがポツンと佇む玉座は、広さ以上の寂しさを湛える。
広漠とした頂き。
その玉座に、彼は腰を下ろしていた。
俺はまっすぐ先へ進んだ。
やがて互いの声がまっすぐに届き合う距離で。
「まったく硬い椅子だよ。らしさを優先して座ってはみたが、これでは腰を痛めるね」
七曜教団の日輪。
原初の英雄。
運命の号を冠された、一番目の魔法使い。
エドワード=クロスレガリス。
「……おいおい。仮にも魔王なら、もう少し気の利いた台詞で迎えてくれよ」
「驚いた。君が勇者のつもりで来ていたとはね」
軽く立ち上がった《日輪》は、関節をほぐすような素振りで言った。
鋭い銀の双眸。酷く美しい金髪は肩ほどの長さで流れている。
初めて会ったときと容貌が変わったわけでもないのに、あのとき感じた冴えない空気を今はあまり感じない。眼鏡をしていないから、なんて理由じゃなさそうだが。
存在感には欠けている。
けれど――にもかかわらず目が離せない。
「なんかそう言われると恥ずかしくなってくるな。聞かなかったことにしてくれ」
「何、形としては間違いじゃないさ。これでもビデオゲームは嫌いじゃなかったしね」
「……そんな近代から来てたのか」
「どうかな。今さら時系列で考える意味はないし、少なくとも君よりは古い時代の男だよ」
「…………」
「日本は今どうだい? どんな国になった。実は住んでいたこともあるんだよ」
「さあな。俺に訊くなよ」
「――――」
「俺はもうこの世界の人間だ。呼び方も訂正してくれていいぜ」
「そうか。それは失礼した、――アスタ=プレイアス」
どちらでも同じことだ、と彼は言わなかった。
その理由を、俺も訊ねはしなかった。
「さて。初めましてか久し振りか、なんて挨拶すればいい? エドワード=クロスレガリス」
「……そう期待されると、なにぶん天邪鬼なタチでね。応えたくなくなるな」
「じゃあ好きに呼ばせてもらうぜ。名前長いし、日輪でいいよな」
肩を竦めて訊ねると、彼はわずかに苦笑するように身を震わせた。
「挨拶の話で、呼び方の話ではなかったような気がするけれど……まあいいだろう。どちらにせよ、同じことだ」
「……そうか」
「ああ。こちらにも、特に君と交わすべき言葉はない」
日輪はまっすぐに立ち、俺を見据えていた。
その双眸から感情は読み取れない。何を考えているのかわかりづらい奴だ。
……厄介な。俺はせめて不敵に笑って、日輪の言葉を待った。
「君は世界に用意されたぼくの敵だ」
「――――」
「君にとっては厄介で勝手な運命かもしれないけれど。ぼくから見れば、君は――敵だ」
君にとってはどうなのか、と。
彼の視線が、訊いているような気がした。
だから、
「安心しろよ、日輪。俺にとってもお前は敵だ」
「――――」
「因縁ならある。お前は邪魔だ。ここで決着をつけてやる」
「……ああ……」
ふと呟くと、彼は静かに目を伏せた。
俺はその手に煙草を取り出す。
親父さんから貰った、残り少ない貴重な品だ。
それに、静かに火をつけた。
どちらにせよ同じだから――だからどうかは知らないが。
彼はそれを止めることもしなかった。
「……ふぅ」
喫んだ煙草の味を転がす。
実のところ、特に美味いと思って煙草を嗜んだことはないのだけれど。
それでも今日くらいは楽しんでおこうかと、なんとなく思った。
「一服は済んだかい?」
日輪は問う。俺は言った。
「見てわかんだろ。まだひと口しか吸ってねえよ」
「吸いきるつもりもないだろうに」
「そりゃそうだ。――ああ、問題ねえよ」
「そうか」
言って。そして日輪が顔を上げ、再びその眼に俺を移した。
その視界に敵を収める。
意味ならたとえ、言葉にされずとも理解できた。
その上で。
「――魔法使い、エドワード=クロスレガリス」
彼は、自らの名を口にした。
俺はそれにただ応じる。
「アスタ=プレイアス。――セブンスターズの印刻使いだ」
きっと、それは俺にとって最後になる名乗り。
たとえ勝とうと負けようと、二度と名乗ることはないかもしれない肩書き。
「じゃあ」
と、魔法使いが口にする。
それが、最後の戦いの始まりを告げる。
「やろうか」
手に持つ煙草の紫煙を操り。
俺は、魔術の発動によってそれに応じた。
「――《雹》――!!」
※
最終連戦第七関門。
最終決戦。
アスタ=プレイアスvsエドワード=クロスレガリス。




