1-02『呼び出しの理由』
声をかけられた四人に、動揺の色は見られなかった。たぶん、あらかじめ聞かされていたのだろう。
それだけに、ますます俺が呼ばれた理由がわからなくなってくるのだが。まあ、待っていればそれも説明があるはずだ。
別に、初めから俺が入っていない理由くらいわかってる。
俺を除いた四人の学生は、要するに学年の成績上位四人なのだから。呼ばれたのはきっとそれが理由だ。魔術の実力に左右されるこの学院では、つまり最も有名な四人という意味でもある。
いや、まあ実は四人のうち顔を知っているのはふたりだけで、残りは推測だったりするのだが。おそらく外してはいないと思う。
では五番目に呼ばれた俺が成績五位なのかといえば――ぜんぜん違う。筆記ならともかく、実技における俺の成績は、決して褒められたものではないのだから。
セルエは続けて言う。
「ですが、まだ決定ではありません。学院の伝統として、シード権を得るためにはとある条件をクリアしてもらう必要があるんです。これは皆さんの先輩も含めて、ずっと同じ条件を満たした学生だけが権利を得ることができていました」
その話は知らなかった。だが確かに、去年の大会ではシードなんてなかったような気がする。
――ちなみに、ここで言う《大会》とは、学院で伝統的に行われている、学生同士の魔術合戦のことだ。脳筋学校らしいアホ丸出しの大会なのだが、これでいい結果を残せば将来の就職にも響く辺り、馬鹿にはできない行事である。
基本的に排他主義的な学院において、数少ない外部からの観覧が許された行事でもある。
まあ結局のところ、魔術師なんざ戦って強い奴が正義だということだ。
だからこそ、やはりシード権というものは重要だった。予選は無条件で突破扱い、本戦となる公開トーナメントでも試合数が一試合減る可能性があるのだから。
いくら優秀とはいえ、魔術師の戦いとは基本的に《初見殺し》の応酬だ。相手の手札を知っているのと知らないのでは、条件が大きく違ってくる。
切り札を晒す機会が減ることの重要性を、わからない人間などここにはいなかった。
「その条件というのが――オーステリア迷宮、その第十五層までの踏破です」
セルエはあくまで笑顔で言う。
ここで初めて、集められた面々の間にざわめきが起こった。
だが、それも当然だろう。
その条件は――はっきり言ってかなり厳しい。
「もちろん、単独ではおそらく不可能でしょう。皆さんにはパーティを組んで、全員で第十五層までの踏破を目指していただきます。期限はひと月。来月のこの日までに成功しなかった場合は、今年はシード権がなし、ということになります」
「…………」
誰も答えない。セルエは返答を待たなかった。
「まあ、とはいえ別に参加できない、というわけではありませんからね。実力で勝ち残る自信があるのなら、無理に挑戦する必要はありませんよ」
安い挑発だ。いや、セルエにはそんなつもりさえないのだろう。
だがそんなことを言われて引き下がるような奴が、この学院で上位に位置づけるはずがない。
集められた四人の瞳は、それぞれに力強い輝きを放っていた。
そして俺の場違い感もまた尋常ではなかった。
なんで呼ばれたんだマジで。
「――何か質問はありますか?」
全員(なぜか俺含む)の顔を見回して、セルエがそう訊ねた。
すぐに手を挙げた学生がひとり――その男子学生を指して、セルエが嬉しそうに名前を呼ぶ。
学生の積極性を喜んでいるらしい。
「はい、ウェリウス=ギルヴァージルくん!」
呼ばれたのは、金色の髪に碧い瞳を持つ、驚くほど整った容姿の男子生徒だった。
特に親しいわけじゃない、というか話したことが一回もないというレベルだが、そんな俺でさえ彼のことは知っている。そのレベルの有名人だ。
なぜなら《ギルヴァージル家》といえば、国内でも有数の大貴族なのだから。いくら魔術師が実力主義とはいえ、それでも例外というものは存在する。
そのひとつが彼の生家だ。そもそもギルヴァージル家自体が、多くの優秀な魔術師を輩出した家系だったことを記憶している。
彼とてここに呼ばれている以上、血筋だけではなく、実力のほうもしっかり兼ね備えているのだろう。
前年度の総合順位で、確か二位に位置づけていたと思う。
「――そのパーティとは、ここにいる四人で組まなければならないのでしょうか?」
ウェリウスが問うた。セルエは小首を傾げ、
「不満ですか?」
「いえ、むしろありがたい話だと思います。こういう機会でもなければ、僕たちがパーティを組む機会なんてなかったでしょうから。僕が訊きたいのは、ここからさらに人数を増やすことも許されるのか、ということです」
「大丈夫ですよ。パーティの人数はいくら増やしても構いませんし、もちろん、ここにいる面子とは組まない、というのも選択肢のひとつです」
同じパーティで迷宮に挑む以上、自身の手の内は晒す必要がある。
だが、それは本戦において言えばむしろマイナスの行為だろう。手札の読まれた魔術師など脆いものだ。
要するに、その線引きをどこで行うか、という話になる。
「ただしひとつだけ。パーティに入れていいのは、あくまでこの学院に通う二回生の魔術師だけです。本職の冒険者を、お金で雇ったりなどはしないように。この試験は、あくまで君たちの実力を証明するためのものなのですから」
「わかりました。ありがとうございます」
「ええ。それと、念のために付け加えておきますと、人数を増やせばその分、候補者も増えるということは理解しておいてください。いくら増やしてもいいですが、枠はあくまで四つだけです」
加えて言えば、オーステリア迷宮程度の規模のダンジョンで、あまり人数を増やしすぎるのは逆によろしくない。
迷宮というだけあって、狭い通路が入り組んだ構造をしているからだ。そんなところに大勢の人間が集まっては、魔術を満足に使えなくなってしまう。
「心得ておきます」
ウェリウスは優雅に腰を折ってそう答えた。
動作のいちいちが気障な奴だ。これで様になっているのだから、さすがに大貴族様なのだろうが。
「ほかに質問はありますか?」
重ねて確認したセルエに、ウェリウスはもう二、三の質問を投げた。
あるいは、ほかの三人を代表して、聞かせるつもりであえて訊ねているのかもしれない。
やがて質疑応答が終わると、ウェリウスは「では最後に」と、その場で思い出したかのように付け加える。
ともすると、それが本命の問いだったのだろうか。彼は言った。
「――どうしてこの場に、アスタ=セイエルが呼ばれているのでしょうか」
ああ、俺の代わりに訊いてくれたのかな?
なんて無邪気に善意を信じるには、ウェリウスの口調は棘に満ちていたと思う。
家柄も実力も申し分なく、つまりプライドの高い男なのだろう。俺のような成績下位の人間がこの集まりに呼ばれているのは、我慢ならないのかもしれない。
ただその割に、彼がこちらへ向けてくる視線からは、どこか好奇にも似た色を感じる気がするのだが。
いったい何を考えているのだろうか。
別に、俺も好き好んで来たわけじゃないのだし。帰れるものなら今すぐにだって帰りたい。
答えたのは、けれどセルエではなかった。もちろん学院長でもない。
口を開いたのは、集められた学生のうちのひとりだったのだから。
「――それは私が呼んだからです、ギルヴァージルくん。話を聞いて、まず真っ先にパーティへ誘うべき人間は彼だと判断しました」
堂々とした口調の、堂々とした人間だった。ただその場にいるだけで、見る者を強く畏怖させんばかりの威圧感。それをこの女は持っている。
長く、そして美しい、亜麻色の髪が特徴的な女だ。それだけでこの学生が、普通とは違うことを知らしめるほどに。言葉を尽くして褒め讃えることなど、むしろ彼女を絶対性を損なってしまうように思える。
理知的な朱い瞳は、けれど剣呑で意志の強そうな輝きを帯びている。貴族のお嬢様然とした外見に反する、それは強い野心と好奇心の発露だ。
俺は、その事実に辟易とした思いを覚える。誰が手を回したのかと思ったが、なるほど、このお嬢様だったのかと。
――レヴィ=ガードナー。
学院長の孫娘に当たる、当世きっての天才魔術師。
座学、実技の両面で、入学以来一度たりとも総合一位を落としたことがない――同年代では、明らかに図抜けた実力を持つ学生だった。
いや、おそらくは現役の魔術師と比較してさえ、彼女の才能は突出している。
学院長の孫でさえなければ、すでに職業魔術師として一線で活動していてもおかしくない。それほどの逸材である。
「ガードナーさん、君が……?」
だからだろう。そんな、誰もが認める天才が、俺のような劣等生をパーティの一員に選ぶと聞いて、ウェリウスには動揺が走ったらしい。
「ええ。何か問題でも?」
「問題がないとは言えないね。君は、僕たちとはパーティを組む気がないと?」
「そんなことはありません。私自身、この機会をとても貴重に思っています」
「ならどうして。こう言ってはなんだが、彼の実技の実力は学年最下位じゃないか」
ほう、よく知っている。そう思ったが黙っていた。
なぜなら俺が何を言わずとも、レヴィが勝手に答えるだろうから。
「そう言われると思ったから、わざわざこの場に呼んでいただけるよう取り計らったのです」
レヴィはそう、自信に満ちた表情で微笑んだ。
――この時点で、俺はもう今回の件から逃げることができなくなったと知る。
実のところ、可能なら何頼まれても断ろうと思っていたのだが。だって面倒だし、俺にだって事情くらいある。迷宮に潜る時間も惜しいほどに。
けれど、このお嬢様が本気になった時点で、俺の退路は断たれてしまったようなものだ。あの手この手で俺が関わるように仕向けてくるだろう。今のうちに諦めてしまうのが最上策だった。
やってくれる。信じられない。俺にメリットがひとつもない。
余計な悪意を買うだけだ。それだけは避けたかったのに。
「彼の魔術師としての実力は、確かにお世辞にも高いとは言えません。ですが、こと迷宮攻略に限って言えば違う」
その信頼を、俺は嬉しいとは思わなかった。
きっと彼女にだって、俺の考えは伝わっていることだろう。
レヴィは言う。
「私はこの学院に、アスタ=セイエル以上の迷宮魔術師がいるとは思えません」
「彼に、それだけの実力があると? 実力が低い者を迷宮に呼ぶのは、連れられる側にとってさえ不幸だろう」
「もちろん、理解しています」
「……なるほど。それをどう証明するつもりだい?」
「もちろん迷宮で、と言いたいところですが、それでは納得しないでしょう。だから、私以外の保証をつけます」
「保証……?」
「アスタ=セイエルを推薦したのは、何も私だけではないということです。――ですよね、セルエ先生」
水を向けられ、セルエは小さく頷いた。
そうか、お前もグルか。マジかよ。
「ええ。私も迷ったんですが。というのも――本当は、アスタくんをパーティに入れること自体を反則扱いにしてしまいたいくらいだったので」
「……ずいぶんと言い切るものですね」
「それくらいには、わたしもアスタを信用していますから。彼を入れたら、間違いなく貴方たちは第十五層まで到達します。わたしにはその確信があります。ですが、彼もこの学院の二年生であることに違いありませんからね。それをダメとは言えません」
とんでもないほど持ち上げられたものである。
今、俺がどういう状態であるのかを、知らないふたりじゃないだろうに。
セルエに限って言えば、あるいは気を回したつもりなのかもしれないが。
レヴィは違うだろう。
こいつは自分の事情しか考えない。
「――保証も頂きましたので」
レヴィは笑う。優雅に、瀟洒に、高貴に。
だがその笑みの意味するところが「してやったり」の感情であることを、この場では俺だけがわかっていた。
セルエに言わせてしまった以上、もう俺に退路はない。
ここで断っては、彼女の顔に泥を塗ることになる。
世話になっている相手にそれができるほど、俺も厚顔無恥ではありたくなかった。
「彼のパーティへの加入を、認めてもらっても構いませんよね?」
教師にまでお墨付きを貰って、断れる人間などこの場にはいない。
俺の進退は、ここで決定を見たのだった。
――ところで。
俺の意見を誰も訊かないのは、いったいどうしてなんでしょうかね?